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2018年7月 2日 (月)

井上毅の「皇祖は天照大御神ではなく、神武天皇である」といふ主張について

 

『大日本帝國憲法』『皇室典範』などの草案起草の中心となった井上毅(肥後の人。号は梧陰。司法省に出仕。フランスへ留學。枢密顧問官。第二次伊藤内閣の文部大臣。弘化元年~明治二十八年)は、いかなる國體観・天皇観の持ち主であったのか。

 

井上毅はその著『梧陰存稿』において、「支那欧羅巴にては、一人の豪傑ありて起り、多くの土地を占領し、一の政府を立てて支配したる、征服の結果といふを國家の釈義となるべきも、御國の天日嗣の大御業の源は皇祖の御心の鏡もて天か下の民草をしろしめすといふ意義より成立したるものなり。かゝれば御國の國家成立の原理は、君民の約束にあらずして一の君徳なり。國家の始は君徳に基づくといふ一句は日本國家學の開巻第一に説くべき定論にこそあるなれ」「我が國の憲法は欧羅巴の憲法の写しにあらずして即遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるなり」と論じ、天皇國日本が「覇道國家」「契約國家」ではないことを明らかにし、天日嗣日本天皇の國家統治の本質を説いてゐる。全く正しい國體観・憲法観である。

 

ただ、「君徳」は儒教の有徳王君主思想の言葉である。日本天皇は現御神・祭祀主としての神聖権威を保持されてゐるのである。

 

ここで、井上毅のいふ「皇祖」「國家の始」について少しく考へてみたい。新田均氏は、「井上(註・毅)が國家の基本的な枠組みの根拠とその成果とを、神武建國以降の『國史の成跡』に見出している…つまり、井上は、天皇統治の根拠を形而下的なもの(『歴史』的なもの)の上に設定することによって、天皇をめぐって、宗教や哲學といった形而上學的な論争が発生したり、それに天皇や政府が巻き込まれたりすることを避けようとしたのだと考えられる。」(「『現人神』『國家神道』という幻想」)と論じてゐる。

 

新井氏によれば、『教育勅語』発布後、文部省は解説書を井上哲次郎に依頼したが、井上の草案では、『勅語』の「皇祖」は天照大御神、「皇宗」は神武天皇であると説明してゐた。井上はこれに異を唱へて「皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇」とするよう求めたといふ。新井氏は、「君臣関係の力点を、神話よりも、神武建國以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」と述べてゐる。

 

井上毅の、「皇祖は天照大御神ではなく、神武天皇である」といふ主張は、『記紀萬葉』以来のわが國の傳統信仰を否定とはいはないまでも無視してゐると言へる。皇祖は天照大御神であり、皇宗は邇邇藝命・神武天皇以来御歴代の天皇であることはわが國體の根本である。神話を無視して日本國體及び皇統を論ずることは出来ない。

 

前述した通り、皇位の継承は単に血統の継承ではなく、血統とともに道統・靈統の継承である。天皇は、靈統・道統・血統の継承者であらせられ、この三つの『統』は三位一体である。これを皇統といふ。

 

さらに新井氏によれば、井上毅が『教育勅語』起草に際して総理大臣の山県有朋に出した『意見書』(明治二十三年六月)で「勅語ニハ敬天尊神ノ語ヲ避ケザルベカラズ何トナレバ此等ノ忽チ宗旨上ノ争端ヲ引起ス種子トナルベシ」「世ニアラユル宗旨ノ一ヲ喜バシテ他ヲ怒ラシムルノ語気アルベカラズ」と述べたといふ。

 

かかる考へ方により、井上のいふ「敬天尊神」といふ言葉は『大日本帝國憲法』発布の勅語にも『教育勅語』にも用いられなかったといふ。

 

そもそも、わが國の傳統信仰は、天地自然を神と拝み、祖靈を祭る信仰であって、外来の教団宗教と同次元に立って相争ふ信仰ではない。むしろ、日本傳統信仰を保持し根底に置きつつ、外来の思想や宗教を包容摂取して来たのがわが國の精神史・宗教史である。「敬天尊神ノ語」が「憲法」や「勅語」に用いられたら「宗旨上ノ争端ヲ引起ス」などといふことはあり得ない。

 

また日本傳統信仰すなはち神道は、「世ニアラユル宗旨ノ一」ではない。教祖・経典を絶対視し排他独善の布教活動を行ふ教団宗教(宗旨)とは全く別次元の「祭祀宗教」である。

 

井上毅のかかる考へ方は、今日の靖國神社問題を複雑化させてゐる日本の宗教風土とは相容れない偏狭な「政教分離」論につながるのである。

 

明治天皇が、「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されたのは、天地生成・天孫降臨以来の事を示されたのである。日本國體は神話を基礎とする。「天壌無窮の神勅」が天皇・皇室の尊厳性の基本である。

 

昭和十二年三月の『國體の本義』は、冒頭で、「我が肇國は、皇祖天照大神が神勅を皇孫瓊瓊杵の尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂の國に降臨せしめ給うたときに存する」として、日本の肇國は神武天皇の御即位ではなく、天孫降臨であることを明記した。

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