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2018年3月 2日 (金)

天皇の國家御統治はの根幹は祭祀・歌・武である

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき。」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて平定された。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきたのである。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成されたのである。

 

その「神武」の御精神を歌はれた神武天皇の御製が

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

である。

 

夜久正雄氏は、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

御歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

 

第四十五代・聖武天皇は、

 

ますらをの行くとふ道ぞ凡(おほ)ろかに思ひて行くな丈夫(ますらを)の伴

(ますらおの行くべき道だ。いい加減に思って行くな。ますらをたちよ、といふ意)

 

 と詠ませられた。

 

天平四年に、節度使(聖武天皇の御代、天平四年および天平宝字五年の二度、東海・南海・西海道にそれぞれ設置された軍隊の訓練、軍備充實の役割を果たした職)を諸道に遣はされた時の御歌である。この時節度使となった者即ち東海東山二道の藤原房前、山陰道の多治比眞人(たじひのまひと)、西海道の藤原宇合(うまかひ)が宮中で御酒を賜った時の御製である。玉音豊かにお詠みあそばされたと御推察申し上げる。聖武天皇は、仏教を尊崇し、各地に國分寺・國分尼寺を建て、奈良に大仏を造立された。それとともに、丈夫の行くべき道・あるべき姿を示されてゐる。天皇の臣下を思はれ、國の礎が揺るぎなさを示される雄渾な機略を感じさせる。これは、御歴代の天皇御製に傳来する特質であり、君民一體の國柄が麗しく歌はれてゐる。

 

『萬葉集』の「皇神のいつかしき國、言霊の幸(さき)はふ國」とは、上代祖先の國民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。日本天皇の國家御統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐるのである。

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