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2018年4月29日 (日)

辻元清美の本性は北朝鮮の代弁者であり國體破壊を目指す國賊である

以下は十一年前の平成十九年に書いた拙論です。

 

             〇

 

辻元清美・土井たか子は北朝鮮の手先

 

 政策秘書給与ピンはねという犯罪行為をしでかした辻元清美の、ウソ、居直り、責任転嫁、問題のすり替え等々、辞職に追い込まれるまでの彼女の迷走は、鈴木宗男氏に対する容赦のない口汚い不正追及のとは対極の「往生際の悪さ」を引き立たせた。その重い責任の一端は土井たか子党首にもある。辻元清美に政策秘書給与のピンはねの悪知恵を授けたのは、土井たか子党首の側近だという。

 

 その社民党党首の土井たか子は、衆院本会議で、北朝鮮の不審船(というよりも、わが国に生物兵器・化学兵器を使ったテロ攻撃をしようとしているかもしくは麻薬を密輸しようとしている北朝鮮工作船)を、わが海上保安庁が撃沈したことを「逃げている船を撃沈する必要はなかった」などと批判した。売国奴とは土井たか子のことである。

 

 また、辻元清美は、何と北朝鮮によるわが国民拉致問題について、「北朝鮮には戦後補償を何もしていないのだから、そのことをセットせず『九人、十人返せ』とばかりいってもフェアじゃない」と発言した。北朝鮮という国家が今日唯今、わが国国民を拉致しているという大罪を犯していることを、過去の歴史問題と同列に論じるなどというのは売国的発言である。

 

 社民党は北朝鮮の手先なのだ。悪質な売国政党が社民党であり売国政治家が土井たか子や辻元清美なのだ。このことを批判するマスコミは『産経』のみだ。

 

 さらに辻元清美は、「『日本国憲法』の第一条から八条を削除し『天皇制』を民営化する」などと主張している。ずるがしこい言い方はしているが、要するに、辻元は「天皇制打倒」「日本國體破壊」を主張する国賊なのである。              

 辻元清美は、国際テロ組織日本赤軍活動家・北川明と親密な関係にあり、辻元は北川の操り人形といわれている。このような女を党の政審会長という要職につけた社民党はまさに、国賊政党である。

 

       〇

今日、立憲民主党の国会対策委員長たる辻元清美の本性は、北朝鮮の代弁者であり國體破壊を目指す國賊である。

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千駄木庵日乗四月二十九日

午前は、諸事。

午後は、今夜行う講演の準備、書状執筆。

午後六時より、春日の文京シビックホールにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。国民儀礼の後、渡邊昇氏が主催者挨拶。小生か「昭和天皇御製に学ぶ―昭和史の真実」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、原稿執筆など。

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『禁中並公家諸法度』と『現行占領憲法』

徳川家康は、尊皇心は希薄であった。徳川政権の持続と正統性の確保のためには、天皇及び天皇の伝統的権威を利用したが、天皇・朝廷を京都に事実上の軟禁状態に置き奉ったと言っても過言ではない。徳川幕府は、天皇・朝廷を敬して遠ざけたなどといふことではない。幕府の権威づけに天皇朝廷は利用したけれども、その実態は天皇・朝廷を理不尽に抑圧し続けたのである。

 

徳川幕府は、元和元年(一六一五)七月十七日『禁中並公家諸法度』(『禁中方御条目十七箇条』とも言ふ)を定め、朝廷と宮家・公家に有史以来未曾有の掣肘を加へた。天皇・朝廷に対し奉り京都所司代が厳しい監視にあたった。

 

徳富蘇峰氏は「(『禁中並公家諸法度』は)公家に向かって、その統制権を及ぼしたるのみでなく、皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において確定したものだ。すなわちこの意味において、武家諸法度に比して、さらに重大なる意義がある」(『近世日本國民史・家康時代概観』)と論じてゐる。

 

家近良樹氏は、「この法度によって、天皇以下すべての公家の生き方が規定されたのである。換言すれば、江戸期の朝廷関係者は…幕府の定めた生き方以外に選択の余地がなくなったという意味で、幕府の統轄下に完全に組み込まれることになった」「徳川幕府は、『禁中並公家諸法度』等の制定によって、朝廷を保護すると同時に、いわば力で抑え込む形となった。そして、江戸期の全般を通して、ことあるごとに、幕府が朝廷の上位に位置する、もしくは対等な関係にあることを確認する儀式を繰り返すことになる」(『幕末の朝廷』)と論じてゐる。

 

『禁中並公家諸法度』の第一条には、「天子諸藝能の事。第一御學問なり」と書かれてゐる。そして「和歌は光孝天皇より未だ絶えず。綺語たりと雖も、我が國の習俗なり。棄置く可からず」などとも書かれてゐる。

 

徳富蘇峰氏はこの条文について、「天皇は治国平天下の学問を為さず、ただ花鳥風月の学問を為し給うべしとの、意味にて受け取るを、正しき解釈とせねばならぬ」(同書)と論じてゐる。

 

小田村寅二郎氏は、「(『禁中並公家諸法度』に・注)『和歌は光孝天皇よりいまだ絶えず、綺語たりといへども、我が國の習俗なり。棄て置く可からず』とあった。だが光孝天皇は第五十八代の天皇であられるが、その天皇から和歌をお詠みになってをられる、などとは無智も甚だしい。神武天皇以降、どれだけ多くの天皇がたが、和歌を『しきしまのみち』としてその道を御つとめあそばされたことか。…和歌のことを『綺語たりと雖も』といふ。『綺語』とは、『巧みに表面だけを飾った言葉』、或ひは佛教が『十悪の一つ』とする『真実にそむいておもしろく作った言葉』といふ意味しかない。いづれにしてもそれは『しきしまのみち』としての和歌が、日本の文化の中核を貫いてきた事実―まごころの表白―とは、まったく正反対の意味であろう。しかもそれにつゞけて『棄て置くべからず』とかかれているのであるから、家康・秀忠の皇室に対する不遜さは、こゝに極まると言へる」(『歴代天皇の御歌』)と論じてをられる。

 

わが国の成文法おいて、天皇の権能・天皇がお守りになるべき規範が具體的に記されたのはこの『禁中並公家諸法度』が初めてであるといふ。古代の『律令』には、天皇に対し奉り臣下が随順すべき規範は書かれてゐても、天皇がお守りになるべき規範は書かれてゐない。

 

江戸期の天皇と朝廷は、この『法度』によって幕府の制定した成文法の枠組みの中に入れられてしまった。「御學問第一」などといふことをあへて成文法化して規定した上に、日本國の君主であらせられ統治者であらせられる天皇本来の國家統治の御権能については何も記されゐない。これは天皇が政体上の「政治的権力」を有してをられない事を「成文法」として規定したものである。すなはち、「天皇は實際の政治権力には関与されず、ただ宮廷において御學問をされておればよい」と読むのがこの『法度』の正しい理解であらう。

 

天皇の統治大権は、幕府権力によって大きく制限されたのである。この『法度』の實際の制定権力である江戸幕府への「大政委任」の成文法的根拠を与へた。『禁中並公家諸法度』は、外来の権力ではないが、武家権力によって「制定」された点、及びその内容が日本國體を隠蔽したといふ点において『現行占領憲法』と似てゐる。

 

『禁中並公家諸法度』は江戸時代を通じて一切改訂されなかった。しかし、明治維新によって徳川幕府が打倒された後、まさに無効となった。『現行占領憲法』も、『禁中並公家諸法度』と同じく、講和発効・占領解除後に当然無効とすべきであった。

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千駄木庵日乗四月二十八日

午前は、諸事。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。杏林大学名誉教授の田久保忠衛氏が、「急展開する北東アジア情勢」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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2018年4月28日 (土)

今日思ったこと

亡国野党と偏向メディアは「日本は蚊帳の外に置かれた」とわめきたてているが、南北首脳会談なのだから、日本が蚊帳の外なのは当たり前だ。また、「拉致問題が取り上げられなかった」とわめきたてているが、反日国家の首脳と拉致を行った犯罪国家の首脳が拉致問題を取り上げないのはこれまた当たり前。偏向メディアと亡国野党は、何でもかんでもイチャモンをつけて安倍政権即ち日本政府を貶めている。

 

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今日思ったこと

「南北融和」で大騒ぎだが、南北朝鮮の首領が会談し、「融和ムード」を演出したのはこれで三回目。金正恩は義理の叔父や腹違いの兄など多数の邪魔者を殺した独裁者、文在寅も前任の大統領二人を監獄にぶち込んだ男。こんな二人の作り上げた「融和」がまともな「融和」であるはずがない。今回もこのままうまく続くとは到底思えない。

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「一君萬民の國體の開顕」「公議を竭す政治の實現」を目指した明治維新の精神を今日回復することが大切である

 

片岡啓治氏は明治維新について、「新しい時代を開くとは、日本の太古に還ることだったのである。…古代に還るとは、決して古くさい死物を復活させるというようなことではなく、王と民とが一体となって睦あい、政(まつりごと)と祭(まつり)とが一つに溶けあい、一君のもとに萬民が平等に暮らす、そのような社會への復帰が夢みられたのであり、そのような世の中をよみがえらせるためにこそ、〈世直し〉が求められたのであった。…そこで求められた新時代とは、その後の現實に起こるような西欧化による近代の形成ではなかったのである」(『維新幻想』)と論じた。

 

外圧の危機が主なる原因となって断行された明治維新といふ未曾有の大変革は、一君萬民の日本國體の開顕と一体であった。そして明治天皇が神々に誓はれた『五箇条の御誓文』の精神を体して、明治維新の大変革が行はれたのである。

廃藩置県、身分制度撤廃、徴兵制實施、『大日本帝國憲法』発布などの維新後の大変革・大建設事業は、明治天皇の勅命によって行はれた。わが國に天皇・皇室といふ御存在がなかったならば、明治維新といふ大変革は實現しなかった。日本の傳統の体現者たる日本天皇によって、有史以来未曾有の変革が行はれたのである。また、「諸事神武創業之始ニ原」くこと、即ち一君萬民の國體の開顕が新時代の変革そのものなのである。我國においては、「一君萬民」の國體精神、天皇の御存在こそが維新変革の中心であり原基なのである。

 

今日のわが國の議會政治は、とても「公議を竭」しているとは言へない。また健全に機能してはゐない。政党間・政治家同士の醜い権力闘争が繰り返されてゐる。國會中継を見ればわかる通り、相手を議論で打ち負かし、相手の言葉の揚げ足を取り、自分の意見に従はせようとすることに汲々としてゐる。

 

かうした事の根本原因は、わが國の道統である「尊皇精神」「天皇へのかしこみの心」が、政治家にも國民にも官僚にも希薄になってゐるからにほかならない。

 

後藤田正晴氏は、「國務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」といふ意識の持ち主であった。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の『日本経済新聞』で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣といふ名前を変えたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

これは、天皇を君主と仰ぐ建國以来のわが國體を否定し、『現行占領憲法』体制下においてもわが國は立憲君主制であるといふ自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このやうな発言をしたのである。

 

肇國以来今日に至るまでわが國の歴史を貫き、将来にも継続する無私の御存在・倫理的御存在が天皇である。天皇は、倫理道義の鏡として祭祀主として君臨されてゐる。

 

新渡戸稲造氏がその著『武士道』において、「我々にとりて天皇は、法律國家の警察の長ではなく、文化國家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」と論じてゐる。

 

「天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもう」日本天皇は、権力や武力の暴走、権力者の私欲による権力と武力の行使を制限し抑制される権威をお持ちになる。天皇は権力や武力と無縁の御存在ではない。むしろ権力や武力に対して道義性を与へられる。中世・近世・近代を通じて武家権力や軍に対してさういふおはたらきをされた来た。その事を『大日本帝國憲法は』は「天皇は統治権の総攬者」と表現したのだと考へる。

 

「閣僚は、天皇の臣下ではない」などといふ主張は、かうした日本の正しい伝統を根底から否定する考へ方である。片岡啓治氏が「明治維新で求められた新時代とは、その後の現實に起こるような西欧化による近代の形成ではなかった」といふ指摘を思ひ起こさざるを得ない。 

 

わが國の傳統的倫理・道義は、〈神に対する真心の奉仕〉〈神人合一の行事〉である祭祀として継承されてきた。日本人の實際生活において行じられる祭祀そのものが倫理精神・道義感覚の具体的な現れである。信仰共同体國家日本の祭祀の中核は「天皇の祭祀」である。したがって、日本國家の祭祀主であらせられる天皇は、日本道義精神・倫理観念の体現者であらせられる。

江戸時代中期の不世出の國学者・思想家・詩人賀茂真淵は、「…さて臣たちも神を崇めば、心の内に、きたなき事を隱す事を得ず、すめらぎを恐るれば、みのうえに、あしきふるまひをなしがたし、よりて、此の二つの崇みかしこみを、常わするまじきてふ外に、世の治り、身のとゝのはんことはなきをや」(『賀茂翁遺草』)と説いてゐる。

 

議會政治は、多数決を基本とする。多数決を誤りなく機能させるためには、國民及び國民によって選出された議員が、権力闘争や利害の対立を抑制し、道義精神、理性を正しく発揮しなければならない。「人間は政治的動物だ」などと言って、道義道徳・理性を忘却してはならない。

 

日本の傳統の継承者であらせられ、常に神々を祭り、國民の幸福を神に祈られている神聖君主・日本天皇へのかしこみの心を國民全体が持つことが、日本の全ての面での安定の基礎である。

 

臣下國民に敬神尊皇の思ひが希薄になったことが今日の政治の混乱の最大原因である。現代日本は、肝心要の「一君萬民の國體」が隠蔽されてゐるのである。これは、『現行占領憲法』にその大きな原因がある。

 

しかしわが國には、國家的危機を傳統の復活・回帰によって打開して来た歴史がある。現代もさうした時期である。わが國の傳統の根幹は「天皇中心の國體」である。

 

「天皇中心の國體」とは、神話の世界以来の信仰に基づき一系の血統と道統を保持し継承される天皇による國家統治といふことである。そして天皇の國家統治は、権力・武力による人民支配ではなく、祭祀主としての宗教的権威による統治(統べ治める)である。それは信仰共同体國家たる日本独特の國柄である。「一君萬民の國體の開顕」「公議を竭す政治の實現」を目指した明治維新の精神を今日回復することが大切である。

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2018年4月27日 (金)

第八十三回 日本の心を学ぶ会

第八十三回 日本の心を学ぶ会

 

昭和天皇御製に学ぶ。

 

今回の勉強会は4月29日の「昭和の日」に開催します。「昭和の日」は昭和の御代の「天皇誕生日」だった4月29日が、「みどりの日」を経て「国民の祝日法」の改正を受け、平成19年に「昭和の日」とされたもので、「激動の日々をへて、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致す」ことを祝日の意義とされております。

 

昭和とはまさに波乱と激動の時代でした、大東亜戰爭とその敗北、国土の徹底的破壊、戦後復興、高度経済成長、という日本の歴史上かつてない激動の時代でありました。

 

なかでもGHQによる軍事力を背景とした占領政策は苛烈を極め、その悪影響は現在も払拭できていないどころか、ますますひどくなっております。憲法・歴史認識・国防・教育など現在の我々を取り巻く重大問題は、戦勝国による日本弱体化政策に起因しています。

 

このような意味で昭和史を正しく学び認識することは今日の国家基本問題の正しき解決に直結すると言えましょう。

 

そこで今回の勉強会では、昭和天皇の御製を拝し奉り、昭和の御代の歴史を学びたいと思います。

 

「御製」とは天皇陛下がお詠みになった和歌のことを申し上げます。昭和天皇はその御生涯の中でおおよそ一万首の御製をお詠みになったと承ります。

明治天皇は、『歌』と題されて、

 

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

 

とお詠みになられました。

 

昭和天皇の「勅語」や「記者会見などでの御発言」と共に、「大御歌」を拝し奉り、聖帝と仰がれる昭和天皇の大御心を学ばせて頂きたいと存じます。

 

多くの方々のご来会を心よりお待ち申し上げます。

 

         〇

 

【日時】平成三十年四月二十九日 午後六時から

 

【会場】文京シビックセンター 3階会議室A

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

住所:東京都文京区春日11621◎東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a5番出口)

南北線(5番出口)徒歩1分◎都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセン

ター連絡口)徒歩1分◎JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

 

【講演】昭和天皇御製に学ぶ―昭和史の真実―

 

【講師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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千駄木庵日乗四月二十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆、明後日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

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天皇の國家統治について

 

天皇の統治とは「世論や公論をよく聞く」ことであることは、天皇統治を「やまとことば」で「きこしめす」「しろしめす」と申し上げることによって明らかである。

 

三潴信吾氏は「帝國憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、國家・國民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の傳統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(『日本憲法要論』)と論じておられる。天皇が日本國を統治されることは、決して権力によって國家國民支配されることではない。

 

では、「やまとことば」の「きこしめす」「しろしめす」(「しらしめす」とも言ふ)とは一体いかなる意義なのであらうか。「きこしめす」とは「聞く」の最高の尊敬語である。「しろしめす」は「知る」の最高の尊敬語で、「聞こす」「知らす」にさらに「めす」といふ敬意を添へる語を付けた言葉である。

 

『續日本紀』に収められてゐる文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでゐる。

 

この場合の「聞く」「知る」とは単に知識を持ってゐるといふ意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するといふほどの意であらう。

 

天下の一切の物事を「お聞きになる」「お知りになる」といふことは、祭祀を行ふ時の〈無私〉の境地で一切のことをお知りになるといふことであり、天下の一切の物事に対して深い〈慈愛の心〉を持たれてゐるといふことである。〈無私〉と〈慈愛〉の心が無くては、対象を深く認識し把握する事はできない。

 

「きこしめす」「しろしめす」は、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であり、萬民を限りなく慈しみたまふ御存在であるから可能になる。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを了知されることができるのである。天皇國家統治の「みしるし」である「三種の神器」の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐる。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

 

近代日本の哲學者・西田幾太郎氏は、「知と愛とは同じである」と言ったといふ。知ることと愛することは一体である。対象を愛することなくして、対象の本質を正しく知ることは出来ない。

 

愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできない。天皇陛下の國家統治は、ご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。それは無私になって神を祭る心と一体である。

 

明治天皇は、『五箇条の御誓文』と共に発せられた『億兆安撫國威宣布ノ宸翰』において、「今般朝政一新の時に膺(あた)り、天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば、今日の事、朕、躬ら身骨を労し心志を苦め、艱難の先に立ち、列祖の盡させ給ひし蹤を履み、治績を勤めてこそ、始めて天職を奉じて,億兆の君たる所に背かざるべし」と仰せになってゐる。

 

明治維新は、「一君萬民」の國體開顕、即ち國民を重んじ國民の幸福實現を最高の目的としたのである。

 

『大日本帝國憲法』において「しらしめす」「きこしめす」の漢語表現として「統治」といふ言葉を用いた。そしてこの「統」といふ言葉は統べる(統一する)といふ意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)といふ意である。「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」といふお言葉こそまさしく「治める」の本質である。無私と慈愛といふまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

國民の心をよく「きこしめす」「しろしめす」ことが天皇の國家統治の基本である。そしてそれは議會を開き、「公議を竭す」ことと同意義である。

 

「天皇中心の日本國體の回復」と「天下萬民の公議を竭す政治」が明治維新の目指した國家体制の二本柱であった。

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千駄木庵日乗四月二十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、書状執筆、原稿執筆など。

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2018年4月26日 (木)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 五月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

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2018年4月25日 (水)

『五箇条の御誓文』に示された「天地の公道」「旧来の陋習」について

 

慶応四年(明治元年)三月十四日、明治天皇が、百官・公家・諸侯を率いられて京都御所紫宸殿に出御あらせられ、御自ら天神地祇をお祀りになり、維新の基本方針を天地の神々にお誓ひになった御文である『五箇条の御誓文』に、「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」と示されてゐる。

 

この御文について、「封建社會の陋習を打破して欧米諸國家に追ひつかうとする姿勢を示したものである」といふ議論がある。しかし、「天地の公道」とは文字通り「天地の公道」であって欧米精神や欧米の諸制度のことではない。わが國古来より継承して来た「一君萬民の理想政治の道」のことである。

 

明治維新において、議會政治實現が目指されたのは、神代以来の傳統への回帰であり、決して欧米模倣ではない。「天の岩戸開き神話」の天安河原における八百萬の神々の「神集ひ」以来のわが日本の傳統の継承であり回帰である。

 

和辻哲郎氏は、「(注・古代日本における)集団の生ける全体性を天皇において表現するということは、集団に属する人々が自ら好んでやり出したことであって、少数の征服者の強制によったものではない。その際全体意志の決定をどういうふうにしてやったかは正確にはわからないが、神話にその反映があるとすれば『河原の集會』こそまさにそれであった。そこでは集団の全員が集まり、特に思考の力を具現せる神をして意見を述べさせるのである。これは集會を支配する者が思考の力であることを示している。全体意志を決定する者は集會とロゴス(注・言語、論理、真理)なのである」(『國民統合の象徴』)と論じてゐる。

 

議會政治は神代以来の傳統であり、近代になってわが國に西洋がら輸入されたものではないことは、明治二年六月二十八日に執行された『國是一定天神地祇列聖神霊奉告祭』の祝詞に「昔常夜往く枉事多くなりし時、高天原に事始めせる天の八瑞の河原の故事のまにまに」とあることによって明らかである。「議會政治實現」とは神代への回帰なのである。明治維新における徳川幕府独裁専制政治打倒、一君萬民國家の建設、議會政治實現は、まさに「復古即革新」=維新である。

 

江戸時代における「旧来の陋習」の一つは「身分差別」である。明治十一月二十八日に渙発された『徴兵の告諭』には次のやうに示されてゐる。

 

「我朝上古の制、海内挙て兵ならざるはなし。有事の日、天子之が元帥となり…固より後世(注・江戸時代のこと)の双刀を帯び、武士と称し厚顔坐食し、甚しきに至ては人を殺し、官、その罪を問はざる者の如きに非ず。…然るに大政維新、列藩版図を奉還し、辛未の歳(注・明治四年)に及び遠く郡県の古に復す。世襲坐食の士は其禄を減じ、刀剣を脱するを許し、四民漸く自由の権を得せしめんとす。是上下を平均し、人権を斉一にする道にして、則ち兵農を合一にする基なり。是に於て、士は従前の士に非ず、民は従前の民に非ず、均しく皇國一般の民にして、國に奉ずるの道も固より其別なかるべし」と示されてゐる。

 

今日喧しく言はれてゐる「人権」といふ言葉が、明治五年に発せられた明治天皇の「告諭」にすでに示されてゐる事實に驚かざるを得ない。維新後の新しき世における「士」とは、士農工商の「士」ではなく、兵役に服する國民すべてが「士」であると明示された。一君萬民・萬民平等の理想を、ここに明確に、明治天皇御自ら示されたのである。

 

市井三郎氏はこのことについて「この徴兵の告諭は、明治二年以来華族・士族・平民という新しい呼称が制定されはしたが、それが幕藩体制下のような身分差別を意味するものではないことを、最も明瞭に宣明したものでした。…『王政復古』が『一君萬民』思想を介して、『四民平等』と深く結びついていたことを確認しておかねばなりません。当時の基準からすれば、『一君萬民』というイデオロギーによって、何百年にわたる封建的身分差別を、一挙に撤廃する手がうたれたことはみごとといわざるをえません。…明治日本は、階層間の移動の高さでは、西洋をはるかに凌駕するにいたるのです」(『思想から見た明治維新』)と論じてゐる。

 

明治四年八月二十八日、『穢多(えた)非人の称を廃止、平民との平等』が布告され、明治五年八月、農民の間の身分差別が禁じられて職業自由が宣言され、同じ月、学制の公布によって全國民の平等な義務教育が法的理念になる。

 

徳川幕藩体制といふ封建社會においては全國で二百四を数へた各藩が分立してゐたが、「一君萬民」の國體を明らかにした明治維新といふ大変革によって、廃藩置県が行はれ、「大日本國」といふ統一國家意識が回復し、階級制度、身分差別、各藩分立の撤廃が図られた。さらに、自由民権運動が活発化し、民撰議院設立・憲法制定が實現してゆく。これは、欧米の模倣とか欧米思想の影響ではなく、わが國國體精神の回復なのである。

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千駄木庵日乗四月二十五日

午前は、諸事。

 

午後一時半より、内幸町の日本プレンセンターにて、『新聞通信調査会定例公演会』開催。軍司泰史氏(共同通信社 編集委員・論説委員)が「欧州ポピュリズムの底流難民、テロ、EU」と題して講演。質疑応答。

 

帰宅後は、原稿執筆、書状執筆、資料整理。

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今日思ったこと

 報道によると、トランプ氏は二十四日、「とても良い議論を行っている。これまで見る限り、金正恩は非常に率直で、とても立派な人物だ」と語ったという。叔父を殺し、腹違いの兄を殺し、多くの部下を残忍に粛清した男を「立派」というトランプという人は一体どういう人なのであろうか。

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2018年4月24日 (火)

自然神秘思想を詠んだ高市黒人の歌

 『萬葉集』に高市黒人という歌人の次の歌が収められている。

 

「ささなみの國つ御神(みかみ)のうらさびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも」                             (巻一)

 

 『壬申の乱』で滅んでしまった近江の都のことを悲しんだ歌。黒人は、柿本人麿と大体同時代の人。伝未詳。

 

 「高市氏」は古い家柄で、天津神を祭る齋場(いつきば)と関係のある「氏」であったといふ。「黒人」は「山部赤人」と同様に「まれびと」(稀人・普通ではない人)の名である。鬼も珍しい存在なので赤鬼・青鬼といふ「色」がつく。今日でも普通とは異なる状態になることを「色がつく」といふ。「黒人」「赤人」といふ名前を付けるのは、普通一般人とは異なった特殊な能力・役目を持ってゐる人だからである。黒人は神秘的な役目を持つ人物であと思はれる。

 

「ささなみの」は琵琶湖西南岸の土地の古称。天智天皇・弘文天皇の御代に都があった。「國つ御神」とは、その國の地主の神・國魂の神。「うらさびて」はウラとは心のこと。サビルは衰へる・さみしくなる・荒む・しぼむといふ意。「國つ御神のうらさびて」とは、國土の神霊が遊離してしまひ國土に威力・生気・パワーがなくなること。

 

 通釈は、「ささなみの國土の神様の威力・生気がなくなって荒れてしまった大津の都を見るのはさみしいなあ」といふ意。

 

荒れてしまった「ささなみの國」の土地の神を鎮魂し、なぐさめてゐる歌である。現實的に考へると、大津の都が荒れてしまったのは『壬申の乱』の結果である。しかし古代信仰から考へると、國魂(くにたま)の神の生気がなくなった結果なのである。天皇の祭り事が行はれる宮廷がなくなると、國土の霊も威力がなくなってしまふのである。近江朝廷か滅んでお祭りしなくなったから國土の霊の威力が無くなったのか、國土の霊の威力が無くなったから大津の都が滅んだのかは、相関関係にある。

 

黒人は信仰的なものの見方をした人である。古代日本人は、自然に神が宿ってゐると素直に信じてゐた。この歌には、黒人の内向的な憂ひと共に古代日本人の自然神秘思想・自然信仰が直截的に表現されてゐる。

 

自然に宿る神々は、人間を護り恩恵を与へてくれると共に、時に荒ぶる神となり、大変な脅威を齎す。東日本大震災など自然災害の被災地の姿を見るとそのことを實感する。現代に生きる我々は、自然に対する畏敬の念を取り戻さなければならない。大地震・大津波・原発事故は、自然に対する人間の姿勢が如何にあるべきかを示唆してゐる。

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千駄木庵日乗二十四日

午前は、諸事。

 

午後は、資料の整理。

 

午後六時半より、隼町のグランドアーク半蔵門にて、『永訣!西部邁先生を偲ぶ会』開催。木村三浩氏の発声で献杯が行われた後、富岡幸一郎・西部智子・田原総一朗・亀井静香・伊吹文明・黒鉄ヒロシ各氏などが追悼のスピーチを行った。まことに多くの友人・知人・同志にお会いした。

 

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富岡幸一郎氏

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西部智子氏

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田原総一朗氏

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伊吹文明氏

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亀井静香氏

帰宅後は、原稿執筆。

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2018年4月23日 (月)

自然神と祖霊への畏敬の念の回復が大切である

祭祀は、現代に生きる神話である。祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

 

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

 

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教であるが、神の偶像を拝むといふことはない。何処の神社にお参りしても、その神社の御祭神の神像を拝むといふことはない。日本神道は自然神・祖霊神そのものを拝むからである。偶像崇拝は無い。

 

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。それは『記紀』の物語や『萬葉集』の歌に表白されてゐる。

 

菅原道真は

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

と詠んだ。

 

伴林光平は

度會の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり

と詠んだ。

 

藤原俊成は

雪降れば 嶺の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山

と詠んだ。

 

こうした自然神秘思想を回復することが今最も大切なのであろう。

 

自然に宿る神々は、人間を護り恩恵を与へてくれると共に、時に荒ぶる神となり、大変な脅威を齎す。東日本大震災など自然災害の被災地の姿を見るとそのことを實感する。現代に生きる我々は、自然に対する畏敬の念を取り戻さなければならない。大地震・大津波・原発事故は、自然に対する人間の姿勢が如何にあるべきかを示唆してゐる。

 

近年多発する大地震と火山の噴火そして東日本大震災における原発事故などで、日本民族は文明史上・人類史上大きな問題を突き付けられている。「自然との共生」という言葉をよく聞くが、そんな生易しいものではないことを實感した。確かに人間は自然と共に生きて来たし、自然の恩恵をこうむっている。しかし、時に自然は人間に無慈悲に襲いかかって来る。これにどう向き合うのかが問題である。

 

『神社新報』平成二十三年七月四日号の「大震災から神道信仰を考える」と題する「社説」に次のように書かれていた。

 

「岡田荘司氏(国學院大学)から…『神々の恵みに対応するたたりや怒りについて、古代以来の神道信仰にはその両面があったが、近代以降には継承されていない』旨の発言もあった…現代の神社神道のあり方やその原点を考へる上での極めて重大な神道信仰・神道神学に係る問題提起といへよう」「『原子力の火』の成功に日本社会の未来を託した声は、その反対に原子力利用の『綱渡り的危険性』を指摘した声の紹介など、それらは、いづれも神々や祖先、自然からの恵みと恩に感謝するだけでなく、同時にそれは神々や自然の祟りと怒りに対する畏怖と謹みといふ神道の原点を戦後神社神道の歩みに位置づけようとする本紙なりの実践神道神学の歴史でもあった」。

 

自然神・祖靈神崇拝が日本伝統信仰=神社神道の基本である。自然に宿る神霊、そして亡くなった方々の御霊は、我々生きている者たちに恵みを与え下さり、お護り下さる有りがたき御存在である。しかし、神代・古代以来、自然に宿る神々も、そしてこの世を去った御霊も、時に怒りを現し、祟ることがある。

 

日本人は、自然災害はまさに自然の神の怒りととらえて来た。御靈信仰も神社神道の大きな流れである。全国各地に鎮座する天満宮も、そり原初は、無念の思いを抱いて亡くなられ、多くの祟りを現された菅原道真公の御霊をお鎮めするための神社であった。

 

日本民族は、常に自然の恩恵に感謝すると共に、災害をもたらす自然に対して畏敬の念を抱いてきた。また、日本民族は、亡くなった方々に対して感謝の念を捧げると共に、尋常でない亡くなり方をした方の御霊に対して御慰めしなければならないという信仰を持っていた。

 

本居宣長は、日本に神々を「人はさらにも云はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其餘(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり(すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優れるたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり…)(『古事記傳』)と定義してゐる。

 

日本の自然の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり靈であるということである。無限の可能性を持つと言い換えてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災いを齎すと古代日本人は信じた。

 

無暗矢鱈に自然に恐怖心を抱いたり、亡くなった人の祟りを恐れたりするべきではないが、自然と祖霊に対する畏敬の念を持つことは大切である。つまり、今こそ、日本国民斉しく自然と祖霊への祭祀の心を回復すべきなのである。

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千駄木庵日乗四月二十三日

午前は、諸事。

昼、若き友人と懇談。『横山大観展』などについて語り合う。

午後からは在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理など

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『政治文化情報』平成三十年五月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成三十年五月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成三十年五月号(平成三十年四月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

近代史における「やまと歌」

與謝野晶子の長詩『君死にたまふことなかれ』はいはゆる「反戦歌」でも「乱臣賊子の歌」でもなかった

與謝野晶子は國民の一人として「明治の精神」を継承した

 

土岐善麿氏の戦中・戦後の歌ついて

 

大本教幹部の獄中における凄惨なる辞世歌

 

内田良平氏が大本教弾圧を批判して詠んだ歌

 

日本民族を縦軸と横軸、時間と空間において一つにする文藝が和歌である

 

千駄木庵日乗

 

アーロン・フリードバーグ氏(プリンストン大學ウッドロー・ウィルソン・スクール教授)「優れたバランスオブパワーを維持するために日米同盟は重要。日本が防衛力を高めているのは前進。他の民主國家・インド・オーストラリアを含めて多國間の防衛協力を強化すべし」

 

沈志華氏(華東師範大學歴史學部教授、冷戦國際史研究センター主任、周辺國家研究院院長)「冷戦の終了、東南アジアあるいは世界の構造変化、特に改革開放後の中國の基本的な利益の背離によって、中朝同盟の基盤はすでに事實上崩壊している」

 

平岩俊司氏(南山大學総合政策學部教授)「中韓國交正常化で、北朝鮮は中國の核の傘の下に入っていないという不安を持った」

 

牛軍氏(北京大學國際関係學院教授)「朝鮮統一で七千萬の人口を持ち核兵器を持つ國が出来る問題がある。核拡散の問題は我々一人一人の生活に関わる問題」

 

李丹慧氏(華東師範大學冷戦國際史研究センター研究員)「。東北アジアから核の暗雲を晴らし、朝鮮半島の安定と平和を實現するためには、大國間の協調が必要。中露が米日韓に対峙して北朝鮮に漁夫の利を得させてはならない」

 

小泉悠氏(公益財団法人未来工學研究所特別研究員)「NATOの脅威を書く人はいるが、東側で直面している中國の脅威について何も書いていない」

 

周志興氏(米中新視角基金會長)「今は反対だがアメリカが武力行使したら中國は変る」

 

この頃詠みし歌

 

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福島香織氏(元産経新聞中国総局特派員)による「二〇一八年、中台関係はどうなる」と題する講演の内容

一月二十日に開催された『アジア問題懇話会』におけるフリージャーナリストの福島香織氏(元産経新聞中国総局特派員)による「二〇一八年、中台関係はどうなる」と題する講演の内容は次の通り。

 

「習近平は微笑外交に転じたのではないかという期待があった。ところが年明け早々中国の台湾圧迫が強まっている。尖閣に対しても圧力が強まっている。軍船が入った。攻撃型潜水艦が尖閣海域に近づいたのは前代未聞。東シナ海が緊張。習近平は、軍の指揮系統の一元化し、共産党の軍である、軍は党の指導に従うことを確認。

 

中華民族の偉大なる復興は清の乾隆帝の時代をイメージしている。乾隆帝の時代は版図が一番広い時代。眠れる龍の時代。中華民族の偉大なる復興の中心は軍の強化。今世紀半ばまでに世界一流の軍の建設。アメリカに対抗できる軍を作る。

 

『中国近未来の六つの戦争』という写真が中国で流されている。それには『台湾統一(二〇二〇―二五)、南シナ海奪還(二〇二五―三〇)、インド国境奪還(二〇三五―四〇)、釣魚東・琉球奪還(二〇四〇―四五)、外モンゴル(二〇四五―五〇)、ロシア国境奪還(二〇五五―六〇)』と書かれている。これが本当かどうかは別。中国は『琉球は冊封体制に入っていたので沖縄はオレのもの』と主張。

 

五大戦区はそれぞれ戦略目標を持っている。アメリカのシンクタンク(共和党系)は二〇二〇年までに台湾に侵攻するとしている。『サウスチャイナモーニングポスト』にもその説が載った。中国が二〇二〇年に設定する理由は、台湾独立パワーの高まり、国民党政権が返り咲いても『中台統一』への指導力はないなど。武力統一論を去年暮から出すようになった。

 

解放軍内部がざわついている。今年も四回退役軍人のデモがあった。習近平が妥協してデモに妥協したのは初めて。軍の掌握が上手くいっていない。これを是正するために外部の敵対勢力と戦って国内を統一する。台湾を取りもどすと習近平の歴史的偉業になる。台湾・日本との緊張が丁度いい。

 

台湾の情勢は二〇一四年以降劇的に変わった。台湾人の中国人アイデンティティは非常に低下している。九割は台湾人と思っている。アメリカは台湾を全面的に庇護する姿勢を強める。台湾のNGO職員が政府転覆罪で逮捕され、懲役五年の判決。外国のNGOも中共の管理下に置かれる。

 

中国には一億人以上のカソリック教徒がいる。この人たちを見捨てるわけにいかない。ローマ法王は中国を訪問したいという意識がある。中国はカリブ海周辺の台湾と国交のある国に影響力を強めている。パナマの次にドミニカに接触してインフラ支援をしている。外資企業への踏み獲を行っている。台湾を國扱いする企業は中国で商売できない。

 

中国は、北朝鮮問題に国際社会の視線を集中させつつ台湾併合へと動いている。二〇一八年は日本にとっても危機的な年になる可能性あり。中国の太平洋進出の野望を阻み、東シナ海を守るためには台湾は大事。台湾問題は日本の安全にかかわる。

 

尖閣海域に中国の原潜がうっかり入ったなどということはあり得ない。刺激の度合いを強めて来ている。日本のメディアはあまり報道しない。二〇二二年は沖縄施政権回復後半世紀。中国は節目を大事にする。五十年経つと日本のものになる。だから尖閣は係争地であると国際社会に認めさせるために緊張を高める。

 

領土は力づくで奪うというのが国際社会のルール。アメリカが安保条約第五条を発動する保証はない。係争地帯だからお互いで解決してくれということになる。二〇二二年は半世紀の節目。習近平政権にとって尖閣奪取、台湾奪取が選択肢。それが出来るかどうか。可能性はある。成功するかどうかも分からない。むしろこれをきっかけとして習近平共産党政権が揺らぐかもしれない。

 

世界が真空状態になりつつある。その真空を狙って中国は色々なことをする。それが国際社会にとってリスク。台湾・北朝鮮・尖閣がきっかけとなって国際社会が劇的に変わる可能性あり。中国の原潜が尖閣海域に入ったのは重大事件。日本は対中脅威感が一番強い。もう少し劇的対立が鮮明にならないと決定的米中対立にならない」。

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千駄木庵日乗四月二十二日

朝は、諸事。

 

午前十一時より、上野公園西郷南洲翁像前にて、『西郷南洲翁像清洗式』執行。 始澤澄江五條天神社宮司が祭主を務め祭事執行。祝詞奏上、玉串奉奠が行われた。早瀬内海西郷南洲会理事長が挨拶。鈴木信之葛飾区議会議員、三澤浩一氏、そして小生が祝辞を述べた。

 

帰宅後は、原稿執筆。

 

夕刻、谷中にて、落語家ご夫妻と懇談。

 

帰宅後も原稿執筆。

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2018年4月22日 (日)

天岩戸神話について

伊耶那岐命から「海原を治めなさい」と命じられた須佐之男命は「母のいる黄泉の国へ行きたい」と泣きわめいたので、伊耶那岐命に追い払われてしまった。そこで須佐之男命が黄泉の国へ行く前に天照大神のところへ挨拶に行こうと天に上って行くと、山川が鳴り騒ぎ国土が振動したので、天照大神は須佐之男命が天上の国を奪いに来たのだと思われる。須佐之男命はそんな心は持っていないと言われ、誓約(うけい・どちらが正しいかを判断する神秘的な行事)をした。その結果、須佐之男命が勝ったので須佐之男命は勢いにまかせて大暴れする。すると天照大神は天の岩戸にお隠れになってしまう。そこで八百万の神々は色々な方法を用いて、天照大神を岩戸からお出になって頂く。そして須佐之男命は天上の世界から出雲の国にお降りになる、という物語が「天岩戸神話」である。

 

 天照大神は須佐之男命の田を壊したり溝を埋めたり御殿に糞をするという様々な御乱行(荒ぶる行為)に対して「糞のように見えるのは酔って吐いたのでしょう。田を壊し溝を埋めたのは大地をいたわってのことでしょう」と善いように解釈されて最初は咎められなかった。これを「詔り直し」という。悪い行為を善い意味に解釈することである。「詔る」とは言葉を発するという意であり「直す」悪いことを善くすることである。日本民族は本来、悪を固定的に考えないし、他人の長所を見て短所を細かくあげつらわないのである。これは言霊(ことだま)による浄化・善化・光明化である。邪悪なものを言霊によって直すことが「詔り直し」である。

 

 天照大神が天の岩戸の隠れることについては、さらに次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。

 

 八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするのである。

 中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。・…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(天つ神の世界)と論じておられる。

 

 日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

 そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が隠れる日」であり「新しい太陽が再生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは古い太陽の隠退であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生であると考えられる。ただし、これは一つの解釈である。

 

 この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。

 

 桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。

 

 祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現する。

 

 祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によって一層の活力を持って再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰であると考えられる。

 

 そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。  

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千駄木庵日乗四月二十一日

午前は、『政治文化情報』発送作業。発送完了。

午後からは、在宅して、明日行うスピーチの準備、書状執筆、原稿執筆。

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2018年4月21日 (土)

今日思ったこと

喪服を着た亡国女性議員たちはそのまま火葬場に行って頂いた方が良いのではないかと思いますが、如何でございましょうか。

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『生誕一五〇年横山大観展』参観記

本日参観した『生誕一五〇年横山大観展』は、「東京美術学校に学んだ大観は、師の岡倉天心とともに同校を去り、日本美術院を設立。新たな時代における新たな絵画の創出を目指しました。西洋からさまざまなものや情報が押し寄せる時代の中、日本の絵画の伝統的な技法を継承しつつ、時に改変を試み、また主題についても従来の定型をかるがると脱してみせました。やがてこうした手法はさらに広がりを見せ、自在な画風と深い精神性をそなえた数々の大作を生み出しました。本展では、40メートル超で日本一長い画巻《生々流転》(重要文化財)や《夜桜》《紅葉》をはじめとする代表作に、数々の新出作品や習作などの資料をあわせて展示し、制作の過程から彼の芸術の本質を改めて探ります。総出品数約90点を展観する大回顧展です」(案内書)との趣旨で開催された。

 

《屈原》明治三一年 《白衣観音》明治四十一年 《迷児まよいご》明治三五年 《瀑布(ナイヤガラの瀧・万里の長城)》明治四四年 明治四五年頃 《ガンヂスの水》明治三九年 《瀟湘八景》大正元年 《彗星》《焚火》大正四年 《群青富士》大正六年頃 《生々流転》大正一二年 《龍蛟躍四溟》昭和一一 《海に因む十題》昭和一五年 《或る日の太平洋》昭和二七年 《夕顔》昭和四年 《風蕭蕭兮易水寒》(昭和三〇)などを参観。

 

横山大観は明治大正昭和の三代を生きた偉大なる日本画家である。どの作品もその強烈さに圧倒される。初期の《屈原》は、共に東京美術学校を追放された岡倉天心をイメージして描かれたという。屈原は支那楚の時代の伝説的詩人で国政に関わるも讒言により追放され自死した人物である。屈原の無念さがその表情に表現されている。大観の師・岡倉天心の無念さが重ねられている。私はこの作品を見るたびに前進座を追放された河原崎長十郎が追放された後に演じた屈原を思い出す。テレビ中継で見たのだが、長十郎が「そなたたちは私を陥れたのではない。我が楚の國を陥れたのだ。全中華の人民を陥れたのだ」という鬼気迫る台詞が蘇える。《瀑布(ナイヤガラの瀧・万里の長城)》は大観が実際にかの地を訪れた時の雄大な景色の印象を同じ画面で描いた異色作。《彗星》は明治四三年に見たハレー彗星を描いた作品。彗星を描いた絵画は他にないと思う。《瀟湘八景》は支那の景色を描いている。「瀟湘」というと「君がため 瀟湘湖南の 少女らは われと遊ばず なりにけるかも」という吉井勇の歌を思い出す。吉井勇の歌は支那湖南省ではなく相模の国の湘南のことをしゃれて歌ったという。《群青富士》は今回展示された大観の富士山の絵では一番美しいと思った。富士山の青と雲の白と他の山々の緑の対照がまことに見事である。《生々流転》は長さ四十メートルを超える大作。自然の河の流れを人の一生に譬えているという説があったように思う。「大観」という号の通り、大自然と時間の流れを大きく観た作品である。《龍蛟躍四溟》は凄まじい作品というほかはない。龍と雲が今にも動き出すかのように見える。白と黒の色彩で描かれている迫力満点の作品。《風蕭蕭兮易水寒》は晩年の作であるが「風蕭々(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士(そうし)一たび去って復(ま)た還(かえ)らず」という司馬遷『史記』の中の詩を題材にしている。秦の始皇帝の殺めようとして出発する荊軻のことを詠んだ悲壮な詩である。荊軻は事破れ逆に惨殺されてしまう。易水のほとりで荊軻を見送る犬がとても可愛く描かれている。もっとも初期作品は屈原を題材とし、大観が亡くなる二年前の最晩年の作品が荊軻を題材としている。どちらも悲劇の主人公であるのは不思議なことである。

会場で上映されていた記録映画では、岡倉天心が横山大観などと共に谷中初音町に創立した日本美術院の院歌を横山大観が歌っている声が流されていた。「谷中うぐいす 初音の血に染む 紅梅花 堂々男子は 死んでもよい」「奇骨侠骨 開落栄枯は 何のその 堂々男子は 死んでもよい」という美術学校の校歌とは思えない勇壮な歌詞である。

 

谷中初音町は小生の住む千駄木の隣町である。そして大観の墓所も谷中霊園にある。また、大観の住んでいた家は私宅近くの池之端にあった。そこは今、横山大観記念館なっている。この三つは私は散策する所である。

 

 

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千駄木庵日乗四月二十日

午前は諸事。

午後は、竹橋の東京国立近代美術館で開催中の『生誕一五〇年横山大観展』参観。

帰宅後は、原稿執筆。

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2018年4月20日 (金)

偏向メディアが国を滅ぼす

何時も思っていることだが、新聞雑誌テレビは、商業であり、営利事業なのである。雑誌新聞の売り上げ増加、テレビ視聴率の向上が目的なのである。だから、ある事ない事センセーショナルに報道する。しかも私が許せないのは、営利目的なのに、正義の味方面していることである。深夜にさんざんセクハラ番組即ち異性に対する性的嫌がらせを煽るような番組を垂れ流している民放にセクハラ糾弾をする資格はない。

 

さらに、問題なのは、日本国家を転覆させようとする意図のもとに偏向した報道を行っているメディアの存在である。偏向マスコミ特に朝日新聞・テレビ朝日は、自民党安倍政権を何としても打倒するべく、キャンペーンを張っている。民進党左派・社民党・共産党は、革命政党・反日政党である。北朝鮮・共産支那・旧ロシアと同根の勢力だ。歴史と伝統の國日本を破壊することが彼等の最終目的である。こうした勢力が連立政権を樹立することは亡国への道である。

 

こうした状況にあって、わが日本は益々劣化していく。歴史と伝統の國・日本が滅びた方かいいと思っている連中が、今や最大の権力となっているメディアを牛耳っているのである。

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偏向メディアが国を滅ぼす

 

日本人の悪い癖は、ある特定の一人の人物を、みんなで寄ってたかって悪の権化として裁き、あることないこと暴き立てて糾弾し、責め苛むことです。戦争直後は「東条が悪い」。講和発効後は「吉田を倒せ」。第一次安保では「岸を倒せ」。佐藤長期政権では「ストップ・ザ・サトウ」、ロッキード金権問題では「田中内閣打倒」。その後しばらくありませんでしたが、今は「安倍一強政治打倒」。一人の特定の人物さえ打倒し抹殺すればすべてが良くなると考えているのです。政治家に対しては久しぶりに安倍攻撃が行われていますが、メディアによって一人の人を悪の権化として責苛む現象はますますひどくなっています。

 

最近の、「朝日新聞」「テレビ朝日」の安倍攻撃は異常です。余程安倍氏が憎いのでしよう。民進党などの亡国野党も安倍政権を何とかして打倒したいので、正義の味方ヅラして安倍攻撃をしているのです。

何回か掲載した文章ですが、以下のことを最近も痛切に感じていますので掲載します。

 

             〇

 

 

マスコミは、マイクやカメラを突き付けて「悪」と断定した人物を追い回す。市中引き回しの刑の現代版である。しかもテレビは繰り返しその映像を垂れ流し的に興味本位に放送する。そういうテレビ映像を見て育った子供たちが学校で特定の子供を寄ってたかって苛めるのである。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追ひかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、かういふやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(『反革命宣言』)と。

 

革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがメディアである。

 

「本是神州清潔の民」と言われるように、日本人の潔癖さは日本民族の優れた体質である。しかし、それが単に、嫉妬であり、自分よりも幸福そうな人を引き摺り下ろそうという精神に堕してしまってはならない。われわれは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の真の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。

 

              〇

私は「何が何でも安倍が正しい、安倍を擁護する」という考えではまったくありませんが、「何が何でも安倍が悪い、安倍を潰せ」という「朝日新聞」「テレビ朝日」の姿勢には激しい嫌悪感を覚えます。また、立憲民主・自由・共産党・民進党などの連立政権が誕生することは絶対に阻止すべきと思います。

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オピニオン雑誌『傳統と革新』 第二十九号

画像に含まれている可能性があるもの:6人、、今 敏雄さん、Daichin Olhunuudさんなど

 

オピニオン雑誌『傳統と革新』 第二十九号

 

平成三十年五月 たちばな出版発行(四宮正貴責任編集)

 

特集 特集 神道と現代―日本傳統信仰は「宗教の衰退」を打開できるか

 

 [巻頭言] 

 

「神ながらの道」と瑞穂の國・日本の再生             四宮正貴 

 

[インタビュー]

 

長寿社會を迎えて、ふたたび宗教の時代が始まる予感あり      田原総一朗 

 

すべては尊皇心を大切にすることから始まる            頭山興助 

 

現代社會の中で、宗教は期待できる役割を見失っている       島田裕巳 

 

人の幸せを考え、日本の良いものを残していく政治         竹本直一 

 

[論文]

 

[佐藤優の視点]

 

信仰の対象としてのシンギュラリティ               佐藤優  

 

歴史とも神話とも密接な絆を結んでいることが日本の最大の魅力である 西村眞悟

 

現代日本の神道的風景                      阪本是丸         

 

神ながらの使命に立ち返り、新たなる世界の秩序とみ國興しに挑戦すべき時 後藤俊彦 

 

新たな神道の定義を―伊勢志摩サミットと神道           田中英道 

 

現代神道論~神道3・0から4・0の構築に向けて         鎌田東二 

 

神宮大麻の歴史的意義と、日本社會の大麻への偏見について     戸矢學        

 

天皇陛下靖國神社御親拝實現は、現代を生きる私たちの責任である  沼山光洋 

 

神社界そして日本の宗教界に未来はあるのか            小川寛大 

 

[聞き書き]

 

祭りと神社とコミュニティーが活性化する柔軟な発想を持とう    薗田稔 

 

「政(まつりごと)」は古来「祭事」                上杉隆 

 

[提言・直言]

 

神社神道は、日本人を救うだけでなく、いずれ世界人類を救う    末松義規   

 

合格祈願はかなったが、大學卒業後の苦難。奨學金改革を急げ    城井崇    

 

神道という宗教文化                       北神圭朗   

 

歴史と傳統ある日本文化の継承を願い、心の底から神の存在を信じ、命懸けで祈る 西村修   

 

変革への原動力と基層としての神道                木村三浩 

 

[連載]

 

やまと歌の心                          千駄木庵主人 

 

「石垣島便り23」両陣営の、分裂に次ぐ分裂の市長選挙―これからの石垣島が、沖縄がおおいに気になる                           中尾秀一  

 

「憂國放談」第一回 西部邁氏の自裁と人間の生死         犬塚博英 

 

編集後記に代えて 小田村四郎・西部邁両氏の御逝去を悼む     四宮正貴 

 

「傳統と革新」バックナンバー一覧                       

 

取り扱い書店様一覧                                

 

定価 本體価格1000円+税。 168頁

 

168〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

 

 たちばな出版  ☎代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 

 

 

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笹川平和財団主催「1/16 知的対話:日印パートナーシップの深化が生み出す可能性と役割」における登壇者の発言

一月十六日に開催された笹川平和財団主催「1/16 知的対話:日印パートナーシップの深化が生み出す可能性と役割」における登壇者の発言は次の通り。

 

ハリンダ―・コーリー氏(センテニアルグループインターナショナル会長)「全ての地域で高齢化社会を迎える。日本だけでなく中国も高齢化社會を迎える。世界の労働人口はピークを迎えている。都市化が進む。最も都市化している地域が北アフリカ。金融市場のグローバル化はリスクを伴う。中間層の台頭は大きなトレンドとなる。インドは大きな中間層を抱えることになる。天然資源に関する競争が激化する。気候変動は加速する。幸いなことに技術革新が進んでいる。非国家主体の暴力が高まっている。IМFの報告によると世界の成長の六五%はアジア。中國・日本・インドが世界の成長の五〇%を押さえている。二〇五〇年にはGDPの五六%はアジアが占める。世界の中心はアジアに戻る。インドは世界七番目の経済大国。インドはフランス・イギリスを追い越すであろう。五番目になる。ドイツをしのいで四番目になる。米中日印になる。二〇五〇年にはインドは二番目の経済大国になる。日本は豊かな国であり続ける。しかし日本は、人口は少なくなる。日本とインドは同じ価値観でお互いの礎になり得る。アメリカは不確実性の中で今の大統領は任期満了まで行かないかもしれない」。

 

モンテック・アフルワリア氏(元インド中央計画委員会の副委員長)「日本は前もって計画をする國。長い先を見据えたうえで日印は協力せねばならない。経済発展と地政学的発展の二つがある。インドと日本は歴史的な紛争がない。共通するところが多い。歴史的に二つの國は紛争の重荷は無い。日印はこれまで数年間『特別な戦略的パートナーシップ』という言葉がよく言われている。しかし経済では協力関係は低いレベルにとどまっている。日本は強くインドを支援して下さった。有難い支援を長年いただいている。インドの経済は閉鎖されていた。一九九一年からインドでは経済変革を行った。民主的インドという状況の中で経済変革が行われた。IМFの予測では中国は成長が鈍化する。インドは伸びる。インドの成長が早まっている。インドは外貨準備高が早まっている。インドの輸出は少ない。インドはアジアとの統合は低い。インドと日本は交流すべし。投資をすべし。ソ連崩壊以前は二極化された世界だった。ソ連崩壊後は単極化した。フランシス・フクヤマは『歴史の終焉』と言ったが、それは現実にならなかった。小規模紛争が増えた。一九九〇年代初めから自由主義的秩序が世界に広がると言われたが圧力がかかった。リベラルな秩序が繁栄の基盤になるはずだったがうまくいかなかった。EU統合によってヨーロッパが極になると言われていたが全く実現しなかった。EUの統合は損なわれた。中国の成功は良いこと。しかしその結果バランスが維持されなくなった。中国という一つの力が台頭するとアメリカの支配力が後退する。台頭する国が秩序を維持してくれなければならない。その意味でインドと日本が協力する。日印は共有する所が沢山ある。航行の自由、安全保障の面での協力が増えている。アジア・アフリカコリドールを具体化すべし。経済地政学では日印は協力しなければならない。WTO(注・ガットの多角的交渉として1994年に終結したウルグアイ・ラウンドで合意され、各国の批准を経て951月に発足した、貿易に関する国際機関)を日印で活性化させるべし。アメリカがアジアから引き下がるのはアメリカのためにも良くない。一帯一路はパキスタン・カシミールを通る回路があるからインド政府は反対。インフラを作ってくれるのは有難い。しかしは債務を押し付けてはならない」。

 

ラジャット・ナグ氏(元アジア開発銀行事務総局長)「ポジティブは構造的要素があるので日印は協力せねばならない。自由民主主義と不可分の法の支配を共有している。歴史的負担・マイナスの重荷が無い。インドはあらゆる面で投資が必要。日本は技術がある。資本が余っている。しかし人口は減っている。故に日印は協力しなければならない。日印は、戦争中は仲良かった。戦後は、インドはソ連寄り。日本はアメリカ寄りだった。今は、印日はパートナーにならねばならない。中国の台頭により多極化世界になった。オープンな地域主義は必要。安全保障は貿易を守るために必要。日米印豪のパートナーシップを目指す。アジアには世界の三分の二の貧困層がいる。格差が拡大している。アジアを要塞化してはいけない。対抗ではなく貿易路を担保するために経済だけでなく安保面でも協力すべし。アメリカはアジアにいることが自国の利益になる」。

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千駄木庵日乗四月十九日

午前は、諸事。

午後は、資料の整理。

午後六時より、水道橋にて、永年の同志二氏と懇談、意見交換。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2018年4月19日 (木)

今日思ったこと

深夜にさんざんセクハラ番組を垂れ流している民放にセクハラ糾弾をする資格なし。

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2018年4月18日 (水)

『憲法懇話会』における慶野義雄平成国際大学名誉教授による「帝国憲法軍事安全保障関係条項」と題する報告内容

昨年十二月十六日に開催された『憲法懇話会』における慶野義雄平成国際大学名誉教授による「帝国憲法軍事安全保障関係条項」と題する報告内容は次の通り。

「憲法に軍を保有すると書くなら良いが、一項・二項を残して自衛隊保有を書くのはおかしい。『帝国憲法』は軍の保有は当然のこととして構成されている。

 

『帝国憲法』には、『第10条天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル。第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス。第12条天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム。第13条天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス。第14条天皇ハ戒厳ヲ宣告ス。第19条日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得。第20条日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス』と書かれている。

 

『帝国憲法』には何故『軍を保有する』と書いていないのか。『帝国憲法』制定時には、軍はすでにあったから敢て憲法に書く必要はなかった。国家があって憲法が作られるのであり憲法が先にあって国家が作られたことは歴史上一度もない。自衛隊を憲法に規定すると、自衛隊を軍に改組するときは再度憲法改正の手続きをしなければならない。再改正は現実的には不可能に近い。一項、二項削除なら法律制定のみで軍に転換できる。自衛隊を明記するなら自衛隊が戦力であり、交戦権を持つことを明示しなければならない。

 

対外的には自衛隊は軍であり戦力。国内的には實力。これはダブルスタンダード。戦後日本は国家の存在の有を否定した奇妙な日国家団体・アナーキズム社会であった。政府・軍の行動を制約することを第一義とするなら非武装・軍を持たなければ良いだけ。軍を持つ以上、少ない軍事費でいかに最大限の国防効果をあげるかが最重要。

 

国防軍ではなく自衛隊を書き加えるのは、今の自衛隊を固定化することになる。現状追認になる。今と変わらないのなら殊更自衛隊を憲法に書く必要なし。戦力とは軍。自衛隊は軍としなければならない。しかし第二項を残すと軍にはならない。一項・二項に違反するという状況が続く。一項・二項単純削除なら軍が再建される。文民統制は必要。軍の保有は、憲法の条文ではなく国家の存在理由に由来する。軍を憲法で規定するから合法合憲というのではなく、主権国家があるからそこに軍があるという発想に転換すべし」。

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千駄木庵日乗四月十八日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆など。、

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国民主権論は日本伝統と無縁

 「現行占領憲法」が第一章に「国民主権」の条項を置くことは、天皇国日本というわが国建国以来の道統を否定することである。

 

 日本の伝統的な考え方は、「天皇と国民とは相対立する存在ではなく一体である」ということである。従って「主権」なるものが天皇にあるのか国民にあるとかなどということを議論すること自体が伝統破壊である。

 

 

 「現行占領憲法」制定時に、衆議院憲法改正案特別委員長を務めた芦田均氏は「君民一体または君民一如のごとき言葉によって表現されている国民結合の中心であるというのが我が国民的信念なのである」と言っている。

 

 「国民主権」の規定を審議した帝国議会では、政府は、「主権」とは「国家意思の実質的源泉」であり、「国民」とは「天皇を含む国民協同体」を指すとしていた。そして芦田均衆議院憲法改正案特別委員長は、欧米の「君主主権」と「主権在民」を対立的に捉えた主権二元論は、わが国においては採り得ないことを特に強調している。

 

 ところが宮沢俊義氏をはじめとした多くの憲法学者は、「国民」とは天皇を除く概念であり、この憲法によってわが国は君主主権から人民主権に変わったと主張した。今日では文部省の検定済教科書までこの線に沿って記述されているという。

 

彼らによれば、皇位の改廃は人民の意思によって可能なのであり、今上天皇の御即位に際してはその是非を国民投票に問うべしとする歴史学者まで現れた。わが国は君主国にあらずとか、元首は天皇にあらずとする珍説が学界に横行しているのが現状である。

 

 このような混乱の原因は、もともと多岐にわたる主権概念を憲法規定に持ち込んだことにある。「主権」の属性としての最高性、無制限性が言われる時、それは容易に伝統を無視した独裁専制に転化し得る。

 

 主権在民と民主政治(国民参政)とは別個の概念である。ソ連邦も共産支那も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、共産党最高指導者の個人専制恐怖政治が行われてきている。

 

 主権という言葉ほど多種多様に用いられているものはないが、君主主権とか国民主権とかいう場合の主権は、西洋法思想の影響下にある国法学では、一般に「国家における最高の政治権力」と解せられている。

 

 日本では古来主権という言葉はなく、国家における政治作用の根本を言い表す言葉は「知らす」ないし「治らす」であり、言葉自体から見ても、権力的な臭みはなかった。帝国憲法ではこれを「統治権」という言葉で表現した。

 

 主権の観念は、近世の初期以来、西洋わけてもフランスにおいて、君主の権力を擁護する手段として、君主主義の形で主張された。それは封建諸侯やカトリック教会の勢力を制圧して、統一国家を形成するためには有効なる手段であった。君権至上主義や王権神受説も、これがために唱えられ、これがために利用されたのである。しかるにその後、専制君主の圧政から国民が自由を獲得するためには、別の旗印が必要になった。フランス革命の思想的根拠をなした国民主権説は、すなわちこれであった。

 

 国民主権説は、西洋の社会契約説、国家契約説と結合して発達したのであるが、広く世界に及ぼしたのである。君主主権といい国民主権といい、いずれも一つの政治目的に利用されて発達したものであるから、主権を権力中心の概念として見たのも当然と言えよう。そしてその根底には「力は法の上にあり、法は強者の権利である」という思想が流れていたのである。

 

いずれにしても国民主権・君主主権という言葉も意味内容も、西洋の国家観念・法思想から生まれてきたのであるから、日本の伝統の天皇の国家統治の実相、日本国体とは全く異なる概念であり法律用語である。

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千駄木庵日乗四月十七日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

午後六時より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

帰宅後も、発送準備。そして原稿執筆。

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2018年4月17日 (火)

野党連立政権の樹立は、まさに亡国への道である

モリカケ問題などで、立憲民主・民進・希望・共産・社民などの野党そして朝日新聞・テレビ朝日などのメディアによる、安倍総理と昭恵夫人そして自民党政権に対する批判が熾烈を極めている。そして、南北朝鮮の融和、共産支那と北朝鮮の連携の復活が、日本に対する重大な脅威になっている。文字通り、内憂外患交々来たるという状況である。

 

内憂と云っても、モリカケ問題や一部高級官僚の言行は、日本という國家を屋台骨を揺るがすような問題ではない。共産支那・南北朝鮮などの独裁者・権力階層がやっていることと較べれば、これほど大騒ぎするようなことではない。

 

一方、外患の方は、日本という国の安全と平和を根底から脅かす。日本を取り巻く情勢は危険極まりない。支那と南北朝鮮、そして、ロシアが一致して反日攻勢を強めて来たら、日本国はどうなるのか。

 

共産支那はアジアのおける軍事的覇権とアジア支配体制確立のために対外膨張を激しくさせている。南北朝鮮の融和が本格化すれば、核兵器を持つ反日国家が出現するのである。共産支那と南北朝鮮が結束して日本の軍事的政治的圧迫を加えてくる危険がある。そしてそれにロシアが協力するという構図ができあがる。

 

この間まで一緒の党(民主党)だった連中が三分裂したばかりなのに、そのうちの二つがまたまた一緒になろうとしている。さらに、立憲民主の中には、共産社民と同じ思想を持つ輩が多数いる。

 

社民・共産そして立憲民主左派は、旧ソ連、共産支那・北朝鮮と同根の共産革命勢力である。彼らは、自由民主体制の日本を破壊して、日本を支那・ロシア・南北朝鮮の属国にしようとしているのである。そのために安倍糾弾・自民党政権打倒運動をしているのだ。希望・民進・立憲民主・共産・社民の連立政権が出来たら、日本の国防・安全保障が根底から揺らぐ。そして日本は文字通り亡国の道を歩む。

 

今、安倍自民党政権を打倒せんとして非難攻撃している野党に政権を任せたら、この国家的危機を打開することはできない。それどころか、野党連立政権の樹立は、まさに亡国への道である。

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千駄木庵日乗四月十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆、明後日行うスピーチの準備など。

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2018年4月16日 (月)

『現行占領憲法』の思想的欠陥

 

 『現行占領憲法』の三原理の一つである「基本的人権の尊重」の精神的支柱は「個の確立」「主体性の確立」であるが、「個」や「自我」というものを如何にとらえるかが大事である。正しき人間観・國家観の確立なくして、正しき「個の確立」も「主体性の確立」もあり得ない。道義精神なき「個の確立」は欲望民主主義に陥り、正しき國家観なき「個の確立」は利己主義となる。それが今日の日本の姿である。

 

 國民一人一人の福祉・自由・生活のゆとり・文化的生活そして平和を求めることは大事である。しかし、その前提になるのは、日本國という共同体であり、日本國民の自覚という同胞意識である。しかし、戦後日本は「愛國心」とか「國家への忠誠」ということを「悪」として軽視されてきた。むしろ「國のため」という意識は「軍国主義である」として否定された。

 

 戦後世代すなわち戦後教育を受けた世代が、わが國の政界・官界・財界などの指導層になった頃から、國家意識の喪失が深刻化して来たと思う。戦前の教育を受けて来た官僚・政治家・財界人が健在であった時期の日本は、戦後復興に努力し、経済大國として蘇生して来た。戦後復興を為し遂げたのは戦前の教育を受けた世代の人々である。ところが、そうした世代が第一線を退いて行くと共に、日本はおかしくなって来た。

 

 國家意識の喪失とは、「國家」とは何かという基本問題に対する理解がおかしいために起こって来た問題である。大東亜戦争の敗北によって、「國家悪」というものが強調され、國家は國民を抑圧し、國民を搾取する権力機構であり、國民あるいは人民・市民に相対立する存在であるという、考え方が支配的になった。そして、「國を愛する」とか「國家に忠誠を尽くす」ということは犯罪的行為であると言う考え方に國民の多くが汚染されてしまったのである。

 

 戦後日本は戦勝國によって西洋の國家観を押し付けられた。西洋の國家観は、契約思想に基づいている。西洋は、神と人間とが契約を結ぶキリスト教という宗教がその基盤にある。アメリカから押し付けられた『現行占領憲法』はまさにアメリカの国家観に基づいている。

 

國家もそれを構成する人々の合意と契約によって成り立っていると考えられている西洋近代國家論の歴史的淵源はキリスト教の聖書である。『旧訳聖書』とは神と人との古い契約のことであり、『新約聖書』とは新しい契約のことである。近代思想家のロックにしろ、ルソーにしろ、社會契約説を唱える場合、必ず聖書の契約を持ち出している。

 

しかし、國家社會が人間と人間との契約によって成り立つという考え方は、全く架空の観念でありフィクションである。原始社會において人間が社會や國家を作ろうと合意して契約を結ぶなどという馬鹿げたことはあり得ない。家庭・社會・共同体で育てられない人間は狼少年になる以外にない。

 

ところが、この「社會契約説」はアメリカ合衆國という國を作り出すためには大きな役割を果たした。アメリカという國は建國以前は、全く法律のない「新天新地」であり、言ってみれば無法地帯であった。そこには天から天降った君主もいなければ、総督もいなかった。だから、植民者が自らが自らを治める以外になかった。こうしたことが契約國家論がアメリカにおいて受け容れられた原因である。

 

 メイフラワー号(一六二0年にイギリスからアメリカに上陸した清教徒の船。清教徒とは、十六世紀後半、イギリス國教會に反抗して起こった新教徒の一派。清浄に生活することを主張した。ピューリタン)で結ばれた『メイフラワー憲章』には、「主権在民」「信託による統治」「法の下における平等」が謳われていた。『現行占領憲法』の原理の淵源がここにある。

 

 今日のアメリカは「自由民主主義國家」の見本のように言われているが、かつては、メイフラワー号で渡米して来た清教徒たちの子孫が特権階級となっていた。メイフラワー号の子孫にしても、最初から船に乗っていた純粋な清教徒は四十一名とその家族だけで、途中から乗船した残りの人たちはいわゆる「ならず者」「刑余者」であった。清教徒たちはセインツ(聖者)として尊敬され、残りの者たちはデヴィル(悪魔)として差別された。

 

 そして、アメリカで一六四一年に制定された『マサチューセッツ法』では、「第一条 異神(キリスト教以外の神)を信じたものは死刑。第二条 魔女も死刑。第三条 神も死刑」と規定されていた。また「インディアンと一緒に住んだ者は三年の懲役」という規定もあったという。さらに、マサチューセッツでは、知事をはじめとした役人は必ず何処かの教會に属するクリスチャンでなければならなかった。

 

 これは一神教の排他独善性、残虐性が如実に現れた法律である。アメリカがキリスト教國家であるイタリアやドイツには原爆は落とさなかったが、非キリスト教國家であるわが國には原爆を二発も落とし、東京に大規模な焼夷弾攻撃を行い、大虐殺を敢行したのも、一神教の排他独善性、残虐性及び有色人種への差別意識にその原因があると思われる。また先住民の駆逐、奴隷制度などの有色人種に対する迫害、虐待も行われた。

 

 「現行占領憲法」の骨格となっている思想である「自由と民主主義」、そして「契約國家論」の淵源である「アメリカ建國の精神」及びキリスト教というものは、このような恐ろしき性格を有していたことを我々は正しく知っておくべきである。    

      

 

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千駄木庵日乗四月十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆、資料の整理など。

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2018年4月15日 (日)

國體と憲法

「成文憲法」は「権力の制限規範である」と言はれる。であるならば、「國政に関する権能を有しない」とされる天皇が、「成文憲法」の制約を受けることはあり得ない。

 

『現行占領憲法』第四条に「天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない」と書かれてゐる。『現行憲法』上、天皇は権力者ではあらせられない。故に、天皇は「権力の制限規範」である「成文憲法」の制約を受けられない。天皇は、「成文憲法」を超越した御存在である。

「成文憲法」及び「成文法」そしてそれに基づく政治権力機関は、権力者ではあらせられない天皇を制約する権能・権限は全くない。

 

「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」に関する神聖なる事柄は、世俗の法律問題・政治権力問題ではない。即ち決して『現行占領憲法』が規定する「政治権力作用としての國政」ではない。政治権力や「成文法」によって、「祭祀國家日本の祭祀主・天皇」を規制し拘束し奉ることがあってはならない。

 

「成文法」が基となって國體が成立するのではない。國體が基となって「成文法」が成立するのである。

 

「皇位継承」とは、「天津日嗣の高御座」の繼承である。普通一般の國家の國家元首・権力者交代とは全く次元を異にする。即ち政治権力問題とは全く性格を異にする。故に「皇位継承」について「成文法」及び権力機関が干渉し制約することはできない。

 

「皇位継承について天皇のご意志を伺はなくていい」といふ議論は全く間違ってゐる。日本國體・日本の傳統の根幹に関はることなのであるから、日本の傳統の継承者であらせられる天皇の御意志に添ひ奉るべきである。

 

「皇位継承」「御譲位」をはじめ「天皇・皇室」に関はる一切の事柄は、憲法・政府・國会の制約や規制を受けることはあり得ないしあってはならない。また、憲法・政府・國会は天皇・皇室とそして日本國體に関することに介入し規制してはならない。

 

天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である

「國王と雖も法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であると言ふ。

 

わが國は権力國家ではなく祭祀國家であり、天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上にをられるとか下にをられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」(のり)なのである。

 

日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を民に告げることを『ノル(告る・宣る)』と申し上げる。これがわが國の「法」(ノリ)の原点である。現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を民に傳へる『のりごと』である。「法(のり)」は「宣(のり)」である。天皇は、権力や成文法を超越された神聖なるご存在である。今上陛下の一昨年八月二十二日の「玉音」はまさに「詔」である。

 

『現行占領憲法』第一条に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く」とある。この条文は、天皇の歴史的連続性・伝統性を否定し、天皇の尊厳性を隠蔽してゐる。大変畏れ多い表現であるが、天皇・皇室が政治権力者・官僚の「操り人形」になる危険がある。否、現実にさうなりつつある。

さらに『現行占領憲法』には「國會は國権の最高機関」と書かれてゐる。「主権に存する日本國民」から選出され「國権の最高機関」を構成する衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるといふ解釈が成り立つ。横田耕一はさういふ解釈である。

かかる解釈によって、衆参両院において信任された内閣は、天皇よりも「上」の存在だといふ思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植ゑつけられる。國會議員に「主権の存する國民に選ばれ國権の最高機関の一員たる衆参両院議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などといふ意識が生まれる。これが、権力者・國民が皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、権力者は「かしこみの心」を無くし権力の乱用・腐敗が起こる。

 

「國民の総意」の「國民」について、現在の生きてゐる日本國民ではなく、過去現在未来にわたる『日本國民』であるといふ説がある。『現行占領憲法』を出来得る限り『日本國體』に合致させようといふ解釈である。しかし、現実には、衆参両院議員の過半数に意思によって『皇室典範』が改定されてしまふ。それどころではない。衆参両院議員の三分の二の意思によって、「天皇を君主と仰ぐ日本國體」すら廃絶される危険すらある。そんなことはあり得ないという意見もあるだらうが、可能性は皆無ではない。

 

占領軍・戦勝國が今日の事態を想定してゐたかどうかは別として、日本弱体化しようとした占領政策に則った『現行占領憲法』によって、國體破壊が実現し、革命は行はれたと極言することもできる。「國民主権論」「天皇の御地位は國民の総意に基づく」といふ國體破壊思想が憲法に書かれてゐる事が、わが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。まさに「諸悪の因は現行憲法」なのである。

 

ともかく『現行占領憲法』の「天皇条項」は日本伝統的國體精神を隠蔽してゐる。『現行占領憲法』をわが國から祓ひ清めねばならない。そして、天孫降臨・神武肇國以来の國體精神の道統を回復する事が最も大切である。

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千駄木庵日乗四月十四日

午前は、諸事。

午後は、書状執筆・原稿執筆。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗智之松陰大学准教授が司会。第一部は、小生が「國體と憲法」と題して報告。質疑応答、全員で討論。第二部は、高乗智之氏が担当して三潴信吾氏著『日本国憲法要論』輪読討論。討論。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2018年4月14日 (土)

國民主権論は日本國體と相容れない

 

『現行占領憲法』の三原理の一つであり第一条にも明記されてゐる「國民主権主義」は、「君主主権主義」に対する「抗議概念」であるとされる。そして、「政治的主権の保持者は國民であって君主ではないことを主張する」とされてゐる。これは、君主と國民が絶対的に対立し、権力を奪ひ合った歴史を持つ欧米で生まれた思想である。

 

『現行占領憲法』は、君主と人民とは相対立する存在であり、國家とは國民同士が契約して成立するものと考へる西洋的法思想・國家觀・君主觀・權力論が基礎となってゐる。

 

日本國は信仰共同體・祭祀共同體であり、天皇はその祭祀主である。従って、天皇は國民と対立し、國民を力によって支配する御存在ではない。天皇と國民と國土の関係は、対立関係・支配被支配の関係ではない。契約関係・法律関係にあるのでもない。信仰的・精神的一體関係にある。これを「君民一體の國體」と言ふ。これが日本肇國以来の國柄であり國體であり歴史である。

 

従って「國家の意思を最終的に決定する権力」といふ意味での「主権」なる概念と言葉は「天皇中心の信仰共同體國家日本」には全く相容れない。

 

天皇の祭祀主と仰ぐ祭祀國家・信仰共闘体として悠久の時間的連続・歴史を有してきたことが最も大切な日本國の特質であり尊厳性である。これを「萬邦無比の日本國體」と言ふ。

 

故に、「國家の意思を最終的に決定する権力」即ち「主権」が「君主にあるのか、國民にあるのか」などといふことを「成文憲法」に規定することはわが國の國體・歴史と相容れない。西洋法思想・國家思想である「國民主權論」を日本國の憲法に規定することは國體を隠蔽し國體破壊につながる。

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千駄木庵日乗四月十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して明日の発表の準備、原稿執筆など。

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2018年4月13日 (金)

明治維新の基本精神

 江戸時代に徳川家が独占してきた役職である征夷大将軍とは「夷」(えびす・えみし=日本に仇なすもの)を征討する大将軍という意味である。ところが幕府はペリーがやって来たら慌てふためいて、有効に対策を講ずることに苦慮した。そればかりか井伊直弼は、そして天皇陛下のお許しを得ないでアメリカと屈辱的な國交を結んでしまった。そこで、徳川氏は征夷大将軍の役目を果たすことができないということになって、徳川幕府を倒して、天皇中心の國家を再生せしめた大変革が、明治維新である。

 

 わが國有史以来未曾有の大変革であるところの明治維新の基本精神は、明治天皇が慶応三年(一八六七)十二月九日に発せられた『王政復古の大号令』に「諸事神武創業ノ始ニ原(もとづ)キ、縉紳(しんしん:公家)、武弁、堂上、地下(ぢげ)ノ別ナク、至当ノ公議ヲ竭(つく)シ、天下ト休戚(きゅうせき)ヲ同シク遊(あそば)サルヘキ叡慮ニ付キ、各(おのおの)勉勵、舊来ノ驕惰ノ汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國ノ誠ヲ以テ奉公致スヘク候事。」と示されている。

 

 「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

 

 また、慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

 

 明治天皇は、

 

 「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

 「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

 

 と詠ませられている。    

 

 明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

 

 明治維新の基本精神たる「神武創業への回帰」とは、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。

 

これが『五箇条の御誓文』に示された「旧来ノ陋習ヲ破リ 天地ノ公道ニ基クベシ」である。

 

わが国史上最大の変革であった明治維新はまさに国民の心の底に潜む伝統精神を呼び覚ましこれを核として変革を断行した変革であった。明治維新の基本精神は、「尊皇攘夷」即ち肇國以来の天皇を君主氏仰ぐ國體の本姿および日本民族の傳統信仰を回復して國家體制を革新し外國からの侵略を防ぐという精神である。それは復古即ち神代への回帰は現實の革新と一體であるという「復古即革新」の理念である。維新は革命ではないといわれる所以である。

 

明治天皇が慶応四年(一八六八)三月十四日、天神地祇に新しい國家の方針を誓はれた『五箇条の御誓文』には、「我國未曽有ノ変革ヲ為サントシ,朕躬(ちんみずから)ヲ以テ衆ニ先ンジ,天地神明ニ誓ヒ,大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協力努力セヨ」と示されている。

 

さらに、『五箇条の御誓文』の制定にあたって、明治天皇が神祇に捧げられた祭文中には、「今ヨリ天津神ノ御言寄(コトヨサシ)ノ随(ママ)に、天下ノ政ヲ執行(トリオコナ)ハムトシテ…」と示されてゐる。

 

天皇國日本の原初即ち神武創業に回帰することが明治維新の基本精神であった。明治維新は、神武創業への回帰、道統の継承、「祭政一致」の回復が第一義であった。そしてこうした伝統回帰の精神を基盤として、外国の文化・文明を大胆に取り入れた変革が行われた。

 

葦津珍彦氏は、「明治維新は日本の近代的統一国家を生み出した精神を、近代的ナショナリズムをよぶとすれば、その精神の基礎となったのは、日本民族の天皇意識(國體意識)であった」と論じている。

 

明治維新が力強く生き生きとして創造性に富む変革となった原因は「諸事神武創業ノ始ニ原カム」とする御精神と「我國未曽有ノ変革」といふ御自覚である。しかもこの二つの精神は、明治天皇の大御心として全國民に示された。復古の精神を基本に置きつつ自由大胆なる変革が断行できた。

 

神武建国の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではなかった。日本の伝統への回帰を目指したのである。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になった。「維新とは復古即革新である」とはそういう意味である。

 

日本が、大胆に外来文化・文明を受容しながらも、傳統文化を喪失することなく日本の独自性を護ることが出来た強靭性を持っていたのは、天皇・皇室のご存在があったからである。近代化・文明開化においても、天皇・皇室が、積極的に外来文化・文明の受容を推進するご意志を示された。

 

明治天皇は明治維新の基本理念が示された『五箇条の御誓文』(明治元年三月十四日)において、

「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」

智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」

と示された。

 

さらに、御製において

「よきをとりあしきをすてゝ外國におとらぬ國となすよしもがな」

「世の中の人におくれをとりぬべしすゝまむときに進まざりせば」

と詠まれた。

 

明治天皇は「皇基ヲ振起スヘシ」「あしきをすてて」と示されている。日本近代化にあたって、大いに欧米をはじめとして外國文化・文明を取り入れ學ぶとしても、それは無原則に取り入れるのでない。あくまでも、わが國の傳統に合致せずわが國の國柄を破壊する要素のある悪しき事はこれを排除するのである。

つまり、日本文化の独自性・傳統を維持しつつ外来文化文明を包摂して来たのである。「和魂漢才」「和魂洋才」はわが國の古代からの文化道統である。

 

日本傳統精神に回帰しつつ、徹底した大変革を行ったのが、明治維新の基本精神であった。まさに「復古即革新」「保守即変革」である。未曽有の危機にある現代においてこそ、この理念が継承されるべきである。

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千駄木庵日乗四月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化滋養法』の原稿執筆・脱稿・送付。書状執筆。土曜日に行われる゛憲法懇話会』における報告の準備など。

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2018年4月12日 (木)

今日思ったこと

前代未聞の事件ではあるが、実名報道が出来ない十九歳の未成年に拳銃を持たせることがおかしいのではないか。

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 日本人の伝統的な<ものの考え方>について

 日本人の伝統的な<ものの考え方><生活態度>の基本的特質は如何なるものであろうか。それは西洋人をはじめとした外国人と比較してみるとよく分かる。西洋人や支那人は、表現の仕方では、言いたいことはすべて言い尽くし、自己の能力についても、持てるものを全て並べ立てて見せるのが一般的である。

 

 日本には、「以心伝心」という言葉があり、「言わず語らず心と心」という歌謡曲の歌詞もある通り、日本人は、ちょっとした言葉の端・さりげない態度物腰から、その人の言いたいこと・思っていることそして人柄や教養までも判断する。

 

 日本人は理屈でいくら説得されても、「駄目なものは駄目」「嫌なものは嫌」という態度を取ることが多い。「腑に落ちない」という言葉があるようにどんなにうまい理屈を並べられてもそれだけでは絶対に納得しないところがある。つまり頭で理解できても五臓六腑では納得できないのである。この場合の五臓六腑とは、<情念><感性>と言い換えても良いかもしれない。

 

 家族共同体的な結合・仲間関係があるからこのような日本人の特有の生活態度が成立するのである。そしてその仲間関係の基盤は古代から今日まで伝承されてきた農耕生活より発しているのである。

 

 弥生文化と呼ばれるところの古代日本の農耕文化は、稲作生活によって成立している。ということは種まき・田植え・収穫という毎年同じことが繰り返される生活である。そして日本の気候は四季の変化が規則正しい。毎年同じことを同じ場所ですればいい文化である。弥生文化の特質が家族共同体的な結合・仲間関係を生んだのである。そして家族共同体的な社会は、何でも規則や法律で規制しなければ秩序や共同体が維持できないというような水臭い社会でないのである。稲作生活の祭り主である天皇を中心とした信仰共同体社会がそこに成立したのである。

 

 稲作を基盤とし規則正しい四季の繰り返しの中に生活してきた日本民族は、人間関係のみならず文化も宗教も政治も経済活動も、自然の摂理に準じることを基本として来た。自然との調和が日本民族の生活原理であった。自然に逆らったり自然を作り替えることは、むしろ共同体の安定と繁栄を害することが多かった。

 

 これは狩猟文化とは決定的な違いがある。狩猟文化は何が起きるかわからないという偶然性が稲作文化より圧倒的に強い。また一定の場所にずっと定住するということもない。だから何でもかんでもいちいち規則や法律によって規制しなければ秩序を維持できない。西洋には契約国家思想が生まれたのもこれが原因である。

 

 なお、東京文京区には今は暗渠になってゐるが逢初川という小さな川流れている。古代、その川のそばに人が住み、水田が作られた。故に小生が生まれ育ち現在も住んでいる千駄木やその近くの動坂そして弥生町に貝塚が発見された。ゆえに古代日本稲作文化は弥生文化ともいわれている。明治一六年文京区弥生の貝塚で発見された古代稲作農耕文化時代の土器を弥生式土器と呼んだことによる。そしてその時代を弥生時代と言うようになった。私の住む千駄木周辺つまり弥生町・千駄木・動坂は、日本民族の中核精神となっている稲作文化と深い関わりのあるところなのである。

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千駄木庵日乗四月十一日

午前は、諸事。

午後は、今夜行う「萬葉集」講義の準備、原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が山部赤人などの歌を講義、質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2018年4月11日 (水)

今日思ったこと

欧米列強からの独立・解放が日本の努力とアジア諸民族の奮闘によって實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されてつつある。『大東亜共同宣言』に謳はれた理想は今こそ完全に實現されなければならない。

 

問題は、日本國民の多くがいまだに敗戦後遺症から脱却できないがゆゑに亡國の危機にさらされてゐることである。これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

 

大東亜戦争を侵略戦争として断罪し、他國に謝罪することによって國際協力を果たさうとするのか、あるいは大東亜戦争の果たした役割と意味に誇りを持ち、歴史の継承から世界に貢献しやうとするかは、同じ世界への寄與でも全く違ってくる。

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2018年4月10日 (火)

西郷隆盛と大久保利通について

 鹿児島市内の加治屋町は、西郷隆盛・大久保利通など、明治維新そして明治日本において活躍した数多くの人々が生まれた町である。甲突川という川のほとりに西郷隆盛誕生の地がある。今は、公園になっていて『西郷隆盛誕生之地』と刻まれた石碑が建っている。

 

 西郷隆盛は文政十年(一八二七)十二月七日、武士階級の家が立ち並んでいた下加治屋町で城下士の下から二番目の地位である小姓組の家に生まれた。西郷は下加治屋町で『郷中教育』を受けた。

 

 「郷中」とは城下の道路で囲まれた一区角に住む数十戸の武士の子供たちの學区のこと。その中で行われていた組織的な教育(儒學・武道・歴史など)を『郷中教育』という。肉体的にも精神的にも徹底的な鍛練教育であったという。

 

 各郷の學舎にはそれぞれ名前がつけられ、西郷と大久保は加治屋町の「二松學舎」という名の學舎に學んだ。小生の母校は東京九段にある二松學舎である。これは明治初年に、大審院判事・三島毅(元岡山藩藩儒)によって創立された漢學塾である。同じ名称なので親近感を覚える。

 

 各學舎では薩摩藩中興の祖といわれる島津忠義(日新公)の作った「いろは歌」(座右の銘をいろは順に詠み込んだもの)が教えられた。それは「い いにしへの道を聞きても唱へてもわが行ひにせずばかひなし」「ろ 楼の上もはにふ(注みすぼらしい)の小屋も住む人の心にこそはたかさ賤しさ」などという歌である。

 

 この郷中制度出身者には、西郷・大久保のほかに樺山資紀・大山綱良・黒田清輝・有馬新七・重野安繹・吉井友実・大山巌・牧野伸顕・東郷平八郎などがいる。

 

 大久保利通は天保元年(一八三〇)八月十日、鹿児島城下高麗町で、西郷と同じく小姓組の家に生まれた。そして加治屋町に移転した。大久保もまた『郷中教育』の中で育った。大久保利通が「甲東」と号したのは甲突川という川のの東側で育ったからである。

 

 加治屋町からは桜島が眺められる。平野國臣が「わが胸のもゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」と詠んだように、西郷隆盛や大久保利通など鹿児島に生まれ育った人々は、この活火山を眺めては壮大な気宇を養ったのであろう。

 

 歴史を動かした西郷と大久保は文字通り「竹馬の友」である。そして相協力して命懸けで明治維新の戦いに挺身した。しかし、維新断行後は仇敵同士となり、相戦い、西郷は城山に露と消える。一方、大久保は明治政府の最高権力者として近代日本建設に邁進したが、西郷死後一年も経たないうちに、石川県氏族島田一郎等によって斬殺される。この二人の関係は、盟友関係が敵対関係になるという変革の歴史の厳しい一面を物語っている。

 

西郷も大久保も日本の自主独立と発展と繁栄自由の礎を築いた人であったことは間違いない。

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千駄木庵日乗四月十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、明日行う『萬葉集』講義の準備など。

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萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

 

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 四月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

 

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

 

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「第八十三回 日本の心を学ぶ会」のお知らせ

 

昭和天皇御製に学ぶ。

 

今回の勉強会は4月29日の「昭和の日」に開催します。「昭和の日」は昭和の御代の「天皇誕生日」だった4月29日が、「みどりの日」を経て「国民の祝日法」の改正を受け、平成19年に「昭和の日」とされたもので、「激動の日々をへて、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致す」ことを祝日の意義とされております。

昭和とはまさに波乱と激動の時代でした、大東亜戰爭とその敗北、国土の徹底的破壊、戦後復興、高度経済成長、という日本の歴史上かつてない激動の時代でありました。

なかでもGHQによる軍事力を背景とした占領政策は苛烈を極め、その悪影響は現在も払拭できていないどころか、ますますひどくなっております。憲法・歴史認識・国防・教育など現在の我々を取り巻く重大問題は、戦勝国による日本弱体化政策に起因しています。

このような意味で昭和史を正しく学び認識することは今日の国家基本問題の正しき解決に直結すると言えましょう。

そこで今回の勉強会では、昭和天皇の御製を拝し奉り、昭和の御代の歴史を学びたいと思います。

「御製」とは天皇陛下がお詠みになった和歌のことを申し上げます。昭和天皇はその御生涯の中でおおよそ一万首の御製をお詠みになったと承ります。

明治天皇は、『歌』と題されて、

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

とお詠みになられました。

昭和天皇の「勅語」や「記者会見などでの御発言」と共に、「大御歌」を拝し奉り、聖帝と仰がれる昭和天皇の大御心を学ばせて頂きたいと存じます。

多くの方々のご来会を心よりお待ち申し上げます。

 

【日時】平成三十年四月二十九日 午後六時から

 

【場 所】文京シビックセンター 3階会議室A

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

住所:東京都文京区春日11621◎東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a5番出口)

南北線(5番出口)徒歩1分◎都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセン

ター連絡口)徒歩1分◎JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

 

【講 演】昭和天皇御製に学ぶ―昭和史の真実―

 

【講師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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2018年4月 9日 (月)

この頃詠みし歌

兄と叔父を殺せし男宗主国に行きて愛想を振りまきてゐる

 

我が髪を整へてくれる理髪師が我と同年であれば親しも

 

新芽吹く銀杏の巨木を仰ぎつつ我の命も燃え立たんとす

 

白き花瓶に白き薔薇あり春の朝

 

独善と自尊の心とは違ふぞと繰り返し自らに言ひ聞かせゐる

 

後水尾帝の力強き宸翰を拝しつつ朝廷圧迫の幕府を厭ふ(『寛永の雅 江戸の宮廷文化戸遠州・仁清・探幽』展参観)

 

忍の一字は強き御意志の発露なり 後水尾帝の宸翰謹しみて拝す()

 

ベートーベンの曲に励まされ掃除する春の朝(あした)の爽やかさかな

 

次第々々に新緑の葉が大きくなる銀杏の街路樹の命尊し

 

うら若き乙女が運び来たりけるうどんを食せば心楽しき

 

四月といふ明るき季節に今日もまた街を歩けば心楽しき

 

もっと父と語らひの時を持てば良かりしと思へど詮無し逝きたまひければ

 

咲き満ちし桜の花も散り果ててまた来年も咲き盛るを待つ

 

この国の季節の移りの美しさ春は桜木秋は紅葉

 

明るくも楽しく生きたまひしわが母を思ひ出すなり思ひ出すなり

 

懐かしき母の面影今日もまた浮かび来たりて悲しみの増す

 

新緑がややに増え来し春四月我も新たなる命を生きむ

 

明日もまた仕事に精出し過ごさむと思ひて寝床に入り行くなり

 

散り果てし桜の樹には若葉萌え命を誇るごとくに光る

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千駄木庵日乗四月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、書状執筆など。

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日本文藝の起源

 

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

高崎正秀氏は、「歌は空(ウツ)・現(ウツツ)・うつろ・うつけなどと同義で、神憑りの夢幻的な半狂乱の恍惚状態を指すことから出た語であり、同時にまた、裏・占・心(ウラ)訴(ウタ)ふなどとも同系語で、心の中の欲求を神に愁訴するものであった。」(『伊勢物語の意義』)と論じてをられる。

 

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって分かるといふ。

 

ことばを大切にし、ことばに不可思議にして靈的な力があると信じたがゆゑに「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが祝詞となったのである。祝詞も声調・調べが整ってゐる。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、特定の言葉を唱へることが基本的行事である。すべて言葉を唱へる行事である。祈りとは、経典や聖書、祈りの言葉そして題目や念仏も同じである。

 

歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。和歌は神聖な文藝であると考へられていた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源なのである。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

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千駄木庵日乗四月八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆など。

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2018年4月 8日 (日)

維新と和歌

 

 

 文藝特に和歌は、常に現状を変革しより良き状態を憧憬するものである。維新の志から生まれるのが和歌である。和歌を詠む者に維新変革への志があってこそ価値が和歌としての価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。

 

 現状に満足し変化を望まないといふ意味での平穏な暮らしの中からは和歌は生まれない。

 

 命が枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。

 

 維新変革には悲劇と挫折を伴ふ。而して詩歌とは悲願と悲劇と挫折とを謳ひあげることによってその精神的・美的価値を高からしめる。

 

 維新とは懸命なる戦いひであるが、単なる破壊でも暴力でもない。「あはれ」で悲しいものであるが、半面、美しいものである。また歓喜に溢れたものでもある。

 

 わが國の文學史とりわけ和歌の歴史に於いて、最も偉大なる時代は、國家の変革期である。変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる。日本最高最大の歌集『萬葉集』は大化改新・壬申の乱・奈良遷都・唐新羅連合軍侵攻の危機という大変革・大建設・大危機を背景として生まれた。

 

 国風文化再興の時代に生れたのが『古今和歌集』である。また在原業平に象徴される平安朝の和歌は、藤原氏の専横への抵抗から生まれて来たと言へる。後鳥羽院の覇者・北條氏の武家政治に対する戦いの時代には『新古今和歌集』が生まれた。

 

 幕末維新の時代には、尊皇攘夷を目指した志士たちの詩歌は永遠不滅の光彩を放ってゐる。さらに東洋の解放を目指した大いなる戦ひであった大東亜戦争に殉じた将兵たちの辞世の歌は、萬人をして慟哭せしめる不滅の価値を持つ。このやうに國家変革即ち維新と和歌は不可分である。

 

 それらの歌は、なべて日本國の精神を包み込んで表白し、それぞれの時代性と変革の状況において個性を以て表現されてゐるのである。

 

 とりわけ『萬葉集』は、日本の伝統精神の文學的結晶である。萬葉の時代は、外には朝鮮半島の問題があり、内には蘇我氏の専横があり、文字通り内憂外患の時代であった。その國難を打開し、天皇中心の新國家体制の確立をはかったのが、大化改新である。

 

かうした時代において、柿本人麿は天皇の神聖性と日本國体の素晴らしさを美事に歌ひあげたし、大伴家持は漢心(からごころ)の蔓延への抵抗として『萬葉集』を編纂した。この時代の旭日昇天の清新なる日本民族の精神は『萬葉集』に結晶されてゐる。

 

そして「萬葉集の精神」は明治維新といふ大変革に大きな影響を及ぼした。明治維新も西欧列強の日本侵略の危機と徳川幕府の皇室軽視・封建支配といふ内憂外患を打開するため「尊皇攘夷」を基本理念として断行された大変革である。「尊皇攘夷」は、國家的危機に際会して燃え上がったところの日本的ナショナリズムを一言で表現した言葉である。

 

 幕末期の日本的ナショナリズムは萬葉の時代・建武中興の時代とりわけその時代の尊皇精神への憧憬の心と結びついてゐた。つまり、「萬葉集の精神」と「楠公精神」の謳歌である。

 

 江戸時代前・中期において『萬葉集』は學問の対象ではあったが、和歌創作の規範とはならなかった。しかし幕末期の國學者たちが『萬葉集』の精神を復興せしめた。その「文藝復興」が明治維新の精神的原動力の一つとなった。

 

 民族の歴史と伝統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現する。これを復古即革新即ち維新といふのである。

 

 そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのである。なぜなら、いにしゑから伝へられた「五・七・五・七・七」といふ形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌は「復古即革新」の文藝だからである。

 

 今日の日本もまた、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況の中にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。

 

現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでいる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

 

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千駄木庵日乗四月七日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

午後五時半より、団子坂坂下にて同志二氏と懇談、打ち合わせ。

帰宅後も、原稿執筆。

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2018年4月 7日 (土)

宮内庁と後藤田正晴・富田朝彦両氏

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任した。これらの人々は、政治家に顎で使はれるなどといふことはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができた。

 

戦前は、天皇及び皇室を輔弼しお守りする体制が整へられてゐたので、政治権力者によって利用されるなどといふことはまづなかった。

 

戦前の宮内省は「大宝律令」以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在であった。

 

戦後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めた。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げである。「現行占領憲法」のもと、宮内庁は内閣総理大臣の管理下の機関となり、総理府の外局にすぎなくなった。(現在は内閣府に置かれている)。

 

戦後体制からの脱却は、憲法・教育・国防のみならず、皇室制度においてこそ実現されなければならない。宮内庁の省への昇格と、機能と権限の強化が望まれる。宮内大臣には、総理経験者以上の人が就任すべきである。また、元老、重臣、内大臣、宮内大臣、宮中顧問官、枢密院、近衛師団なども復活すべきである。皇室の権威を本来の姿にお戻しすることが何よりも大切である。

 

高橋紘一氏はかつて次のやうに論じた。「(注・天皇は宇佐美毅宮内庁長官を)『律儀者』と評したという。しかし彼の頑迷さは皇室を『政治外』に置くことに効があった。宇佐美が退いて一〇年、最近、皇室が政治に巻き込まれる例が目立つ。皇太子訪米が外務大臣と米大統領の会見で出たり、皇太子訪韓を故意にマスコミにリークし、〝自然承認〟させたりする。『在位六〇年式典』の日取りを、中曽根首相の政治日程に合わせるなど、論外である。…政治家の皇室利用に対して宮内庁幹部は厳然たる態度をとらねばならない」。(「人間天皇演出者の系譜」・「法学セミナー増刊・天皇制の現在」昭和六一年五月発行)

 

中曽根内閣当時の内閣官房長官は後藤田正晴氏であり、宮内庁長官は富田朝彦氏であった。富田氏は、宮内庁長官時代、カミソリとはいれた元の上司・後藤田正晴官房長官に対等にものが言へるといふ立場ではなかったであらう。部下同然に対応されたのではないか。

 

その富田氏は、天皇陛下の靖国神社ご親拝の中断の原因を作った人物と言われている。そして何よりも、富田氏の遺族は、「富田メモ」なるものを「日本経済新聞」に売ったのである。、

 

戦後の官僚の最高位に昇りつめた故後藤田正晴氏は、「国務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」といふ意識の持ち主であった。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の「日本経済新聞」で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣といふ名前を変へたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

 

これは、天皇を君主と仰ぐ建国以来のわが国國體を否定し、現行占領憲法体制下においてもわが国は立憲君主制であるといふ自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このやうな発言をするのは許し難い。

 

後藤田正晴氏は、町村金吾氏亡き後、警察官僚のボス的存在であった。宮内庁は、長官・総務課長という中枢が旧内務省系官庁(厚生労働省・警察庁など)からの出向である。宮内庁首脳の人事などへの後藤田氏の影響力は強かった。國體否定とは言はないまでも國體に対する正しい理解を欠いてゐた人物が宮内庁に大きな影響力を持ってゐたのである。かうしたことが、「天皇の祭祀」の軽視、政治家による皇室の政治利用、天皇陛下の靖国神社御親拝の中断などなど、近年の皇室に関はる様々のまことに憂へるべき事象の原因の一つであると考へる。

 

 

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「平成三〇年春の特別展・江戸幕府、最後の闘い―幕末の『文武』改革―」展参観記

本日参観した「平成三〇年春の特別展・江戸幕府、最後の闘い―幕末の『文武』改革―」展は、「平成30年(2018)は明治元年(1868)から満150年を迎える年に当たります。春の特別展では明治前夜、幕末期の江戸幕府に焦点を当て、当館所蔵の江戸幕府公文書である『多門櫓文書(たもんやぐらぶんしょ)』を中心に、幕末期の江戸幕府の『文武』改革について取り上げます。こうした改革が可能になった背景や、維新後に新政府で活躍する幕臣たちのその後も合わせて展示し、明治の近代国家建設の端緒を江戸幕府の側からご紹介いたします」(案内書)との趣旨で開催された。

 

『甲辰阿蘭舟到来・視聴草』(オランダ国王からの開国勧告の記録)、『ペリー提督日本遠征記』、『天保中唐尹闘争風声』(阿片戦争についての報告書)、『勝麟太郎上書五策』(勝海舟の対外政策意見書)、『蕃書調所規則覚書』(海防・外交・海外学術研究機関の規則)、『安政四年水戸前中納言殿軍艦旭御船製造之儀成功ニ付拝領物之抜書』、『歩兵令詞』『兵学程式』(この二つは幕府軍が使用した軍事資料。オランダ・イギリスの文書の翻訳本)、『二條摂政記』(最後の関白二條斎敬の記録。徳川慶喜の「大政奉還」の上表文が記されていた)、『駿河表召連侯家来姓名』(維新後徳川宗家が駿河に移封された時に従って行った家臣の名簿)、中村正直著『西国立志編』などを参観。

 

大変勉強になった。阿部正弘は海外情勢の把握、海外学問・知識の受容、政治体制及び国防の強化などの懸命の努力をしたことが分かった。また人材の育成にも力を尽くした。幕末の幕閣の開国政策の推進者は決して井伊直弼ではなく阿部正弘であったことを再認識した。維新前の幕府のそういう努力の過程で収集された海外情報、育成された人材・官僚が、維新後の日本において大きく役立ち且つ活躍をした。徳川慶喜の「大政奉還の上表文」はよくよく読み返さなければならないと思った。慶喜が何故「朝敵」と指弾され攻撃されたのかを考えねばならない。

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千駄木庵日乗四月六日

午前は、諸事。

 

午後は、北の丸公園の国立公文書館で開催中の「平成三〇年春の特別展・江戸幕府、最後の闘い―幕末の『文武』改革―」展参観。

 

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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2018年4月 6日 (金)

「旧来の陋習」と「伝統」とは全く異なる。

「旧来の陋習」と「伝統」とは全く異なる。

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偏向メディアや亡国野党は反権力を装っているが、彼らこそ横暴なる権力者であり営利至上主義者である。

何時も思っていることだが、要するに新聞雑誌テレビは、商業であり、営利事業なのである。雑誌新聞の売り上げ増加、テレビ視聴率の向上が目的なのである。だから、ある事ない事センセーショナルに報道するのである。しかも私が許せないのは、営利目的なのに、正義の味方面していることである。朝日新聞・テレビ朝日の反自民、反日姿勢も営業政策である。

 

偏向マスコミは、自民党政権を何としても打倒するべくキャンペーンを張っている。立憲民主党左派・社民党・共産党は、反日政党である。歴史と伝統の國日本を破壊することが彼等の最終目的である。

 

こうした状況にあって、わが日本は益々劣化していく。行き着く果ては亡国である。日本が滅びた方かいいと思っている連中が、今や最大の権力となっているメディアを牛耳っている。

 

サヨク政党は、そういうメディアと連携して、権力を握ろうとしているのである。今の自民党と野党連立政権とどちらがマシか、誰が考えても明らかである。偏向メディアや亡国野党は反権力を装っているが、彼らこそ横暴なる権力者である。

 

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今日思ったこと

相撲協会が「伝統」を重んじるのは良いことである。しかし人の命にかかわること、救護のためであっても、女性看護師や女性医師が土俵に上がってはいけないというのなら、大相撲は国技と言われるのに外国人が力士になっていることをどう考えるのであろうか。

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日本伝統信仰・神道には女性は穢れているという信仰はない

日本の皇祖神・御親神として崇められている天照大神は女性神であられます。私もそれなりに日本伝統信仰たる神道について勉強しておりますが、神道には女性は穢れているという信仰はないと思います。外来宗教・外来思想たる仏教や儒教にはそういう考え方はありましたが、日本に同化し日本化した仏教・儒教は女性蔑視の考え方は薄れております。高野山も比叡山も今日では女人禁制ではありません。

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奥山真司国際地政学研究所上級研究員による「地政学から見た海洋安全保障―北朝鮮問題を事例として」と題する講演内容

昨年十二月十二日に開催された笹川平和財団海洋政策研究所主催『第一四七回海洋フォーラム』における奥山真司国際地政学研究所上級研究員による「地政学から見た海洋安全保障北朝鮮問題を事例として」と題する講演内容は次の通り。

「日本ではじめて地政学を扱ったのは倉前盛通氏。『悪の論理』は十万部売れた。エキセントリックな陰謀論。その後、冷戦が終わり、地政学という言葉は使われなくなる。二〇〇二年に、第13代連邦準備制度理事会(FRB)議長アラン・グリーンスパンが『地政学リスク』という言葉を多用するようになった。現在は、金融系の言葉として出てきている。地理+政治学=地政学。GeographyとはGeographyで、『地球を描く』ということ。誰が地球を描くのか。地図はロンドン中心。彼らの世界がこの地図に表れている。そして戦略が描かれている。隣国は潜在的に敵。その向うの國は、敵の敵は味方。人類はコミュニティを持った瞬間から地政学的思想を持たねばならない。

一八七一年までドイツという国はなかった。ドイツ民族はヨーロッパに散らばっていた。アメリカの西方拡大は『明白な天命』として西方に物凄く拡大し、ヨーロッパ以上の領土を獲得して世界第二位の大帝国が出現。大陸横断鉄道を作った。トランプ自身のルーツがドイツ。フリードリッヒ・リスト(注・19世紀のドイツ人経済学者)がアメリカの発展を見て驚いた。『俺たちも東に向かってアメリカと同じことが出来る』と考えた。一八七一年にドイツ帝国誕生。『蛮人であるドイツ人がヴェルサイユ宮殿で勝手に「皇帝」を名乗った』とフランスが怒り、普仏戦争が起こって、ドイツが勝った。ドイツは地理学・交通学がしっかりしていた。ヒトラーの東方拡大は、アメリカの影響。地政学がそのもととなった。

 

国際システムの中心は海上交通に依存している。富を動かしているのは海洋。北極海が軍事的に重要になって来る。日本としてはユーラシア大陸にそれほど関与せずにやって行くのが理想。十九世紀のイギリスが手本。日本としては余剰の兵力を対中国に充てる。人類の歴史は海と陸との戦いの歴史。シーパワーが優位。外交が軍事に勝る。トランプ政権は不安定。何をするか分からない。アメリカの生存が脅かされる時に軍事介入する。『偉大なアメリカ』を実現するために軍事介入する。アメリカの生存に関係ないと介入しない」。

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千駄木庵日乗四月五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆の準備(資料検索)、原稿執筆など。

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2018年4月 5日 (木)

辻元清美・小池晃こそレッドカードだ

『陸自日報問題』で、辻元清美は「安倍政権はレッドカードだ」、小池晃は「政権による統治の正統性が揺らぐような大問題」などと言ったが、北朝鮮と友党関係にあり、ロシア共産党の同根の革命政党・國體破壊勢力の「申し子」である辻元及び小池こそ、国会のみならず日本から「レッドカード」であるし、「正統性」などは全くない。辻元・小池は日本民族の敵である。日本から出て行け!。赤尾敏先生がよく「赤の手先はソ連へ行け、馬鹿野郎」と左翼デモに対して叫んでおられたのを思い出す。

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2018年4月 4日 (水)

昭和十六年十二月八日の一億の感激は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできない

昭和十六年十二月八日の一億の感激は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできない。

 

『米国及び英国に対する宣戦の詔書』渙発が、いかに国民に感激を与へたかを示す文章及び歌を記させていただく。

 

保田與重郎氏「対米宣戦の大詔を拝し、皇國の向ふところ、必ず神威発するあるを確信した。…神命は常に國際謀略を霧消せしめ、万民草莽の苦衷は必ず大御心のしらしめすところ、まことに神州たる所以、神州不滅の原理を感銘し、感動し、遂に慟哭したのである」(『日記』)

 

河上徹太郎氏「遂に光栄ある秋が来た。…これまでの政府の抜かりないほうさくと手順、殊に開戦劈頭聞かされる輝かしき戦果。すべて国民一同にとって胸のすくのを思はしめるもの許りである。いまや一億国民の生まれ更る日である。…私は今本当に心からカラットした気持ちでゐられるのが嬉しくて仕様がないのだ。…混沌暗澹たる平和は、戦争の純一さに比べて、何と濁った、不快なものであるか!」(『光栄ある日』)

 

青野季吉氏「米英に宣戦が布告された。当然の帰結といふ外はない。戦勝のニュースに胸の轟くのを覚へる。何といふ巨きな構想、構図であらう。」(『経堂襍記』)

 

折口信夫氏「宣戦のみことのりの降ったをりの感激、せめてまう十年若くて、うけたまはらなかったことの、くちをしいほど、心をどりを覺えた。けれども、その日直に、十首近く口にのって作物が出來、その後も、日を隔てゝ幾首づゝ、何だか撞きあげるものゝやうに、出來たのである。」(『「天地に宣る」追ひ書き』)

 

そして折口信夫氏は次ぎのやうな歌を詠んだのである。

暁の霜にひゝきて 大みこゑ 聞えしことを 世語りにせむ

天地に響きとほりて 甚大(おぎろ)なる 神の御言(みこと)を くだし給へり

 

尾上柴舟

大勅捧げまつればおのづから心のふるへ手に及ぶかも

 

佐々木信綱

あなさやけ今日のさやけさ国つ敵(あだ)うてとし宣(の)らす大詔(おほみこと)くだる

 

土岐善麿

撃てと宣す大詔遂に下れり撃ちてしやまむ海に陸に空に

 

中村武彦氏は、戦争直後獄中で「今こそ撃てと詔(みことのり)/承けて起ちたる暁の/あの一億の感激を/敗けたからとて忘られよか/そうだ敗けても国護る/大和魂われにあり」と歌った。

 

まさに昭和十六年十二月八日の一億の感激は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできないと思ふ。況や「間違っていた」などと言ふのはあまりにも僭越である。靖國の英霊も、そして銃後でアメリカ軍の爆撃などによって斃れた無辜の國民も、ソ連に抑留され彼の地で非業の最期を遂げた多くの同胞も、さらに大東亜戦争に協力して戦い戦死された多くの東亜同胞も、犬死だったといふことになる。

 

このような歴史観では日本民族の誇り・自尊心を取り戻すことは出来ない。そればかりではなく、上御一人の『開戦の詔書』『終戦の詔書』を否定することとなる。

 

大東亜戦争を侵略戦争として断罪し、他国に謝罪することによって国際協力を果たそうとするのか、あるいは大東亜戦争の果たした役割と意味に誇りを持ち、歴史の継承から世界に貢献しようとするかは、同じ世界への寄与でも全く違ってくる。

 

大東亜戦争の開戦は、その目的においても實際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。わが國は米英が百年来、東亜諸國諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦ひをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

 

欧米列強からの独立・解放が日本によって實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されている。『大東亜共同宣言』に謳われた理想はまさに実現しつつあるのである。

 

 

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千駄木庵日乗四月四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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『大東亜共同宣言』に示された日本の戦争理念

大東亜戦争開戦当初、日本軍が連合国軍を打ち破り破竹の進撃を続け欧米列強を駆逐したことは、長い間,欧米の植民地支配に喘いでいたアジア・アフリカの人々を勇気づけた。日本軍の捕虜となったイギリス軍インド人兵士の中からインド国民軍が結成された。そしてインド独立を達成すべく、日本軍と協力して「進めデリーへ」の合言葉のもとインドに向けて進撃した。インドネシアやビルマでも,日本の指導・援助で独立を目指す軍隊組織がつくられた。


 日本の指導者の中には,戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いておく方が良いといふ考へも強かった。しかしこれらの地域の人々が日本に寄せる期待にこたへるため,日本は昭和十八年,ビルマ,フィリピンを独立させ,また,自由インド仮政府を承認した。


 日本はアジア諸国家に大東亜戦争への協力を求め,あはせてその結束を示すため、昭和十八年十一月六日、アジア諸国代表(日本・中華民国・満州国・タイ・フィリピン・ビルマの六カ国および自由インド仮政府)を東京に集めて「大東亜会議」を開催した。

 

会議では,各国の自主独立,各国の提携による経済発展,人種差別撤廃をうたう『大東亜共同宣言』が発せられ、日本の戦争理念が明らかにされた。署名した各国代表は、大日本帝国の東條英機総理、満州国の張景恵総理、中華民国南京政府の汪精衛行政院長、タイ国のワンワイタヤコーン殿下、フィリッピンのホセ・ぺ・ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ首相、そしてチャンドラ・ボース自由インド仮政府首班であった。この宣言は,連合国の『大西洋憲章』に対抗することを目指してゐた。

 

『大東亜共同宣言』には、各国が相提携して戦争を完遂し,大東亜をアメリカ・イギリスから解放して道義にもとづく共存共栄の秩序を建設し,大東亜の安定をはかるといふ理念がうたはれてゐた。

 

「            大東亞共同宣言

 
 

昭和十八年十一月六日「大東亜会議」にて採択

 

 

 

抑々世界各國ガ各其ノ所ヲ得相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ

然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス

一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス        」

 

終戦後しばらくして東南アジアの国々の殆どが独立を達成した。戦前より独立に向けた動きがあったが、その中で日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早めるきっかけとなった。

 

日本が敗戦によって撤退したのち,インドネシアには,オランダが植民地支配を再開しやうとして復帰してきた。これに対し,戦時中,日本によって訓練されたインドネシアの軍隊が中心となって独立戦争を開始し,1949年独立を達成した。
 

インドでは,日本軍と協力したインド国民軍の兵士をイギリスが裁判にかけたことに対して,はげしい民衆の抗議運動などもおきた。こうして,長く続いていた独立への気運がさらに高まり,インドは一九四七年,イギリスから独立した。そのほかにも,ビルマは戦後,植民地支配を再開したイギリスから改めて一九四八年に独立を勝ち取った。

かうした事実は、大東亜戦争においてわが国が戦争目的としたことが実現したことに外ならない。勝った國である米英ソよりも、日本の方が倫理的に高かったといふことである。
 深田佑介氏は、「極東国際軍事裁判による歴史観を見直すべき時期が到来している…この裁判においては、『民主主義対ファシズム』という対立図式を硬直的、教条的に適用し、戦時における日本の行動は全てファシズムによる悪と断罪した。この裁判に基く歴史観に戦後日本が支配されてきたのは、まことに不幸であった…大東亜会議は『アジアの傀儡を集めた茶番劇』では決してなかったのである。戦後、バー・モウは『歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、或いは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから日本ほど誤解を受けている国はない』(『ビルマの夜明け』)で述べる。この誤解している諸国民の中に『日本国民』自身も含まれているところに、戦後日本の悲劇がある」(『黎明の世紀』)と論じてゐる。

 

終戦時の関東軍作戦参謀・草地貞吾氏は、「十二月八日、いよいよ、大東亜戦争の発動となり、…赫々たる緒戦の戦果が、眠れる東亜諸人種・諸民族に与えた感作・影響は甚大なるものがあった。…大きな一撃が西欧の實力を破砕すると共に東亜全域の民心を覚醒した。…大東亜三十余國の独立は、この時成ったというも過言ではない。」「戦後半世紀の間に、新しく百二十を超える独立國が出現した。しかもその多くは大戦終わって間もなくの頃である。…壮大雄渾なる大東亜戦争の発動と、それに誘発奮起したアジア・アフリカ人種・民族の自決闘争総合の結果と言える。」「これほどすばらしい、これほど美しい歴史的行為・行動は、三千年の日本歴史上に無い。また、五千年の世界史上にも無い。實に大東亜戦争は、神武天皇以来、八紘一宇の皇謨による不可避の天命的大戦争であった。われらは今こそ、護國の礎となった靖國の英霊に無限の感謝を捧げると共に、挙國一致敢闘努力した、大東亜戦争の栄光を末長く伝えなければならない。」(『大東亜戦争大観論』)と論じてゐる。

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千駄木庵日乗四月三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿校正、資料整理、原稿執筆。

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2018年4月 3日 (火)

野党議員による人権蹂躙を許すな!

国会で行われる野党議員による防衛相・財務省などへのヒアリングなるものは、「国権の最高機関」という権力を笠に来た公開裁判・人民裁判・吊るし上げであり江戸時代の市中引き回しである。まさに権力の横暴、人権蹂躙である。しかも国会の正式機関ではないのだから野党議員にそんなことをする権限はないのである。

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『寛永の雅 江戸の宮廷文化戸遠州・仁清・探幽』展参観記

本日参観した『寛永の雅 江戸の宮廷文化戸遠州・仁清・探幽』展は、「17世紀初め、江戸幕府が政権を確立すると戦乱の世は終わりを告げ、泰平の時代がおとずれました。時を同じくして文化面でも新たな潮流が生まれます。それが寛永年間(1624~44)を中心に開花した「寛永文化」です。寛永文化は「きれい」という言葉に象徴される瀟洒な造形を特徴とし、当時の古典復興の気運と相まって、江戸の世に「雅」な世界を出現させることとなりました。

寛永文化の中心は京都にあり、なかでも学問・諸芸に造詣の深かった後水尾院(ごみずのおいん)は、長く絶えていた儀礼や古典文芸の復興に心を尽くしたことで知られています。特に和歌は朝廷を象徴する芸能に位置づけられ、その洗練された優美さを追求する姿勢は、和歌のみならず、多くの美術作品にまで影響を及ぼすこととなりました。

一方、幕府はそうした公家衆の動向に注目し、時には意見を異としながらも、公武間の文化的な交流は盛んに行われました。京都のサロンを主な舞台としたその交流は、さまざまな階層の人々を巻き込み、公家、武家、町衆といった垣根を越えて、新しい時代にふさわしい美意識を醸成し、共有されていったのです。

本展ではこのような近世初期の「雅」を担った宮廷文化と、それと軌を一にして生まれた新時代の美意識が、小堀遠州(こぼりえんしゅう)、野々村仁清(ののむらにんせい)、狩野探幽(かのうたんゆう)などの芸術に結実していく様子をご覧いただきます」(案内書)との趣旨で開催された。

 

「白釉円孔透鉢」 野々村仁清、「東福門院入内図屛風」 六曲一双、「冠形大耳付水指」修学院焼、「桐鳳凰図屛風」六曲一双 狩野探幽、「源氏物語絵巻」住吉具慶 五巻のうち第三巻(部分)「色絵紅葉賀図茶碗」 野々村仁清、黒釉色絵金銀菱紋茶碗 野々村仁清、「後水尾天皇宸翰『忍』」、「後水尾天皇宸翰『一貫』」、「御切形茶碗」 修学院焼、「瀟湘八景のうち『山市晴嵐』『煙寺晩鐘』『瀟湘夜雨』『江天暮雪』」などを参観。

 

寛永文化は豪華絢爛たる安土桃山文化と元禄文化との間の文化であり、寛永文化という言葉自体、小生は知らなかった。徳川幕府成立後、世情が安定した時期の文化である。小堀遠州、狩野探幽、金森宋和の三人が活躍した。しかし、寛永文化の中心はやはり朝廷・皇室である。特に後水尾天皇は指導的御役割を果たされた。後水尾天皇は、徳川家康、德川秀忠の横暴と圧迫に苦慮されながらも、一天万乗の大君として君臨あそばされ、修学院離宮の造営、学者文人芸術家へのご援助など文化面で大きなお力を示された。

 

本日拝観した「後水尾天皇宸翰『忍』」は、聖護院門跡に伝わるものである。この宸翰は京都岩倉実相院門跡にも伝えられていて、小生も拝観したことがある。この「忍」という御文字には、德川幕府の横暴と不敬行為に対する、後水尾天皇の深い思いが表白されてゐると拝する。実に力強い筆致である。徳川幕府は、天皇・朝廷を力で圧迫しながらもその権威を利用した。

 

会場に入ってすぐの所に「白釉円孔透鉢 野々村仁清」が展示されていたのであるが、とても四百年前の作品とは思えなかった。現代の作品と見紛うばかりと新鮮さであった。小生は、茶道具の良さ、香合、茶入れ、茶碗、茶杓、水差しなどの芸術的価値がよく分からないのである。しかし本日参観した「御切形茶碗」「冠形大耳付水差」など「修学院焼」と言われる作品は美しかった。また野々村仁清の茶碗も光輝いて見えた。

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千駄木庵日乗四月一日

午前は、諸事。

 

午後は、六本木のサントリー美術館で開催中の『寛永の雅 江戸の宮廷文化戸遠州・仁清・探幽』展参観。

 

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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2018年4月 2日 (月)

昭和天皇の御聖徳

 

 

立憲君主体制下にあった戦前の日本において、法治主義を厳守することが天皇の御意志であった。昭和天皇は木戸幸一内大臣に「自分は…余りに立憲的に処置し来たりし為に、如斯事態となりたりとも云ふべく、戦争の途中に於て、いま少し陛下はすすんでご命令ありたしとの希望を聞かざるには非ざりしも、努めて立憲的に運用したる積もりなり…」(児島襄氏著『天皇』第五巻)と仰せになった。

 

「大日本帝国憲法」の政体規定における「天皇」は、「統治権の総攬者」ではあらせられたが、「天皇を輔弼し其の責に任ず」る国務大臣の決定に干渉できないお立場であられた。「総攬」とは、「一手ににぎり収めること。統合し掌握すること。

 

天皇は、責任ある輔弼者の決定に異議を唱えこれを否定されることは憲法違反となった。天皇は国務事項即ち政治権力を行使せられるにあたっては、国務各大臣の輔弼を受けられなければならなかった。(『帝国憲法』第55条『国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス。2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス』)

 

天皇は、輔弼機関の決定を不可とされることはできなかった。また、国政の一切の責任は国務大臣にあって、天皇は責任を問われることはなかった。

 

 

東條英機氏はかねて「『敵の法廷に立つ如きは日本人として採らざる処』と、戦争犯罪人として裁かれるよりは自決を決意していた。『元来、戦争責任者はあっても戦争犯罪者はいない。而して、それは(天皇)陛下ではない。…東條一人というならば、これは世界的にも明らかで良し……自分は皇徳を傷つけぬ。日本の重臣を敵に売らぬ。国威を損しない。ゆえに敵の裁判はうけない』。東條大将は、陸軍副官美山要蔵大佐にそう述懐していた。自分が引責して自決する、という意向である。『「生きて虜囚の辱を受けず」との「戦陣訓」を制定したのは自分である、ゆえに召還を受ければ自決する』と反駁した」。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

「東久邇宮内閣は東條大将自決未遂を知ると、九月十二日朝、閣議を開き、戦争犯罪人を日本側で裁くことを決めた。…東久邇宮首相が参内してこの『自主裁判』決定を上奏すると、…『敵側の所謂戦争犯罪人、ことに所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地なきや』と仰せになった。(児島襄氏著『天皇』第五巻)

 

大東亜戦争が侵略ではなかったのであるから、戦争犯罪などが問われる理由はない。それが根本である。

また、戦争責任と戦争犯罪とは異なる。戦争責任は決して処罰の対象ではない。昭和天皇は、道義的責任は強く自覚しておられた。毎年の戦没者慰霊式への御臨席、靖国神社などでの御製を拝すれば明白なり。とりわけ、最後の御臨席のあのお姿を拝すればあまりにも明白である。

 

戦争直後においても、国民大多数の昭和天皇及び御皇室への尊崇の心は全く変化はなかった。

 

 昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦ふ道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救ひたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下された。あのまま戦争を続けてゐたなら、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたであらう。それを救はれたのが昭和天皇なのである。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならない。

 

その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のやうに歌はれてゐる。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

国がらをただまもらんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、といふまさに神のごとき無私・捨身無我のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのである。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の現御神としての御本質を仰ぐ事ができる。マッカーサーとのご会見において、この捨身無我の神のごとき大御心が発現したのである。

 

 さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌はれてゐることである。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいといふ、普通一般の国家ではない。日本独自の国柄即ち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體が正しく継承されてゐなければ日本国とは言へない。国柄を守ること無くして真の日本国の存続はあり得ないのである。

 

夜久正雄氏は、「天皇様は『国がら』を守りぬかれたのである。この天皇様のお心にしたがふことが、国民の側からの『国柄』である。天皇さまが国民のうへを思ひくださるお心をあふいで感奮する、その心の中に、日本の国の国がらがあるのである」(『歌人・今上天皇』)と論じてゐる。

 

日本のやうに三千年の伝統を有する国は、その長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體というものが破壊されてしまったら日本は日本でなくなるのである。

 

 昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌ひになったのは、このかけがへのない日本国の國體が護持するために、たとへどのような苦難があらうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝する。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌はれていることで明白である。昭和天皇は、ご自分が「戦犯」として処罰されても、天皇を君主と仰ぐ国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのである。

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千駄木庵日乗四月一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆、脱稿、送付。原稿校正など。

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2018年4月 1日 (日)

「天つ日継ぎの高御座」「皇位継承」について

 

 

 天皇の国家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈伏せしめ支配するというものではない。国家と国民の統一と調和が天皇の宗教的権威によって保たれるということである。

 

 天皇の宗教的権威は、天皇が、天の神の地上における御代理として祭りを行われ日本国を統治されるというところから発する。日本神話によると、高天原にいます天の神が地上の日本国を治めるように天皇に委任されたとされている。

 

 「紀元節」の歌に、「天津日継ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある。この「天津日継ぎの高御座」」(天津日嗣とも書く)とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所のことである。

 

 「天津日継ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(霊)を継承される」ということである。日本天皇は天の神(それは天照大神であり日の神である)の霊統を継承され、神の御心のままに(神ながらに)日本国を治められるのである。

 

 平野孝國氏は「このツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と見てよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、『宮廷のツギは日を修飾して、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義で、口だてによって風誦せられたものである』という折口信夫説(古代研究・国文学篇)が、本義に近いものである」(大嘗祭の構造)と論じておられる。

 

皇位の継承は、血統と共に、日の神の神霊を継承するという文字通り神代以来の信仰に基づくのである。

 

 さらに「高御座」について折口信夫氏は「高御座とは、天上の日神の居られる場所と、同一な高い場所といふ意味である。…御即位式に昇られる高御座は、…天が下の神秘な場所、天上と同一な価値を持って居る場所、といふ意味である。天子様の領土の事を天が下、天子様の御家の事を天の帝といふのは、天上の日の神の居られる処と、同一な価値を持って居るところ、といふ意味である。…高御座で下される詞は、天上のそれと全く同一となる。だから、地上は天上になる。天子様は、天上の神となる」(大嘗祭の本義)と論じておられる。

 

 天皇が高御座に昇られることによって、天上の国と地上の国がそのまま一体になるのである。別の言葉でいえば、今が神代になり神代が今になるのである。日本伝統信仰においては、天と地とが隔絶した存在とはとらえていないのである。これが支那と異なっている点である。高天原を地上に持ち来たし、日本国を高天原のように清らかにして神聖なる理想国にすることが天皇の御使命である。

 

 今上天皇におかせられても、神代以来の伝統を継承され、御即位の大礼において天津日継ぎの高御座にお立ちになった。これは天の神の御代理(現御神)の御地位にお立ちになったということを意味するのである。大嘗祭は宗教行事であるが即位礼は宗教行事ではないなどという議論は全く誤りである。信仰共同体日本の君主の御即位に関わる行事は全て日本伝統信仰に基づく宗教行事としての意義を持つのである。そしてそれは政府と国民の奉仕によって伝統に則って正しく執り行われなければならないのである。  

そしてそれはあくまでもご奉仕するのであって、政治権力や成文憲法が、ご譲位・即位の大礼・大嘗祭を規制したり干渉することがあってはならないのである。

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千駄木庵日乗三月三十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『やまと新聞』に連載中の「歴代天皇御製に学ぶ」の原稿執筆、脱稿、送付。資料の整理など。

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