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2018年4月 2日 (月)

昭和天皇の御聖徳

 

 

立憲君主体制下にあった戦前の日本において、法治主義を厳守することが天皇の御意志であった。昭和天皇は木戸幸一内大臣に「自分は…余りに立憲的に処置し来たりし為に、如斯事態となりたりとも云ふべく、戦争の途中に於て、いま少し陛下はすすんでご命令ありたしとの希望を聞かざるには非ざりしも、努めて立憲的に運用したる積もりなり…」(児島襄氏著『天皇』第五巻)と仰せになった。

 

「大日本帝国憲法」の政体規定における「天皇」は、「統治権の総攬者」ではあらせられたが、「天皇を輔弼し其の責に任ず」る国務大臣の決定に干渉できないお立場であられた。「総攬」とは、「一手ににぎり収めること。統合し掌握すること。

 

天皇は、責任ある輔弼者の決定に異議を唱えこれを否定されることは憲法違反となった。天皇は国務事項即ち政治権力を行使せられるにあたっては、国務各大臣の輔弼を受けられなければならなかった。(『帝国憲法』第55条『国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』)

 

天皇は、輔弼機関の決定を不可とされることはできなかった。また、国政の一切の責任は国務大臣にあって、天皇は責任を問われることはなかった。

 

 

東條英機氏はかねて「『敵の法廷に立つ如きは日本人として採らざる処』と、戦争犯罪人として裁かれるよりは自決を決意していた。『元来、戦争責任者はあっても戦争犯罪者はいない。而して、それは(天皇)陛下ではない。…東條一人というならば、これは世界的にも明らかで良し……自分は皇徳を傷つけぬ。日本の重臣を敵に売らぬ。国威を損しない。ゆえに敵の裁判はうけない』。東條大将は、陸軍副官美山要蔵大佐にそう述懐していた。自分が引責して自決する、という意向である。『「生きて虜囚の辱を受けず」との「戦陣訓」を制定したのは自分である、ゆえに召還を受ければ自決する』と反駁した」。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

「東久邇宮内閣は東條大将自決未遂を知ると、九月十二日朝、閣議を開き、戦争犯罪人を日本側で裁くことを決めた。…東久邇宮首相が参内してこの『自主裁判』決定を上奏すると、…『敵側の所謂戦争犯罪人、ことに所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地なきや』と仰せになった。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

大東亜戦争が侵略ではなかったのであるから、戦争犯罪などが問われる理由はない。それが根本である。

また、戦争責任と戦争犯罪とは異なる。戦争責任は決して処罰の対象ではない。昭和天皇は、道義的責任は強く自覚しておられた。毎年の戦没者慰霊式への御臨席、靖国神社などでの御製を拝すれば明白なり。とりわけ、最後の御臨席のあのお姿を拝すればあまりにも明白である。

 

戦争直後においても、国民大多数の昭和天皇及び御皇室への尊崇の心は全く変化はなかった。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦ふ道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救ひたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けてゐたなら、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであらう。それを救はれたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならない。

 

その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のやうに歌はれてゐる。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

国がらをただまもらんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、といふまさに神のごとき無私・捨身無我のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのである。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の現御神としての御本質を仰ぐ事ができる。マッカーサーとのご会見において、この捨身無我の神のごとき大御心が発現したのである。

 

 さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌はれてゐることである。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいといふ、普通一般の国家ではない。日本独自の国柄即ち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體が正しく継承されてゐなければ日本国とは言へない。国柄を守ること無くして真の日本国の存続はあり得ないのである。

 

夜久正雄氏は、「天皇様は『国がら』を守りぬかれたのである。この天皇様のお心にしたがふことが、国民の側からの『国柄』である。天皇さまが国民のうへを思ひくださるお心をあふいで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらがあるのである」(『歌人・今上天皇』)と論じてゐる。

 

日本のやうに三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら日本は日本でなくなるのである。

 

 昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌ひになったのは、このかけがへのない日本国の國體が護持するために、たとへどのような苦難があらうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝する。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌はれていることで明白である。昭和天皇は、ご自分が「戦犯」として処罰されても、天皇を君主と仰ぐ国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのである。

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