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2018年3月30日 (金)

戦後民主主義を是正し、わが國の伝統的な國家観と道義精神をより興起せしめなければならない

わが國の道統・價値觀、すなわち日本の伝統精神を罵倒し批判し破壊することが「民主主義」であるという亡國的考えを持った者共が、教育界やマスコミ界を支配している。

 

今日の學校教育では、児童生徒の純真な心に、わが國の歴史を悪行の歴史のように教えている。學校において「祖國をあしざまに罵ることが歴史教育の正しい在り方だ」という「偏向歴史教育」が行われ続けたことがどれほど青少年に悪い影響を及ぼしたはかり知れないものがある。

 

教育の目的は、将来の國民に日本國民としての誇りと自信を持たせることにある。道徳觀念・道義精神の基本は、正しい祖國愛である。自分の祖國に誇りを持てない人間に育てられた児童生徒は正しい道義心を持つことができなくなる。

 

戰後の左翼偏向教育において、児童生徒に植えつけられたのは、怒りや反抗、恨みや呪いの感情である。「人権・反戰平和・平等」の名のもとに祖國や社會や家庭に対する憎しみ・怒りの感情を植えつけられた。こういう教育を受け続けた戰後世代の人々が、政界・官界・教育界・財界・言論界など今日の日本を動かしているのだ。日本が混迷するのも当然である。

 

戰後の日本人の懸命の努力によって経済発展し、物の豊かさを享受した。しかし、モノさえ豊かであればいいカネさえ儲かればいいという考え方が横行し、倫理・道徳の衰退と政治の混迷・家庭崩壊・教育荒廃をもたらした。まさに「衣食足りて禮節を知る」という言葉の逆を行ったのが戰後日本であった。こういった戰後の歴史を根本的に問い直すことが必要である。

 

さらに言えば、戰後の科學技術偏重教育の結果、物質萬能主義がはびこり、感性の豊かさが失われたことも、わが國國民の價値基準を歪めた原因の一つである。唯物論を根底とする営利至上主義・物質至上主義が道義を否定してきたのである。

 

唯物論=物質偏重主義は、目に見えない存在である神仏を否定し、先祖の霊を否定し、人間や自然の命の尊さを否定してきた。つまり、日本伝統精神・倫理觀念を抹殺したのである。そして生命の尊厳性・精神の尊厳性を教育してこなかった。それが戰後教育である。これを是正しない限り、青少年問題の根本的解決はあり得ない。 

 

かつてわが祖国は、東洋の君子国として思いやり深く、恥を重んじ、礼儀正しい国として世界に知られていた。老人に対する敬老の精神もあった。ところが今では、老齢のホームレスをゲームと称して少年たちが足蹴にして死に至らしめる事件が発生する。 

 

しかし、わが國は、阪神淡路大震災・東日本大震災の時、圧倒的多数の国民は、道義精神を発揮し、整然と秩序正しく行動し、お互いが助け合った。日本國はまだまだ道義精神を失ってはいない。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観をより一層興起せしめねばならない。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

問題は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な人々が多くなっている点にある。親孝行も愛国心も義理も人情も全て旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が今日の混迷をもたらしたのである。そして、時代や風潮に関係ない美徳それ自体の普遍的価値・永遠の価値を理解できない主体性のない人間が増えすぎている。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観をより一層興起せしめねばならない。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができる。

 

混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を是正し、わが國の伝統的な國家観と道義精神をより興起せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

 

 

 

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