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2018年6月 9日 (土)

神武天皇御製を拝し奉りて

神武天皇御製

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

【みつみつし】「久米」に掛かる枕詞。「みつ」は威力が強い意の「稜威(いつ)」の転で、それを重ねて久米部の武威を讃へた言葉。【久米】氏族の名。久米部は軍事面で大和朝廷にお仕へした。『古事記』『日本書紀』によると、邇邇藝命が降臨あそばされた時、久米部の祖先神である天津久米命が、同じく武の家柄である大伴氏の先祖神・天忍日命と共にその先導を務めたとされる。背に靭を負ひ、腰に頭槌の剣、腕に鞆をつけ、弓を持ち、矢を手挟み、さらに鳴鏑の矢を持ちそへるといふいでたちで、高天原から降臨された。【子ら】人々。【粟生】粟畑。【臭韮一茎】臭い韮が一本。【そねが茎 そね芽繋ぎて】その根元に芽をつないで。【撃ちてしやまむ】撃たないでおくものか。

 

通釈は、「威勢のよい久米の人々の、粟の畑には臭い韮が一本生えてゐる。その根のもとに、その芽をくっつけて、やっつけてしまふぞ」といふ意。

 神武天皇は、九州日向(宮崎)の美々津の浜を出発され、大和橿原の地に至り、建國を宣言された。これを御東征と言ふ。御東征に反抗した大和の豪族・長髄彦を討たれる際に、神武天皇が皇軍を激励して詠まれた御製である。

 

烈々の攻撃精神が充満してゐる。天皇の国家統治の御精神は「和」「仁慈」と共に「剣の精神」「戦ひの精神」がある。上御一人日本天皇は「もののふの道の體現者」であらせられる。

 

「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一たび戦闘となれば神武天皇御製に歌はれたやうな「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」といふ雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

 ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されてゐるとおり、神を祭り、神の霊威を背負ひ神の御心のままの戦ひであり武であった。故に武は「神武」であり、剣は「神剣」であり、戦ひは「聖戦」なのである。

 

 「天皇中心の神の國」がわが國體であるが、この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義である。天皇の統治したまへるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。

 

神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

『古事記』には、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治の御精神、つまりは日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されてゐる。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる。

 

祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳へられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合はせて)一體になること)の観念である。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐる。つまり、「神武」が真の平和を実現するのである。

 

 古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

 「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いはゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるといふこと)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきた。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成された。

 

夜久正雄氏はまた、神武天皇の御製について、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

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