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2018年7月 1日 (日)

防人の心

 

 和歌は、天皇と国民をつなぐ大きな絆である。わが国最古にして最大の和歌集である萬葉集は、上は天皇から下は一般庶民の歌(遊女の歌もある)まで収録さている。萬葉歌の一首一首にわが国の古代人の信仰・思想・生活感情・美感覚があますところなく表現されている。萬葉集は、わが国の伝統精神・日本民族の中核精神を和歌という定型文学で表現した一大アンソロジーであり、わが国の伝統的な民族精神を知る上で、記紀と並んで、まことに大切な文献である。記紀はわが国民族精神が語られている文献であり、萬葉集はわが国民族精神が歌われている文献である。

 

 萬葉集巻二十には、九十三首の防人の歌が収められている。防人とは、唐・新羅のわが国への侵攻に備えるために、筑紫・壱岐・対馬に配置された兵士のことで、わが国が百済に送った救援軍が白村江で敗北した翌年の天智天皇二年(西暦六六三)に配置された。諸国の軍団の正丁(せいてい・二十一歳から六十歳の公用に奉仕した男子)のうちから選ばれて三年間の任務についた。天平二年以降は、特に勇壮を以て聞こえた東国(遠江以東の諸国)の兵士が専ら派遣された。大陸及び朝鮮半島との緊張関係は、約千三百年前から今日まで変わらずに続いているということである。

 

 防人の歌を収集し後世にのこすという偉大な事業を行ったのは大伴家持である。家持が、防人に関する事務を管掌する兵部少輔(ひょうぶのしょうふ・兵武賞の次官)の任にあった天平勝宝七年(七五五)に、筑紫に派遣される諸国の防人たちが難波に集結した。家持は防人たちの歌を収集しようと考え、諸国の部領使(ぶりょうし・防人を引率した役人)たちを煩わして防人たちの出発の日の詠、道中での感想を詠んだ歌を提出してもらった。中には、妻などの家族の歌を記憶していて、それを提出する防人もいたという。 

 

 防人の歌は、防人の率直な心境や東国庶民の生活感情を知り得る貴重な歌である。天皇国日本の永遠を願いながら遠く旅立つもののふの決意を表明した歌であり、生きて故郷へ帰ることができない覚悟した者たちの歌である。当時における辺境の地の素朴な歌ではあるが、日本文化・文学の基本である宮廷文化(みやび)への憧れの心があり、君への忠、親への孝、人への恋心が表白されている。

 

 一人一人がそれぞれの立場で個性的表現をしているが、全体として国のため大君のためにわが身を捧げるという共通の決意が歌われている。天皇への無限の尊崇・仰慕の念と敬神の心、そして愛する父母や妻子への思いが生々しい情感として歌われている。

 

 つまり、日本人の最も基本的にして永遠に変わることなき道義精神・倫理観を切々と歌っているのである。東国の庶民は都に生活する貴族などと比較すれば教養や学識においては劣るものがあるかもしれないが、天皇・国家・家族を思う心は純真で深いものがある。東国の庶民である防人の歌には、古代日本の豊かな精神・純粋な感性がある。

 

 「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」 (防人の任を仰せつかった今日よりは、一切を顧みる事なく、不束ながら大君の尊い御楯として出発致します。私は)

 

 下野の(今日の栃木県)火長今奉部與曾布(かちょういままつりべのよそふ)の歌。火長とは十人の兵士を統率する長。

 

 もっとも代表的な防人の歌である。「醜」とは醜いという意ではなく、大君に対し奉り自分を謙遜して言った言葉で、「不束ながら」或いは「数ならぬ」という意。葦原醜男神(あしはらのしこおのかみ・大己貴神の別名)の「醜」と同じ用法で、「力の籠った、荒々しい強さを持ったものの意」とする説もある。

 

 「御楯」は楯は矢・矛・槍から身を守る武具であるが、大君及び大君が統治あそばされる日本国土を守る兵士のこと。大君にお仕えする兵士であるから「御」という尊称をつけた。

 

 出征する時の勇壮・凜然とした固い決意を格調高く歌っている。この歌の心は一言で言えば上御一人に対する「捨身無我」である。そうしたきわめて清らかにして篤い尊皇の心がふつふつと伝わってくる。しかも、押し付けがましいところがない、さわやかな堂々たる歌いぶりの重厚な歌、と評価されている。                   

 

 このほかにも、防人の歌には感動を呼ぶ歌が多い。そのいくつかを記してみたい。

 

 「わが妻はいたく戀ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず」

 (私の妻はとてもわたしを恋い慕っているらしい。飲む水にも妻の面影が見えてとても忘れられない)   

 

 「父母が頭(かしら)かき撫で幸(さ)く在(あ)れていひし言葉ぜ忘れかねつる」(父母が私の頭を掻き撫ぜて無事であれよと言った言葉を忘れることができない)  

 

 「わが母の袖持ちなでてわが故に泣きし心を忘らえぬかも」(わが母が着物の袖を持って涙を拭いながら出発する私のために泣いて下さった心を忘れることができない)

 

 「防人に行くは誰(た)が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しき物思(もひ)もせず」(防人の妻の歌。防人に召されて行くのは誰の夫ですかと物思いもしないで尋ねている人はうらやましいことです)

 

 これらの歌は自分の父母や妻や夫を切々と思う歌である。素直な感情を何の技巧も用いる事なくそのまま歌っているのでなおさら大きな感動を呼ぶ。

 

 「あられ降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は來にしを」  

 (鹿島の社に鎮まります建御雷神に武運長久を祈り続けて天皇の兵士として私は来たのだ)

 

 常陸の國那珂郡の防人・大舎人部千文(おおとねりべのちぶみ)の歌。「あられ」は鹿島に掛る枕詞。あられが降る音はかしましいので鹿島に掛けた。「鹿島の神」は鹿島神宮に祭られている武神・建御雷神(たけみかづちのかみ・武甕槌神とも書く)の御事。建御雷神は、天孫降臨に先立って出雲に天降られ、大国主命に国譲りを交渉せられた神であらせられる。鹿島神宮の御創祀は、神武天皇御即位の年と伝えられる。「皇御軍」は天皇の兵士という意味。天皇の兵士・皇軍という意識は、近代になってつくり上げられたのではなく、千三百年の昔よりわが日本の庶民に受け継がれてきているのである。

 

 同じく大舎人部千文の歌に、

            

 「筑波嶺(つくばね)のさ百合の花の夜床(ゆどこ)にも愛(かな)しけ妹ぞ晝もかなしけ」(筑波山の百合の花のように夜の床の中でもいとしい妻は、昼間でも愛しくてたまらない)

 

 まことに素直にして率直に自己の心情を吐露した歌である。そしてそれを萬葉集という公の歌集に、政府高官たる大伴家持の手によって堂々と収められたのである。今日の頽廃的な肉体文学・性欲文学と全く異なった健康的な歌である。

 

 この二首は、敬神愛国の「公の思い」と、妻を愛する「私の思い」とが、一人の作者によって歌われている。ここに萬葉の歌の素晴らしさがある。古代日本決して権力国家ではなかった。天皇を中心とした大らかな信仰共同体がわが日本の本来の姿即ちわが國體なのである。

 

 「天地の神を祈りて幸矢(さつや)貫(ぬ)き筑紫の島をさして行く吾は」

 (天神地祇に祈りを捧げ、武具を整えて筑紫を目指して行くのだ。私は。)

 

 下野の國の防人の歌。「幸矢」は、山の幸を獲る矢すなわち狩猟に用いる矢のこと。「貫き」は、矢を靫(ゆぎ・矢を入れて背に負う器具)に入れること。

 この歌は、「あられ降り鹿島の神を祈りつつ」と同じく、敬神愛国の精神を吐露した歌である。防人の歌は、尊皇敬神の志を述べながら、同時に父母を慕い妻子を愛する自然の人間感情を素直に歌っている。ここに古代日本人らしい「まことごころ」の大らかさ・深さがある。

 

 日本武士道の淵源は、記紀に記された須佐之男命・神武天皇・日本武尊の御事績にある。この御精神の継承し踏み行ったのが防人たちだったのである。

 

 防人の歌に限らず萬葉歌は、理論・理屈ではなく、日本人の魂に訴える「歌」によって、日本人の中核精神・伝統信仰・倫理観を今日の我々に教えてくれているのである。まことに有難きことと言わねばならない。また、当時は既に聖徳太子の時代の後であるから仏教がわが国に浸透していたはずであるが、萬葉集全体、特に防人の歌には、崇仏の歌が全く無い。    

                                

 尊皇愛国・国のために身を捧げることが日本人の道義の基本である。萬葉集とりわけ防人の歌には、日本民族の道義精神・倫理観の中核たる、「天皇仰慕・忠誠の精神」「神への尊敬の思い」「父母への孝行の心」が素直に純真に高らかに歌われている。現代日本の混迷を打開し、道義の頽廃を清め祓い、祖国を再生せしめる方途は、萬葉の精神への回帰にあると確信する。

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