« 千駄木庵日乗四月十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗四月十五日 »

2018年4月15日 (日)

國體と憲法

「成文憲法」は「権力の制限規範である」と言はれる。であるならば、「國政に関する権能を有しない」とされる天皇が、「成文憲法」の制約を受けることはあり得ない。

 

『現行占領憲法』第四条に「天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。『現行憲法』上、天皇は権力者ではあらせられない。故に、天皇は「権力の制限規範」である「成文憲法」の制約を受けられない。天皇は、「成文憲法」を超越した御存在である。

「成文憲法」及び「成文法」そしてそれに基づく政治権力機関は、権力者ではあらせられない天皇を制約する権能・権限は全くない。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄は、世俗の法律問題・政治権力問題ではない。即ち決して『現行占領憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や「成文法」によって、「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」を規制し拘束し奉ることがあってはならない。

 

「成文法」が基となって國體が成立するのではない。國體が基となって「成文法」が成立するのである。

 

「皇位継承」とは、「天津日嗣の高御座」の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とは全く次元を異にする。即ち政治権力問題とは全く性格を異にする。故に「皇位継承」について「成文法」及び権力機関が干渉し制約することはできない。

 

「皇位継承について天皇のご意志を伺はなくていい」といふ議論は全く間違ってゐる。日本國體・日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の継承者であらせられる天皇の御意志に添ひ奉るべきである。

 

「皇位継承」「御譲位」をはじめ「天皇・皇室」に関はる一切の事柄は、憲法・政府・國会の制約や規制を受けることはあり得ないしあってはならない。また、憲法・政府・國会は天皇・皇室とそして日本國體に関することに介入し規制してはならない。

 

天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である

「國王と雖も法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であると言ふ。

 

わが國は権力國家ではなく祭祀國家であり、天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上にをられるとか下にをられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」(のり)なのである。

 

日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を民に告げることを『ノル(告る・宣る)』と申し上げる。これがわが國の「法」(ノリ)の原点である。現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を民に傳へる『のりごと』である。「法(のり)」は「宣(のり)」である。天皇は、権力や成文法を超越された神聖なるご存在である。今上陛下の一昨年八月二十二日の「玉音」はまさに「詔」である。

 

『現行占領憲法』第一条に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く」とある。この条文は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。大変畏れ多い表現であるが、天皇・皇室が政治権力者・官僚の「操り人形」になる危険がある。否、現実にさうなりつつある。

さらに『現行占領憲法』には「國會は國権の最高機関」と書かれてゐる。「主権に存する日本國民」から選出され「國権の最高機関」を構成する衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるといふ解釈が成り立つ。横田耕一はさういふ解釈である。

かかる解釈によって、衆参両院において信任された内閣は、天皇よりも「上」の存在だといふ思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植ゑつけられる。國會議員に「主権の存する國民に選ばれ國権の最高機関の一員たる衆参両院議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などといふ意識が生まれる。これが、権力者・國民が皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、権力者は「かしこみの心」を無くし権力の乱用・腐敗が起こる。

 

「國民の総意」の「國民」について、現在の生きてゐる日本國民ではなく、過去現在未来にわたる『日本國民』であるといふ説がある。『現行占領憲法』を出来得る限り『日本國體』に合致させようといふ解釈である。しかし、現実には、衆参両院議員の過半数に意思によって『皇室典範』が改定されてしまふ。それどころではない。衆参両院議員の三分の二の意思によって、「天皇を君主と仰ぐ日本國體」すら廃絶される危険すらある。そんなことはあり得ないという意見もあるだらうが、可能性は皆無ではない。

 

占領軍・戦勝國が今日の事態を想定してゐたかどうかは別として、日本弱体化しようとした占領政策に則った『現行占領憲法』によって、國體破壊が実現し、革命は行はれたと極言することもできる。「國民主権論」「天皇の御地位は國民の総意に基づく」といふ國體破壊思想が憲法に書かれてゐる事が、わが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。まさに「諸悪の因は現行憲法」なのである。

 

ともかく『現行占領憲法』の「天皇条項」は日本伝統的國體精神を隠蔽してゐる。『現行占領憲法』をわが國から祓ひ清めねばならない。そして、天孫降臨・神武肇國以来の國體精神の道統を回復する事が最も大切である。

|

« 千駄木庵日乗四月十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗四月十五日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/66611560

この記事へのトラックバック一覧です: 國體と憲法:

« 千駄木庵日乗四月十四日 | トップページ | 千駄木庵日乗四月十五日 »