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2018年8月23日 (木)

八幡大神信仰について

 

石清水八幡宮は、宇佐神宮・鶴岡八幡宮と共に日本三大八幡宮のひとつに数へられる官幣大社である。また、「由来書」によると、伊勢神宮に次ぐ「国家第二の宗廟」とされてゐるといふ。

 

神宮の鎮座する京都府八幡市の男山は、京都の南西・裏鬼門にあたり、木津・宇治・桂の三川の合流点を挟んで天王山と対峙する交通の要地、政治上の重要な拠点に位置している。

 

石清水八幡宮の御祭神は、御本殿中央に八幡大神(誉田別尊・ほんだわけのみこと・第十五代応神天皇)、西に比咩大神(ひめおおかみさま)、 東に神功皇后(息長帯比賣命・おきながたらしひめのみこと)を祀られてゐる。本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神と申し上げる。

 

応神天皇は、仲哀天皇の第四皇子であらせれる。御母君は神功皇后。母君の胎内にあられて新羅へと往還されたが、ご帰国直後の仲哀天皇九年(三二〇)に筑紫において生誕された。水田開発など農業生産拡大を行はれつつ、文化発展、殖産興業も図られた。応神天皇の御代は、鉄の文化が普及し、日本国が大いに発展した時代で、大陸・朝鮮半島との交流を深められた。同時に軍事力も強化された。かうしたことが、応神天皇が、国難打開・武の神たる八幡神として崇められた大きな理由であらう。

 

比咩大神は、多紀理毘賣命(たぎりつびめのみこと)、市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)、多岐津毘賣命(たきつひめのみこと)の三柱を申し、天照大御神の神勅を受け宇佐島に降られ皇土守護と国威発揚の神と承る。

 

神功皇后は、仲哀天皇の皇后で、天皇崩御後、武内宿禰とはかり懐妊の御身を以て男装して海を渡られて新羅を征してこれを下し給ふた。凱旋後、応神天皇のをお産みになった。皇后であられながら、武の神として崇められてゐる。

 

八幡神が信仰されるやうになったのは奈良時代からであり、神代には登場されない神である。八幡信仰が盛んになったのは、武門とりわけ源氏の隆盛と深く関はりがあると思はれる。また、怨霊の魂鎮めとも関連があるといはれている。中世以来、討死した武将、攻められて自裁した武将及びその一族を、八幡神として祀った例が多くあるといはれる。神代以来の神々いはゆる天神地祇とはそのご性格を少しく異にしてゐるといへる。

 

八幡神がわが国最初の神仏習合神として早くから信仰された。聖武天皇は、東大寺大仏(盧舎那大仏)造立に際して、豊前国の宇佐宮に勅使として橘諸兄(従三位左大臣)を遣はし、「国家鎮護」と「大仏造立」の祈願を行はせられた。天平十九年(七四七)に八幡神の「天神地祇を率いて大仏建立に協力しよう」といふ意の神託が下された。

 

天平二一年(七四九)陸奥の国から大仏像に使ふ黄金が献上され大仏造立が完成した。聖武天皇は大変お喜びになり、この年の七月二日天平勝宝と元号を改められた。

 

黄金の発見といふ瑞祥は八幡神の神徳のよるものとされたのであらう。天平勝宝元年(七四九)十二月に、宇佐八幡の神霊が、紫錦の輦輿(れんよ・鳳輦のこと)に乗って入京し、東大寺の地主神として迎へられたといふ。紫錦の輦輿は、天皇のお乗り物であり、八幡神がすでにこの頃、応神天皇の御神霊であると信仰されていたと思はれる。

 

天応元年(七八一)に、八幡神に「八幡大菩薩」の神号が与へられた。延暦二年(七八三)には、「護国霊験威力神通大自在菩薩」といふ号も加へられてゐる。

神仏習合の初期現象たる「八幡神上京」は、教義・教条の理論的裏付けがあって行はれたのではない。現実が先行し、それに後から理屈がつけられたのである。まず神と仏が習合することが先だったのである。ここが日本民族の信仰生活の面白いところであり、幅が広く奥行きが深いといはれる所以である。融通無礙なのである。

 

石清水八幡宮も、創建以来、幕末までは神仏習合の宮寺で石清水八幡宮護国寺と称してゐた。明治初期の神仏分離までは「男山四八坊」と呼ばれる数多くの宿坊が参道に軒を連ねた。

 

神と仏とがごく自然に同居し、同じく人々によって信仰せられて来たのが日本の信仰の特色であり傳統であらう。神と仏とを理論的教学的に識別する以前に、日本民族の信仰においては、感性において神と仏とを同一のものの変身した存在として信仰したのである。一つの家に神棚と仏壇が祀られ安置されている姿は、一神教の世界ではあり得ないと思ふ。

 

日本人が太古から継承してきた自然信仰と祖霊信仰といふ日本民族の中核信仰に外来宗教が融合されていったのである。

 

石田一良氏は「神道の原質と時代時代の宗教・思想の影響との関係は『着せ替え人形』における人形と衣裳との関係のようなものと喩えられるかもしれない。…神道の神道たる所以は原初的な原質が時代時代に異なる『衣装』をつけ、または『姿』をとって、その時代時代に歴史的な働きをする所にある」(『カミと日本文化』)と論じてゐる。卓見であると思ふ。

 

いくら外来宗教を受容したからとて、わが国の風土と日本民族の気質から生まれたすべてを神として拝ろがむ伝統信仰の中核は失はれることはなかったのである。

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