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2018年6月30日 (土)

『笹川平和財団主催 フォーラム・中国の対外戦略―「新時代」の意味するもの』における登壇者の発言

三月六日に開催された『笹川平和財団主催 フォーラム・中国の対外戦略―「新時代」の意味するもの』における登壇者の発言は次の通り。

 

ボニー・グレイザー女史(CSIS「チャイナ・パワー・プロジェクト」ディレクター)「任期規定が無くなるのは、深遠な意味を中国にもたらす。外交にプラスとマイナスあり。悪い政策決定が多くなる可能性が高くなる。批判的なコメント情報が習近平に上がることが少なくなる。より強権的になる。南シナ海・台湾へますます強権的な主張をするようになる。主権に対する挑戦は受けつけない。明るい面は、人民解放軍への権限は堅く固めたこと。アメリカと中国の艦艇が直面するのを避ける。航空機の直面も避ける。密輸の取り締まりが強化できる。中国の権威主義は海外から支持されない。習近平に異議を申し立てる人は少なくなる。日中間の危機管理メカニズムの合意が達成できるであろう。中国の国防費は八・一%の伸び。昨年は七%の伸びだった。長年にわたって同じ比率で伸びて来ている。かなり大きな経済の中の八%の伸びということに留意すべし。習近平は人民解放軍の支持を受け続けねばならない。中国が軍事拠点を作るのは国家の安全のためだけではない。国防費の透明性は高くはない。二百万人の兵はプロフェッショナルなのか。三十万人くらいは減らす。内陸部と沿岸部の貧富の差は膨大。『毛沢東は中国が立ち上がるのを助けた。鄧小平は中国が豊かになるのを助けた。習近平は中国が強くなるのを助けた』と言われ、江沢民と胡錦濤は忘れられた。中国共産党の脆弱性に対処するために権力を集中せねばならない。不安定さの脅威が拡大しているのかもしれない。港の運営を取るのは長期戦略的野心。同じ考え方を持っている国が団結することが大切。中国は市場経済国ではない。劇的に中国が変ることはない」。

 

 

高原明生東京教授「中国がこれからどうなるかを考えるうえでも経済が危険。経済は国務院の仕事。経済が失速しないように改革をどう進めて行くのかがポイント。改革という言葉が意味している内容は我々と中国指導部とは違う。どうすれば国有企業が強くなるのかが最大の主眼。国有企業を強くするために民間資本を入れる。政府と企業との新しい関係がどういうことか明らかではない。共産党の領導とは指揮命令の事。党の領導を社会のあらゆる面で強化していく。民営企業に対して共産党が干渉する。国有企業の党組織の役割を強化する。党の領導強化と近代化は矛盾する。習近平の統治は、党がグリップ(把握する事)を固く握ること。権力集中によって決断し実行する。しかし一人の人間が沢山のことを二十四時間考えることはできない。全ての事に目を配ることはできない。習近平に迅速に正しい決定ができるのか。習金平への権力強化の背景には今の体制がひっくり返されるという強迫観念がある。近代化・欧米化が進めば自分たちの権力が崩されるのではないかと思っている。自信を強調するのは自信があまり無いことを示す。このまま流されたら党の支配が弱まる。だからグリップを強める。二〇〇八年のリーマンショックでは大規模な内需拡大で危機から脱した。しかし、今は投資主導に頼れる時代ではなくなって、多くの新幹線高速鉄道は儲かっていない。経済能力を外に向ける。それが一帯一路。TPPはアメリカ中心。中国は入りたいが入る条件をクリアすることは難しいので西に向かってインフラ建設の連鎖を作るというのが一帯一路構想。そういう戦略的プロジェクトという実態が見えてきて世界的に一帯一路への懐疑の思いが出て来た。経済的にペイしないケースも多い。中国は儲かるプロジェクト形成能力はまだこれから。歳入の伸び率が下がっている。それなのに国防費・社会保障費は増やさねばならない。中国からお金を借りた多くの途上国は利息が高いのでもう借りない。習近平は親しみをおぼえてもらうキャラクターになりたいと思っていたが、今や愛されるより恐れられたい、畏敬される存在になりたいという路線になった」。

 

松川るい参議院議員「去年の十月の党大会で、韜光養晦(とうこうようかい)を捨てた。アメリカに取って代わる中国型の発展モデルに自信を持った。共産党大会で後継者を作らなかった。憲法改正して王岐山を入れて来る。習近平体制は最低十年間続くことを明確にした。二〇三〇年にアメリカのGDPを抜くと言われ、二〇三一年に世界一流の軍隊になると言われる。警戒を強めねばならない。中国の歴史を見ても、強力なリーダーシップがないとまとまらない。集団指導体制で行くとバラバラになると感じたのではないか。韜光養晦を鄧小平時代からずっとやって来たが、習近平になって衣の下の鎧を出した。パックスアメリカーナの次の段階へ行くステップは自分が主導すると習近平は思っている」。

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料整理、原稿執筆る

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2018年6月29日 (金)

わが國の伝統的倫理観念・國家観の回復が緊急の課題

若い世代による凶悪犯罪が次々と起こっている。上司を拳銃で射殺する若き警察官、交番のお巡りさんと小学校の警備員を理由も無く殺害する青年、自分の子供になぶり殺しにする若き夫婦。まことに以て恐ろしい社会になって来た。

家庭・社會・共同体で育てられない人間は「狼少年」になる以外にない。日本という国はまともな家庭がなくなり、まともな社会・共同体ではなくなってきているのだろうか。

 

戦後日本は戦勝國によって西洋の國家観を押し付けられた。西洋の國家観は、契約思想に基づいている。西洋は、神と人間とが契約を結ぶキリスト教という宗教がその基盤にある。ゆえに國家もそれを構成する人々の合意と契約によって成り立っていると考えられている。

 

西洋近代國家論の歴史的淵源はキリスト教の聖書である。『旧訳聖書』とは神と人との古い契約のことであり、『新約聖書』とは新しい契約のことである。近代思想家のロックにしろ、ルソーにしろ、社會契約説を唱える場合、必ず聖書の契約を持ち出している。 

 

しかし、國家社會が人間と人間との契約によって成り立つという考え方は、全く架空の観念でありフィクションである。原始社會において人間が社會や國家を作ろうと合意して契約を結ぶなどという馬鹿げたことはあり得ない。 

 

ところが、この「社會契約説」はアメリカ合衆國という國を作り出すためには大きな役割を果たした。アメリカという國は、建國以前は、全く法律のない「新天新地」であり、言ってみれば無法地帯であった。そこには天から天降った君主もいなければ、総督もいなかった。だから、植民者が、自らが自らを治める以外になかった。こうしたことが、契約國家論がアメリカにおいて受け容れられた原因である。またアメリカが未だに「銃社会」になっている原因でもあると思う。

 

メイフラワー号(一六二0年にイギリスからアメリカに上陸した清教徒の船。清教徒とは、十六世紀後半、イギリス國教會に反抗して起こった新教徒の一派。清浄に生活することを主張した。ピューリタンと言う)で結ばれた『メイフラワー憲章』には、「主権在民」「信託による統治」「法の下における平等」が謳われていた。戦後アメリカによって押し付けられた「現行占領憲法」の原理の淵源がここにある。

 

今日のアメリカは「自由民主主義國家」の見本のように言われているが、かつては、メイフラワー号で渡米して来た清教徒たちの子孫が特権階級となっていた。メイフラワー号の子孫にしても、最初から船に乗っていた純粋な清教徒は四十一名とその家族だけで、途中から乗船した残りの人たちはいわゆる「ならず者」「刑余者」か多かったという。

 

清教徒たちはセインツ(聖者)として尊敬され、残りの者たちはデヴィル(悪魔)として差別された。そして、アメリカで一六四一年に制定された『マサチューセッツ法』では、「第一条 異神(キリスト教以外の神)を信じたものは死刑。第二条 魔女も死刑。第三条 神も死刑」と規定されていた。また「インディアンと一緒に住んだ者は三年の懲役」という規定もあったという。さらに、マサチューセッツでは、知事をはじめとした役人は必ず何処かの教會に属するクリスチャンでなければならなかった。

 

これは一神教の排他独善性、残虐性が如実に現れた法律である。アメリカがキリスト教國家であるイタリアやドイツには原爆は落とさなかったが、非キリスト教國家であるわが國には原爆を二発も落とし、東京に大規模な焼夷弾攻撃を行い、大虐殺を敢行したのも、一神教の排他独善性、残虐性及び有色人種への差別意識にその原因があると思われる。

 

「現行占領憲法」の骨格となっている思想である「自由と民主主義」、そして「契約國家論」の淵源である「アメリカ建國の精神」及びキリスト教というものは、このような恐ろしき性格を有していたことを我々は正しく知っておくべきである。          

 

「自由・平等・博愛」そして「民主主義」というものは白人のキリスト教徒にのみ与えられた特権だったのである。このような残虐にして差別的なアメリカ製民主主義・國家論は絶対にわが國には相容れないのである。

 

人間が生存する時、個々バラバラに独立して生きる状態などというものはあり得ない。個人の生存も人権も平和も繁栄も、多くの人間の協力と多くの人間の共同生活の中から生まれる。

 

西欧の契約國家観では、個人のみが唯一の実在であるとするが、これは容易に利己主義に転落する。現代日本の有様がそれである。

 

わが日本國の伝統信仰は、神と人とが相対立して契約を交わすなどということはなく、人も國土も神から生まれたと信じて来た。したがって、わが國の伝統的國家観は、人と人との結びつき(精神的血縁と言い換えてもよい)と信仰によって國家が成立しているという考え方である。

 

『日本人とユダヤ人』という本には、「日本には、『天の時、地の利、人の和』という言葉がある。かつてわが國では人口の八十パーセントがある時期になると同一の行動を起こした。田植えの時期になると全日本人が田植えをしなければならなかった。『ゴーイング・マイ・ウェイ』だなどと言ってそれをしなかったら飢死するしかなかった」という意味のことが書かれている。 

 

四季の変化が規則正しい自然環境にあるわが國は稲作國家であり、そこに生きる我々日本民族は、誰に強制されることもなく自然に共同体生活を営んで来た。そういう生活から日本國という信仰共同体國家が生まれてきた。砂漠の宗教の排他独善性をその淵源とする西洋の国家観・人間観と、わが國との國家観・人間観には決定的な違いがここにある。 

 

ところが日本が戦争に敗れた後、アメリカの押しつけによって、西洋的國家観を最上のものとして受け入れられてしまった。「現行占領憲法」も政治制度も西洋的國家観に基づいている。 

 

わが國の國家観と全く異なる國の憲法の理念が、戦争直後、無理やり押しつけられたのである。「現行憲法」が戦後日本の混迷の元凶であることはこの事実によって明白である。したがって、「現行憲法」擁護を唱えている政党・政治家には現代日本の危機を打開することはできない。と言うより日本国をより劣化させる元凶である。

 

人間が本然的に持っている相互扶助の精神が発達拡大することにより國家が成立する。人間の小さな利己主義へのとらわれを克服して、國家國民全体の幸福・繁栄・平和を生み出すことが大切である。

 

國家とは、人と人とがお互いに協力して生活していく共同体であるという本質を忘却し、國家を搾取機構・権力機構としてのみとらえれば、「國を愛する」とか「國に忠誠を尽くす」などという心は起こらない。まして生命を懸けて國を守ろうなどという気は起こらない。 

 

また、個人の生活が、物質的・経済的条件のみで成り立っているのではなく、精神的信仰的道義的価値が無くしては成り立たないのと同様に、國家もまた決して経済的・物質的・政治権力的機構ではない。精神的・信仰的・道義的共同体である。

 

國民の自由と民主的な政治の根底には、それを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、わが國民は、戦後日本のいわゆる民主化が進行する過程において、伝統的権威や慣習に制約されることが少なくなった。それだけに、一層自己を統制することが必要であった。しかし、今日の日本國民の多くとりわけ若者たちは、正しき國家観を喪失しているだけではなく、正しき道義観・倫理観も持ち合わせていない人が以前より多くなっているように思える。 

 

戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは全て「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観なき「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。そして五十二年を経過し、今日の体たらくとなっているのである。

 

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

 

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。何とかいう元文部事務次官はその典型だ。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事である。しかしその親がおかしくなっているのだから事態は深刻なのである。學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができる。

 

混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を根本的に反省し、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない。それが文字通り「専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去」し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、諸事。

 

午後一時半より、内幸町の日本プレイセンターにて、『新聞通信調査会シンポジウム・人口急減社会で何が起きるのか―メディア報道のあり方を考える』開催。河合雅司産経新聞論説委員が基調講演。上林千恵子法政大学社会学部教授、岩本晃一経済産業研究所上席研究員、水無田気流(詩人・社会学者)、諏訪雄三共同通信社編集委員兼論説委員、松本真由美東京大学教養学部客員教授によるシンポジウムか行われた。

 

帰宅後は、資料整理、原稿執筆の準備など。

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2018年6月28日 (木)

『五箇条の御誓文』に示された「天地の公道」とはわが國が古来より継承して来た一君萬民の理想政治の道

 

『五箇条の御誓文』に、「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と示されてゐるのは、封建社會の陋習を打破して欧米諸國家に追ひつかうとする姿勢を示したものであるといふ議論がある。しかし、「天地の公道」とは文字通り「天地の公道」であって欧米精神や欧米の諸制度のことではない。わが國古来より継承して来た「一君萬民の理想政治の道」のことである。

 

明治維新において、議會政治實現が目指されたのは、神代以来の傳統への回帰であり、決して欧米模倣ではない。議會政治・公議を竭す政治は、「天の岩戸開き神話」の天安河原における八百萬の神々の「神集ひ」以来のわが日本の傳統である。

 

和辻哲郎氏は、「(注・古代日本における)集団の生ける全体性を天皇において表現するということは、集団に属する人々が自ら好んでやり出したことであって、少数の征服者の強制によったものではない。その際全体意志の決定をどういうふうにしてやったかは正確にはわからないが、神話にその反映があるとすれば『河原の集會』こそまさにそれであった。そこでは集団の全員が集まり、特に思考の力を具現せる神をして意見を述べさせるのである。これは集會を支配する者が思考の力であることを示している。全体意志を決定する者は集會とロゴス(注・言語、論理、真理)なのである」(『國民統合の象徴』)と論じてゐる。

 

議會政治は神代以来の傳統であり、近代になってわが國に西洋がら輸入されたものではないことは、明治二年六月二十八日に執行された『國是一定天神地祇列聖神霊奉告祭』の祝詞に「昔常夜往く枉事多くなりし時、高天原に事始めせる天の八瑞の河原の故事のまにまに」とあることによって明らかである。

 

「議會政治實現」とは神代への回帰なのである。明治維新における徳川幕府独裁専制政治打倒、一君萬民國家の建設、議會政治實現は、まさに「復古即革新」=維新である。

 

江戸時代における「旧来の陋習」の一つは身分差別である。明治十一月二十八日に渙発された『徴兵の告諭』には次のやうに示されてゐる。

 

「我朝上古の制、海内挙て兵ならざるはなし。有事の日、天子之が元帥となり…固より後世(注・江戸時代のこと)の双刀を帯び、武士と称し厚顔坐食し、甚しきに至ては人を殺し、官、その罪を問はざる者の如きに非ず。…然るに大政維新、列藩版図を奉還し、辛未の歳(注・明治四年)に及び遠く郡県の古に復す。世襲坐食の士は其禄を減じ、刀剣を脱するを許し、四民漸く自由の権を得せしめんとす。是上下を平均し、人権を斉一にする道にして、則ち兵農を合一にする基なり。是に於て、士は従前の士に非ず、民は従前の民に非ず、均しく皇國一般の民にして、國に奉ずるの道も固より其別なかるべし」。

 

今日喧しく言はれてゐる「人権」といふ言葉が、明治五年に発せられた明治天皇の「告諭」にすでに示されてゐる事實に驚かざるを得ない。維新後の新しき世における「士」とは、士農工商の「士」ではなく、兵役に服する國民すべてが「士」であると明示された。一君萬民・萬民平等の理想を、ここに明確に、明治天皇御自ら示されたのである。

 

市井三郎氏はこのことについて「この徴兵の告諭は、明治二年以来華族・士族・平民という新しい呼称が制定されはしたが、それが幕藩体制下のような身分差別を意味するものではないことを、最も明瞭に宣明したものでした。…『王政復古』が『一君萬民』思想を介して、『四民平等』と深く結びついていたことを確認しておかねばなりません。当時の基準からすれば、『一君萬民』というイデオロギーによって、何百年にわたる封建的身分差別を、一挙に撤廃する手がうたれたことはみごとといわざるをえません。…明治日本は、階層間の移動の高さでは、西洋をはるかに凌駕するにいたるのです」(『思想から見た明治維新』)と論じてゐる。

 

明治四年八月二十八日、『穢多(えた)非人の称を廃止、平民との平等が布告され、明治五年八月、農民の間の身分差別が禁じられて職業自由が宣言され、同じ月、学制の公布によって全國民の平等な義務教育が法的理念になる。

 

徳川幕藩体制といふ封建社會においては全國で二百四を数へた各藩が分立してゐたが、「一君萬民」の國體を明らかにした明治維新といふ大変革によって、廃藩置県が行はれ、「大日本國」といふ統一國家意識が回復し、階級制度、身分差別、各藩分立の撤廃が図られた。さらに、自由民権運動が活発化し、民撰議院設立・憲法制定が實現してゆく。これは、欧米の模倣とか欧米思想の影響ではなく、わが國國體精神の回復なのである。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、諸事。

 

午後は、資料整理。

 

午後六時半より、ベルサール六本木コンファレンスセンター会議室にて、東京財団政策研究所フォーラム第111回「トランプ大統領はどこまでできるか――大統領権限と政策動向を読み解く」開催。久保文明東京財団政策研究所上席研究員(「アメリカ大統領権限分析」プロジェクトリーダー)/東京大学大学院法学政治学研究科教授、梅川健首都大学東京法学部教授(同上)、松岡泰熊本県立大学名誉教授(同上)、杉野綾子日本エネルギー経済研究所主任研究員(同上)の各氏が討論。質疑応答。

 

帰宅後は、資料整理、原稿執筆。

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2018年6月27日 (水)

今日思ったこと

福田康夫氏は、丸善石油の平取締役で現役を終えていれば良かったのに、親の七光りで政治家・総理大臣になったのが間違い。

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2018年6月26日 (火)

台湾独立建国聯盟主催「台湾二・二八時局講演会」における登壇者の発言

三月四日に開催された台湾独立建国聯盟主催「台湾二・二八時局講演会」における登壇者の発言は次の通り。

 

王明理日本本部委員長「二・ニ八事件は戦争犯罪に問えるという主張がある。全容は全く明らかになっていない。一カ月に三万人が殺された。戰爭でもないのに銃殺された。想像を絶する悲惨さ。日本の教育を受けた教養と正義感のある人が三万人殺された。その人達が生きていたら台湾の歴史は変っていた。アジアの歴史も変っていた。蔡英文氏にしてみれば背中にピストルを突きつけられている状況。難しい舵取りをされている」。

 

金美齢氏「七十一年前、私は中学二年生。総統府斜め前にある台北第一高女。『二・二八処理委員会で話し合いをしましょう』と言われて騙された。日本人も台湾人も人が良い。六か国協議をしている間に北朝鮮は核兵器を作った。台湾人は自分の目で確かめているから中国人を絶対信用しない。周英明(注・金美齢氏の夫君)は、高雄駅前に見せしめのために死体が放り出されているのを目撃した。その中の一人は両手を後ろ手に縛られていた。その人の名前が書かれていた。周英明が古本屋で買った物理の参考書の最後のページにその人の名前があった。周英明が買った物理の参考書は殺された人の本だったのだ。『この先輩はどれほど勉強したかっただろう』と周英明は思った。二・二八事件でどれほど有為の台湾人が殺されただろうか。『二・ニ八事件記念日』は『台湾独立記念日』になると私は断言する」。

 

沈清楷台湾輔仁大学哲学系副教授・台湾独立建国聯盟台湾本部副主席・民視常務顧問「台湾は厳しい脅威にさらされている。危機の源は中華民国体制にある。国共内戦はまだ続いている。中華人民共和国は『一つの中国』を主張している。蔡英文総統は『現状維持』を語っている。『現状維持』には三つの捉え方がある。①最終的に中国に統一される状態にもっていく。②中国に属さない、事実上の主権独立。③『現状維持』しつつ独立に向かうように国際社会の承認を積極的に得る。『台湾は中華民国、中華民国は台湾』というのはおかしい。『中華民国憲法』及びそれに付属する法律の枠組みに縛られている。中国は新しい台湾政策を打ち出した。中国における台湾人の就労について三十一項目から成る優遇措置を決めた。台湾人の中国に対する警戒感を解くために懐柔策を打ち出している。台湾の中小企業、所得の低い層を取り込もうとしている。ベンチャー企業立ち上げの拠点を二十一も作った。中国企業と同等の待遇を与える。台湾の幅広い青年を狙っている。青年達を大陸に呼び、儲けさせ、投機心を煽る。美味しい餌を与える。台湾人の個人情報が中国に把握される。国家の安全に関わる問題。中国は軍事力を示して台湾人に中国と戦っても負けると思わせる。中国の攻勢にどう対処するか。対米関係は良好。トランプ・蔡英文の電話会談があった。アメリカのあらゆる官僚が台湾を訪問できるようになった。台湾政府のトップもアメリカに入り話し合うことができる。台湾国防部の幹部が訪米してアメリカ国防省幹部と堂々と安保について議論できる。現在の蔡英文政権は一生懸命改革している。中華民国の制度の中で票を入れても憲法・国旗・国歌を変えることはできない。『中華民国憲法』を変える。中華民国体制の外で何かできないか。直接民主主義の典型である国民投票は国民の意志を反映することができる。国民投票を行いたい。次のステップは国連に入ること。我々は台湾の未来を希望のある未来に変えたい。中国の脅威と国際情勢の変化に直面する中、台湾本土派が執政党となり、立法院で過半数を占めた今、我々に出来ることは何かと自分自身に問いかけねばならない。自分が何者であるかを主張し、自分が何者であるかを人に認めてもらうようにしなければならない。自分のことを自分で決めてこそ、はじめて人が我々の存在を認めることになる」。

 

林紋輝氏「二・ニ八事件は現在進行形。真相究明は蔡英文政権の使命。官僚は国民党の人が殆ど。民進党政権は国民党のしがらみを取り除くのが精一杯。中国に脅えず台独を掲げる政党が必要」。

 

李旻臻氏「世界の人々に民主主義陣営の要塞の役割を果たすのが台湾独立運動」。

 

林建良日本本部中央委員「台独運動は台湾人にとって生きるか死ぬかの運動。二十年前まで台独を口にするだけで牢屋に入れられた。今は九割の台湾人が独立したいと言っている。台湾人が独立をあきらめたら善が悪に負けることになる。中国はマフィア。善が悪に負けてたまるか。それはモラルの問題。日台軍事協力のために、日本は『台湾関係法』を作ってもらいたい。法的根拠が無いと日台は軍事協力ができない」。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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明治維新の基本精神について

 

明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

明治天皇は、さらに、

 

「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 

「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

と詠ませられている。    

 

明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

明治維新は、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。

 

「神武創業への回帰」という明治維新の根本精神は、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であったのである。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

今日の日本も、幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面している。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

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橋本左内辞世の漢詩

 

変革の時代には、必ず旧体制を守らんとするいはゆる守旧派が必ずと言っていいほど登場する。明治維新前夜のわが國に於いては、井伊直弼がそれであった。

 

井伊直弼は、征夷大将軍が英明であるべきかどうかを問ふことなく、血統が近い人物を将軍として旧来の幕府政治を保守しようとした。保守と言ふよりも「守旧」と言ふべきであらう。井伊直弼の「守旧」姿勢そしてそれに伴う「安政の大獄」さらに井伊直弼誅殺が幕府崩壊を早めたのである。

 

安政五年(一八五八年)七月五日、井伊の主導する『安政の大獄』により、主君・松平春嶽が隠居謹慎処分に命ぜられた。橋本左内自身も将軍継嗣問題に介入した事が問はれ、安政六年十月七日、傳馬町の獄で処刑された。「公儀憚らざるいたし方、右始末不届付」との理由であった。

 

享年二十六歳であった。戒名は景鄂院紫陵日輝居士。明治二十四年(一八九一年)に贈正四位。

 

左内の処刑は藩主松平慶永の身代りといふか井伊直弼の松平慶永に対する圧迫策であった。遺骸は小塚原回向院に葬られた。

 

小塚原回向院のある地は、江戸時代の刑場で、回向院は、寛文七年、本所回向院の住職・弟誉義観が行路病死者や刑死者の供養のために開いた寺である。開創から刑場が廃止された明治元年までの二百二十余年間に二十四万の遺体が葬られたといふ。大部分は重罪者で、ここで行はれた刑は獄門・磔・火あぶりといふ極刑であり、処刑者の埋葬は簡単に土をかけるだけといふもので、悪臭が漂ひ、野犬・野鳥が群がったといふ。何とも恐ろしい話である。

 

橋本左内は井伊大老誅殺後、罪を許され、遺骸は福井に移された。従って、左内の墓所は、福井市の善慶寺に隣接する左内公園と、長州の吉田松陰などとともに南千住の回向院にもある。明治二十六年になって、墓石はこの地に戻された。

 

小塚原回向院に入り行くとすぐ左に橋本左内の墓があり、その隣りには『橋本景岳之碑』が建てられてゐる。明治十七年の建立で、三条実美篆額・重野安繹撰・巌谷修書。

 

橋本左内は、安政六年十月二日、江戸小伝馬町の獄舎に入牢、五日後の七日に処刑されるが、その五日間で、次のやうな辞世の詩を残してゐる。

 

「二十六年は夢の如くにして過ぐ 顧みて平昔を思へば感ますます多し 天祥の大節は嘗て心折(くじ)きぬ 土室猶吟ず正気の歌」

(二十六年の歳月は夢のやうに過ぎてしまった。平和だった昔のことを思ふと感ずるところがますます多い。支那の南宋末期に出た忠臣・文天祥は、元軍と戦ひ、囚はれの身となっても強い意思と信念を貫いて「正気の歌」を詠んだ。私はそれを讀んでとてもかなはないと思ったが、今、処刑されるにあたって、獄中において「正気の歌」を吟じたい、といふ意)

 

「苦冤洗ひ難く恨み禁じ難し 俯すれば則ち悲痛、仰げば乃ち吟ず 昨夜城中霜始めて殞つ 誰か知る松柏後凋の心」

(藩主・春嶽公の無実を晴らすこともできず、痛恨を禁じ難い。俯すれば悲痛の思ひを苛まれ、仰げば吟ずるのみである。昨夜江戸城下にしもがはじめて降りた。松柏のやうに苦難に耐えて節操を守る心を誰が知るであらうか)

 

 同じ時期に、吉田松陰も小伝馬町の獄舎につながれていたが、二人はついに面接することは出来なかった。しかし、橋本左内は次の漢詩を松陰に贈ってゐる。

 

「曾て英籌を聴き、鄙情を慰む 君を要して久しく同盟を計らんと欲す 碧翁狡弄何ぞ恨みを限らん 春帆太平を颿らざらしむ」

(優れた計画を聴き、かねがね感心してゐました。君と共に長い期間同盟を計画したいと欲してゐました。青い目の狡い男【ペリーの事】は太平洋を渡らせなかった)

 

 吉田松陰・橋本左内のお二人は同じ運命を辿りお互ひに尊敬してゐたのだが、生前一度も會ったことはなかった。

 

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆など。

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2018年6月25日 (月)

天皇と憲法

 

『現行占領憲法』の「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象

徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている。

 

「象徴」という言葉は、天皇の空間的統一性・統合性をある程度表現してはいるが、天皇の時間的連続性・伝統性は全く表現されていない。言い換えると、象徴という表現は何ゆえ天皇は国家国民を統合される御存在であるのかという理由が示されていないのである。

 

天皇は、日本國及び日本国民の歴史と傳統、そして過去・現在・将来にわたる日本国民の伝統的な普遍意思を体現される存在である。天皇が日本国の統治者・君主として仰がれてきたという事実と、天皇が日本国の歴史と傳統そして国民の普遍意志の体現者である事実とは、不可分の関係にある。

 

「現行憲法」の「天皇は象徴である」という規定は、この不可分の関係を無視し、あわせて日本伝統信仰(神道)の最高祭祀主としての天皇の地位と権能を否定し去っている、「天皇の御地位」は果たして何を根拠としているのかが明示されていない。

 

「現行占領憲法」は経過的暫定の制度として、天皇制を承認し、やがてはこれが廃止を理想とした米国占領軍の意図を反映したものだからこういう規定になったのである。

 

三島由紀夫氏は、天皇のご本質について「天皇は、われわれの歴史的連続性、文化的統一性、民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の象徴」(『反革命宣言』)「われわれの考える天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、それは一つの鏡のように、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すもの」(『反革命宣言補註』)「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇」(『文化防衛論』)と論じてゐる。

 

『現行占領憲法』第一条の規定は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。

 

天皇が、日本国及び日本国民を統合される御存在であるのは、天皇が歴史的伝統性・時間的連続性を継承され体現される御存在であるからである。「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」といふ規定は、天皇のご本質の半面しか表現してゐない。天皇の空間的統一性は表現されてゐるが、歴史的伝統性・時間的連続性が表現されてゐない。

 

「主権」の問題一つ取ってみても、ローマ法においては、権力支配組織たる国家は「主権、人民、国土」の三要素があり、「主権」とは最高絶対排他的な支配権力とされる。かかる「主権」論から「主権は国民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生するのである。

 

しかし、日本国は権力支配組織ではないのだから西洋的主権論はあてはまらない。日本国の統治の大権は建国以来天皇にある。そして天皇と統治の大権は権力支配組織の支配権力ではなく、信仰共同体(人格国家)をしろしめすという意義である。したがって、「現行占領憲法」の国家存立の基本に関する「(天皇の注)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」という規定は日本の立国法(国体精神)とは全く異なるものといわなければならない。

 

天皇と国民の関係は、支配・被支配の対立関係ではないのである。祭祀主たる天皇は、国民を支配し隷従させたのではなく、信仰的権威(これを御稜威という)によって統率し統一したのである。

 

権力支配組織ではない日本國体を、西洋的主権論で規定することは全く誤りであり、國體の破壊である。日本國の統治大権は建國以来、天皇にあることを憲法に明確に示すべきである。天皇の統治大権とは、権力や武力による支配ではなく、祭祀と一体のものであり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。

 

日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 

したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

 

日本神話では始源の男女二神たる伊耶那岐命・伊耶那美命はまず国を生んでいる。ここに日本神話の大いなる特質がある。日本神話においては神が最初に生んだものが国なのである。しかも創造したのではなく生んだのである。

 

また人は神の子孫であるとされている。神と國・神と人とは親子関係にあるのである。ゆえに、日本国においては神と國と民とがその根源において一体なのである。そして神と國と民とを精神的に統合し一体化する御存在が祭り主たる天皇なのである。

 

ところがキリスト教の神話においては神が最初に創造したものが人間であるとされている。「創造する」ということは創造者と被創造者との間は絶対的に隔絶しているということである。しかも神によって創造された人間は原罪を背負う。

 

神と隔絶し原罪を背負った罪人である人間同士が契約を結び、かつその罪人である人間の中で武力・権力が優越している者が君主となって国を治めるというのである。ゆえに、国家は人工的な存在であり本来罪を背負っている。

 

また本来罪人である国民同士の信頼関係は希薄である。君主も国民を力で強制することによって国家を治めるのである。このキリスト教の国家観・人間観が西洋国家法思想・法思想の根幹となっている。

 

このように日本と外国との国家観・君主観の違いは大変大きい。そのことを端的に示したのが、北畠親房の『神皇正統記』冒頭の「大日本は、神國なり。天祖始めて基を開き、日神長く統を傳へ給ふ。我が國のみ此の事あり。異朝には其の類無し。此の故に神國といふなり。」という文章である。

 

『現行占領憲法』は『国生み神話』『天壌無窮』の神勅、柿本朝臣人麻呂の長歌に歌はれた國體精神「やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子(みこ)」を全く継承してゐない。

 

『現行占領憲法』は最も大切な『大日本帝国憲法』の第一条から第三条までの成文化された国体法のを抹消した。さらに、『占領憲法』は、『大日本帝国憲法』には無かった「国民主権」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

 

ゆえに、『大日本帝国憲法』を改正した憲法であるとする『現行占領憲法』は、『大日本帝国憲法』の改正限界を大きく超えて国体の基本を隠蔽してしまったのである。その上、日本の国体に全く合致しない西洋の悪しき普遍主義に毒されている。憲法が国家の存立の基本を破壊もしくは否定するようであれば、これを全面否定しなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、諸事。

午後は、本日行う講演の準備。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「「ご譲位・皇位継承・憲法」と題して講演。質疑応答、討論。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2018年6月24日 (日)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 七月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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この頃思ったこと

「村の渡しの船頭さんは/今年六十のお爺さん/年を取つてもお舟を漕ぐときは/元気いっぱい艪がしなるそれ/ぎっちら/ぎっちら/ぎっちらこ」といふ歌詞の「船頭さん」といふ童謡(作詞は武内俊子、作曲は河村光陽)がある。ほのぼのとしてゐて私が好きな歌である。

 

東京生まれ東京育ちの私は「矢切の渡し」以外は乗ったことも見たことも無い。だから余計に渡し船に憧れがある。私は古稀を過ぎているが「お爺さん」という気は全くしない。まして今から十一年前の還暦の時には尚更のことであった。この童謡は、昭和十六年に発表されたから、当時は、六十歳は「お爺さん」であったのであろう。

 

今日は「高齢化社会」「定年延長」「老人パワー炸裂」ということが言われ高齢者が活躍している。ただ高齢者に「近頃の若い者は」という枕詞(と言っていいのかどう知らないが)を使って若者を批判する人がいるのはどうもいただけない。

 

日大のアメフト部の騒動を見ても、年齢を重ねた監督・コーチがむしろずる賢そうに見え、若者の選手の方が好感の持てる態度であった。若者は駄目で高齢者は若者に比較すればまともといふことは言い切れないのではないか。しかし、十九歳の警察官が、先輩が気に入らないからとて拳銃で射殺する事件が起きるのだから、恐ろしい世の中になっていることは確かである。

 

 

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2018年6月23日 (土)

千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、諸事。『政治文化情報』発送作業。

午後は、『政治文化情報』発送完了。

この後、原稿執筆など。

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第八十五回日本の心を学ぶ会

第八十五回日本の心を学ぶ会

 

 

皇位継承と日本国體を考える

 

来年の御譲位と改元まで一年を切りました

御譲位によって皇位が継承されることは約200年ぶりのことです。政府は「退位式」を行い今上天皇に、天皇としての最後の御言葉を国民が賜ることを検討しています。

「現行占領憲法」が天皇の御地位を「国民の総意に基づく」と規定していることから「譲位式」という言葉は使われないそうです。このこと以外も即位の礼は「国事」として行われるが、大嘗祭は「国事」とはしないなど、皇室の伝統と「現行占領憲法」の「政教分離の規定」との矛盾が露呈しております。

しかしながら、「現行占領憲法」が天皇について如何なる規定をしようとも、日本天皇の皇位継承は世俗の国家元首や権力者の交代とは別次元の問題です。

そもそも日本天皇の皇位は「天津日嗣の高御座」とも言われており「高天原におられる天照大御神の御霊統を継承される御方の座される高い位」という意味です。これは天皇を祭り主として仰ぐ信仰共同体・祭祀国家としての日本の国體の根本にかかわる事柄でありいかなる形であれ世俗の国家権力が介入することはあってはならないことです。

我々が真に考えなくてはならないことは信仰共同体・祭祀国家としての日本にとって皇位継承が如何なる意味を持つのかということでしょう。

そこで今回の勉強会では皇位継承と日本国體について考えてみたいと思います。

みなさんの御参加をお待ちしております。

 

(今回の勉強会は文京区民センターで開会いたします。文京シビックセンターではありませんご注意ください)

 

【日時】平成三十年六月二十四日 午後六時から

【場 所】文京区民センター 2-B会議室

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html

【住所】東京都文京区本郷4-15-14

【アクセス】都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分◎東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分◎都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

【講 演】「ご譲位・皇位継承・憲法」

【講師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題である

今日のアジアにおいて最も好戦的・最も侵略的な国は支那共産政府である。朝鮮戦争・中印戦争・中越戦争・チベット侵略・中ソ武力衝突・チベット侵略など数々の戦争を起こし、国内においても国共内戦から大躍進運動、文化大革命、天安門事件まで武力行使が行われ、自国民六千万人(少なく見積もっての話。もっと多いことは確実)を殺戮している。そして今も、対外膨脹策を取り続け、台湾・尖閣諸島・沖縄・南シナ海などへの武力侵略を企て実行している。

 

今日世界最大の帝国主義国家、軍事大国、侵略国家は「中華人民共和国」である。内モンゴル・チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、漢民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。そして、わが国領土領海の侵犯・尖閣諸島への侵略策謀などを展開している。

 

「中華」を名乗っている支那大陸の政権は、有史以来、帝国主義的侵略支配を意図する政権なのである。

 

支那共産政府の現在の領土の六三%は一九四九年まで支那人以外の人々の領土だった。アジア最大の侵略国家は支那共産政府である。サッチャー元英国首相は「大英帝國も大日本帝國もなくなったが、中華帝國は残っている」と言った。その支那共産政府がわが国を侵略国家・軍国主義国家呼ばわりするのは、文字通り盗人猛々しいというほかはない。

 

民族運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那に対する土下座外交・謝罪外交・経済技術協力を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴えて来たことがいかに正しかったかが、今日証明されている。

 

アジアの平和と安定にとって最大の脅威が支那である。共産支那を押さえるためには、「強い日本」にならなければならない。断乎として共産支那の恫喝と脅迫を撥ね退け、侵略策謀を粉砕しなければならない。自主国防体制の確立が急務である。これに反対する輩は、侵略国家支那の手先である。

 

日本固有の領土尖閣諸島での共産支那の傍若無人な無法行為と圧力外交は許し難い。日本だけではなく、共産支那はアジアの国々に侵略の牙を向けている。

 

共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題である。また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

 

軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制を確立しなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、諸事。

昼、地元の友人と、谷中で懇談。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、『伝統と革新』の原稿執筆など。

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2018年6月22日 (金)

安部龍太郎氏と

   

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安部龍太郎氏と

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この頃詠みし歌

 

わが父が迎へ火を焚く動画をば夢のごとくに今日見つるかも

 

松の緑皇国日本の彌榮を寿ぐ如く麗しきかな

 

皇居前の松の緑は皇國の永久の榮を寿ぐ如し

 

古き友と久方ぶりに酌み交はす酒は美味しも水道橋の夜

 

老夫婦の心やさしきもてなしに酌む酒美味し奈良の篠峯

 

わが苗字と響きの近き酒酌みて心たらへり奈良の篠峯

 

大皇居(おほみかど)の緑を眺め清々しこの平和なる日の本の國

 

大西郷の偉大なる生涯を偲びつつその大きなる軍服を仰ぐ(NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」』展)

 

孝明天皇の御宸翰の文字仰ぎ国難を祓ひたまへる御稜威を偲ぶ()

 

薩摩切子の青き光を見つめつつ維新回天の歴史を偲ぶ()

 

西郷像建立発起人は熊本城に籠城したる樺山資紀氏()

 

樺山資紀氏その曾孫との交流を懐かしみ思ふ上野の山で()

 

墨痕淋漓といふ言葉の通りなり敬天愛人と書かれし南洲の文字()

 

大空を雲が覆ひて東京は梅雨入りとなり町静かなり

 

夏となれば必ず出てくる油虫今年は二匹となりて動くも

 

殺生の罪を犯さざればゴキブリは家の中をば徘徊をする

 

佳き人の笑顔をわれの宝とし生きて行かなむこの現世(うしつよ)

 

窓の外に見ゆる高台緑濃き森には諏訪の神が鎮まる

 

荒海の中に浮かべる島国をただに護らす天地の神

 

みんなみの巖にぶつかる波の音今も確かにわが耳朶に鳴る(摩文仁の丘を思ひ出して)

 

讀まねばならぬ書籍が多く棚にあり命果てる前に讀み終へるべし

 

大空に日は輝けるこの朝(あした)われも新しき命燃え立つ

 

大らかに生きたしと思ひ今朝もまた空に輝く太陽を仰ぐ

健やかに生きゐることの喜びに大空仰ぐ朝のひと時

 

うどん食しこれで空腹は満たされぬ夕べほのかに生きる喜び

 

グーグーと腹は鳴れども就寝前は何も食べずにゐるがよろしき

 

神の像何と恐ろしき顔なるやしかと見つめればわが魂(たま)振ふ(『さゞれ石―佐々木誠の木彫展』)

 

銀座裏の小さき画廊に鎮座する木彫りの神像の強き霊力()

 

父母(ちちはは)との思ひ出はるか四條大橋のたもとの時計屋で時計買ひたり

 

きらきらと光り流れる宇治川の美しき景色は目裏(まなうら)にあり

 

神々の護りを祈るこの夜は静かに静かに梅雨の雨降る

 

都をば焼け野原とし多くの人を焼き殺したるおぞのアメリカ

 

凍れる土に斃れし同胞を思ひをればロシアを憎む心涌き来る

 

旅心来湧けるままにあちこちの旅行パンフレットを讀みてゐるなり

 

松明(たいまつ)持ち山を降り来る人の群れ異界からの使者の如しも

 

呑み終へて急な階段昇り行く静かにゆっくり息をひそめて

 

心臓が高鳴ることを怖れつつ静かにゆっくり階段昇る

 

会ふ人毎に三キロも痩せたと言ふことが近頃の我の喜び事ぞ

 

祖父は立派な愛国者孫はサヨクの宗教家ああ悲しくも悔しき現実

 

売り家どころか亡国の家となりにける三代目が継ぎし生長の家

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

五戸六時より、水道橋にて、永年の同志と懇談。

帰宅後も『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆。

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2018年6月20日 (水)

国内の親北朝鮮勢力を厳しく糾弾しその罪を裁かねばならない

 北朝鮮問題は、わが国再生の好機と捉えるべきである。今こそ、わが日本は愛国心・同胞意識を確立し、国防体制の整備を断行すべきである。「非核三原則」は時代遅れで危険極まりない政策である。

 

 わが国は北朝鮮のみならず、共産支那からの核ミサイルの脅威にもさらされ続けている。共産支那は、その射程から見て日本以外に用途がない場所に核兵器を配備しているのだ。わが国は一刻も早く、ミサイル防衛体制を堅固にそしてアメリカに頼らずに確立しなければならない。

 

わが国の亡国政党や偏向マスコミ、そして似非平和主義者たちはこれまで、いわゆる「非核三原則」なるものを「国是」とみなし、見直し発言すら封殺してきた。

 

しかし、核戦略環境が激変しつつある現在、「非核三原則」は時代遅れであるばかりでなく、危険極まりない政策である。

 

共産支那・北朝鮮に対しては外交的、経済的封じ込め政策だけではなく、軍事的にも封じ込め、核兵器・大量破壊兵器をテロや侵略戦争に使ったら、何十倍もの報復を行なうという威嚇を加えなければならない。

 

そのためには、わが国も自主防衛体制の確立の基本として、抑止力としての核武装を断行すべき時に来ている。

 

北朝鮮・共産支那と戦っていくためには、われわれは日本国内における共産支那や北朝鮮の手先的存在をまず以って糾弾しなければならない。

 

戦後一貫して、國民の生命と安全を守る体制を確立することを妨害して来たのが、旧社會党の「非武装中立論」であり、共産党の「自衛隊違憲論」である。軍事力を否定してどうやって國民の生命と國の安全を守ると言うのか。共同体としての國家が國民の生命と安全を守るには、國防体制の充実をまず断行しなければならない。

 

共産党・旧社會党及び社民党は、常に北朝鮮擁護の姿勢に立ち、わが國が北朝鮮に対する「毅然とした姿勢」をとることを妨害して来た政党である。そして朝鮮総連の代弁者・擁護者として外務省・警察庁などの各官庁に政治的圧力をかけてきた政党である。

 

成田知巳・飛鳥田一雄の二人の旧社会党委員長は、わざわざ北朝鮮に出かけて行って、独裁者・金日成と会見し、「社会主義朝鮮は金日成主席の卓越した指導のもとで立派に成長を続けている」、「金日成主席にお会いした感激を一生忘れないでしょう」などと称賛した。こういう政党を売国政党と言う。

 

 拉致事件以外にも、北朝鮮工作船・テポドンミサイル発射・大韓航空機事件・ラングーン爆弾テロ事件への見解など、社民・旧社会党の北朝鮮べったりの振る舞いは、例を挙げれば枚挙に暇がない。

 

 具体的な例を挙げれば、昭和五十二年、わが国での北朝鮮の工作活動・破壊工作に対する警察捜査の妨害が旧社会党によって行なわれた。

 

 旧社会党愛知県本部、共産党、県評、日朝協会は同年十二月、愛知県内で「朝鮮総連への弾圧・警察権力の不法行為を糾弾する」緊急抗議集会を開き、わが国国民を拉致などのためわが国に潜入した北朝鮮工作員=密入国者捜査に圧力をかけ、妨害した。

 

 日本人拉致事件がすぐに表面化しなかった一つの原因として、共産党・社民党など日本国内に巣食う親北朝鮮などの捜査妨害があったことは明白である。

 

 このよる集会が開かれる三週間前の十一月十五日夕刻、横田めぐみさんが新潟市内で北朝鮮工作員によって拉致されたのである。旧社会党の罪は万死に値する。社民党が急速に北朝鮮と親密になりその手先となったのは、昭和四十五年頃からである。それまでは、日本共産党が北朝鮮と友党関係にあり、その手先となっていた。

 

 日本共産党は、昭和二十五年に、北朝鮮による韓國侵略=朝鮮戦争が起った時、後方の日本において武装闘争・火炎ビン闘争を展開し、北の侵略を支援したのだ。そして白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起したことは歴然たる事実である。

 

日本共産党は、あろうことか長い間、「朝鮮戦争をアメリカの侵略だった」などという根も葉もない嘘八百を並べ立てていた。

 

『日本共産党の四十五年』という書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」とはっきり書いている。

 

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党が戦後、一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口だったのである。

 

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも日共は積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は、昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」を、わが国政府に働きかけ実現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰国した。

 

そして、「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのである。

 

七0年代初頭、北朝鮮の国家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰国者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰国者の約二割を処刑、もしくは政治犯収容所送りにしたという。

 

帰国事業では、日本共産党の有力者が、全国の「帰国協会」で「事務局長」を務め、地方党員が実働部隊となって在日朝鮮人を帰国させ、政治的には「北朝鮮に社会主義国の建設を」と宣伝した。

 

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なっていない。のみならず、悲惨極まる状況に陥っている帰国者の救援・救出にもソッポを向きかえってそれを妨害して来たのである。

 

昭和四十年代前半、共産党の青年組織・民青の青年學生は、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝していた。

 

共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭い去ることのできない大きな罪を犯したのである。

 

拉致問題に関しても日本共産党は、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示していない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本国内にあるはずがない。わが国の警察の捜査が及ばない北朝鮮の国家ぐるみの犯罪について、わが国の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。

 

 日本政府に「証拠を示せ」と迫ったこと自体無理な話であり、こんなことを言ったのは共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

 

そもそも日本共産党とは、ソ連に司令部のあった國際共産主義組織・ソ連による世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党であった。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同根・同質の政党なのである。

 

共産党が「正義の味方面」をして、わが國の防衛政策・外交政策を批判する資格もないのである。

 

前述した通り、日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した歴史を持つ政党である。特に昭和二十五年のコミンフォルム批判・朝鮮戦争勃発以後、日共は凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産支那の指令に基づいて、日本共産党が暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留していた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓国侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするという、後方撹乱の役割を担うためであった。

 

つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀に協力したのである。その罪は永遠に消し去ることはできない。

 

さらに言えば、長年党首(第一書記・中央委員会議長・名誉議長)を務めた野坂参三はスターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志であった山本懸蔵を死地に追いやったとして齢百歳にして共産党を除名された。

 

同じく長年共産党の最高指導者(書記長・幹部会委員長・中央委員会議長)として君臨した宮本顕治は、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやったとして懲役刑に処せられた。野坂も宮本も金日成・金正日父子と同類項の人物だったのである。

 

また、北朝鮮労働党と友党関係にあり、暴力革命を志向し、実際に数多くの武装闘争を行なったのが日本共産党という政党なのである。日共は、国民の自由と生存権を圧殺している金正日独裁政権と同質なのである。

 

共産主義国家(=共産支那・北朝鮮)・共産主義政党(=日本共産党)こそ「暴力的威圧で自由な言論を攻撃する」する国家であり政党である。

 

もしも彼らが本当に平和を望む政党ならば、そして対話を望む政党ならば、過去の歴史的関係から言って、社民党や共産党の党首は北朝鮮に乗り込んで、拉致された人々やその家族全員及び北朝鮮に行って悲惨な目に遭っている日本人全員を救出すべきなのである。そして核兵器廃絶を要求すべきなのである。

 

 共産党や旧社會党・社民党ような政党の存在こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしてきたのだ。社民・共産両党そして立憲民主党内に巣食う旧社会党の連中が拉致問題に関してものを言う資格はない。また平和を主張する資格もないのである。

 

我々は共産支那や北朝鮮に対する毅然とした態度を確立するためにも、国内の親北朝鮮勢力を厳しく糾弾しその罪を裁かねばならない。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆、『政治文化情報』発送準備。

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2018年6月19日 (火)

支那共産党の幹部や政府の官僚たちは国家を私物化し人民を食い物にしている

 

私は文革終結の後、天安門事件の前という時期に、数人の同志と共に約二週間ほど支那大陸を旅したことがある。その旅行で実感したのは、支那人は「衛生観念」と「羞恥心」が希薄であるといふことである。南京に行った時、日本で言へば国民宿舎のやうなところに泊まったのだが、廊下の痰壷の上に「痰壷に糞をするな」と書いた「張り紙」があった。かういふ「張り紙」があるといふことは実際に痰壷に大便をする人がゐるといふことである。日本では考へられないことだ。衛生観念と恥を知る心があればさういふことは出来ない。

 

また、町の食堂に行ってトイレに入ると、トイレの床に小麦粉か何か食材が入った袋がたくさん積んであった。また日本でも名が知られ、観光客が多く訪れる観光地のトイレに扉が無い事が多かったし、トイレットペーハーも無い所が多かった。女性の旅行者は本当に困ったであろう。

 

また、支那は「張り紙」「標語」も多い国である。「張り紙」や「標語」が多いといふことは、そこに書かれてゐることが実行されてゐないといふことでもある。「中国共産党万歳」といふ「標語」が多いのは、腹の底でさう思ってゐない人が多いから、「標語」を掲げなければならないのである。國民党独裁体制下即ち「中国人」によって支配されていた時代の台湾も「標語」が多かった。「総統万歳」「光復大陸」「実践三民主義」といふ標語が其処彼処に掲げられていた。

 

また、政府や国民党関係の建物の中には孫文の言葉である「天下爲公」といふ言葉が多く掲げられてゐた。

 

司馬遼太郎氏は次のやうに論じてゐる。「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『"私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中国文明は偉大だが、古来、"私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も"私〟であれば大官も"私〟だったし、庶民もむろんそうだった。"私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。近代中国の父といわれる孫文は、このことをなげいた。色紙をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、"中国人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。"公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)。

 

台北は、台湾でも所謂外省人即ち支那人が多い町である。支那の権力者は国家さへ私物化する。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「中国共産党」も同じである。毛沢東は、権力掌握後、國家を私物化したのみならず、多くの同志・国民を虐殺した。今日の支那共産党の幹部や政府の官僚たちも国家人民を食い物にしている。党と国家の指導者の居住地である北京の中南海の入り口には、『人民の為に服務せよ』と書かれた大きな看板があった。こうした看板が掲げられているのは、党幹部が人民のために服務してゐないからである。

 

共産支那は、北朝鮮とその体質は全く同じである。権力闘争に敗れたら、殺されるか獄に入れられる。毛沢東時代は、過去のこと思ったら大間違い。習近平による周永康、薄熙来、徐才厚などの粛清事件などを見ても明らかである。薄熙来・周永康は、劉少奇・彭徳懐・賀龍のようになぶり殺しにされなかっただけまだましかもしれない。

 

ある支那問題専門の学者の方から、「中国の皇帝は、即位する前は、多くの人々を殺して、即位した後、『聖人・君子』になる」という話を聞いたことがある。

 

「共産支那帝国」の「皇帝」であった毛沢東は、どれだけの人を殺したか分からない。即位する前どころか即位した後も、文革などで数千万の人を殺したと言われる。革命の同志であった劉少奇国家主席など多数をなぶり殺しにした。習近平もまた同じことをやっているのだ。

 

また別の「中国問題の専門家」の方は私に「中国の権力者は、普段は聖人君子のようにふるまっているが、ある日突然極めて残虐になる」と語っていた。

 

『論語』『孟子』など支那の古典は実に立派なことが書かれている。日本思想史への影響も大きい。しかし、現実の支那の歴史は、極めて残虐なる闘争と殺戮の歴史である。また、今日の「中国人民」も道義精神を忘却している人が多い。鄧小平は、「黒い猫も白い猫も鼠を捕るネコが良い猫だ」と言った。これは、教条主義を批判した言葉だったのだが、現実には、金儲けのためなら何をしても良いというような意味に理解されている。

 

わが日本は支那とはよほど注意して付き合わねばならない。支那も朝鮮もまともな国ではないのである。前近代的な専制支配国家であると言っても決して間違いではない。友好関係とか互恵関係などが構築できるものではない。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

夕刻、谷中にて地元の友人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』発送準備など。

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共産支那・ロシアの侵略・膨張主義にわが国はどう対処すべきか

所謂「東西冷戦の終結」とやらで、「世界が平和」になると言われた時期もあったが、全く逆で、国益・宗教対立が文字通り剥き出しの形で激化し、「世界熱戦の時代」が到来した。

 

ロシアのプーチンは、大統領選に勝利し四半世紀の支配権を確立し、皇帝となった。共産支那の習近平も、国家主席の任期を無くし、強権支配・独裁体制を強化し、愈々皇帝になった。

 

この二つの國の本質は、専制支配と対外膨張である。プーチンは、自分に反対する者、邪魔な者を物理的に排除してきた。これまで国の内外に於いて毒殺などの謀殺事件を実行した。習近平も、国内の反対派、邪魔者をどんどん監獄にぶち込んでいる。この二人は今日の地球上におけるもっとも悪辣な独裁者であろう。その真似をしているのが北朝鮮の金王朝三代目・金正恩なのである。

 

ロシアも支那も歴史的に大国意識を益々露骨に燃え滾らせ、ロシア帝国・支那帝国の再現・復興を目指して、周辺諸国のみならず全世界に脅威を及ぼしている。

 

国内における専制支配・強権政治は、外国に対する侵略を誘発する。と言うよりも、国内的専制支配は対外侵略と一体なのである。支那は南シナ海の領有権を強硬に主張し、ロシアはウクライナ領クリミア半島を併合した。

 

わが国は、ロシア・支那は近隣国家である。ロシアは、わが国固有の領土たる南樺太全千島の不当占拠を強固なものにしている。共産支那は台湾侵略策謀をますます強め、台湾の次は沖縄を狙って来るであろう。

 

これまで「世界の警察官」と言われ「自由民主国家」と言われたアメリカは、「アメリカンファースト」などと言い出して、国益を最優先させるようになっている。日本や韓国にしか届かなかった北朝鮮の核兵器がアメリカにまで届くようになる恐れが生じると、北朝鮮の強硬姿勢を取るようになった。それに震え上がった金正恩が核廃棄を言い出したら、とたんに融和姿勢に転じた。トランプ政権は、自国の安全さえ保障されば、日本の安全などどうでもいいのだ。

 

ロシア・共産支那・アメリカそして北朝鮮に共通しているのは、軍事力による「国益」追求である。

 

「米ソ冷戦の終結は、自由と民主主義の勝利だ。これからは平和な世界になる」などということは全くの虚妄だったのである。

 

独裁専制政治・対外膨張・侵略に歯止めがかからなくなっている今日、わが日本はどうするべきか。答えは、簡単である。わが国は、アメリカから押し付けられた誤まれる「平和主義」をかなぐり捨てて、軍事力・国家防衛力を強化しなければならない。それ以外に道はない。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。溜まりに溜まった資料の整理。原稿執筆など。

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2018年6月18日 (月)

日本共産党撲滅が急務である

 

共産主義集団の歴史は、粛清、虐殺、権力闘争、裏切り、冤罪の歴史である。これは共産主義という思想に原因があるとしか思えない。二十世紀は、共産主義による暴虐の歴史であったと言っても過言ではない。社民・共産両党は、その残りカスである。今なお共産主義に幻想を抱く人がいるというのは全く理解に苦しむ。

 

日共は『現行占領憲法』をすべて守ると言っているが、共産国家で「言論・集会・結社・思想の自由」を全面的に許容している国はない。日共は嘘をつくな。

 

北朝鮮・共産支那の韓国武力侵攻と同時期に日本国内で朝鮮総連と共に武力闘争を展開したのが日本共産党。日共・朝鮮労働党・支那共産党は同根。

 

リンチ殺人事件の主犯を長年党首と仰いできた政党が日本共産党です。百二歳の象徴的党首・野坂参三を除名にしたのも日本共産党である。もっともこの野坂は、同志をソ連の秘密警察に売り渡し、死地に追いやったのです。

 

さらに言えば、長年党首(第一書記・中央委員会議長・名誉議長)を務めた野坂参三はスターリン独裁体制下のソ連のスパイとなり、同志であった山本懸蔵を死地に追いやったとして齢百歳にして共産党を除名された。

 

同じく長年共産党の最高指導者(書記長・幹部会委員長・中央委員会議長)として君臨した宮本顕治は、同志であった小幡達夫をリンチし死地に追いやったとして懲役刑に処せられた。野坂も宮本も金日成・金正日父子と同類項の人物だったのである。

 

「共産党の野坂参三元議長が除名される時、中央委員会が開かれ、齢百歳の野坂氏は車椅子で出席した。『野坂同志。あなたは山本懸蔵同志を密告しスターリンの粛清により死に至らしめたことにより除名する。このことについて何か意見はあるか』と聞かれたことに対して、野坂氏は何の反論もしなかった。そして中央委員全員が賛成して、野坂の除名が決まった」という話を聞いた。

 

伊藤律氏も野坂との権力闘争に敗れて共産支那の監獄に叩きこまれた。宮本顕治は同志にスパイの嫌疑をかけ、リンチし死に至らしめた。それを暴露した袴田里見を党から追放した。ともかく共産党及び共産党員は人類を不幸にする元凶である。

 

 日本共産党は、昭和二十五年に、北朝鮮による韓國侵略=朝鮮戦争が起った時、日本において武装闘争・火炎ビン闘争を展開し、北の侵略を支援したのだ。また白鳥警部射殺事件、大須騒擾事件などを引き起こすなど暴力的破壊活動を展開した。これを後方攪乱と言う。

 

共産党員の多くは、「中核自衛隊」「山村工作隊」として、火焔ビンや時限爆弾などで武装して破壊活動を起した。さらに、日共が朝鮮総連と一緒になって、平事件・皇居前メーデー事件・吹田事件などの数多くの騒擾事件・集団暴力事件を起したことは歴然たる事実である。

 

日本共産党は、あろうことか長い間、「朝鮮戦争をアメリカの侵略だった」などという嘘八百を並べ立てていた。『日本共産党の四十五年』という書物(昭和四五年八月二五日・日本共産党中央委員會出版局発行)には「アメリカ帝國主義は、(一九五○年)六月二十五日、わが國を前進基地として朝鮮への侵略戦争をはじめました」とはっきり書いている。

 

日本共産党は、わが國における最初にして最大の北朝鮮軍事独裁政権支援組織だったのである。また、日本共産党が戦後、一貫して、朝鮮労働党の日本における窓口だったのである。

 

また、「在日朝鮮人の祖國帰還運動」にも日共は積極的に協力した。日本共産党と北朝鮮は、昭和三十四年、在日朝鮮人の北朝鮮への「集団帰還事業」を、わが国政府に働きかけ実現させた。これによって、約九万八千人の在日朝鮮人(約七千人の日本人を含む)が北に永住帰国した。

 

そして、「集団帰還事業」について宮本顕治書記長(当時)は、朝鮮労働党第四回大會で帰國熱を煽った。つまり、日本共産党は多くの在日朝鮮人を地獄に送り込んだのである。

 

七0年代初頭、北朝鮮の国家保衛部は、九万八千人の在日朝鮮人帰国者たちを粛清の対象にした。絶え間ない監視と罪状の捏造によって、金日成父子冒瀆、反動宣伝煽動罪、スパイ罪をかぶせ、七三年から八〇年の間に、全帰国者の約二割を処刑、もしくは政治犯収容所送りにしたという。

 

帰国事業では、日本共産党の有力者が、全国の「帰国協会」で「事務局長」を務め、地方党員が実働部隊となって在日朝鮮人を帰国させ、政治的には「北朝鮮に社会主義国の建設を」と宣伝した。

 

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国に決定的な役割を果たしたのは日本共産党であった。共産党は自らが犯した犯罪行為に対して何の謝罪も行なっていない。のみならず、悲惨極まる状況に陥っている帰国者の救援・救出にもソッポを向きかえってそれを妨害して来たのである。

 

昭和四十年代前半、共産党の青年組織・民青の青年學生は、北朝鮮を理想國家・天國のように宣伝していた。共産党こそ北朝鮮問題で歴史的に拭い去ることのできない大きな罪を犯したのである。

 

拉致問題に関しても日本共産党は、平成十二年十月五日の党首討論で、不破哲三委員長(当時)らが「政府は拉致の確たる証拠を示していない」とか「確たる物証がなく状況証拠だけだ」などと述べた。拉致された人々は北朝鮮におり、拉致したのは北朝鮮なのである。「確たる物証」は北朝鮮にはあっても日本国内にあるはずがない。わが国の警察の捜査が及ばない北朝鮮の国家ぐるみの犯罪について、わが国の治安当局が「確たる証拠を示す」ことは殆ど不可能である。

 

日本政府に「証拠を示せ」と迫ること自体無理な話であり、こんなことを言うのは共産党が北朝鮮を擁護し拉致問題解決の意志が無かった何よりの証拠である。

 

そもそも日本共産党とは、ソ連に司令部のあった國際共産主義組織・ソ連による世界赤化侵略策謀組織=コミンテルンの日本支部として誕生した政党である。本来的にソ連の手先の政党であった。ソ連軍の後押しで朝鮮半島の北半分を占領して出来上がった傀儡國家=北朝鮮と同根・同質の政党なのである。

 

日本共産党は、長い間「暴力革命」を肯定し、火焔ビン闘争・武装闘争を行ない、多くの人々を殺傷した歴史を持つ政党である。特に昭和二十五年のコミンフォルム批判・朝鮮戦争勃発以後、日共は凄まじい武装闘争を展開した。ソ連や共産中国の指令に基づいて、日本共産党が暴力革命路線を突っ走ったのは、日本に駐留していた米軍が、ソ連・中共・北朝鮮による韓国侵略(朝鮮戦争)を阻止できないようにするという、後方撹乱の役割を担うためであった。

 

つまり、日共はソ連・共産支那・北朝鮮のアジア赤化・侵略策謀の手先であった。その罪は永遠に消し去ることはできない。

 

また、北朝鮮労働党と友党関係にあり、暴力革命を志向し、実際に数多くの武装闘争を行なったのが日本共産党という政党なのである。日共は、国民の自由と生存権を圧殺している金正日独裁政権と同質なのである。共産主義国家(=共産支那・北朝鮮)・共産主義政党(=日本共産党)こそ「暴力的威圧で自由な言論を攻撃する」する国家であり政党である。共産党や旧社會党=社民党のような政党の存在こそが日本國及び日本國民の安全と平和を脅かしてきたのだ。

 

 こうした歴史を考えれば、日本共産党が「防衛体制強化」に反対しているのは、今日唯今においても、共産支那や北朝鮮の軍事侵略に協力し加担するためである。日本共産党撲滅が急務である。そしてその同調者・協力者を糾弾すべきである。特に、自民党の籍を置いていた元政治家が日共機関誌『赤旗』に登場しているのは許し難い。

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「賊軍の総大将」の汚名を蒙った徳川慶喜の悲劇

 

 徳川第十五代将軍・徳川慶喜は天保八年(一八三七)九月二十九日、水戸藩九代目藩主・徳川斉昭の七男として、江戸小石川の水戸藩邸に生まれた。母は有栖川宮織仁親王の王女、登美宮吉子女王である。水戸藩は、二代藩主光圀以来、国史の振興につとめ、尊皇精神をその伝統として来た。とりわけ光圀は、三十五万石の所領のうち、八万石を国史振興即ち『大日本史』編纂の費用に充てたといわれる。

 

 しかし、徳川慶喜は徳川幕府打倒の武力戦であった戊辰戦争において、賊軍の総大将の汚名を蒙った。しかし慶喜は決して天皇に背くつもりもなかったし、背いたわけでもなかった。、

 

徳川斉昭が藩主になった当時の水戸藩には、藤田幽谷・藤田東湖・会沢正志斎など天下に鳴り響く尊皇攘夷の学者がいた。長州の吉田松蔭もはるか水戸にまで来て教えを乞うたほどである。

 

安政五年(1858年)に大老となった井伊直弼は、勅許を得ずに「日米修好通商条約」を調印。慶喜は斉昭、福井藩主・松平慶永らと共に登城し直弼を詰問し翌・安政六年(1859年)に、父・徳川斉昭と共に、慶喜にも隠居謹慎処分が下る。この日は三卿の登城日であり、慶喜は斉昭や慶永と違って不時登城ではなく、罪状は不明のままの処分であった。

 

 さらに、勅許を得ずして屈辱的な開国を行うという暴挙を行い、それに抗議した多くの志士たちを弾圧した井伊直弼を、桜田門外において討ち取ったのは、徳川斉昭を慕う水戸脱藩浪士たちであった。これが、幕末期の尊皇攘夷運動の発火点となったのである。徳川斉昭の実子たる慶喜が、天皇に背くなどということはあり得ないことであった。

 

 徳川慶喜は、慶應二年(一八六六)十二月五日、征夷大将軍・内大臣に補任された。時に三十歳であった。ところが、攘夷の意志は極めて強く持っておられたけれども、「公武一和・公武合体」即ち「徳川幕府を存続させた上で、公家と武家とが協力して国難に当たるべし」と思し召されていた孝明天皇が、同年十二月二十五日に、御年・三十六歳で崩御された。そして、翌慶應三年(一八六七)睦仁親王(明治天皇)が御年十六歳で践祚された。これにより、朝廷内に徳川幕府を打倒して国難を打開せんとする勢力即ち倒幕派が勢力を強めた。その筆頭が岩倉具視であった。

                 

 こうした状況下にあって、徳川慶喜は、倒幕勢力の力を弱めるために、政体の根本的改革を断行しなければならないと痛感した。それが「大政奉還」である。この「大政奉還」は、土佐藩主・山内容堂(豊信)の建白によるものである。そしてその建白書は、この年の六月に長崎から京都へ向かう航海の途中、坂本龍馬が後藤象二郎(二人とも土佐藩士)に授けた有名な『船中八策』(新政府綱領八策)を手直ししたものであるという。

 

 その内容は、「一、天下の大政を議する全権は朝廷にあり。乃我皇国の制度法則、一切万機、必ず京都の議政所より出づべし。一、議政所上下を分ち、議事官は上公卿より下陪臣・庶民に至る迄、正明純良の士を撰挙すべし」などと書かれてあった。

 

そして、征夷大将軍が自発的に政権を朝廷に奉還し、徳川将軍は諸侯と同列に下り、合議を尽くすため新設する列藩会議の議長を慶喜が務める、というものであった。土佐藩としては、徳川家の政権参与の維持を図っている幕府側と倒幕を目指す薩摩・長州との妥協を計ったのである。

 

 そして、同年、十月十三日、京都にいた五十四藩の重臣を京都二条城に召集し、意見を聞いた上で、同十四日「大政奉還」の上書を奉呈し、翌十五日勅許された。慶喜は将軍職辞職も願い出たが、これは許されなかった。 

 

 徳川一族の者としてそして徳川将軍家を相続した者として徳川慶喜に徳川家の国政参与を何とか存続せしめようとする意志があったことは確かである。しかし、彼が皇室・天皇を蔑ろにする意志は毛頭無かったこともまた確かである。

 

 「大政奉還」は、明治維新断行後の政体変革と比較すれば不徹底なものであるが、それでも、「天下の大政を議する全権は朝廷にあり」と書かれてあるように、天皇中心帰一の我が国の本来的な國體を明確にしている。また、議会政治形態を志向している。この二点において、徳川幕藩体制の根本的変革であったことは間違いない。    

 

 ただ、今すぐ大政を朝廷に奉還するとは言っても、朝廷側にはこれを受け入れる態勢はなかった。慶應三年十一月十七日の朝廷より征夷大将軍及び諸侯に対して下された大政改革の諮問に「政権の儀、武家へ御委任以来数百年。朝廷に於て廃絶の旧典、即今行き届かせられ難き儀は十目の視る所に候。…」と書かれてある通りである。これがまた徳川慶喜の狙い目だったという説もある。たとえ徳川氏が朝廷に「大政奉還」をしても、朝廷には実際の政治を司る能力がないのだから、自然に徳川将軍家・幕府が政治権力行使を継続する以外にないと踏んでいたという説である。実際に徳川慶喜は、側近の西周などに「大政奉還」後の具体的な政権構想を立てさせていたという。

 

 しかし、事態は徳川家にとってそう甘いものではなかった薩摩・長州そして岩倉具視等倒幕派の公家たちは、「何としても徳川幕藩体制を打倒せずんば非ず」という強固な意志を持っていた

   

 徳川慶喜が「大政奉還」の上書を朝廷に提出したその日(慶應三年十月十四日)に、倒幕の密勅が下されていた。

 

 一方、大阪・京都に駐屯する徳川幕府方兵力は一万を超している。そして、倒幕を目指して色々と画策していた薩・長・土・芸諸藩をこれまた「何としても討たずんば非ず」という強固な意志を持っていた。まさに我が日本は内戦開始直前の状況となったのである。

 

 そして、慶應三年十二月八日、薩摩・広島・尾張・越前の諸藩の兵が突然御所の宮門を固め、徳川幕府寄りの公家を排除した上で、岩倉具志が衣冠束帯に威儀を正して参内し、明治天皇に聖断あらせられた「王政復古」の大号令を発せられたき旨を奏上した。

 

 その「王政復古」の大号令といわれる「王政復古御沙汰書」には、「徳川内府従前御委任大政返上、将軍職辞退の両条、今般断然、聞こし召され候……王政復古、国威挽回の御基立ち為され度く候間、自今摂関・幕府等廃絶、……諸事神武創業の始に原(もと)づき、…至当の公議を竭(つく)し、……」「近年物価格別騰貴、如何ともすべからざる勢、富者は益(ますます)富を累(かさ)ね、貧者は益窘急(差し迫った状態になること)に至り候趣、畢竟(つまるところ)政令正からざるより致す所、民は王者の大宝、百事御一新の折柄、旁(かたがた)宸衷(天皇の御心)を悩ませられ候。……」と示されている。

 

 徳川幕藩体制を廃絶し、神武天皇の国家御統治の真姿を回復し、さらに公議を尽くして国政を運営すべきであると示されているのである。これは神武天皇建国の理想に立ち返ることによって国難を打開し国政を刷新するということである。復古即革新即ち維新である。また、国民を宝と思し召され民の苦しみを救いたいという日本天皇の大御心にそった政治を行うべしと宣言されているのである。ここに明治維新の基本精神が示されている。限り無く民を慈しむ御精神が天皇統治の基本である。

 

 またこの「王政復古御沙汰書」には、「百事御一新」という言葉がある。徳川幕藩体制を打倒し、国政を根本的に改革することを目指したからこのような言葉が使われたのである。明治維新は文字通り「世直し」だったのである。

 

 徳川慶喜は、徳川宗家を継承した人として、徳川家による政治参与の体制を守ろうとした。水戸学の尊皇攘夷の精神を旨としている慶喜ではあったが、そこに限界があったのである。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆、資料整理。

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2018年6月17日 (日)

明治維新の意義

歴史の見方というのは色々ある。明治維新そして維新後の近代化について、色々な論議がある。薩長藩閥政治に対する批判は多くの人々から出されている。私が好きな作家である永井荷風の近代批判は、すさまじいまでの反薩長政府に貫かれている。荷風は、明治新政府を「足軽政府」と罵り、「薩摩長州は実行不可能な攘夷を言い立てて幕府を追い詰め権力を奪取した」と断定している。

 

たしかに薩長が絶対的正義であり、徳川を絶対的な悪とすることはできない。また維新変革の過程のみならず、近代化の過程に於いて、色々な矛盾や非道なこともあったであろう。

私は、生まれも育ちも東京である。父は徳島から上京して来た人だが、母方は関東の人間である。荷風の言うことに共感する部分もある。

 

しかし、やはり徳川幕藩体制を打倒し、天皇を中心として国家体制をつくり、近代化を推し進めたことは否定することはできないと思う。正しかったと思う。

 

日本国は神代以来、天皇が統治される国である。中心がしっかりと確立されていなければ、欧米列強の東亜侵略の危機を打開し統一と団結と安定を保つことはできなかったに違いない。

 

京都御所に天皇を押し込め、徳川氏が覇者として政治の実権を握っていた体制は許すべからざるものであった。すなわち天皇・朝廷を蔑にして国家の中心が二つあるかの如き体制は打倒されなければならなかった。

 

徳川将軍家は、京都の朝廷の権威を借りて、自己の権威を確立した。徳川家康を東照大権現と称し、家康を祭る神社を東照宮と称したのは、明らかに、日本天皇の神聖権威の模倣であるばかりでなく冒瀆であり國體隠蔽である。

 

しかし、その「東照大権現」の権威では国家的危機を打開することは出来なかった。神代以来天皇の神聖権威を精神的基盤としなければ、国家的危機を打開できなかった。だからこそ「尊皇攘夷」というスローガンで、国民が一致結束したのである。

 

明治維新は、無血革命ではなったが、フランス革命、ロシア革命などの外国の革命と比較すれば殆ど「無血」と言って良かった。維新変革は政治闘争・権力闘争・武力闘争の側面がある。色々詳しく調べれば、薩長側にも非があったのは致し方のない事と思う。そうした薩長批判は共感することも多い。とくに松平容保及び会津藩は気の毒であった。

 

しかし、私はどうしても納得ではないのは、井伊直弼を高く評価する説、錦の御旗はニセモノだったという説である。さらに許し難いのは、ここに書くのもはばかられるが、「孝明天皇暗殺説」である。これらの説に対しては、徹底的に反論しなければならないと考えている。

 

井伊直弼などの幕閣が、幕藩體制維持のために反動的政策をとった事がかえって維新を早める結果となったのであり、井伊直弼が主導した幕閣が開明派だったなどということはあり得ない。また開国政策を決定したのは井伊ではなく阿部正弘である。

 

井伊幕閣が勅許を得ずして開國したこと、そして勤皇の士を弾圧したことが明治維新の発火点になったのである。

 

維新は旧體制の打倒であるから、政権強奪と言っても全く間違いではない。行き過ぎもあれば残忍酷薄なこともあったてあろう。それは新政府方も旧幕府方もお互いの事であって、親政府方のみを責めるべきではない。

 

西南雄藩が新政府の主導権を握ったのは彼等が維新の推進力だったからであり、政権強奪と決め付けることはできない。新政権には旧幕臣も多く参加している。

 

幕末期における現御神信仰・尊皇精神の興起は、勤皇の志士たちのみならず、一般庶民においても旺盛であった。伊勢の皇大神宮への民衆の集団参拝(いはゆる御蔭参り)が行はれ一般庶民の皇室の御祖先神に対する信仰が大きく復活してきてゐた。天保元年(一八三〇)には、御蔭参り参加者が閏一月から八月までで五百萬人に達したといふ。

 

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないといふことが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君萬民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

 

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないといふことが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君萬民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

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『さゞれ石―佐々木誠の木彫展』を参観して

本日参観した『さゞれ石―佐々木誠の木彫展』は、「天神地祇という言葉が、佐々木誠氏のこれまでの作品名に幾つか見られる。皇祖たる天神(あまつかみ)系氏族と、土地の守、氏神たる地祇(くにつかみ)系氏族―それらは太陽(/あま)と土・水(地、海/あま)との関係にも置き換えられる―の調和と統合ゆえに、日本の歴史の連綿―さゞれ石のごとくーはある。こんにち文明間の衝突は、ここに回避の知恵もあろうが、それは久しく覆い隠されているかのようだ。佐々木氏の仕事は、その知恵を顕現させることにもなるのではないか。作品から滲む敬虔さと、頂門の一針たる絶対的ちから、そして、『代()くだれりとて自ら苟(いやし)むべからず。天地の始は今日を始とする理なり(神皇正統記)』―氏はかつて正統記の一文を展覧会タイトルとした―とのやむにやまれぬ決意をもって」(田中壽幸氏が書いた推薦文)との趣旨で開催された。「久延毘古(くえびこ)」「沙々禮石(さゞいし)」「鏡」などの作品を参観。

 

日本の神話や歴史精神を制作の源泉とする木彫作品であり、迫力がある。「鏡」という作品はそのままご神体と思えるようであった。どの作品も神秘的力というか霊力を発散しているように感じられた。

 

佐々木誠氏は、昭和39年東京生まれ。日本神話から造形をイメージし制作を続けている彫刻家。これまで、「彫刻創型展」で文部大臣賞「彫刻創型展」で創型会賞を受賞し、湯島の羽黒洞で「祖形-ヒトガタ-」展などを開催した。小生が講師を務める『萬葉古代史研究会』にも参加しておられる。

 

佐々木誠氏も「やまと歌」を詠まれる。『さゞれ石』と題する佐々木の長歌を紹介する。

 

「奉祷 皇國彌榮 

苔むせる 巖(いは)が根響(とよ)み かぎろひの 磐(いは)さけ耀(ひか)り 靈(たま)(ゆら)ぐ 稜威(いつ)の神さび 凝(こゞ)しかも さゞれ石(いは)は 天地の 神祇(かみ)の氣吹(いぶき)ぞ あやに畏し

反歌

さゞれ石 むすぶ祈りは 皇神(すめらぎ)の 御代の榮えを 萬代までに」

 

日本の傳統信仰・神話と「やまと歌」を根幹にした魂の籠った彫刻を創作している人はそれほど多くはないと思う。有難いことである。

 

田中壽幸氏は推薦文で「天神地祇」について書かれてゐる。日本民族は太古より「天地の神」を信仰して来た。わが國の神は、根源は一つであるが、天の神・地の神、陽の神・陰の神に、ご使命・ご系統が分かれてゐる。

 

 

 

 天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。また、天照大神の弟君である須佐之男命の子孫の神が國土の神であり邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

 

 

 全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社が数多くあ鎮座してゐるやうに、わが國民は、天の神・地の神(天神地祇)を共に敬って来た。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのであらう。

 

 

 

 「天神地祇」と言ふやうに、日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

 

 

 

 地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。

 

そして、須佐之男命は、天照大神に反抗されて高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

 

 

 

 キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

 

 

 

 しかし、わが國の伝統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。わが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海と空とが一体になってゐる。故に空のことも「天(アマ)」と言ひ、海のことも「アマ」と言ふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

 

 

 

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、銀座のギャラリーさわらびで開催中の「さゞれ石―佐々木誠の木彫展』参観。佐々木氏と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2018年6月15日 (金)

アメリカ製亡国憲法擁護を唱える国内の亡国勢力を一日も早く一掃しなければならない

日本は、非核三原則などという誤った原則を墨守し、且つ、軍事力を全く否定した似非平和憲法を未だに押し戴いている国である。そればかりでなく、現実に何時共産支那や北朝鮮から軍事攻撃を受けるかわからない危機に曝されている国である。

 

大東亜戦争に敗北した後、日本は七年間もアメリカの軍事支配を受け、日本を弱体化することを目的とした憲法を押し付けられた。そして自分の国を自分で守ることのできない情けない国になった。

 

現行占領憲法がある限り、日本は独立国家ではないのである。軍事的にアメリカに依存しなければならい国なのだ。だからトランプの発言や行動に一喜一憂しなければならないのである。

 

アメリカは自国の国益を最優先する国である。アメリカだけではない。どこの国もそうである。ところがわが国は、「他国の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと書かれている占領憲法下にあって、国益・国防という独立と安全の基本を喪失している國なのである。

 

わが国がアメリカと対等の立場に立ち、言いたいことが言える国になるためには、自主憲法を制定し、真の独立国家として再生しなければならない。そして自主防衛体制を確立しなければならない。自主防衛体制確立とは核武装である。

 

日本国は核武装し自主防衛体制を確立して、単独で支那共産帝国主義や北朝鮮と戦いこれを壊滅できる力を持つような国家になるべきである。

 

ところが、日本の真の独立=アメリカの属国からの脱却を妨害して来たのが、自主憲法制定・自主防衛体制確立・核武装に反対してきた亡国政党であり、偏向マスコミであり、サヨク勢力なのである。反米を唱えながらアメリカ製亡国憲法擁護を唱える国内の亡国勢力を一日も早く一掃しなければならない。

 

最近、国際的安保環境は大規模に変容している。日本はきちっとした意志と能力を持たねばならない。正しき安保観・国防観を一刻も早く確立しなければならない。自主防衛体制=核武装を断行して、いかなる国からの攻撃・侵略も徹底的に排除する態勢を確立しなければならない。

 

そのためには、日本国内の河野洋平に代表される似非保守、社民・共産・立憲民主などの亡国野党、偏向メディアを解体しなければならない。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆、原稿執筆など。

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大伴家持が「むすび信仰」を詠んだ歌

 

たまきはる命は知らず松が

(

)

を結ぶこころは長くとぞ思ふ(一〇四三)

 

右の一首は、大伴宿禰家持の作なり。

 

大伴家持の歌。「たまきはる」は「命」にかかる枕詞。色々な説があるが、魂が発展し、張り出し、外に出て行くといふ意。冬の季節には籠ってゐた虫も動物も草木も、春になると動物は動き出し、植物の葉は張り出すので、「春」の語源は「張る」であると言ふ。四季の変化はあっても、いのちは永久に生き生きとしてゐるといふことであらう。

 

「命」は寿命のこと。「松が枝を結ぶこころ」は、吉凶を占ひ、また無事・幸福を祈るために松の枝を結ぶ風習。松の枝を結ぶことによって、自分の命の長久を祈った。

 

通釈は、「寿命のことはよくわからないけれども、松の枝を結ぶ心は、寿命よ長くあれと思ふ心からだ」といふ意。

 

家持二十五歳の時の歌と言ふ。今よりもずっと平均年齢が低かったので、かかる歌を詠んでも不思議ではなかったのであらう。

 

この歌は「むすび」の信仰を詠んでゐる。「苔が生()す」といふのは、苔の命がどんどん発展成長することである。命が出現することを「むす」と言ふ。

 

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。

 

ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

 

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

 

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

 

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

 

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

 

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

 

『國歌君が代』の「苔のむすまで」のムス、大伴家持の歌の「草むすかばね」のムスも、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

 

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

 

草や木の枝や根を「むすぶ」といふ行為は、生命の無事を祈る意義があった。旅人は松の枝などを結んで無事を祈ったのである。

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐる。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。

夕刻は、千駄木にて、親族と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2018年6月14日 (木)

河野洋平の売国発言を糾弾する

報道によると、河野洋平は六月十三日、都内で開かれた講演会で政府の対北朝鮮政策に関連し、「今、日本がやらなければならないことは、朝鮮半島の植民地化について申し訳なかったとおわびをすることだ。韓国に対してはおわびして経済援助などを行ったが、北朝鮮とはまだ国交もなく、できずにいる。韓国と同じくらいは北朝鮮にもしないといけない」「拉致問題という大変難しい深刻な問題があるが、国交も正常化されず、植民地問題も処理できてない国に対して、ただ『返せ、返せ』とだけ言っても解決しない。国と国との関係を正して返してもらう手順を踏まざるをえないのではないか」と語ったという。

 

河野洋平の国籍を疑いたくなるような売国発言だ。我が国による朝鮮半島統治は、謝罪や賠償をしなければならないような悪事では全くない。未開の地であった朝鮮半島を、近代化し、農地山林の整備、経済施設建設、産業振興、教育施設建設、道路・鉄道整備、などのいわゆる社会資本を飛躍的に整備し、人口を増加させ、朝鮮半島を驚異的に進歩発展せしめた歴史的偉業であった。日本の朝鮮統治は、感謝されて当然の偉業であった。

 

また、北朝鮮に蟠踞する金王朝は、ソ連侵略軍が連れて来た傀儡政権である。彼には朝鮮半島の北半分を支配する正統性は全くない。しかも北朝鮮に住む人々を七十年にわたって、自由を奪い、苦しめ、殺し、餓死させてきた悪魔集団である。こんな奴らと日本が「国交正常化」「お詫び」「経済援助」などをする必要は毛筋の横幅ほどもない。

 

こんな暴論を言う売国者が自民党の総裁・外相・官房長官をつとめていたのだ。まことに由々しき事である。

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2018年6月13日 (水)

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である

 

「天」と「海」は両方とも「アマ」と讀む。天と海とは分かち難く捉へられた。何故かといふと、天と海とは水平線で一つになるからである。海の彼方は天とつながる。海の彼方への憧れは他界への憧れである。海の彼方には異郷がある、竜宮世界がある、常世(永遠の世界)があると信じた。

 

浦島太郎は、竜宮城・常世に行ったら老いなかった。永遠の若さを保った。日本人には世界が海の彼方にあるといふロマン精神がある。もう一つの「アマ」である天も同じである。天上には、高天原がある。

 

島國に住む日本民族は海の彼方に憧れを抱いた。岡潔氏は、日本民族は超古代には、はるか海の彼方の南方から渡って来たと説いてゐた。海への憧れから生まれた神話がある。「海幸彦の神話」がそれである。

 

また、日本には北方から来た人々もゐた。この二つの民族が合体して今日の日本民族を構成したといふ説がある。北方から来た民族は、天上に理想の世界・神の世界・永遠の世界があると信じた。その信仰から生まれたのが「天孫降臨の神話」である。

 

日本人にとっての「他界」とは、海の彼方であり、天上である。海の彼方を龍宮界と言い、海の神々の住む不老の世界として憧れた。天上の世界を高天原と言ひ、天の神々の住む世界として仰いだ。そして、海の神は海の彼方から来たり海の彼方に去り、天の神は天に昇ったり天から降ったりするのである。古代日本の神話にそれは記されてゐる。

 

天津日子であられる邇邇藝命は「筑紫の日向の高千穂の霊(く)じふる峰に」天降られた。この神話は如何に日本人が天上の他界を憧れてゐたかを証明する。古代日本人は天に憧れてゐたがゆゑに、大和地方において神聖な山と仰がれてゐる大和三山の内最も神聖であるとされる香具山は、「天香具山」と言はれ、わざわざ「天」の字を上に乗せている。香具山は天に通じる山であると信じられたのである。

 

天への憧れを端的に表現した歌は、平安時代の女性歌人・和泉式部の「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来むものならなくに」(ただ茫然と空を眺めてゐる。恋ひ慕ってゐる人が天から降ってくるわけでもないのに、といふほどの意)といふ歌であらう。天への憧れと恋人への思慕の情が合体した歌である。

 

 日本民族の主神であり皇室の御祖先神である天照大神は、伊耶那岐命が海辺での禊で右目を洗はれた時に生まれられた神であるといふ神話がある。これは日本人が海を神聖なる世界として憧れてゐたことを証しする。

 

 先述した如く、日本民族は、東南アジアから海を渡って来た人々と、山の多い内陸アジアから朝鮮半島を経て渡って来た人々によって構成されたといふ説がある。海への憧れは遠い海の彼方の東南アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であり、天上への憧れは内陸アジアから渡って来た人々の抱いた他界へのロマン精神であらうか。

 

 日本人は、「海」と「天」に憧れ、「海」と「天」を一つのものとして把握したので、海で働く「海士・海女」を「アマ」と言い、天を「アマ」と言ふのである。

 

 海の果ては空の果てと同じなのである。それは海岸に立って水平線を眺めると、天と海が分かち難く一続きに見える事からも想像される。海の彼方の理想國・永遠の世界即ち「常世」は、水平線を越えて、天空につながったのである。そして山間に住む人々の天上への憧れと一つのものとなったのである。この二つの系統が日本人の他界観に流れてゐる。前者を水平型思考他界観と言ひ、後者を垂直思考他界観と言ふ。日本人の他界への憧れはそれが重層的な重なってゐると言はれてゐる。

 

日本神話及び日本人の他界観には、北方アジア的要素と南方アジア的要素が融合されてゐるのである。「天」を「海」もともに「アマ」と呼ぶのははさういふ古代精神を継承してゐるのである。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、本日行う『萬葉集』講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、石上乙麻呂卿の歌などを講義。質疑応答。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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「萬葉古代史研究會」のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 六月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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『笹川平和財団主催 インド洋地域の安全保障国際会議』における登壇者の発言

 

二月二十三日に開催された『笹川平和財団主催 インド洋地域の安全保障国際会議』における登壇者の発言は次の通り。

 

カンワル・シバル氏(元駐フランス・インド大使 ヴィヴェカナンダ国際財団参与)「アジア太平洋からインド太平洋という概念に移行して良かった。広い国々に影響を及ぼし、関心が持たれている。西太平洋とインド洋に共有された脅威について戦略的パートナーシップが安倍首相によって強化された。国際的規範を持つ国は中国の野心に対処すべし。中国はインド太平洋を支配してアメリカに取って代わりたい。中国はインド洋で十六の基地建設を望んでいる。安倍首相の積極的平和主義の提唱に感謝する。日米印豪の四か国が協力する状況は熟している。中国は他国の利益を考えていない。中国は民主主義を否定している。一帯一路の構想も野心的。中国は国際安保を複雑にしている」。

 

マイケル・マクデヴィット氏(元米海軍大将 CAN上席研究員)「インド洋における中国の能力は、小さな種が大きな木になる。中国海軍の能力が今後どうなるか。人民解放軍の演習は自分の力を誇示する。中国はどうしてインド洋に艦船を派遣するのか。共産党から海軍に命令された。中国海軍の役目は本土とシーレーンを守ること。中央軍事委員会の命令。一帯一路が国家のプライオリティ。中国海軍が期待されている。地球の裏側まで行き長期的に活動できる能力が必要。そういう部隊を作ろうとしている。運用可能な中国の空母三隻が就役。二〇二一年、イージス艦・駆逐艦を二十一隻持つ予定。九十七から百隻の艦船がインド洋で活動している。米中関係が悪化すればより多くの艦船をインド洋に派遣して中国の権益を守る。アメリカは中国と比較して圧倒的に優位。アメリカが核で中国に不利ということは全くない。中国海軍の新たな駆逐艦は防空能力を持っている。高速巡航船・水陸両用艦は、五六千人の海兵隊を世界の何処へでも派遣できる。中国海軍は何処まで建艦建造をするのか分からない。

 

デイヴィット・ブリュースター氏(オーストラリア国立大学上席研究員)「中国の国民が百万人アメリカにいる。パキスタンにも中国籍の人が増えている。パキスタンに五十万人の中国人労働者の宿泊施設を作っている。危機の時に中国海軍が中国人労働者の退避を可能にしなければならない。中国海軍は示威運動をしている。モルディブ沖で海軍演習を行った。中国は太平洋を第一戦線、インド洋を第二戦線にしている。潜水艦の支援施設をインド洋に作る。そのためにパートナーたるパキスタンに依存せざるを得ない。中国は海上交通路を守らねばならない。そのために広いネットワークが必要。大きな海上プレゼンスが必要。これにはかなり時間がかかる。モルディブはインドの責任領域であり、行動をとるべし。しかしどういう行動をすべきかが問題」。

 

下平拓哉氏(防衛省防衛研究所主任研究官)「中国の海軍力は、民兵、海警で成り立ちその戦力を使う。安倍首相は積極的平和主義を提唱。海上の連結性を活性化する必要あり。インド・オーストラリア・日本は、三つの地域で責任を持つ。日本は東シナ海と南シナ海で責任を持つ。インドはアンダマン海と南シナ海で責任を持つ。南シナ海が一番重要。技術開発・訓練の協力が大切。潜水艦の需要が高まっている。インド太平洋にてお互いに関係を深めるべし。台湾は重要なのに議論にならない。米海軍大学も台湾とフィリッピンが重要であるとして研究されている」。

 

ビジェイ・サクージャ氏(グジャラート国立法科大学・南洋理工大学)「非伝統的脅威は沿岸で発生する。非国家主体がやりたいことをやる。民主主義を信じる国々が手を携えて対中包囲網を作り、中国を説得すべし」。

 

ローリー・メドカルフ氏(オーストラリア国立大学教授)「アジア太平洋とインド洋は、安保面でも経済面でも切り離すことはできない。中国の影響には多極的・戦略的に対処すべし。日米豪印の安保対話が大切。自由で開かれたインド太平洋にすべし。中國排除ではないが、インド洋における中国の力が他国に損害を与えないことが重要。トランプ政権の方向性が重要」。

 

デニス・ブレア氏(元米海軍大将 笹川平和財団米国(SPF-USA)会長)「中国は全体主義。野心がある。日米印豪四国は民主的で公平なルールに基づいた活動を行う。アジア全域でルールに基づいた秩序を守る。小さな国を支えることが必要。防衛協力で中国の威迫に対処すべし」。

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千駄木庵日乗六月十二日

朝は、諸事。

午前十時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、城内実衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』に掲載のためなり。

帰宅後は、明日開催される『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『政治文化情報』の原稿執筆など。。

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2018年6月11日 (月)

日韓併合について

 

 明治維新を断行したわが国は、李氏朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を侵略しようとしたロシアの野望を撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。当時の朝鮮半島が独立国家として自立していれば、わが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して「事大主義」(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本である。「朝鮮併合」はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。

 

 併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。わが国の朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。 

 

 「江華島条約」(明治八年)から「日韓併合」(同四十三年)に至るまでの間、日本の対朝鮮半島政策において明治の父祖が一貫して心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして日本および朝鮮を守り抜くかということであった。隣接する朝鮮半島とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全に対する脅威であった。

 

 ゆえに、日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、「朝鮮独立」を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の「宣戦の詔書」に明らかに示されている。

 

 「朝鮮併合」以前の朝鮮半島は混乱の極にあった。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。「朝鮮併合」の翌年支那に辛亥革命が起こり,清朝は滅亡している。

 

 日露戦後の明治三八年(一九○五)、「第二次日韓協約」が調印されて韓国は我が国の保護国とされ、外交権を日本が掌握した。そして、韓国統監府が設置され、初代統監に伊藤博文が就任した。その伊藤博文の本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文公を追慕して「伊藤は「自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように」と常々申していた」と語ったという。

 

 以来、日本にとっての朝鮮は植民地というより日本国土であった。日本国民は、朝鮮・台湾を統治するにあたって本土と同じ待遇を与えた。そして本土以上の投資を行った。台湾と朝鮮の総督府、台北駅・ソウル駅を見れば明らかである。日本の何処のにもあのような立派な建物はなかったし、駅舎もなかった。狭量な金泳三は歴史的建築物の旧朝鮮総督府を壊してしまった。台湾の旧総督府は総統府としてそのまま使われている。

 

 しかし伊藤博文公の朝鮮に対する真摯な心を韓国民の一部は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺された。これが、「日韓併合」の直接原因である。                

 

日本に併合されることによって近代化が達成できるということは朝鮮改革派の合意だった。明治四三年(一九一○)の「日韓併合条約」締結(初代総督寺内正毅)は、日本の強圧によるのではない。日本に併合されることによって朝鮮の近代化・文明開化が達成できるということは、当時の朝鮮改革派の合意であった。一九○四年(明治三七年)の日露戦争では、東学党(民間宗教)の教徒五万人は日本と共にロシアと戦った。さらに、一進会の前身の進歩会の人々三五万人がこれに加わった。

 

 一九○四年に結成された「一進会」という近代的な大衆政治組織は、朝鮮王朝と守旧勢力を打倒し、日本と連携して近代化を為し遂げようとした。そして、日韓併合・開化啓蒙運動を展開し、一時期は百万をこえる組織となった。

 

 この大韓帝国内の強力な民意に従い、日本が合法的な手続きを経て朝鮮統治権を持ったのである。「日韓併合条約」は、十九~二十世紀の弱肉強食・優勝劣敗の時代において、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれを勧め、支持したものである。当時韓国内に百万人の会員がいた一進会は、「併合嘆願書」を韓国十三道からの「併合嘆願書」と共に、韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に提出し、皇帝の「御沙汰書」により、内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

 

 当時の国際法では、政府代表に直接明白な強制がない限り、正当対等に成立したものとされたのである。「日韓併合」は法的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。「日韓併合条約」は国際法上有効であったという原則は断じて譲ってはならない。

 

 「日韓併合」に対して、韓国・北朝鮮側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、以上述べて来た通り、「日韓併合」は決して植民地支配ではなかった。日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。これは感情論ではない。

 

それは、明治四十三年八月二十九日の「韓国併合に付下し給へる詔書」に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と示され、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された「総督府官制改革の詔書」に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と示されていることによって明らかである。

 

 したがって、朝鮮、台湾、樺太を「外地」と呼ぶことはあったが、「植民地」と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近く移住して来た。その上、毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。

 

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 

 日本の朝鮮統治により、朝鮮は多大な発展を遂げた。三○年間に、一○○万足らずだった人工が二五○○万に増え、平均寿命は二四歳から四五歳に伸び、未開の農業国だった朝鮮は短期間のうちに近代的な資本主義社会へと変貌した。

 日本本土から優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し、日本政府から莫大な資金が流入し、各種インフラが整備された。その他、文芸・美術など文化面でも復興が遂げられた。 

 

 韓国・朝鮮人の独立運動が国内外において起こったが限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。

 

 日本の朝鮮統治は、朝鮮を搾取の対象としたのでない。投資と開発、教育の普及を行うことによって、共存・共栄の道を歩んだのである。朝鮮の遅れた社会構造を解体して産業革命の基礎を作り出した。

 

 日本が大東亜戦争で敗戦に追い込まれたからといって、朝鮮統治が「国策の誤り」であり、「アジア近隣諸国に対して植民地支配と侵略を行ひ、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた」と貶めることば絶対に許されない。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸事。

午後一時より、大塚の拓殖大学にて、渡辺利夫拓殖大学学事顧問にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅。水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

午後六時四十五分より、春日の文京シビックセンター小ホールにて、『平成の大演説会』開催。国民儀礼の後、相澤宏明展転社会長が主催者挨拶。慶野義雄平成国際大學名誉教授、高乗正臣平成国際大学名誉教授、冨澤睴第二三代陸上幕僚長が講演。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2018年6月10日 (日)

第八十五回 日本の心を学ぶ会

第八十五回日本の心を学ぶ会

 

 

皇位継承と日本国體を考える

 

来年の御譲位と改元まで一年を切りました

御譲位によって皇位が継承されることは約200年ぶりのことです。政府は「退位式」を行い今上天皇に、天皇としての最後の御言葉を国民が賜ることを検討しています。

「現行占領憲法」が天皇の御地位を「国民の総意に基づく」と規定していることから「譲位式」という言葉は使われないそうです。このこと以外も即位の礼は「国事」として行われるが、大嘗祭は「国事」とはしないなど、皇室の伝統と「現行占領憲法」の「政教分離の規定」との矛盾が露呈しております。

しかしながら、「現行占領憲法」が天皇について如何なる規定をしようとも、日本天皇の皇位継承は世俗の国家元首や権力者の交代とは別次元の問題です。

そもそも日本天皇の皇位は「天津日嗣の高御座」とも言われており「高天原におられる天照大御神の御霊統を継承される御方の座される高い位」という意味です。これは天皇を祭り主として仰ぐ信仰共同体・祭祀国家としての日本の国體の根本にかかわる事柄でありいかなる形であれ世俗の国家権力が介入することはあってはならないことです。

我々が真に考えなくてはならないことは信仰共同体・祭祀国家としての日本にとって皇位継承が如何なる意味を持つのかということでしょう。

そこで今回の勉強会では皇位継承と日本国體について考えてみたいと思います。

みなさんの御参加をお待ちしております。

 

(今回の勉強会は文京区民センターで開会いたします。文京シビックセンターではありませんご注意ください)

 

【日時】平成三十年六月二十四日 午後六時から

【場 所】文京区民センター 2-B会議室

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/kumin/shukai/kumincenter.html

【住所】東京都文京区本郷4-15-14

【アクセス】都営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分◎東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分◎都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

【講 演】「ご譲位・皇位継承・憲法」

【講師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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今日における「脱亜論」「大アジア主義」

 

 

今日及び今後の日本とアジアを考へる上で、近代日本の対外関係史から学ぶべきことは何であらうか。今日において、「脱亜論」と「大アジア主義」の二つの思想をどう学ぶべきかが大切である。

 

頭山満と盟友関係にあり、共に「大アジア主義」を唱へた孫文は、大正十三年(一九二四)十二月二十八日、神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体に対して行った講演で「貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本國民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります」と語った。

 

しかし、今日アジアで覇道精神を実践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行ってゐるのは共産支那である。さらに、五族共和どころかトルキスタン、モンゴル、チベットなど諸民族を抑圧してゐるのは共産支那である。今日の共産支那には仁義も道徳もありはしない。今日の支那は、権力者が富と権力を独占し、まさに清朝時代に戻ったと言ってもいい。

 

今日の支那・朝鮮の國内情勢、支那によるわが國などアジア諸國に対する悪行を見ると、福沢諭吉の「脱亜論」における激語を再び発したくなる。今日、「道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め」(「脱亜論」)、アジアを「残忍酷薄」「野蛮」(「大西郷遺訓」)に侵略し支配せんとしてゐる國は、欧米にあらずして共産支那である。そして韓國はその属國に成り果てようとしてゐる。かかる「亜細亜東方の悪友を謝絶する」べきである。そして、他のアジア諸國およびアメリカと同盟関係を深めて、中華帝國主義のアジア侵略の野望を撃ち砕くべきである。これが今日における「脱亜論」と言ふよりも「脱支那論」であり「大アジア主義」である。

 

近代日本の大陸および朝鮮半島との関係史を回顧すると、日本は大陸および半島に政治的経済的に深入りしないことが大切であることがわかる。「東亜」とか「アジア」と一括りにして東亜解放・アジアナショナリズム・大アジア主義を標榜して大陸に政治的・軍事的・経済的に深入りしことにより、日本は亡国の危機に陥ったのである。

 

國史を省みるとわが國が支那大陸に深入りするとろくなことがなったことは事実である。これまでの歴史で、日本が大陸に深く進出して成功したためしはない。亡國の危機に至る事さへあった。特に昭和前期の日本は、軍事的・政治的に大陸に深入りし、ソ連・中共の謀略に引っかかり、泥沼の戦ひとなって日米戦争にまで進み敗北した。

 

戦後の「日中友好、日韓友好」も同じ誤りを繰り返した。「日韓基本条約締結」「日中國交回復」以後、支那と韓国に経済的に深入りして金と技術を投入し、共産支那を軍事大國・強大なる反日国家にしてしまった。また韓国も日本に対して竹島を占拠し続け反日策謀を繰り返してゐる。その結果、わが国の主権と安全と独立が脅かされてゐる。

 

支那と南北朝鮮が日本にとって「悪友」であることは今日ますます事実として明らかになっている。支那朝鮮がこれ以上理不尽にわが国を圧迫して来たら、破邪の剣を振ふより致し方ないのである。「支那・朝鮮の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を保持しようと決意した」などと呑気なことは言ってゐられないのである。

 

アジア情勢は危機に瀕してゐる。わが國は、自國の力を強めると共に、アメリカや東南アジア諸國との連帯を深めて、中華帝國主義に対処すべきである。

 

今日における「大アジア主義」は、「残忍酷薄を事とし、己れを利する」のみの共産支那のアジア侵略植民地支配を打破するために、アジア諸國・諸民族が連帯し、アジアを「中華帝國主義」の桎梏下から解放するといふことである。

 

今日唯今における、「脱亜」とは清・朝鮮との関係の「謝絶」であり、「入欧」とは海洋国家との連携である。台湾、ベトナム、フィリッピン、オーストラリア、アメリカと連携して、中華帝国主義国家の膨張・侵略を防がねばならない。

 

支那・朝鮮がわが國の隣國であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」をするべきではない。「悪友」の侵略・不法行為から、わが國の独立と主権を守るために、わが國の尊皇攘夷精神を発揮して「處分す可きのみ」である。

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、明日及び明後日に行うインタビューの準備など。

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祭政一致と天皇の日本國家統治の本質

 

 

 

 わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは分かちがたいものである。

 

祭祀とは、無私になって神につかえまつることである。日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方である。また民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。だから民から天皇を仰ぐときにはこの世に生きたもう神すなわち現御神(あきつみかみ)あるいは現人神(あらひとがみ)と申し上げるのである。

 

「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、多くの競争が行われ戦いがあったが、祭祀主であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

 武力によるいかなる覇者も、天皇の「親任」を得ることによってその地位の正当性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

 これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「親任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては外来宗教が日本に入ってきた後も、そして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇の御存在であることは言うまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

 現代日本は危機に遭遇している。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にある。今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰が大切である。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。 

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、諸事。

午後三時より、初台の新国立劇場中劇場にて開かれた『第六回東京国際コンサート ミュージカルの夕べ』鑑賞。

帰途、根津にて、地元の友人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2018年6月 9日 (土)

神武天皇御製を拝し奉りて

神武天皇御製

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

【みつみつし】「久米」に掛かる枕詞。「みつ」は威力が強い意の「稜威(いつ)」の転で、それを重ねて久米部の武威を讃へた言葉。【久米】氏族の名。久米部は軍事面で大和朝廷にお仕へした。『古事記』『日本書紀』によると、邇邇藝命が降臨あそばされた時、久米部の祖先神である天津久米命が、同じく武の家柄である大伴氏の先祖神・天忍日命と共にその先導を務めたとされる。背に靭を負ひ、腰に頭槌の剣、腕に鞆をつけ、弓を持ち、矢を手挟み、さらに鳴鏑の矢を持ちそへるといふいでたちで、高天原から降臨された。【子ら】人々。【粟生】粟畑。【臭韮一茎】臭い韮が一本。【そねが茎 そね芽繋ぎて】その根元に芽をつないで。【撃ちてしやまむ】撃たないでおくものか。

 

通釈は、「威勢のよい久米の人々の、粟の畑には臭い韮が一本生えてゐる。その根のもとに、その芽をくっつけて、やっつけてしまふぞ」といふ意。

 神武天皇は、九州日向(宮崎)の美々津の浜を出発され、大和橿原の地に至り、建國を宣言された。これを御東征と言ふ。御東征に反抗した大和の豪族・長髄彦を討たれる際に、神武天皇が皇軍を激励して詠まれた御製である。

 

烈々の攻撃精神が充満してゐる。天皇の国家統治の御精神は「和」「仁慈」と共に「剣の精神」「戦ひの精神」がある。上御一人日本天皇は「もののふの道の體現者」であらせられる。

 

「ますらをぶり」とは、日本民族の基本的道義精神である。「清明心」は、一たび戦闘となれば神武天皇御製に歌はれたやうな「そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」といふ雄々しさ・勇気・戦闘心となる。

 

 ただし、神武天皇の御東征の御精神は、『日本書紀』に「…神祇(あまつやしろくにつやしろ)を禮(ゐやま)ひ祭(いは)ひて、日の神の威(みいきほひ)を背(そびら)に負ひたてまつりて、影(みかげ)のままに壓躡(おそひふ)まむには。かからば則ち曾て刃に血ぬらずして、虜(あだ)必ず自らに敗れなむ…」と記されてゐるとおり、神を祭り、神の霊威を背負ひ神の御心のままの戦ひであり武であった。故に武は「神武」であり、剣は「神剣」であり、戦ひは「聖戦」なのである。

 

 「天皇中心の神の國」がわが國體であるが、この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義である。天皇の統治したまへるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。

 

神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、歴代天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。しかし、さうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦ひ」を否定してゐるのではない。

 

『古事記』には、天照大御神が日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)に「八尺の勾璁(やさかのまがたま)、鏡、また草薙剣」をお授けになる。『日本書紀』第一の一書には、「天照大神、乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)に、八尺瓊の曲玉及び八咫鏡・草薙剣、三種(みくさ)の宝物(たから)を賜(たま)ふ」と記されてゐる。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治の御精神、つまりは日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されてゐる。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、歴代天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象してゐる。

 

祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳へられてゐるのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合はせて)一體になること)の観念である。

 

日本天皇は、國家統治者として、祭祀(鏡)・武(剣)・豊饒(玉)の三つのご権能を體現される。つまり天皇・皇室は神代以来、「剣」に象徴される「武・軍事」の権能を保持されてきたのである。「三種の神器」は、日本天皇の國家統治・日本民族の指導精神の象徴である。絶対にこれを軽視したり無視してはならないと信ずる。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐる。つまり、「神武」が真の平和を実現するのである。

 

 古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

 「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は殺傷の武器(いはゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になってゐる。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるといふこと)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となってゐる。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて追ひ払はれたのである。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきた。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成された。

 

夜久正雄氏はまた、神武天皇の御製について、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2018年6月 8日 (金)

内憂外患という言葉があるが、今日の日本はまさにこの言葉通りの状況となっている

 内憂外患という言葉があるが、今日の日本はまさにこの言葉通りの状況となっている。

 

 「国軍のない国家は背骨のない豚である」といわれているが、わが国は国軍がないだけではなく、アメリカの軍事力の補完作用しか果たし得ない自衛隊すら邪魔者扱いされている。共産支那という軍事大国、北朝鮮という無法国家・国際テロ国家のすぐそばに位置するわが日本は、常に核攻撃を含む軍事侵略の危機にさらされている。危機における最大の福祉は国防である。しかるに国民にその意識が乏しい。

 

 今日の日本において最も必要なのは、「国軍建設」と「占領憲法破無効確認」と「核武装」である。この三つを「国家意志」「国民の総意」として確立しなければならない。しかし、今日の日本は強い「国家意志」を持っていない。

 

 また、「国家意志」は国民に正確な情報がないと形成されない。ところが国民に正確な情報を伝達すべきマスコミにその意志がない。それどころか、「偏向メディア」は、欺瞞的な平和と民主主義・反戦平和思想に毒され、実質的の敵性国家の手先の役割を果たしてゐる。

 

立憲民主党などの亡国野党は、共産支那・北朝鮮によるわが国に対する軍事的圧迫に対して、何ら具体的方策を示していない。そればかりではなく、テロ防止・治安維持・国家防衛のための法整備・国防安保体制強化に対して狂気の如く反対してきた。のみならず、そしてモリカケ問題・閣僚の失言などに関してまるで天地がひっくり返るような大騒ぎし、安倍総理夫妻や自民党政府を糾弾し、「一強体制を撃ち破る」とか言って、政府攻撃に終始している。全く国家の安全よりも政府転覆の方が大事なのである。

 

我々は北朝鮮、共産支那という外敵そして亡国野党偏向メディアという内なる敵に対して、毅然として戦いを挑まねばならない。

 

それは安倍政権を擁護するためではない。国家民族の安全を守るためである。日本が核武装していれば北朝鮮も支那も日本に軍事的恫喝を加えることはできないのである。日本の核武装を急ぐべきだ。それが達成できるまでは、アメリカとの協力しか日本の安全を守る方策は残念ながら無いのである。

 

立憲民主・共産両党を含めた連合政権ができたら、日本はどうなるのであろう。対外関係だけに限っても、支那と北朝鮮による我が国への軍事的政治的圧迫をはねのけることはできなくなる。志位和夫・蓮舫・小沢一郎・福島瑞穂・辻元清美・山尾志桜里・小川敏夫・長妻昭などという輩が政府閣僚になっている姿を想像するだけでゾッとする。国民はそのことを理解しているので、あれほど安倍自民党が非難攻撃されても、野党の支持率は低迷したままなのであろう。

 

日本国の政治が混迷し不安定になれば、日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなる。

 

真正保守という言葉がある。これは現状維持という意味の保守ではなく、日本の国柄、伝統、歴史を守るという意味である。「現行占領憲法」の原理を墨守し戦後体制を容認する立場こそ「守旧派」である。真の保守とは言うまでもなく「國體護持」である。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、書状執筆、原稿執筆など。

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2018年6月 7日 (木)

「皇位継承」「皇室典範」「憲法」について

 

「皇位継承」「『皇室典範』改定」は、日本國家を體現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。また、皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

 

ゆゑに権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などといふ議論は全く間違ってゐる。日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の體現者であらせられる天皇の御意志を第一にすべきである。

 

明治の『皇室典範』は、明治天皇が裁定され、制定された。即ち勅定である。議會や政府が定めたのではない。皇室に関はることは、なべて大御心に俟つべきである。一切は大御心のまにまにが、臣下國民のあるべき姿勢である。

 

國體の上に成文法があるのであり、成文法の下に國體があるのではない。わが國の國體は「祭政一致」である。天皇は権力者ではなく祭り主である。したがって、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」なのである。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を傳へる「のりごと」である。祭政一致のわが國の国柄においては、祭祀主たる天皇が神のご意志として宣()べられた事が最高の「法」である。わが國においては、現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。

 

「皇位」は「天津日嗣の高御座」と申し上げる。これは、「高天原にゐます天照大御神の靈統を繼承される御方の座される高い御位」といふほどの意である。まさに神聖不可侵の「御位」なのである。その神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。あくまでも天つ神の御意志・神代以来の傳統に基くべきである。そして神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心に帰一すべきである。これが一番大切である。いかなる権力者であらうとも、いかなる立場の者であらうとも、臣下が議論して決めるべきではない。

 

さらに言へば、「現行占領憲法」においても、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされてゐるのである。

 

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

 

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

 

「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。

 

そういう意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や、権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行ふ事は大いなる誤りであり國體隠蔽である。

 

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

 

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできないし、してはならない。

 

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、原稿執筆、書状執筆など。

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2018年6月 6日 (水)

『NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」』展参観記

 

本日参観した『NHK大河ドラマ特別展「西郷どん」』展は、「明治維新から150年、2018年の大河ドラマの主人公は西郷隆盛です。薩摩(鹿児島)の一介の下級武士から身を起こし、明治維新を成し遂げた西郷隆盛。しかし、この稀代の英雄には、肖像写真が一枚も残っておらず、その生涯は多くの謎に包まれています。本展覧会は大河ドラマと連動しながら、西郷隆盛ゆかりの歴史資料や美術品などによって、「西郷どん」の人物像と激動の時代を 浮き彫りにします。西郷の風貌を最も忠実に伝えるとされる肖像画や、座右の銘を記した書「敬天愛人」。西郷がその婚礼に尽力した篤姫が所有していた華麗な調度品には多くの 展覧会初公開品が含まれます。また幕府瓦解のきっかけとなった幕末の最重要史料「討幕の密勅」も登場。そして、あの有名な銅像「上野の西郷さん」の制作過程を物語る新出写真まで、西郷隆盛の魅力のすべてを味わいつくす展覧会です」(案内書)との趣旨で開催された。

 

「西郷隆盛肖像画」石川静正画、「天璋院所用 薩摩切子」、「於薩海二英入水」松月保誠画、「西郷菊次郎宛 西郷隆盛書状」、「孝明天皇御宸筆 忠誠」、「大久保利通宛 西郷隆盛書状」慶應元年、「徳川慶喜書 誠」、「討幕の密勅」慶応三年、「錦旗」慶應四年に朝廷より土佐藩に下賜、「江戸開城談判 下図」結城素明筆、「西郷頼母宛 西郷隆盛書状」明治二年、「西郷隆盛陸軍元帥辞令」明治五年、「西郷隆盛軍服」、「西郷隆盛遣韓使節書状」明治六年、「武者絵」明治時代初め西郷隆盛筆、「私学校綱領」明治時代初め西郷隆盛筆、「私学校祭文」明治七年西郷隆盛筆、「西南戦争に対する大義名分論」明治九年川路利良筆、「西南戦争官軍高札」明治十年、「正三位御沙汰書」明治二十二年、「西郷隆盛銅像設置場所申請書」(明治二九年)など貴重な資料を参観。

 

孝明天皇の御宸筆「忠誠」は初めて近くで拝したが、まことに素晴らしいものであった。やわらかに筆致ではあるが、強さがにじみ出ていた。徳川慶喜の書も見事であった。

 

会津の西郷頼母と西郷隆盛が親交があったこと初めて知った。隆盛は、会津戦争後、頼母に見舞金を度々送ったという。西郷隆盛は敵方であった庄内藩士からも慕われた。「西郷隆盛軍服」は明治六年四月に習志野で行われた近衛兵大演習にて近衛都督(総司令官)であった隆盛が着用したもの。隆盛の身長は一八〇㎝、体重は一一〇キロであったと推定され、まことに大きな軍服。「西郷隆盛遣韓使節書状」には、韓国に対して礼を尽くして交渉を行う旨が詳細にそして丁寧に述べられている。しかし一度決定された遣韓使節派遣は、岩倉具視、大久保利通によって覆されてしまう。

 

「私学校祭文」において西郷隆盛は、「蓋し学校は善士を育する所以なり、只に一郷一國の善士たるのみならず、必ず天下の善士為らんことを、夫れ戊辰の役に名を正し義を踏み、血戦奮闘して斃るる者は乃ち天下の善士なり、故に其の義を慕ひ其の忠に感じ之を茲に祭り以て一郷の子弟を鼓舞するは、亦学校の職を尽す所以なり。西郷隆盛謹んで誌す」と論じてゐる。

 

多くの貴重な資料により、西郷隆盛の生涯そして明治維新から西南戦争までの歴史を学ぶことが出来た。やはり日本国史上西郷隆盛は偉大なる人物であったと思う。

 

             〇

「西郷隆盛銅像設置場所申請書」に発起人総代として樺山資紀の名が記されている。樺山資紀は薩摩藩士、海軍大将、警視総監、海軍大臣、台湾総督、内務大臣などを歴任した。従一位大勲位功二級伯爵西南戦争では熊本鎮台司令長官谷干城少将の下、同鎮台参謀長として熊本城を死守した。その樺山資紀が西郷像建立の発起人総代となったのである。かつての敵側からも尊敬される西郷隆盛が如何に大人物であったかがわかる。樺山資紀の曾孫が、都議会議員をつとめた故樺山卓司氏である。小生とは学生時代からの友人・同志であった。樺山卓司氏は、まことに気の毒なことに都議会のボスといわれた自民党都連内田茂幹事長(当時)との軋轢で自殺に追い込まれた。遺書には「内田許さない!!これは全マスコミに発表して下さい!人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報復します。!お覚悟!!自民党の皆さん。旧い自民党を破壊して下さい」と書かれていた。

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2018年6月 5日 (火)

千駄木庵日乗六月五日

午前は、諸事。

午後は、上野公園の東京藝術大学美術館で開催中の『特別展西郷どん』展参観。

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帰宅後は、原稿執筆。

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『戊辰戦争 菊と葵の五〇〇日』参観記

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『戊辰所用錦旗及軍旗真図』


昨日参観した『戊辰戦争 菊と葵の五〇〇日』は、「戊辰戦争は、慶応4年(1868)正月の鳥羽・伏見の戦いに始まり、翌明治2年(18695月の五稜郭の戦いが終結するまでの、一連の戦闘をいいます。王政復古によって誕生した新政府軍と、旧幕府軍との間で500日以上にわたり、各地で様々な戦いが展開されました。本展では当館所蔵資料から、日本各地で行われた様々な戦闘の記録や、戦争に参加した人々に関する資料をご紹介し、戊辰戦争の実像に迫ります」(案内書)との趣旨で開催された。

 

『戊辰所用錦旗及軍旗真図』(ぼしんしょようきんきおよびぐんきしんず)重要文化財(戊辰戦争の際、新政府軍が用いた錦旗(きんき)及び軍旗(ぐんき)の精密な模写図です。戊辰戦争では各種の錦旗や軍旗が新政府軍に与えられました。 これらの旗は年が経過すれば劣化は免れないため、政府では絵師浮田可成(うきたかせい)に命じ、これらの旗を克明に模写させ、正確な姿を後世に伝えることとしました(明治21年(18885月から約2年をかけて作成)。本資料の含まれる「公文附属の図」は、平成10年(1998)、「公文録」とともに、国の重要文化財に指定されました、との説明が書かれていた)、『函館五稜郭開拓使ヨリ請取方伺』(はこだてごりょうかくかいたくしよりうけとりかたうかがい)重要文化財、『二の丸炎上並薩摩藩貞焼打等消息ニ付書状』、『甲斐鎮撫日誌』、『赤報記』、『長岡戰爭之記』、『白虎隊之図』、『箱館奉行杉浦兵庫頭 明細短冊』『大正十三年皇太子御成婚贈位内申事蹟書』などを参観。

 

鳥羽伏見の戦いについて、多くの史家は、開戦翌日の一月四日に、新政府軍が「錦の御旗」を掲げたので、幕府軍の士気が萎えてしまったと論じてゐる。新政府軍が「錦の御旗」を掲げたことが、史家のいふところの「両軍の士気・戦意の相違、幕府内部の所謂『裏切り』『内紛』、徳川慶喜の戦意・統率力欠如」の根本原因である。

 

「錦の御旗」とは、朝廷の軍即即ち官軍の旗印であり略称を錦旗(きんき)と言ふ。赤地の布に日月の形に金銀を用いて刺繍したり描いたりした旗を、朝敵討伐のしるしとして天皇から官軍の総指揮官に下賜される。承久の乱(一二二一)に際し、後鳥羽上皇が近江守護職佐々木広綱をはじめ朝廷方の武士に与へたのが歴史上の錦旗の初見と傳へられる。

 

『トンヤレ節』には、「宮さん宮さんお馬の前に ヒラヒラするのは何じやいな トコトンヤレ、トンヤレナ あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じや知らないか トコトンヤレ、トンヤレナ」と歌はれてゐる。

 

史家の中には、「鳥羽伏見の戦ひ」に登場した「錦の御旗」は、岩倉具視が、国学者・玉松操に頼んで、適当にでっち上げさせたものだとか、贋作だとか言ふ者がゐる。以前のNHKの大河ドラマでもそのような描き方をしてゐた。

 

しかし、明治天皇は、一月三日深夜、議定(王政復古により置かれた明治新政府の官職名。総裁・参与とともに三職の一。皇族・公卿・諸侯の中から選ばれた)仁和寺宮嘉彰親王(後の小松宮・上野公園に銅像が建てられてゐる)を軍事総裁に任ぜられ、翌四日には「錦の御旗」と征討の節刀を賜り、征討大将軍に補任された。明治天皇から征討大将軍・仁和寺宮嘉彰親王に下賜された「錦の御旗」が、「贋作・でっち上げである」などといふ理屈は全く成り立たない。

 

仁和寺宮嘉彰親王は、新政府軍を率いて御所をご進発、午後には洛南の東寺に陣を置かれ、錦旗が掲げられた。

 

西郷隆盛は一月三日付の大久保利通宛の書状に、「初戦の大捷、誠に皇運開立の基と、大慶此の事に御座候。兵士の進みも実に感心の次第驚き入り申し候。…明日は錦旗を押立て、東寺に本陣を御居(す)ゑ下され候へば、一倍官軍の勢ひを増し候事に御座候…」と書いた。一月五日、征討大将軍が鳥羽街道を錦旗を立てて南下すると、それを遠望した幕府軍は浮足立ち、淀城へ退却した。ところが、淀藩は幕府軍の淀城入場を拒んだ。津藩・淀藩の行動は決して裏切りではなく、上御一人日本天皇への恭順である。徳川慶喜の戦意喪失も決して臆病風に吹かれたのではなく、彼の尊皇精神がさうさせたのである。

 

『徳川慶喜公伝』(渋沢栄一著)は鳥羽伏見の戦ひにおける徳川慶喜の心情を次のやうに記してゐる。「…やがて錦旗の出でたるにを聞くに及びては、益々驚かせ給ひ、『あはれ朝廷に対して刃向ふべき意思は露ばかり持たざりしに、誤りて賊名を負ふに到りしこそ悲しけれ。最初たとい家臣の刃に斃るるとも、命の限り會桑を諭して帰国せしめば、事此に至るまじきを、吾が命令を用ゐざるが腹立たしさに、如何やうとも勝手にせよと言ひ放ちしこそ一期の不覚なれ』と悔恨の念に堪へず、いたく憂鬱し給ふ」。

 

そして慶喜はフランス大使レオン・ロッシュに対して「我邦の風として、朝廷の命と称して兵を指揮する時は、百令悉く行はる。たとい今日は公卿大名の輩より申し出たる事なりとも、勅命といはんには違背し難き國風なり。されば今兵を交へて此方勝利を得たりとも、萬々一天朝を過たば、末代まで朝敵の悪名免れ難し。…当家中興の祖より今に二百六十余年、尚も天朝の代官として士民の父母となり国を治めたる功績を何ぞ一朝の怒に空しくすべけんや。尚も余が本意に背き、私の意地を張りて兵を動かさんとせば、当家代々の霊位に対して既に忠臣にあらず、まして皇国に対しては逆賊たるべし」と言明したといふ。

 

徳川慶喜の尊皇精神が、明治維新を成就せしめた大きな原因の一つである。これは決して慶喜の戦闘精神の欠如などと批難されるべきことではない。また、わが国に「天皇の代官」なるものは必要ではない。天皇御自らが日本国を統治されるのが本来の姿である。一君万民の日本國體が明らかになることによって、内憂外患を取り除くことが出来るのである。

 

『大正十三年皇太子御成婚贈位内申事蹟書』について次のような説明が書かれていた。「幕末期の浪士・相良総三は本名を小島四郎左衛門といい、下総の郷士の子として江戸で生まれました。平田國學を学んだのち尊王攘夷運動に参加し、水戸天狗党の筑波山義挙などにかかわり、慶応三年十月の薩摩藩邸焼き打ち事件で浪士隊を結成して、江戸攪乱工作を行います。慶應四年正月、西郷隆盛らの命で赤報隊を組織し、年貢半減令を宣伝して、東山道を進軍しましたが、政府が半減令を取り消したため偽官軍と見なされ、処刑されます。本資料は大正十三年、相良らの名誉回復のため遺族有志が申請した、赤報隊氏への贈位に関する文書です」。

 

相良総三及び赤報隊については、薩摩に利用されたとか、掠奪を行ったとか、純粋に維新を目指したて戦ったとか、様々な評価がある。しかし、昭和3年(1928年)に正五位が贈られ、翌昭和4年(1929年)、靖国神社に合祀されたという。

 

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昨日詠んだ「腰折れ歌」です

昨日詠んだ「腰折れ歌」です。

 

 

ホテル代も払はぬ國など相手とせず武力行使でやっつけてしまへ

 

核開発する金はあれどホテル代は支払へぬといふ悪辣な国

 

トランプと金正恩に振り回されぬ日本であるべしと強く祈れり

 

日本も核武装する以外に道なしと国民多数は思ひ知るべし

 

兄を殺し叔父を殺せしデブ男ホテル代さへ踏み倒さんとする

 

民を餓死させ核武装する野蛮国などと対話などあり得ぬと知れ

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2018年6月 4日 (月)

山上憶良が遣唐使への餞の歌に詠んだわが日本独特の「言靈信仰」

山上憶良は「好去(かうこ)好來(かうらい)の歌」と言ふ遣唐使への餞に詠んだ長歌で、

 

「神代より 言ひ傳來()らく そらみつ 倭(やまと)の國は 皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國 言靈(ことだま)の 幸(さき)はふ國と 語り繼ぎ 言ひ繼がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり」【神代以来、言ひ傳へられてきたことだが、天皇國日本の神の威徳が厳然としてゐる國、言葉の精靈が働いて幸福にして下さる國であると、語り継ぎ、言ひ継いできた。今の世の中の人も悉く、目の前に見てゐるし知ってゐる】

 

と歌った。 

 

日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

 

「言靈の幸はふ國」とは「日本は言葉の靈が栄える國であり、言葉の靈の力によって生命が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉には生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈の力が発揮されると信じた。

 

『御託宣』『神示』は神靈が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。『祝詞』にも『歌』にも靈が籠められてゐる。『祝詞』を唱へ『歌』を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

 

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

「言靈のさきはふ國」と言はれるわが國においては、『祝詞』や『歌』は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。

 

やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝とりわけ「やまと歌」の起源である。他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

古代日本人は、言葉の大切さ、偉大さを本然的に強く自覚し信じ、言葉の靈力によって、幸福がもたらされてゐる國が大和の國であると信じてゐた。

 

山上憶良は、唐といふ外國に対する「皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國」たる天皇國日本の國家意識の表白として、遣唐使への餞の歌にわが日本独特の「言靈信仰」を歌ったのである。山上憶良が近代的意味での「社会派歌人であった」とか、「支那文化にとっぷりとつかった歌人であった」といふ決め付けは訂正されねばならない。

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、諸事。

午後一時より、永田町の衆議院第一議員会館にて、平沢勝栄衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

この後、北の丸公園の国立公文書館にて開催中の『戊辰戦争 菊と葵の五〇〇日』展参観。

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展示されていた「錦の御旗」模写図

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帰宅後は、書状執筆・原稿執筆・資料整理。

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「天神地祇」について

わが國の神は天の神・地の神、陽の神・陰の神とに系統が分かれる。『古事記』冒頭に「天地の初発の時、高天原になりませる神の御名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。次に神産巣日神(かみむすびのかみ)」と記されてゐる。この三神を造化の三神と言ふ。天地宇宙の根源の神であり生成の神である宇宙大生命の神である。高御産巣日神は陽の神であり、神産巣日神である。

 

そして、國土生成の神であられる伊耶那岐命・伊耶那美命は、伊耶那岐命が男性神・陽の神であり、伊耶那美命が女性神・陰の神である。伊耶那岐命が筑紫の日向の小門の阿波岐原で身禊をされた左の目を洗はれた時になりませる神が天照大神である。鼻を洗はれた時になりませる神が須佐之男命である。

 

天照大神の系統の神様が天の神である。天照大神の御孫であらせられ、地上に天降られて地上を統治される神が、皇室の御祖先である邇邇藝命である。

 

また、天照大神の弟君である須佐之男命の系統の神様が地の神である。須佐之男命の子孫の神が國土の神であり、邇邇藝命に「國譲り」をされた大國主命である。そして、神武天皇をはじめとした御歴代の天皇は、天の神・地の神の霊威を身に帯びられて國家を統治されて来てゐる。

 

全國各地に、天照大神をお祀りした神社、須佐之男命をお祀りした神社がある。わが國民は、天の神・地の神を共に敬って来た。これを天神地祇と言ふ。農耕生活を営む上において、天の恵み(太陽)と地の恵み(土と水)は欠かすことができないので、わが國の祖先は天神地祇を篤く信仰したのである。

 

「天地の神」「天神地祇」と言ふやうに、日本人は、天の神・地の神を対立して考へず、一体のものとしてとらへた。天の神・地の神として全てを包み込んでしまひ、漏れ落ちることがないといふのが日本人の伝統信仰である。

 

前述した如く、地の神である須佐之男命も、天の神である天照大神の弟神であられる。天の神も地の神も根源的には姉と弟であり一つなのである。

 

須佐之男命は、天照大神に反抗して高天原で大暴れするけれども、出雲の國に天降ると、豊饒の神となって、民を助ける。日本人は「天と地」・「善と悪」を厳しく峻別するといふ考へ方はなく、「悪」も見直し・聞き直しをすれば「善」となるといふ寛容にして大らかな精神を持ってゐる。

 

キリスト教などの一神教では天と地とは隔絶した存在であり、人間がこの世から天國へ行くのは簡単ではない。イエス・キリストを神の一人子として受け容れ、信仰し、他の宗教を捨て、原罪を悔い改めなければならない。

 

しかし、わが國の伝統信仰においては、天と地とは隔絶した存在ではないととらへてきた。わが國が四方を海に囲まれてゐて、水平線をよく見ることができる。水平線の彼方は海と空とが一体になってゐる。故に空のことも「天(アマ)」と言ひ、海のことも「アマ」と言ふ。日本人は、天地は一如であると観察してゐたのである。

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。明日のインタビューの準備。資料の整理など。

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2018年6月 3日 (日)

今こそやまとことばの復興・言霊の力による国の再生が図られなければならない

 

人間の心を表現する言葉ほど大切なものはない。言葉のない生活は考えられない。言葉は、人と人とを結合させ人と人との間をつなぎ相互に理解を成立させるものであると思ふ。言葉は、共同体において生活する人間が、お互ひに理解し合ふための表現形式である。言葉は、人間生活そのものを体現するのであり、人間が共に生活する共同体は基本的に言葉によって形成される。「言葉の乱れは世の乱れ」といはれる所以である。今の日本は乱れてゐる。乱世である。その原因は、言葉の乱れにあると考へる。

 

人間は一人では生きていけない。ドイツの法学者・オットー・ギールケ「人の人たるの所以は人と人との結合にあり」と言ったといふ。和辻哲郎氏は、「人間とは人と人との間である」「理性はただ言語において、また言語とともに、自らを形成する。したがってそれは、共同体の活動そのものの中から自覚されてくるとともに、またそれ自身の活動によって共同体を形成し発展せしめるものである。…『人』が動物と異なる急所は、言語である。」(『近代歴史学の先駆者』)と論じてゐる。

 

自己が他者と共に生きてゐる場である「共同体」において人と人とが結ばれる。その基本に言葉がある。言葉は人間の精神生活の共同意識を成立させる。そして、言葉は個人及び共同体の歴史と文化を継承する。

 

言葉は、辞書によると「人が声に出して言ったり文字に書いて表したりする、意味のある表現」であり「その社会に認められた意味を持っているもの」と定義される。なんとも無味乾燥な定義である。

 

言葉は人間が相互理解のために使用する手段ではない。人がものを考へるといふ行為自体、すでに心の中で言葉を発してゐる。我々は言葉なくしてはものを考へることはできない。したがって、言葉とは「人が声に出して言ったり文字に書いて表したりする、意味のある表現」だけではない。この定義だと、盲目の人、話し言葉を発することができない人、文字を書くことかできない人には言葉がないといふことなる。思惟即ち心の中における思考も言葉である。言葉は、人間生活すべての根幹であり、言葉のない人間、言葉を離れた人間はあり得ない。言葉は人間と共に生きるものである。言葉は単なる意思の伝達のための道具ではないといふのは真実である。

現代日本はまさに国家的危機に瀕している。今こそ、言葉を正さねばならない。やまとことばの復興、言霊の力による国の再生が図られなければならない。一切の改革・変革の基本に、言霊の復興がなければならない。

 

情報とは言葉である。今の日本は情報・言葉は洪水のごとく氾濫し、濫用されている。森本和夫氏は、「スターリンによって、『生産用具、たとえば機会と違わない』といわれた言語が、ますますその方向を突き進んで、いまや生産用具の主座にすわろうとしている。それこそ“情報社会″と呼ばれるものの意味であろう」(『沈黙の言語』)と論じている。

 

言葉が意志伝達の手段としか考えられなくなり、人間が言葉への畏れを無くした時、人氾濫し濫用された時、文化と道義は頽廃し、人間は堕落する。それが現代社会である。

 

言葉への畏れを喪失するということは、言葉を単なる情報伝達の手段と考えることである。「言葉は意志伝達の手段、人間の扱う道具だ」という観念が、国語の軽視と破壊の原因である。言葉が単なる情報伝達の手段であるのなら、なるべく便利で簡単で負担が少ない方が良いということになる。漢字制限はそういう安易な便宜主義・目先の理由によって行われたと考える。

 

それは言霊の喪失である。現代ほど言霊が軽視されている時代はない。文藝においてすら言霊を喪失している。そして日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているように思える。さまよえる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言霊の復活が大切である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思わせる「やまと歌」の復活である。今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。

 

大化改新という大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたように、畏れ多いが、国難に晒されてゐる今日においても、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

 

日本天皇を「すめらみこと」と申し上げる。「すめらみこと」とは、天つ神の「みことのり」「神勅」を地上において実現される最高に尊いお方という意味である。日本の「言葉」で最も大切な言葉は、天皇の「みことのり」(詔勅)である。

 

「詔を承りては、必ず謹む」精神即ち「承詔必謹」が日本国民の最高絶対の道義精神であり、国家永遠の隆昌の基本である。

 

「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴えるものとしての和歌を詠んでいる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが日本が再生した時代である。和歌の力というものの偉大さを今こそ実感すべきである。

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千駄木庵日乗六月二日

朝は、諸事。

午前十一時より、青山霊園無名烈士墓前にて、『無名烈士八十年忌法要』執行。僧侶の導師で読経・焼香が行われた。そして頭山興助氏が挨拶。小生が無名烈士の自決の意義についてスピーチを行って終了した。

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午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。評論家の潮匡人氏が「風雲急を告げる東アジア情勢―日本はどう対処をすべきか」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、『萬葉集』解釈原稿執筆、脱稿、送付。

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2018年6月 1日 (金)

『排日移民法』について

日露戰爭勝利によって日本は、愈々アジアに於いて存在感を強めた。またわが国は大正八年のパリ講和会議(ヴェルサイユ会議)において「国際連盟規約」の前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むよう提案し「白色人種による人種差別撤廃」を主張した。これはアメリカイギリスなど反対によって実現しなかった。そしてアメリカなど日本に対する脅威感が強まった。

 

我国が関東大震災という大国難に際会した大正十二年の翌年、大正十三年(1924)71日に「排日移民法」が施行された。これはアジア出身者については全面的に移民を禁止する条項が設けられた。当時アジアからの移民の大半を占めていた日本人が排除されることになった。この「排日移民法」によって日本は大きな移民先を失ったため、その代替として満州を重視せざるを得なくなったとする見方が古くから存在する。

 

アメリカ人を妻に持ち。アメリカとの友好に力を盡し、日本の武士道をアメリカに紹介した新渡戸稲造氏は同法成立に衝撃を受け、二度と米国の地は踏まないと宣言した。それまで比較的親米的な感情を持っていた多くの日本人に与えた影響は大きかった。

 

 

昭和天皇は敗戦後、日米開戦の遠因として「(大東亜戦争の・注)原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず。黄白の差別感は以前残存しまた青島還附を強いられたこと亦然りである。加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。かゝる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上つた時に之を抑へることは容易な業ではない」(『昭和天皇独白録』)と仰せられた。

 

「排日移民法」は当時の日本人の名誉を傷つけ、反米感情を産み、やがて日米開戦の遠因となったのは疑いないところである。

 

ともかく西欧列強によるアジアアフリカ植民地支配からのアジアアフリカ解放、人種差別撤廃を主張するする日本と米英との対立が決定的となったのが「排日移民法」であった。

 

日露戦争後、アメリカが日本を仮想敵国としたことは明白な事実である。ことごとに日本を圧迫した。それには有色人種への差別意識が根底にあった。アメリカは建国以来征服国家である。そして日本もアメリカに対抗せざるを得なくなった。これは避けることのできない歴史の流れだった。

 

さらにソ連は日米を戦わせることによって、アジア・世界を赤化するという謀略工作を展開した。当時の日本はこうした二重の圧迫・謀略と戦わねばならなかった。

 

アメリカは人種差別によって成り立った國であると云っても過言ではない。アメリカの「建国」と「開拓」は、先住民所謂「インディアン」及びアフリカから連行してきた所謂「黒人奴隷」の犠牲を伴った。

以前、参観した東京芸術大学美術館に『米墨戦争 記挿図』(カール・ネベル作)が展示されていた。これは、日本に開国を迫るためにペリーが持ってきた絵である。アメリカがメキシコを軍事的に屈服させたことを主題とする絵画で、メキシコがアメリカに降伏する場面か描かれていた。ペリーがアメリカの軍事力をわが国に示すためにこういう絵を幕府に贈ったのだ。

 

「黒船来航」はまさに、日本を屈服させんとする砲艦外交だったのである。「日米修好」などと喜んでいい話ではない。

昭和二十年九月二日に行われた「降伏文書調印式」では、会場となったミズーリ艦上に、ペリーの黒船に掲げられた星条旗が掲げられたのは、日本はアメリカに二度目の屈服をしたということを示すためであったのだろう。

 

二〇〇一年九月十一日に、同時多発テロが起こった直後、当時のブッシュ大統領は「アメリカに攻撃を加えた國で殲滅されなかった國はない」という意味のことを言った。わが國を念頭に置いて言ったのであろう。

 

わが國の真珠湾攻撃は軍事施設に限られていたし、多数の民間人を道連れにはしなかった。それでもアメリカは、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉としてわが國へのすさまじい報復攻撃を開始した。広島・長崎に原爆を落とされ、全國主要都市が焼夷弾・爆弾攻撃にさらされて殆ど焦土と化し、無数の罪の無い一般國民が爆殺され焼き殺された。

 

倉前盛通氏著『艶の発想』によれば、わが国に対する原爆投下の際、アメリカのトルーマン大統領は「早く投下しなければ、原子爆弾が都市住民にどんな被害を与えるか、テストする機会を逸する」と言ったという。これは米軍部の考えでもあったという。

 

アメリカは、わが国への原爆投下・無差別の焼夷弾・爆弾攻撃についての反省と謝罪は全くしていない。アメリカは、文明の国、自由と民主主義の国と言われるが、果たしてどうか。そもそも文明とは何か。自由と民主主義とは何か。反米感情を煽るわけではない。また、今日の情勢を考えると、日米同盟は大事である。『日米同盟』『日米友好』は大切だが、アメリカの残虐性、身勝手さ、独善性は忘れてはならない

 

近代の歩みに対する反省は必要だが、日本だけが侵略者とする戦後の歴史観は訂正されねばならない。これがある限り、日本はまともな国になり得ない。支那とアメリカに対して対等な関係を構築できない。

 

今日、中華帝国主義による日本侵略支配の危機が迫っている。日本はこれに如何に対処すべきか。それが今日におけるもっとも重大な問題である。歴史に学び、正しき歴史観を確立し、現代の危機に立ち向かわねばならない。中華帝国主義の侵略を打ち砕かねばならない。

 

今後の日本は、いかにして「中華帝国主義」の侵略そして北朝鮮の暴虐から祖国を守るかが最大の課題である。「日米自立」「日米安保破棄」を主張する人々がいる。しかしその根本に、まず以て日本の敗戦国意識の払拭そして日本の真の自立が確立されなければならない。日本こそ『強盛国家』にならねばならない。

 

ベトナム・イスラエルは大国ではないが、それなりの力を持ち、支那やロシアやアメリカの言いなりにならない。日本はこの点は見習わねばならない。支那・ロシア・アメリカの言いなりにならない国にならねばならない。

 

日本は、非核三原則などという誤った原則を墨守し、且つ、軍事力を全く否定した似非平和憲法を未だに破棄出来ないでいる国である。そればかりでなく日本は、現実に何時共産支那や北朝鮮から核攻撃を受けるかわからない危機に曝されている国である。

 

日本はかつてアメリカと戦った国であり、ベトナムやイラクと同じようにアメリカの空爆を受け、国土は焦土と化し、多くの国民が殺戮された国である。ベトナムやイラク以上にひどい目に遭った国が日本である。

 

大東亜戦争に敗北した後、日本は七年間もアメリカの軍事支配を受け、日本を弱体化することを目的とした憲法を押し付けられた。日本は、その占領憲法を後生大事に未だに押し戴いている。そして自分の国を自分で守ることのできない情けない国である。

 

アメリカ製の憲法を押し戴きアメリカの核の傘に入っている以上、国際問題、経済問題等々でアメリカに徹底的に逆らうことなど出来ないのである。まさに日本はアメリカの属国なのだ。否、いまだにアメリカの占領下から独立してはいないのである。だからトランプは日本に来た時、成田や羽田ではなく横田基地に来たのだ。

 

わが国がアメリカと対等の立場に立ち、言いたいことが言える国になるためには、核武装して自主防衛体制を確立し、自主憲法を制定し、真の独立国家として再生しなければならない。

 

日本国も核武装し自主防衛体制を確立し単独で支那共産帝国主義や北朝鮮と戦いこれを壊滅できる力を持つような国家になるよう努力すべきである。

ところが、日本の真の独立=アメリカの属国からの脱却を妨害して来たのが、自主憲法制定・自主防衛体制確立・核武装に反対してきた亡国政党=社民・共産・民進党左派・立憲民主党であり、偏向マスコミなのである。自民党の中にさえそういう連中がいる。

 

最近、国際的安保環境は大規模に変容している。とりわけ北東アジア情勢は極めて危険である。日本は正しき安保観・国防観を一刻も早く確立しなければならない。自主防衛体制=核武装を断行して、いかなる国からの攻撃・侵略も徹底的に排除する態勢を確立しなければならない。これが中華帝国主義打倒・対米自立の基礎である。そのために、日本国内の似非平和勢力・売国分子を糾さなければならない。

 

 日米安保体制の枠内で憲法9条がどうの、安保法制がどうの、といったことが大問題となった牧歌的な世界はもはや過去となった。日本も米国に軍事でも経済でも過度に依存しない「偉大な国」を目指せばいいだけの話である。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、諸事。

午後一時より、六本木の国際文化会館にて、山際澄夫氏にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載のためなり。

帰宅後は、明日行われる『無名烈士墓前法要』におけるスピーチの準備、原稿執筆など。

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