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2018年4月29日 (日)

『禁中並公家諸法度』と『現行占領憲法』

徳川家康は、尊皇心は希薄であった。徳川政権の持続と正統性の確保のためには、天皇及び天皇の伝統的権威を利用したが、天皇・朝廷を京都に事実上の軟禁状態に置き奉ったと言っても過言ではない。徳川幕府は、天皇・朝廷を敬して遠ざけたなどといふことではない。幕府の権威づけに天皇朝廷は利用したけれども、その実態は天皇・朝廷を理不尽に抑圧し続けたのである。

 

徳川幕府は、元和元年(一六一五)七月十七日『禁中並公家諸法度』(『禁中方御条目十七箇条』とも言ふ)を定め、朝廷と宮家・公家に有史以来未曾有の掣肘を加へた。天皇・朝廷に対し奉り京都所司代が厳しい監視にあたった。

 

徳富蘇峰氏は「(『禁中並公家諸法度』は)公家に向かって、その統制権を及ぼしたるのみでなく、皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において確定したものだ。すなわちこの意味において、武家諸法度に比して、さらに重大なる意義がある」(『近世日本國民史・家康時代概観』)と論じてゐる。

 

家近良樹氏は、「この法度によって、天皇以下すべての公家の生き方が規定されたのである。換言すれば、江戸期の朝廷関係者は…幕府の定めた生き方以外に選択の余地がなくなったという意味で、幕府の統轄下に完全に組み込まれることになった」「徳川幕府は、『禁中並公家諸法度』等の制定によって、朝廷を保護すると同時に、いわば力で抑え込む形となった。そして、江戸期の全般を通して、ことあるごとに、幕府が朝廷の上位に位置する、もしくは対等な関係にあることを確認する儀式を繰り返すことになる」(『幕末の朝廷』)と論じてゐる。

 

『禁中並公家諸法度』の第一条には、「天子諸藝能の事。第一御學問なり」と書かれてゐる。そして「和歌は光孝天皇より未だ絶えず。綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄置く可からず」などとも書かれてゐる。

 

徳富蘇峰氏はこの条文について、「天皇は治国平天下の学問を為さず、ただ花鳥風月の学問を為し給うべしとの、意味にて受け取るを、正しき解釈とせねばならぬ」(同書)と論じてゐる。

 

小田村寅二郎氏は、「(『禁中並公家諸法度』に・注)『和歌は光孝天皇よりいまだ絶えず、綺語たりといへども、我が國の習俗なり。棄て置く可からず』とあった。だが光孝天皇は第五十八代の天皇であられるが、その天皇から和歌をお詠みになってをられる、などとは無智も甚だしい。神武天皇以降、どれだけ多くの天皇がたが、和歌を『しきしまのみち』としてその道を御つとめあそばされたことか。…和歌のことを『綺語たりと雖も』といふ。『綺語』とは、『巧みに表面だけを飾った言葉』、或ひは佛教が『十悪の一つ』とする『真実にそむいておもしろく作った言葉』といふ意味しかない。いづれにしてもそれは『しきしまのみち』としての和歌が、日本の文化の中核を貫いてきた事実―まごころの表白―とは、まったく正反対の意味であろう。しかもそれにつゞけて『棄て置くべからず』とかかれているのであるから、家康・秀忠の皇室に対する不遜さは、こゝに極まると言へる」(『歴代天皇の御歌』)と論じてをられる。

 

わが国の成文法おいて、天皇の権能・天皇がお守りになるべき規範が具體的に記されたのはこの『禁中並公家諸法度』が初めてであるといふ。古代の『律令』には、天皇に対し奉り臣下が随順すべき規範は書かれてゐても、天皇がお守りになるべき規範は書かれてゐない。

 

江戸期の天皇と朝廷は、この『法度』によって幕府の制定した成文法の枠組みの中に入れられてしまった。「御學問第一」などといふことをあへて成文法化して規定した上に、日本國の君主であらせられ統治者であらせられる天皇本来の國家統治の御権能については何も記されゐない。これは天皇が政体上の「政治的権力」を有してをられない事を「成文法」として規定したものである。すなはち、「天皇は實際の政治権力には関与されず、ただ宮廷において御學問をされておればよい」と読むのがこの『法度』の正しい理解であらう。

 

天皇の統治大権は、幕府権力によって大きく制限されたのである。この『法度』の實際の制定権力である江戸幕府への「大政委任」の成文法的根拠を与へた。『禁中並公家諸法度』は、外来の権力ではないが、武家権力によって「制定」された点、及びその内容が日本國體を隠蔽したといふ点において『現行占領憲法』と似てゐる。

 

『禁中並公家諸法度』は江戸時代を通じて一切改訂されなかった。しかし、明治維新によって徳川幕府が打倒された後、まさに無効となった。『現行占領憲法』も、『禁中並公家諸法度』と同じく、講和発効・占領解除後に当然無効とすべきであった。

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