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2018年6月25日 (月)

天皇と憲法

 

『現行占領憲法』の「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象

徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている。

 

「象徴」という言葉は、天皇の空間的統一性・統合性をある程度表現してはいるが、天皇の時間的連続性・伝統性は全く表現されていない。言い換えると、象徴という表現は何ゆえ天皇は国家国民を統合される御存在であるのかという理由が示されていないのである。

 

天皇は、日本國及び日本国民の歴史と傳統、そして過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的な普遍意思を体現される存在である。天皇が日本国の統治者・君主として仰がれてきたという事実と、天皇が日本国の歴史と傳統そして国民の普遍意志の体現者である事実とは、不可分の関係にある。

 

「現行憲法」の「天皇は象徴である」という規定は、この不可分の関係を無視し、あわせて日本伝統信仰(神道)の最高祭祀主としての天皇の地位と権能を否定し去っている、「天皇の御地位」は果たして何を根拠としているのかが明示されていない。

 

「現行占領憲法」は経過的暫定の制度として、天皇制を承認し、やがてはこれが廃止を理想とした米国占領軍の意図を反映したものだからこういう規定になったのである。

 

三島由紀夫氏は、天皇のご本質について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じてゐる。

 

『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。

 

天皇が、日本国及び日本国民を統合される御存在であるのは、天皇が歴史的伝統性・時間的連続性を継承され体現される御存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐない。天皇の空間的統一性は表現されてゐるが、歴史的伝統性・時間的連続性が表現されてゐない。

 

「主権」の問題一つ取ってみても、ローマ法においては、権力支配組織たる国家は「主権、人民、国土」の三要素があり、「主権」とは最高絶対排他的な支配権力とされる。かかる「主権」論から「主権は国民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生するのである。

 

しかし、日本国は権力支配組織ではないのだから西洋的主権論はあてはまらない。日本国の統治の大権は建国以来天皇にある。そして天皇と統治の大権は権力支配組織の支配権力ではなく、信仰共同体(人格国家)をしろしめすという意義である。したがって、「現行占領憲法」の国家存立の基本に関する「(天皇の注)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」という規定は日本の立国法(国体精神)とは全く異なるものといわなければならない。

 

天皇と国民の関係は、支配・被支配の対立関係ではないのである。祭祀主たる天皇は、国民を支配し隷従させたのではなく、信仰的権威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。

 

権力支配組織ではない日本國体を、西洋的主権論で規定することは全く誤りであり、國體の破壊である。日本國の統治大権は建國以来、天皇にあることを憲法に明確に示すべきである。天皇の統治大権とは、権力や武力による支配ではなく、祭祀と一体のものであり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。

 

日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 

したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

 

日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず国を生んでいる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが国なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。

 

また人は神の子孫であるとされている。神と國・神と人とは親子関係にあるのである。ゆえに、日本国においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が祭り主たる天皇なのである。

 

ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされている。「創造する」ということは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているということである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負う。

 

神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越している者が君主となって国を治めるというのである。ゆえに、国家は人工的な存在であり本来罪を背負っている。

 

また本来罪人である国民同士の信頼関係は希薄である。君主も国民を力で強制することによって国家を治めるのである。このキリスト教の国家観・人間観が西洋国家法思想・法思想の根幹となっている。

 

このように日本と外国との国家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり。」という文章である。

 

『現行占領憲法』は『国生み神話』『天壌無窮』の神勅、柿本朝臣人麻呂の長歌に歌はれた國體精神「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ)」を全く継承してゐない。

 

『現行占領憲法』は最も大切な『大日本帝国憲法』の第一条から第三条までの成文化された国体法のを抹消した。さらに、『占領憲法』は、『大日本帝国憲法』には無かった「国民主権」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

 

ゆえに、『大日本帝国憲法』を改正した憲法であるとする『現行占領憲法』は、『大日本帝国憲法』の改正限界を大きく超えて国体の基本を隠蔽してしまったのである。その上、日本の国体に全く合致しない西洋の悪しき普遍主義に毒されている。憲法が国家の存立の基本を破壊もしくは否定するようであれば、これを全面否定しなければならない。

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