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2018年7月22日 (日)

伊勢皇大神宮について

第一〇三代・後土御門天皇は、明応四年(一四九九)「伊勢」と題されて、

 

「にごりゆく世を思ふにも五十鈴川すまばと神をなほたのむかな」

 

と詠ませられた。

 

後土御門天皇の御代は、応仁文明の乱・疫病の流行・大火大地震・武家の専横などがあり、皇室の衰微が極に達した。崩御になられた後、御大葬は行われず、御遺体を宮中に御安置申し上げたまま四十九日に及んだという。この御製は聖天子の篤き祈りの御歌である。

 

今日の日本も「にごりゆく世」である。本来の日本の清き姿に回帰することを日本国民は神に熱祷しなければならない。伊勢の皇大神宮に参拝すると本当に日本人に生まれ来た喜びと有難さを實感する。

 

「ここは心のふるさとか そぞろ詣(まい)れば旅ごころ うたた童(わらべ)にかへるかな」

 

 吉川英治が昭和二十五年十二月、五十八歳の時、『新平家物語』執筆のための取材旅行の途次、伊勢の皇大神宮に参拝して詠じた歌である。実感した心をそのまま素直に歌にしてゐる。伊勢に参拝した日本人誰もが抱く心が歌はれてゐると思ふ。

 

矢野憲一氏はこの歌について、『わたしたちのお伊勢さま』所収の「私達の伊勢神宮」といふ文章で、「内宮神楽殿で、『即興でお恥ずかしいが……』と書かれた歌です。この歌から『心のふるさと』という言葉が有名になりました。玉砂利の参道を歩きながら吉川英治が、子供の心に返る思いがすると詠じたように、なぜ神宮は懐かしい感じを私たちに与えるのでしょうか。それは日本人皆につながる大御祖(おおみおや)神がおまつりされているからです」と書いてゐる。

 

日本人の伊勢の大神への崇敬の心は、教義教条に基づくのではない。日本人としてごく自然な畏敬の心である。だからこそ、伊勢の神宮の神域に入ると大いなるものへの畏敬の心に充たされ、童に返ったやうに素直な清らかな心になるのである。

 

イエスキリストは、「幼兒の如ごとくならずば、天國に入ること能はず」と言ったが、日本人は、伊勢に参宮することによって「うたたわらべにかへる」のである。ここが日本伝統信仰の素晴らしいところである。

 

この歌は、『吉川英治文庫』所収の「川柳・詩歌集」には、「伊勢神宮にて」との題詞がつけられ、「ここは心のふるさとか ひさの思ひに詣づれば 世にさかしらの恥かしく うたたわらべにかへるかな」とある。即興の歌を推敲したのであらう。「ひさの思ひ」とは、久しく参ってゐなかった懐かしい思ひ、といふほどの意であらう。

 

伊勢の神宮は日本伝統信仰の結晶である。日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統信仰が現実のものとして顕現してゐる。日本伝統信仰とはいかなる信仰であるかは、伊勢に参宮して神を拝ろがめば感得できる。理論理屈は要らない。

 

伴林光平は、

 

「度會(わたらひ)の 宮路(みやぢ)に立てる 五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは 神代なりけり」

 

と詠んだ。

 

これも、伊勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。伊勢の神宮は度會郡に鎮まりまします故に伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。

 

「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思はれ、自分自身も神代の人のやうに思はれる」といふ意である。光平は、「今即神代」の信仰を、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴へてゐる。

 

伴林光平は河内の人。真宗の僧であったが、加納諸平・伴信友に国学と歌道を学び、還俗して、天誅組の大和義挙に参加。京都六角の獄で斬罪に処せられる。この歌は宇治橋を渡って歩み行く人々全ての実感ではなかろうか。

 

 保田與重郎氏は、この光平の歌について論じ、「神苑の杉の並木を歩いてゐると、いつの程にか神代の心に我身我心もなりきってしまふといふ意で、神宮参拝の心持を非常によくうつした名作である。…樹そのものが神と思はれるのである。さうしてその感覚の中では、自分と木は一つになる。…大木を大切にすることの必要さなどといふことは、大木を見て神を知った者は必ず切実に感じる。さうしてさう感じる心が、即ち日本の本質である。日本の生々発展の神の創造力に奉行し得る。…大木を見ても、たゞこれを伐って何に利用しようかといふやうに考へるたぐひの心持が、日本人の一部に動いてゐるが、私はこれを無限に悲しみ、憤ってゐる。…この神苑の大杉は物ではなく、神である。この感覚が永久に日本を支へる感覚である」(橿ノ下)と述べておられる。

 

西行は、治承四年(一一八〇)六十三歳の時、三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り住んだ時に、

 

「何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさに なみだこぼるゝ」

 

と詠んだ。

 

若き日に社会主義革命思想に傾斜した土岐善麿も伊勢の神宮において、

 

「おのづから 神にかよへる いにしへの 人の心を まのあたり見む」

 

と詠んでゐる。

 

窪田空穂は、

 

「遠き世に ありける我の 今ここに ありしと思ふ 宮路を行けば」

と詠んだ。

 

伊勢皇大神宮は、「今即神代」「天地初発之時」への回帰を実感する祭りの聖域である。「今即神代」「天地初発之時」といふ時の「今」とは、時間的感覚でとらへられる「過去・現在・未来」の中の「現在」ではない。「久遠の今」である。それは、ミルチャ・エリアーデの言った「かの初めの時」であり、キリスト教の「われはアルファでありオメガである」、佛教の「久遠元初」と近い意義を持つと考へる。まさに伊勢の神宮は「心のふるさと」なのである。

吉川英治は、次のやうな俳句も詠んだ。

 

「昭和十四年霧島にて

霧島に 神の子われも 詣でたり」

 

 宗教の根底にあるものは、天地自然の中に生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮をはじめとした日本の神社は、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地である。

 

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