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2018年3月17日 (土)

国家的危機と武の精神の勃興

「三種の神器」に「剣」があるのを拝しても明らかなごとく、皇室の道統・日本天皇の国家統治は、武の精神と一体である。また上御一人日本天皇は軍の最高の統率者であらせられる。神武天皇・天武天皇・聖武天皇という諡号を拝して、それはあまりにも明白である。応神天皇は、八幡宮として祀られ、武の神・軍神として今日に至るまで崇められている。日本天皇及び朝廷は、わが国の伝統的な武の精神の体現者であらせられる。軍においてもその頂点にお立ちになるのが本来のお姿である。

 

しかし、中古時代以降、朝廷において「武の精神」が希薄になったことが、武家による政治の壟断の原因であると言ってよい。後鳥羽上皇・後醍醐天皇は、隠蔽され衰微していた天皇の国家統治と武の精神の一体性の復興を目指されたのである。

 

元弘四年(一九九四)正月二十九日、「建武」と改元されたのは、武の精神の復興を目指されたからである。建武中興は、武家による政権壟断以前の時代の精神の復興であった。すなわち復古即革新である。今日の日本においても、建武中興・明治維新の理想が実現されねばならない。

 

國家的危機においてはわが國は、天皇を中心とした國家的統一すなわち國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動、そして天皇及びご皇室を中心にして「ますらをぶり」「剣魂」「もののふの心」が勃興した。

 

 承久の変・元寇・建武中興・幕末の時期に起こった動きがその典型である。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強による侵略の危機に遭遇した幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。これは危機にさらされたときに必ず起こるわが國の伝統である。

 

 また、須佐之男命・神武天皇・日本武尊以来の日本皇室の武の精神・ますらをぶりは平安時代から明治の御代までの間断絶していたのではない。承久の変を起こされた後鳥羽上皇は御自ら、馬競べ・狩猟・水練・刀剣のご製作に励まれ、建武中興を断行された後醍醐天皇及び護良親王などの皇子方は率先して幕府方と戦われるなど、大いにますらをぶり・武の精神を発揮された。

 

幕末期の尊皇攘夷運動は、孝明天皇の「戈とりてまもれ宮人こゝのへのみはしのさくら風そよぐなり」という「ますらをぶり」の大御歌にこたえたてまつらむとした多くの志士たちによって実行されたのである。

 

 戦後日本は誤った<平和主義>に侵されて、軍事・防衛を忌避し自衛隊を日陰者扱いにした。そして、天皇及びご皇室は軍(自衛隊)から引き離された状況が続いている。

 

 しかし、危機的状況を迎えた今日において、天皇を中心とする國體への回帰による危機突破という日本的愛国精神が勃興して来なければならない。それがわが國の歴史伝統である。    

 

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