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2018年7月14日 (土)

在原業平の歌に詠まれた日本人の他界観

 

つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを       在原業平

 

在原業平は平安時代初期の歌人。六歌仙の一人。平城天皇の孫・阿保親王の第五子。母は桓武天皇の皇女・伊都内親王。在原姓を賜って臣籍に降下された。

『三代実録』には「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」とある。『伊勢物語』の主人公は業平その人であると古くから信じられた。

 

この歌は、「病してよわくなりにける時、よめる」といふ詞書がある。

 

通釈は、「最後には行かなければならないあの世への道だとは、以前から聞いてはゐたけれど、まさか昨日今日その道を行くことになるとは思はなかったなあ」といふ意。

 

死に直面した時の驚きの心を詠んだ歌であるが、嘆きや悲壮感や無常感を露骨に表現することなく、素直にして平らかな心で歌ってゐる。現代に生きる我々にも違和感なく、時代を超えて訴へるものを持ってゐる。故に古来、辞世歌として最も親しまれてゐる。業平は五十六歳で没した。

 

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」といふ。そして死んだ人は草葉の蔭から生きてゐる人を見守ったり祟ったりする。といふことは、死後の世界と現世は遮断してゐないで交流し連動してゐるといふことである。伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国の神話も死後の世界と現世との交流が描かれてゐる。 

 

日本人は基本的に、肉体は滅びても魂はあの世で生き続けるといふ信仰を持ってゐる。死後の世界は、次第に理想化・光明化されてゆき、神々の住み給ふ世界と信じられるやうになった。何故なら、自分の親や愛する人などが、あの世に行って苦しんでゐるなどと考へることに耐へられないからである。

 

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としてゐた。天地萬物に神や霊が宿ってをり、森羅萬象は神や霊の為せるわざであると信じてゐた。だから「他界」にも神や霊が生きてゐると信じた。しかし、反面、穢れた「他界」も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでゐると信じられた。

 

素晴らしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国・根の国と呼ばれた。これが後に仏教の輪廻転生思想と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるやうになったと思はれる。

 

春秋二回のお彼岸は今日仏教行事になってゐるが、本来的には日本人の他界信仰・祖霊信仰から生まれた日本固有行事である。春と秋の昼と夜の長さが同じ日に「あの世」から「この世」へ祖先の霊が訪ねて来ると信じてきたのである。「彼岸」とは向かふ岸といふ意味であり、日本人の「他界観念=よその世界・まだ行くことのできぬ世界に憧れる心」とつながる。

 

業平のこの歌は、古代から傳はってゐる日本人の他界観を踏まへて、安穏の境地とは言へないまでも平常心で死を迎へたいといふ心を歌ったのではあるまいか。

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