« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »

2018年3月30日 (金)

戦後民主主義を是正し、わが國の伝統的な國家観と道義精神をより興起せしめなければならない

わが國の道統・價値觀、すなわち日本の伝統精神を罵倒し批判し破壊することが「民主主義」であるという亡國的考えを持った者共が、教育界やマスコミ界を支配している。

 

今日の學校教育では、児童生徒の純真な心に、わが國の歴史を悪行の歴史のように教えている。學校において「祖國をあしざまに罵ることが歴史教育の正しい在り方だ」という「偏向歴史教育」が行われ続けたことがどれほど青少年に悪い影響を及ぼしたはかり知れないものがある。

 

教育の目的は、将来の國民に日本國民としての誇りと自信を持たせることにある。道徳觀念・道義精神の基本は、正しい祖國愛である。自分の祖國に誇りを持てない人間に育てられた児童生徒は正しい道義心を持つことができなくなる。

 

戰後の左翼偏向教育において、児童生徒に植えつけられたのは、怒りや反抗、恨みや呪いの感情である。「人権・反戰平和・平等」の名のもとに祖國や社會や家庭に対する憎しみ・怒りの感情を植えつけられた。こういう教育を受け続けた戰後世代の人々が、政界・官界・教育界・財界・言論界など今日の日本を動かしているのだ。日本が混迷するのも当然である。

 

戰後の日本人の懸命の努力によって経済発展し、物の豊かさを享受した。しかし、モノさえ豊かであればいいカネさえ儲かればいいという考え方が横行し、倫理・道徳の衰退と政治の混迷・家庭崩壊・教育荒廃をもたらした。まさに「衣食足りて禮節を知る」という言葉の逆を行ったのが戰後日本であった。こういった戰後の歴史を根本的に問い直すことが必要である。

 

さらに言えば、戰後の科學技術偏重教育の結果、物質萬能主義がはびこり、感性の豊かさが失われたことも、わが國國民の價値基準を歪めた原因の一つである。唯物論を根底とする営利至上主義・物質至上主義が道義を否定してきたのである。

 

唯物論=物質偏重主義は、目に見えない存在である神仏を否定し、先祖の霊を否定し、人間や自然の命の尊さを否定してきた。つまり、日本伝統精神・倫理觀念を抹殺したのである。そして生命の尊厳性・精神の尊厳性を教育してこなかった。それが戰後教育である。これを是正しない限り、青少年問題の根本的解決はあり得ない。 

 

かつてわが祖国は、東洋の君子国として思いやり深く、恥を重んじ、礼儀正しい国として世界に知られていた。老人に対する敬老の精神もあった。ところが今では、老齢のホームレスをゲームと称して少年たちが足蹴にして死に至らしめる事件が発生する。 

 

しかし、わが國は、阪神淡路大震災・東日本大震災の時、圧倒的多数の国民は、道義精神を発揮し、整然と秩序正しく行動し、お互いが助け合った。日本國はまだまだ道義精神を失ってはいない。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観をより一層興起せしめねばならない。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

問題は、古いものは全て悪いものだと考える軽薄な人々が多くなっている点にある。親孝行も愛国心も義理も人情も全て旧道徳・軍国主義・封建思想と片付けてしまった戦後教育が今日の混迷をもたらしたのである。そして、時代や風潮に関係ない美徳それ自体の普遍的価値・永遠の価値を理解できない主体性のない人間が増えすぎている。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観をより一層興起せしめねばならない。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができる。

 

混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を是正し、わが國の伝統的な國家観と道義精神をより興起せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

 

 

 

|

千駄木庵日乗三月三十日

午前は、諸事。

 

午後三時半より、銀座の時事通信ホールにて、「新聞通信調査会七〇周年記念特別講演会」開催。西沢豊新聞通信調査会理事長が挨拶。船橋洋一アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長が「地政学・ポピュリズム・メディア」と題して講演。質疑応答。

 

帰宅後は、原稿校正、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

この頃詠みし歌

 

安倍総理よ辞めてくれるな耐えに耐えてこの難局を乗り越えてくれ

 

改竄も忖度もそんなことはどうでもいい亡国野党は滅びざるべからず

 

国会前で蠢く輩汚らはしき地獄の亡者のごとくに見ゆる

 

ともかくも今の野党に政権を握らせてはならぬと強く思ふも

 

わが叫びわが思ひをば表白すやまと歌にはなるもならぬも

 

憶良の歌讀みつつ思ふますらをは名をし立つべしとふるひ立つなり

 

汚れたる世を清め祓はんと立ちしますらをを偲ぶ春の夜

 

温かき春の夕べに遠つ世のますらをの歌をしみじみと讀む

 

街角に友と語らひ友を待つ麹町三丁目に春の風吹く

 

自転車に乗りたる友が来たりけり無事に着きたることのよろしさ

 

朝早く起き出でてビルの背後より出で来し太陽を拝ろがみまつる

 

母に手を引かれて歩む幼子を見つつ思へり亡き母のこと

 

門を閉じしお寺の前を通り行く日暮しの里の夜の静けさ

 

若き日の思ひ出の人は今は亡くその兄君と語り合ひをり

 

春の雨降り続く街に佇みてやがて来るなるバスを待ちをり

 

京の都に幾度か通ひしそのかみを思ひ出すなり春雨の夜

 

日の岡と百万遍といふ地名懐かしくも思ひ出さるる

 

若さとは良きものなりと思ふなり爽やかに語る青年を見て

 

明るくも語る青年の父君は我より年下と聞きて驚く

 

煙草吸ふなといふ世の中なれば自ずからマッチも少なくなりにけるかな

 

友どちの明るき笑顔を見て嬉し憂さ多き世を共に生きれば

 

遠き日の父の面影浮かび来て愈々悲し別れといふは

 

若き日の恋蘇へるこの頃に命の炎燃え立つ如し

 

気恥ずかしき思ひするなり七十を過ぎて相聞の歌を詠むとは

 

志篤き二人の友と共に酒酌み交はす団子坂下

 

菩提寺の先祖の墓を洗ひ清め拝ろがむ時の静かなる心

 

父母と共に来りし菩提寺に父母の墓拝まんと一人来たれり

 

空覆ふ枝垂れ桜を見上げたり日暮しの里の古き御寺で

 

日暮里の古き御寺の花の下弘法大師像拝ろがみまつる

 

多くの人が櫻を愛でつつ歩みゐる谷中霊園春盛りなり

 

光りあまねく御墓辺を照らす春の午後桜の花は咲き盛るなり(金玉均氏墓前祭)

 

上海でむごき最期を遂げにける人の御墓辺に今日集ひたり()

 

韓国の惨き歴史を偲びつつ金玉均氏の御墓辺に立つ()

 

無惨なる最期を遂げし志士の墓に友ら集へる晴れし春の日()

 

天つ日が輝き照らすベランダに立ちて眺むる春の千駄木

 

諏訪台の桜の花を遠望し春来たれるを喜びてをり

 

たまきはるわが命常に燃やしめて生きてゆくなりこの現世(うつしよ)

 

咲き盛る桜の花のたもとにぞ澤正の墓は屹立しゐる(谷中霊園)

 

櫻の花咲き満ちる苑に眠りゐる人々の御霊やすらへる如し()

 

慶喜公の御墓辺に来てこの国の大き維新の歴史を偲ぶ

 

徳川慶喜謹慎の建物に咲き盛る桜の花に歴史を偲ぶ

 

夕つ方根津の谷への下り来て酒房にやすらふひと時ぞ良し

 

父母(ちちはは)の遺影を仰ぎお休みと言ひてベッドに入る日々

 

坂下り神田川のほとりに来りなば満開の桜かがよひてゐる

 

満開の桜並木の下を行き命さきはふわが身なりけり

 

神田川川面に花びら浮かべつつ流れ行くなり春の夕暮れ

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、諸事。

 

午後は、書状執筆。

 

午後六時より、グランドヒル市ヶ谷にて、「展転社創立三十五年を祝ふ集ひ」開催。大原康男・西村眞悟・稲田朋美の各氏らが祝辞を述べ、ブルピッタ・ロマノ氏の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。最後に、藤本隆之社長が謝辞を述べ終了した。

180329_181401
_194101


帰宅後は、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月29日 (木)

『横山大観・竹内栖鳳・川合玉堂をはじめとする、近代日本画の精鋭たち』展を参観して

本日参観した『横山大観・竹内栖鳳・川合玉堂をはじめとする、近代日本画の精鋭たち』展は、「明治40年(1907)、政府は文部省主催の美術展覧会(文展)を開設、さらに大正8年(1919)帝国美術院主催の美術展覧会(帝展)に改組しました。これら“官展”に対し、横山大観を中心とする旧日本美術院派は、同3年(1914)日本美術院を再興、本格的な在野運動へと進んでいきました。ことに、大正から昭和初期にかけては、文、帝展を主舞台とした東京画壇と京都画壇、さらに在野の大観率いる日本美術院とがそれぞれ独特の存在感を示して鼎立しており、近代日本画壇は、さながら百花繚乱の様相を呈していました。
本展示では、まさに、この時期に重なって形成された野間コレクションより、近代日本の絵画革新運動を牽引してきた精鋭たちによる美の光彩を感じていただきます」(案内書)との趣旨で開催された。

 

川合玉堂《渓山春色》横山大観《松鶴図》・前田青邨《羅馬へのおとづれ》・下村観山《竹林賢人》・竹内栖鳳《鮮魚》・上村松園《塩汲ノ図》《惜春之図》・木村武山《光明皇后》・松岡映丘《池田の宿》・安田靫彦《春雨》・小林古径《売茶翁》・鏑木清方《五月雨》《夏の旅》・堂本印象《清亮》・福田平八郎《紅葉遊禽図》・寺崎広業《瀑布》などを参観。

 

川合玉堂の景色の絵は何時見ても心洗われる思いがする。景色の中に必ず小さな人物が描かれているのが良い。美人画は、何と言っても上村松園が良い。鏑木清方や伊藤深水よりもずっと美しい。横山大観は富士山の絵か感動を覚えるが今回は展示されてゐなかった。

 

野間コレクションの色紙「十二カ月図」は、川合玉堂の作品が良かった。小さな色紙の中に大きな風景か描かれていて見事であった。福田平八郎の作品も良かった。洋画の技法を取り入れているとのことである。また小茂田青樹という人の作品も色彩が美しかった。この方の作品は今回初めて観賞した。

 

先日六本木の泉屋博古館分館で参観した木島櫻谷の作品は無かった。やはり、画壇の主流からは外されていたのであろうか。芸術の世界にも色々複雑な派閥の対立と言うか不調和の歴史があったようである。

 

野間記念館の参観を終えて、江戸川公園、肥後細川庭園を散策したのであるが、この辺りは、講談社野間家、肥後細川家に縁のあるというか所有していた建物や公園が多い。また、近くの椿山荘は明治の元勲山県有朋の屋敷跡である。細川家は言うまでもなく鎌倉時代から続く家柄である。講談社野間家は明治末期に創業し発展した出版社である。「私設文部省」とまで言われるほどの大出版社になった。創業地は、今私が住んでいる文京区千駄木三丁目(旧町名駒込坂下町)である。

 

今日は、美しい日本画を鑑賞し、江戸川公園の櫻並木と神田川に浮かぶ桜の花びらを愛でるとともに、日本の歴史を偲んだ。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、諸事。

 

午後は、関口の講談社野間記念館にて開催中の『横山大観・竹内栖鳳・川合玉堂をはじめとする、近代日本画の精鋭たち』展参観。

180328_144601
野間記念館の桜

Kjgytyxhoki_152801

野間記念館の桜

 

この後、神田川沿いの江戸川公園散策、満開の桜を愛でる。そして「肥後細川庭園」散策。

180328_162101

水神神社

170410_153503

神田川 (桜の花びらを乗せて流れている)

Tyqt0xho180328_165201
神田川

180328_164702

神田川

180328_162901
肥後細川庭園

180328_162301
肥後細川庭園

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事(最終校正)・原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2018年3月28日 (水)

天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない

天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない

 

『現行占領憲法』には、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれている。つまり、天皇は権力者ではあらせられないとされているのである。

 

したがって、天皇・皇室は、「権力の制限規範」である憲法、「国権の最高機関」である国会の制限も干渉も受ける御存在ではない。

 

歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、国の平安と国民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本国および日本国民の今日があるのである。

「國體護持」とはあくまでも感謝と報恩の国民の務めとしてそれを果たすということである。

そういう意味でも、「権力の制限規範」たる憲法や権力機関である政府や国会などが、天皇皇室に対し奉り、制限も干渉してはならない。「皇室典範」を改定したり、「御譲位」についての特別立法を行う事は大いなる誤りであり國體隠蔽である。

つまり、日本国の君主であり現御神であらせられる日本天皇は、成文憲法によって規制せられる御存在ではない。まして戦勝国によって押し付けられた「占領憲法」下に置かれるご存在ではない。また、内閣、国会という権力機構によって規制される御存在でもない。

 

『現行占領憲法』下において、天皇に対し奉り、「祭祀、皇位継承、譲位」などへの国権の最高機関とされる国会の介入と規制、内閣という権力機構による「助言や承認」をすることはできない。

 

我々国民は、この事を明確に認識しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆。

そして、谷中霊園散策。

180327_163401

谷中霊園の桜

180327_161601

横山大観墓所

180327_155601

澤田正二郎墓所

_162601_2

徳川慶喜墓所

180327_165101_2

東叡山寛永寺根本中堂

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

2018年3月27日 (火)

『現行占領憲法』の「主権在民論」は日本國體を隠蔽し破壊する元凶

 

「主権在民」「平和主義」「基本的人権の尊重」の三つが『現行占領憲法』の「三原理」とされてゐる。しかし、『現行憲法』の「主権在民論」「國民主権主義」は、日本の國體とは絶対に相容れない思想である。

 

「國民主権主義」は「君主主権主義」に対する「抗議概念」であるとされ、政治的主権の保持者は國民であって君主ではないことを主張するとされてゐる。これは、君主と國民が絶対的に対立し、権力を奪ひ合った歴史を持つ欧米で生まれた思想である。つまり、『現行占領憲法』は、君主と人民とは相対立する存在であり、國家とは國民同士が契約して成立するものと考へる西洋的法思想・國家觀・君主觀・權力論が基礎となってゐるのである。

 

「君主主権」とか「國民主権」とか言ふ場合の「主権」は、西洋法思想の影響下にある國法學では一般に、「國家における最高の政治権力」と解せられてゐる。

國家の意思を最終的に決定する權力としての「主權」が「君主にあるのか、國民にあるのか」といふ対立概念は、天皇中心の信仰共同體國家・祭祀國家たる日本には全く相容れない。

 

西洋の國法學説でいふ「主権」とは、近代中央集権國家がフランスに初めて成立する過程において、國王の権力の伸長を國内外に主張し、絶対王制を正当化するための理論的武器となったものであるといふ。それは「朕は國家なり」といふ言葉でも明らかな如く、國王は何ら制約を受けない最高絶対の権力者とされ、國民は國王に絶対服従するものとされ、國王と國民とは二極の対立概念として理解されてゐる。つまり「主権」の観念は、近世の初期以来、西洋わけてもフランスにおいて、君主の権力を擁護する手段として主張されたのである。

 

しかるにその後、フランス革命が起こり、専制君主の圧政から國民が自由を獲得するための旗印として唱へられたのが「國民主権論」であった。

 

以上のような「國民主権・主権在民論」は、祭祀國家であり、天皇を祭り主と仰ぎ、君民一體の國柄であるわが日本には全く適合しない思想であり、革命=國體破壊につながる思想である。

 

そもそも日本天皇が日本國の君主であらせられ、統治者であらせられるのは、天皇が絶対的な政治権力者であらせられといふことではない。それは、武家専横時代の歴史を見れば余りにも明らかである。日本國の政治権力者は藤原氏・平氏・源氏・北條氏・足利氏・徳川氏と転変を繰り返したが、大君・君主は神聖なる権威の保持者であらせられる上御一人・日本天皇であった。

 

日本國の君主=天皇は、権力のあるなしには全く関はりなく君主であらせられ天皇であらせられる。ゆへに國民主権論を我が國の憲法の基本原理にするのは絶対に誤りであり、國體を隠蔽し、國柄を破壊することとなる。

 

わが國の歴史には、天皇が主権=國家の最高権力を独占的に掌握し独裁専制政治を行ってゐたなどといふことは全くない。『大日本帝國憲法』にも、「天皇に主権がある」とは全く書かれてゐない。

 

わが國は天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體である。西洋國家論で言ふところの契約國家・権力國家ではない。我が國は君民一體の國柄である。西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合ったといふ歴史は全くない。天皇の政治的権力によって國民が圧迫されたこともない。

 

故に、君主と國民が対立関係にある國家ではない。國王と人民が主権争奪戦を繰り広げた歴史を持つのは欧米諸國である。従って、「主権」が「君主にあるのか、國民にあるのか」などといふことを成文憲法に規定すること自體わが國の國柄とは相容れない。「國家の意思を最終的に決定する権力」といふ意味での「主権」なる概念と言葉は、「天皇中心の信仰共同體國家日本」には全く相容れない。

 

西洋法思想・國家思想である「主權」なる「概念」を、わざわざ成文法として日本國の憲法に規定することは、大きな誤りであり國體を隠蔽し國體破壊につながる。「國民主権論」が憲法に書かれてゐる事が、わが國の國家傳統の破壊、共和制革命への突破口になる危険がある。

 

さらに言へば、「主権在民・國民主権論」は自由民主政治體制とは別個の概念である。ソ連邦も共産支那も「人民主権」を明記しつつ、共産党一党独裁どころか、スターリンや毛沢東の個人専制恐怖政治が行はれた。「主権在民」「國民主権」を憲法に書き込めば「自由民主國家」になるなどといふことは金輪際あり得ない。「共和國」といふ名の付いた國家=「中華人民共和國」「朝鮮民主主義人民共和國」が全く「自由民主國家」ではないのと同様である。

 

神話時代からの悠久の歴史を有する日本の天皇中心の國柄を隠蔽し、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした國家観を「成文憲法」に規定した『現行占領憲法』には全く正統性がないのである。「國民主権論」を第一原理とする『現行占領憲法』は國體破壊の元凶である。かかる憲法を根幹にした「立憲主義」は國體破壊・伝統破壊に直結する。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、書状執筆・資料の整理・原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月26日 (月)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 四月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

| | トラックバック (0)

正統性のない『現行占領憲法』に基づく「立憲主義」には正統性がまったく無い

 

『現行占領憲法』には内容的にも制定過程においても全く正統性がない。

 

『占領憲法』は、十七世紀、十八世紀の欧米の市民革命の基礎理論であった「社會契約論」に立脚してゐる。

 

中川剛氏は次のやうに論じてゐる。「日本國憲法が、一七・一八世紀の欧米の市民革命の理論的基礎となった社會契約論に立脚して起草された。…アメリカの独立宣言や連邦憲法が、当時の革命思想であった社會契約論によって起草されたため、占領軍総司令部の憲法案起草者にとっても、社會契約の考え方が基本枠組みとして採用され…憲法の基本原理についてさえ、傳統にも文化にも手がかりを求めることができず外國の理論に典拠を探さなくてはならないという恐るべき知的状況が出現するに至った」(『憲法を読む』)

 

國の生成・成り立ちが欧米とは全く異なり、市民革命も経験してゐないわが日本國に、西洋國家思想たる「社會契約論」を基礎にした憲法が押し付けられたのである。この一点を以てしても『現行占領憲法』に正統性がないことは明白である。

 

日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる。日本國は、「数多くの個としての人間」が寄り集まって契約を締結して人為的・人工的に作った権力機構・契約國家(これを「國家法人説」と言ひ換へてもいいと思ふ)とはその本質が全く異なる。「國家法人説」を日本國に当て嵌めることはできない。

 

「國家法人説」とは、國家を法的な主體としての法人と考へる理論である。そして「法人」とは「自然人以外で法律上の権利義務の主體となることができるもの。一定の目的の下に結合した人の集団あるいは財産についてその資格が認められてゐる集団」とされてゐる。

 

つまり、國家は人間が集まって文字通り人為的に作られたといふのが西洋の國家観である。國家とは、社団法人や財団法人のやうに多くの人々が一定の目的のために契約を結び人為的に造られたものだといふのが「契約國家論」「國家法人説」なのである。

 

天皇中心の信仰共同體たる日本は断じてそのやうな國家ではない。日本といふ國家は、國民の魂が結び合って生まれてきた生命體である。日本民族の農耕を中心とする傳統的生活の中から培はれた信仰(自然信仰と祖霊崇拝・自然と祖霊を神として拝む心)が根幹となって生まれてきた生命體が日本國である。そしてその〈むすび〉の中核が日本傳統信仰の祭祀主である天皇である。

 

「むすび」の語源は、「生()す」である。「草が生す」「苔が生す」といはれる通りである。つまり命が生まれることである。結婚も男と女の「結び」である。故にそのきっかけを作った人を「結びの神」といふ。そして男女の〈むすび〉によって新たなる生命が生まれる。故に母から生まれた男の子を「むすこ」(生す子)と言ひ、女の子を「むすめ」(生す女)と言ふのである。

 

「庵を結ぶ」といふ言葉があるが、日本家屋は様々な材木や草木を寄せ集め、それらを結び合はせて作られた。日本の家庭も〈むすび〉によって成立してゐる。

 

日本に憲法を押し付けたアメリカ合衆國は、一七七六年七月四日に独立を宣言して「社會契約論」「國家法人説」を基礎して「人為的に造られた國」である。

「生まれる」と「造られる」とでは絶対的な違ひがある。「生む」は日本傳統信仰の「國生み」観念であり、「造る」はキリスト教の「天地創造」の観念である。伊耶那岐命・伊耶那美命は日本國土をお生みになったのであり、キリスト教の神(ゴッド)は人間を造ったのである。キリスト教の神はなぜか國家は造らなかった。

 

日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想・國家法人説や、人間不信を基盤とした國民主権論や西洋近代の成文法、そしてさうした思想が基礎になってゐる『現行占領憲法』の「國家観」とは、絶対的に相容れないのである。『現行占領憲法』に正統性がない最大の理由はここにある。

 

その上、『現行占領憲法』は戦勝國アメリカの占領下に、強制的に押し付けられた憲法である。従って、この『現行占領憲法』には内容的・思想的にも、制定過程においても全く正統性がないのである。

 

正統性のない『現行占領憲法』に基づく「立憲主義」もまた正統性が無いのである。従って、「立憲主義」を立党の基本精神とする立憲民主党にも全く正統性が無いのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十五日

朝は、諸事。

 

午前十一時より、青山霊園の金玉均氏墓前にて、「金玉均先生墓前祭」執行。藤井厳喜呉竹会代表幹事が挨拶。全員が拝礼。頭山興助呉竹会会長が挨拶。崔三然氏の音頭で献杯が行われた。

180325_111901

金玉均氏墓所

180325_112701
頭山興助氏挨拶

_113701

崔三然氏挨拶。

180325_114901

青山霊園桜並木

この後、エスタ青山にて、勉強会開催。村田春樹氏が講演。

 

一旦帰宅。今夜の講演の準備。

 

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が鹿。渡邉昇氏が挨拶。小生が「もののふの道・武士道と道義国家日本」と題して講演。活発な質疑応答か行われた。

 

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2018年3月24日 (土)

『生誕一四〇年記念特別展 木島櫻谷』参観記

三月十八日に参観した『生誕一四〇年記念特別展 木島櫻谷』は、「明治から昭和にかけて活躍した京都の日本画家木島櫻谷(このしま おうこく1877-1938)。京都の円山・四条派の流れをくむ今尾景年に学んだ櫻谷は、20代で頭角を現し、明治後半から大正期にかけて文展の花形として活躍しました。画業のなかで、最も高く評価されたのが動物画です。それは徹底した写生を基礎に、卓越した技術と独自の感性により創造されたもの。確実で精緻にとらえられた動物の表情は、一方で情趣にあふれ、どこかもの言いたげです。本展では彼の描いた"動物"に着目し、その代表作はもちろん未公開作品を一堂にあつめ、多様な表現とその変遷をたどります。また櫻谷文庫に遺された多くの資料調査から、それらの制作背景や画材などをあわせて紹介します」(案内書)との趣旨で開催された。

「野猪図」明治三三年(一九〇〇)、「熊鷲図屏風」明治時代、「寒月」大正元年(1912)、「猛鷲図」明治36年(1903)、「獅子図」昭和時代、「かりくら」明治43年(1910)、「孔雀図」昭和4年(1929)、「幽渓秋景」大正時代などを鑑賞した。

 

私は恥ずかしながら、京都の日本画家は、竹内栖鳳と伊藤若冲のことは知っていたし、これまで何回も鑑賞したが、木島櫻谷はこの展覧会に来て初めて知った。どれも美しい作品であった。日本画は實に心が落ち着く。

 

「寒月」という作品は代表作とのことであるが、狐が雪の積った山林の中を歩いている図で、何となく神秘的でまことに見事であった。何故か夏目漱石はこの作品を評価しなかったという。不思議ことである。

 

「獅子図」も良かった。竹内栖鳳も獅子を描いた作品があったように思う。先輩の竹内栖鳳と木島櫻谷は大体同時期の画家で二人とも京都で活躍した。おたがいに影響し合ったのかもしれない。「野猪図」は猪を描いた作品。猪を題材にした絵は初めて見たような気がする。私はいのしし年なので興味深く拝見した。「かりくら」は二人の武将が馬に乗って出陣する時を描いていてとても躍動感と迫力があった。「孔雀図」も見事であった。

 

前述したように、竹内栖鳳と京都画壇の人気をわけ華々しく注目される作家であったが、その後、画壇から嫌われたと言われる。竹内栖鳳は文化勲章を受章したが、木島櫻谷はそうした栄誉は与えられなかったようである。そして、昭和131113日枚方近くで京阪電車に轢かれ非業の死を遂げたという。気の毒な事である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、諸事。

 

午後は、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓所を掃苔。ご冥福とご加護を祈る。

 

この後、日暮里・谷中を散策。

 

帰宅後は、明日の講演の準備、原稿執筆。

_1457010001

谷中天王寺

180324_170101_2

谷中霊園桜並木

180324_170102

谷中霊園桜並木

180324_163801_2

日暮里本行寺 一茶の句碑

「陽炎や 道灌どのの 物見塚」

180324_163802_3

日暮里本行寺 山頭火の句碑

「ほっと月がある 東京に来てゐる」

| | トラックバック (0)

亡国野党・偏向メディアによる安倍昭恵さんに対する攻撃について

立憲民主・共産などの亡国野党そして「朝日新聞」「テレビ朝日]などの反日偏向メディアは、安倍昭恵さんへの非難攻撃を繰り返し、国会への証人喚問を要求している。日頃、女性差別反対、男女平等、女性の人権を守れ、などと主張している者どもが、一人の女性を責め苛んでいるのである。辻元清美は「ツイッターの『良いね』を押したから証人喚問しろ」などと言った。

 

先日も書いたが、国会の証人喚問は、人権蹂躙の人民裁判である。常日頃「人権尊重だ」と言っている連中こそ、徒党を組んで他人の人権を侵害するのである。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはいられない。これが「いじめ」である。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生・高校生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずる亡国野党・偏向メディアは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を作りだし、特定の人物を追いかけ回し、特定人物を責め苛む。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであらうか。小學生・中學生のいじめは、大人のこうしたやり方を真似しているのである。

 

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(『反革命宣言』)と。

 

戦後日本全体を覆ってきた精神が「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのが亡国政党であり、偏向反日メディアである。

 

戦争直後は「東条が悪い」、講和発効後は「吉田が悪い、吉田を倒せ」の大合唱、第一次安保の時は「岸を倒せ」、そして佐藤長期政権の時は「ストップ・ザ・サトウ」、さらにロッキード事件発覚の時は「金権政治家田中が悪い」、というように、戦後メディアそしてそれに煽られた國民は、特定の人物に批判を集中し、その人さえ倒せば日本は良くなるという風潮が作り出されてきた。

 

田中批判の後は、毎年毎年、日替わりメニューのようにそうしたことが繰り返されてきている。

 

「本是神州清潔の民」と言われるように、日本人の潔癖さは日本民族の優れた体質である。しかし、それが単に、嫉妬であり、自分よりも幸福そうな人を引き摺り下ろそうという精神に堕してしまってはならない。

 

われわれは、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の真の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送作業・発送完了。明後日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

| | トラックバック (0)

2018年3月23日 (金)

対米自立・反米ナショナリズムについて

 

日本は、非核三原則などという誤った原則を墨守し、且つ、軍事力を全く否定した似非平和憲法を未だに破棄出来ないでいる国である。そればかりでなく日本は、現実に何時共産支那や北朝鮮から核攻撃を受けるかわからない危機に曝されている国である。

 

日本はかつてアメリカと戦った国であり、ベトナムやイラクと同じようにアメリカの空爆を受け、国土は焦土と化し、多くの国民が殺戮された国である。ベトナムやイラク以上にひどい目に遭った国が日本である。だから、日本国民には潜在的にアメリカに対する反感がある。

 

ブッシュは九・一一テロの直後、「アメリカに逆らった国で殲滅されなかった国はない」とか、「イラクの終戦処理は第二次大戦後の日本占領を模範とする」などと言った。こうした発言は日本民族にとってきわめて不愉快である。

 

大東亜戦争に敗北した後、日本は七年間もアメリカの軍事支配を受け、日本を弱体化することを目的とした憲法を押し付けられた。日本は、その占領憲法を後生大事に未だに押し戴いている。そして自分の国を自分で守ることのできない情けない国である。多くの日本国民は反感を持っている。小生ももちろんその一人である。

 

ともかく現行占領憲法がある限り、日本は独立国家ではないのである。アメリカの支配下にある国なのだ。そのことを明確に認識しなければならない。

 

アメリカ製の憲法を押し戴きアメリカの核の傘に入っている以上、国際問題、経済問題等々でアメリカに徹底的に逆らうことなど出来ないのである。まさに日本はアメリカの属国なのだ。否、いまだにアメリカの占領下から独立してはいないのである。だからトランプは日本に来た時、成田や羽田ではなく横田基地に来たのだ。

 

わが国がアメリカと対等の立場に立ち、言いたいことが言える国になるためには、核武装して自主防衛体制を確立し、自主憲法を制定し、真の独立国家として再生しなければならない。

 

日本国も核武装し自主防衛体制を確立し単独で支那共産帝国主義や北朝鮮と戦いこれを壊滅できる力を持つような国家になるよう努力すべきである。

 

ところが、日本の真の独立=アメリカの属国からの脱却を妨害して来たのが、自主憲法制定・自主防衛体制確立・核武装に反対してきた亡国政党=社民・共産・民進党左派・立憲民主党であり、偏向マスコミなのである。自民党の中にさえそういう連中がいる。

 

最近、国際的安保環境は大規模に変容している。とりわけ北東アジア情勢は極めて危険である。日本は正しき安保観・国防観を一刻も早く確立しなければならない。自主防衛体制=核武装を断行して、いかなる国からの攻撃・侵略も徹底的に排除する態勢を確立しなければならない。そのために、日本国内の似非保守・売国分子を糾さなければならない。

 

反米ナショナリズム、対米自立の主張は否定しないが、支那による我が国侵略に利用されないようにしなければならない。

 

戦前戦中のコミンテルンの謀略を想起する。反米英の世論を煽り、日本を対米戦争に追い込んだのが尾崎秀実や朝日新聞を手先に使い、ゾルゲを日本に送り込んだコミンテルンだった。

 

日本がアメリカの隷属下にいるということは、現状のままということだ。しかし、共産支那の隷属下に入るということは、今の日本の繁栄・自由を喪失するということだ。そして何よりも、國體と伝統の破壊に直結する。支那とアメリカの日本皇室に対する態度は、オバマと習近平の、天皇陛下に対する態度を見れば明らかだ。

 

日本が自主独立の体制が確立していない今日唯今の時点において、私は支那かアメリカかの二者択一を迫られたら、躊躇なくアメリカを選択する。自主防衛体制が確立していない以上、アメリカを敵にすることはできない。

 

しかし、日本は支那かアメリカかの二者択一しか道がないということはない。日本が主体性を確立し、主導権を握ればいいのだ。それにはどうするかが一番大切だと思う。

 

アメリカからの自立と共産支那による日本侵略の排撃の前提は、戦後体制の打倒である。対米自立・対共産支那の圧迫の排除とは軍事的には「日本の核武装」だと思う。

 

西欧列強によって国家を滅ぼされ、西欧列強の植民地と化したアジアの国々の中で、わが国は、明治維新を断行したことにより、唯一独立を保ち続けた国であった。わが日本は、歴史に学び、真の維新を断行するべき時なのである。

 

反米を主張する者共が、アメリカから押し付けられた占領憲法を擁護すると言うのもまったくおかしな話である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆・校正、明日行うスピーチの準備など。

| | トラックバック (0)

2018年3月22日 (木)

第八十二回日本の心を学ぶ会

第八十二回日本の心を学ぶ会

 

武士道を考える。

 

今年の311日で東日本大震災から七年が経過しました。

当時を振り返りますと被害の大きさや津波の恐ろしさ以上に、非常事態のなかでも混乱することなく整然と行動する日本人の姿が印象的だったことを思い出します。

なかでも被災地における救援物資を分かち合う様子や原子力発電所の復旧に敢闘する人々の姿は海外のメディアでも紹介され日本の精神的優秀性を表す現象であると紹介されました。さらにこのようなことの根本に、日本の武士道の影響を指摘したメディアも多くありました。そもそも武士道とは字義的には武士の守るべき道を意味します。

しかしなから武士道とは特定の人物によって書かれた教義ではありません。

日本の長い歴史のなかで自然生成的に成長してきた民族の伝統的精神であります。

ひとたび国家に危機が到来したときは必ず武士道が勃興し国難を乗り越えてきました。明治維新は、草莽の武士たちの蹶起が大きな役割を果たし、一君万民と國體を明らかにし、国民皆兵すなわち国民全体が武士となる体制を実現しました。しかし敗戦後のGHQによる占領政策・日本弱体化政策は日本から武士道的なるものを消し去り、日本にただの一人の武士もいなくなることが目的であったといえます。

しかし、このような占領政策があったにも関わらず、震災時の行動を見ると武士道は日本人の精神の深いところに根付いています。

そして今日の危機的情勢、内外の諸問題を考える上で武士道は何かの指標を与えてくれると思います。今月の勉強会では武士道について考えてみたいと思います。

【日時】平成三十年三月二十五日 午後六時から

【会場】文京シビックセンター 3階会議室A

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

住所:東京都文京区春日1‐16‐21東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

【演題】「もののふの道・武士道」と道義國家日本

【講師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

【司会者】林大悟

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

この告知文は主催者が作成しました。

| | トラックバック (0)

ますらをぶり=武士道と剣とは一體である

もののふのこころ・ますらをぶりとは、清明心と表裏一體の精神であり、天皇のため國のためにわが身を捧げるという「捨身無我」の雄々し精神でもある。その精神の体現者が景行天皇の皇子・日本武尊であらせられる。「たけるのみこと」とは猛々しさを表す御名である。

 

日本武尊の捨身無我の精神は、後世の武士にも強く生かされる。日本武尊は、武士道精神・日本倫理思想の祖であらせられる。

 

日本武尊御歌

 

「孃女(おとめ)の 床の辺(へ)に 吾が置きし つるぎの大刀 その大刀はや」(乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ)

 

日本武尊は、景行天皇の命により九州の熊襲建を平定して大和に帰られるが、さらに東國平定を命令され、それを終えた帰りに、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)に、叔母君であった倭姫命から授けられた草薙の劔を預けて出発され、熊煩野(三重県亀山市という)で急病になった時の辞世の御歌である。

 

愛する美夜受姫に預けた守護霊たる神剣から離れていく自分の命を見つめながら歌った哀切極まりない絶唱である。剣を置いて出発されたのが間違いのもとという神話傳説である。この御歌は乙女への愛と武の心が渾然一體となっている。そしてその奥に天皇への戀闕の心がある。

 

この御歌には、恋愛詩と英雄詩が一つに結合融和して現れている。この精神こそ、戦いにも強く恋にも強い大和民族の原質的民族性で、日本武士道の本源となっている。そのご精神をやまと歌で表白されたのである。これを「剣魂歌心」という。日本武尊は、上代日本の武人の典型であると共に詩人の典型であらせられた。日本の英雄は歌を愛した。ますらをぶりは優美さを否定するものではない。

 

新渡戸稲造氏は、吉田松陰の「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」という歌を引用して、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じている。新渡戸稲造氏はさらに、「(注・武士道」については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い」と論じてゐる。

天皇の日本國統治のご精神は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

鏡(八咫鏡・やたのかがみ)は「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)は「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)は「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」を表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されている。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。これは別々の観念として傳えられているのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一體になること)の観念である。

 

とりわけ「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎して筑紫の県主五十迹手が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。

 

前述した日本武尊の御歌を拝して明らかな如く、古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

ますらをぶり=武士道と剣とは一體である。剣は殺傷の武器(いわゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕えまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

 

剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はこうした信仰にある。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆、書状執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月21日 (水)

『現行占領憲法』の「平和主義」について

『現行占領憲法』の「前文」を残したままの「憲法改正」では真の「改正」にはならない。『占領憲法』の「前文」に書かれてゐる「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などといふもの持ち合はせてゐる國は少ない。少なくとも南北朝鮮・支那・ロシアは持ち合はせてゐない。

 

また「前文」の「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などといふのは、現実をまったく無視した全くの空想・夢物語であるばかりでなく、きはめて危険な思想である。

 

わが國固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、わが國固有の領土竹島を六十年以上にわたって占拠してゐる韓國、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し、台湾を併呑せんとし、尖閣諸島・沖縄などのわが國固有の領土・領海を浸略せんとしてゐる共産支那、核開発を行ひミサイル発射を繰り返し、わが國民を拉致してゐる北朝鮮、これらの國のどこに「公正と信義」があるのか。

 

さらに『現行憲法』「前文」に「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。

 

これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのやうな事はしないことをお誓ひします。今後はアメリカ様、ソ連様、支那様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かひを致しません」といふ「詫び証文」である。

 

つまり、『現行占領憲法』は、「日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國である」といふ認識を基本精神にしてゐるのである。

 

『現占領行憲法』の「平和主義」とは、有り体に言へば「日本は軍隊や武力を持たせると何をするか分からない」といふ戦勝國側の考へ方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持ってゐるのだから、日本を侵略しようなどといふ國は何処にも存在しない」といふ虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防といふ基本國策が立てられてゐるのである。

 

『占領憲法』の「平和主義」「國際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、國防戦争もしない」といふ自虐思想・敗北思想である。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月二十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月20日 (火)

何があろうと、野党勢力に国家権力を握らせてはならない

最近ある会合で、小沢一郎氏が、「野党が大同団結して夏の参院選で過半数、次の総選挙で政権を取りたい」と言っていた

 

自民党政権を何としても打倒したいという小沢氏の自民党脱党時からの「怨念」からの発言であろう。社民・共産・立憲民主左派という革命勢力、國體破壊・自由圧殺政治勢力による政権奪取実現したいということだ。こんなことを絶対に許してはならない。

 

「良いねを押したから国会に証人喚問せよ」などと自由を圧殺する発言を行う女がいる政治勢力が国家権力握るというのは實に恐ろしいことだ。

 

そもそもついこの間三つに分裂した民進党をまた大同団結させるなどということ自体実に無責任であり、国民を愚弄するものだ。数多くの政党が連立を組んだ政治がいかに駄目だったかは、細川連立政権が実証した。

 

安倍政権にどんなに批判すべきところがあろうとも、今の野党に政権を握らせてはならない。『安倍一強政治』などというが、それは選挙の結果なのだ。それよりも、ロシアはプーチン、共産支那は習近平、北朝鮮は金正恩の一強政治どころか専制支配体制が確立し、侵略の牙を剥けているのだ。その支那・ロシア・北朝鮮の独裁政権と同根の革命政党が民・共産・立憲民主左派なのである。そんな勢力と大同団結して政権を奪取するなどという小沢氏は間違っている。否、間違っているどころか亡国路線を歩んでいる。、

 

安倍総理は遠慮せずに自己の信念を貫きとおす政治を行ってほしい。祖父の岸信介元総理のような強さ実行力決断力を発揮してもらいたい。安倍氏は孟子の『千萬人と雖も吾往かむ』という言葉が好きだと言うが、まさにその気概を持って自己の政治理念実現のために獅子奮迅人の戦いを行ってもらいたい。

 

ともかく何があろうと、野党勢力に国家権力を握らせてはならない。

| | トラックバック (0)

日本学協会主催『第七回日本学講座』における明治神宮武道場至誠館館長・荒谷卓氏による「生成思想と武士道-世界を創造する精神文化―」と題する講演内容

昨年十二月九日に開催された日本学協会主催『第七回日本学講座』における明治神宮武道場至誠館館長・荒谷卓氏による「生成思想と武士道-世界を創造する精神文化」と題する講演内容は次の通り。

 

「自衛隊に三十年近くいた。ブッシュ大統領が九・一一に際してテロとの戦いを宣言。アメリカの軍事に対する考え方が根本的に変わった。軍事に関する教科書が書きなおされた。富の不平等な配分、特に物を持つ者と持たない者との格差を生じる。グローバル化に取り残される国家が生まれる。国家が主役ではなく、法人企業と個人が主体。今は中間層がいない。富める者と貧しい者しかいない。

 

軍事作戦は、攻撃と防御の戦略的概念が根本。今は安定化作戦。同じ力ではなく圧倒的な力の差によって社会秩序の安定化する。ペリーが来日する時の『航海日誌』に『日本が価値のある産物を有しながら鎖国する権利はない。日本が譲歩しないなら武力によって開放すべきだ』と書いた。日本文化の価値觀はそういうところにはない。このような目的と価値観で軍事作戦に参加するのはノー。私の価値観と異なる。新自由主義の資本主義は、非合理的ろ情緒的生活の全てを解体する。経済外的規範から成る共同体の慣習は資本主義の規律とは相反する。私は経済成長=幸福とは考えていない。

 

個人の権利の法的規定は家族の中で政争が始まる。個人の権利の主張から万民の幸福は出て来ない。正しい文化伝統の価値観を守っていきたい。

 

戦争は極めて合理的考え方から成り立つ。合理性で武器の進歩がある。武道は世界的普遍性がある。神道の祭祀では籬(ひもろぎ)を立てる。常緑樹はその土地の神をお呼びする。ロシアで行われたセミナーの祭典の時、神職が『かけまくも畏きキリストの大神』という祝詞を相乗した。参加者は感動した。

それぞれの参加者の信仰の取り持ちをするのが神道。自分自身を構築するのが武士道。フランスの柔道人は日本より多い。日本人に感謝の心を持っている。明治神宮の参拝者の半分は外国人。日本の神はきこしめす神、みそなわす神、見てくれる・知ってくれる神。日本の神は受容の神

マーシャルアーツ(注・martial arts。日本語の『武芸』を英訳した言葉。文字通り、『武の』【martial】『芸』【arts】のことを指す。これが転じて、レスリング、ボクシングといった西洋文化に根を持つ術技体系以外の拳法、格闘技全般を指す言葉として用いられる)は相手を殺す、傷つけることが目的。日本の武士道はそうではない。活人剣。合気道然り。全体として生命体意識に目覚める。他者に対する自己犠牲を日本武人は体現している。日本武道は従属ではなく主体性。殺傷ではなく創造。結果よりプロセス。戦い方自体に文化がある。道義があるから戦う。結果は問わない。道義を体現して戦う。

武道は型・形態から入る。型の継承と維持は大変大事。古いものを継承すると新しいものが創造されていく。伊勢の神宮の式年遷宮、皇位継承と同じ。われわれは宇宙の一部、自然の一部。自分の中を探求すると宇宙と共通するものがある。自分の中に宇宙の原理が働いている。包容同化して、勝った者が負けたものをお祭りする。お互いの尊厳を認める。平らけく和するのが平和。お社に集まるから社会と言う。共同体の原理」。

 

| | トラックバック (0)

國防に関してはわが國は法治國家ではない

 

『現行占領憲法』の「前文」の精神に基づいて、「第九条 1・日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない」を讀めば、『現行占領憲法』は自衛権・國防軍の存在を否定してゐると解釈するのが至当である。

 

憲法学の専門用語の解釈ではどうかは知らないが、ごく当たり前の國語の解釈を以てすれば、國家防衛即ち自衛戦争は最重要な「國権の発動」である。北朝鮮や共産支那などからの武力侵略は最も悪質なる「國際紛争」である。これを阻止するために「國権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」を行ふのは國家として当然の権利だ。それを一切否定する『現行憲法』第九条第一項が亡國条文であることは明白だ。

 

従って、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない」といふ第二項は、國家の存立を根底から否定する条文である。「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定してゐないといふ解釈は「前文」の精神に立脚すれは全く成り立たない。

 

『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソといふ戦勝國に対して立ち向かふことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

しかし、その後の國際関係に変化によりアメリカの意向で創設され、現実にわが國に存在する自衛隊は、立派な「陸海空軍」であり、武力の行使又は威嚇を行ふ実力組織であり、戦力も交戦権も保持してゐる。「戦力」「交戦権」を持たない「軍」はあり得ない。

 

そして、この自衛隊といふ名称の「陸海空軍」によって、わが國の安全と独立が守られてゐる。この事実は、自衛隊が違憲であるか否かに関はらず、厳然たる事実である。そしてそのことは、「國民大多数の合意になってゐる」と言はれる。『現行占領憲法』が如何に現実を無視してをり、空文となってゐるかは火を見るよりも明らかである。

 

吉田茂内閣総理大臣(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べた。これが『現行占領憲法』の立法意志であり、まともな解釈である。

 

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであらうと戦争はしない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」といふ意味であることは明白だ。前述した通り「前文」の精神に立脚すれはそれは当然である。

 

第九条がある限り誰が見ても陸海空軍である自衛隊は「陸海空軍」と見做されないのである。「交戦権」を否定されてゐるのに事実上「陸海空軍」があるといふのは全くの矛盾である。

 

したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上「國軍」として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」といふ絶対矛盾の存在であり続けなければならない。つまり國防に関してはわが國は法治國家ではないのである。こんな憲法は根底から否定されなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十九日

午前は、諸事。

昼は、若き友人と懇談。食堂のご厚意により、小生の『二日遅れのミニ誕生祝』をしていただく。

午後は、資料の整理。

午後六時半より、団子坂下にて、同志二氏と懇談。意見交換。

帰宅後は、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2018年3月19日 (月)

『深見東州・バースデー書画展開幕式』における登壇者の祝辞

『第十八回 深見東州・バースデー書画展開幕式』における登壇者の祝辞は次の通り。

 

亀井静香氏「深見東州氏は神か人か分からない人。現代のレオナルド・ダ・ヴンチ。歌はうまいとは思わないが、プラシド・ドミンゴと一緒に歌った心臓は大したもの」。

 

小沢一郎氏「深見氏には私の仲間が本当にお世話になっている。今の政治はあまりにもひどい状況。このままでは日本の将来はどうなるのか。嘆いてばかりはいられない。『お前たちは何やってんだ』ということになる。来年の深見氏の誕生日にはきちっとしたことを報告したい。大同団結して夏の参院選で過半数、次の総選挙で政権を取りたい」。

 

原口一博氏「私が難病をしていた時、深見先生は光であった。天から才能の神が降りて来るとおっしゃった。深見先生の光を多くの人に伝えるのが私の使命」。

 

松木けんこう氏「野党がしっかりしないと駄目。国民第一の政治であって欲しい。深見先生には我々の仲間がお世話になっている」。

 

深見東州氏「私は与野党を超越して政治家を応援している。五回以上当選する人。揺るぎない基盤を持っている人。官僚を使うのが上手い人。のるかそるかの時に運がある人。ロシア・北朝鮮・中国と較べると日本には自由がある。私は、年齢と共に生きてゆく。物事を始めたらケツを割らない。継続は力。前人未到のことにチャレンジしていく。継続しつつ新しいものを生み出していく。七十歳になってから第三番目の博士論文を書きたい。知力は冴えている。七十歳から本格的な活動をしていく。まごころを持って至誠一貫で生きていると神様が来て下さる。神の御心にかなえば運が巡って来る。財務官僚・国税庁はずっと前から書類の改竄をやっている。一切不正をしないことが税務署に勝つ道。村木厚子さんのことを見ても分かる通り、検察はどれだけ改竄・虚偽・でっち上げをやっているか。屈辱を受けた時、どう生きて行くかが人間を決める。志を持ち、天地正大の気を受けて乗り越えて行く」。

 

(この記録は小生のメモと記憶によるものです。文責は小生にあります)

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十八日

朝は、諸事。

 

午前十一時より、六本木の泉ガーデンギャラリーにて、『第十八回 深見東州・バースデー書画展開幕式』開催。亀井静香・小沢一郎・松木けんこう・原口一博・伊藤憲一・平沢勝栄・海江田万里の各氏などが祝辞を述べた。そして深見東州氏がスピーチを行った。

180318_125902jpg303
テープカット風景

 

午後は、六本木の泉屋博古館分館にて開催中の『生誕一四〇年記念特別展 木島櫻谷近代動物画の冒険』展参観。

 

 

三月十八日に参観した『生誕一四〇年記念特別展 木島櫻谷』は、「明治から昭和にかけて活躍した京都の日本画家木島櫻谷(このしま おうこく1877-1938)。京都の円山・四条派の流れをくむ今尾景年に学んだ櫻谷は、20代で頭角を現し、明治後半から大正期にかけて文展の花形として活躍しました。画業のなかで、最も高く評価されたのが動物画です。それは徹底した写生を基礎に、卓越した技術と独自の感性により創造されたもの。確実で精緻にとらえられた動物の表情は、一方で情趣にあふれ、どこかもの言いたげです。本展では彼の描いた"動物"に着目し、その代表作はもちろん未公開作品を一堂にあつめ、多様な表現とその変遷をたどります。また櫻谷文庫に遺された多くの資料調査から、それらの制作背景や画材などをあわせて紹介します」(案内書)との趣旨で開催された。

 

「野猪図」明治三三年(一九〇〇)、「熊鷲図屏風」明治時代、「寒月」大正元年(1912)、「猛鷲図」明治36年(1903)、「獅子図」昭和時代、「かりくら」明治43年(1910)、「孔雀図」昭和4年(1929)、「幽渓秋景」大正時代などを鑑賞した。

 

 

 

私は恥ずかしながら、京都の日本画家は、竹内栖鳳と伊藤若冲のことは知っていたし、これまで何回も鑑賞したが、木島櫻谷はこの展覧会に来て初めて知った。どれも美しい作品であった。日本画は實に心が落ち着く。

 

 

 

「寒月」という作品は代表作とのことであるが、狐が雪の積った山林の中を歩いている図で、何となく神秘的でまことに見事であった。何故か夏目漱石はこの作品を評価しなかったという。不思議ことである。

 

 

 

「獅子図」も良かった。竹内栖鳳も獅子を描いた作品があったように思う。先輩の竹内栖鳳と木島櫻谷は大体同時期の画家で二人とも京都で活躍した。おたがいに影響し合ったのかもしれない。「野猪図」は猪を描いた作品。猪を題材にした絵は初めて見たような気がする。私はいのしし年なので興味深く拝見した。「かりくら」は二人の武将が馬に乗って出陣する時を描いていてとても躍動感と迫力があった。「孔雀図」も見事であった。

 

 

 

前述したように、竹内栖鳳と京都画壇の人気をわけ華々しく注目される作家であったが、その後、画壇から嫌われたと言われる。竹内栖鳳は文化勲章を受章したが、木島櫻谷はそうした栄誉は与えられなかったようである。そして、昭和131113日枚方近くで京阪電車に轢かれ非業の死を遂げたという。気の毒な事である。

 

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2018年3月17日 (土)

昨年十一月二十三日に開催された『第三十四回新嘗を祝ふ集ひ』における稲貴夫氏(元神社本庁総合研究部長)による「御代替はり大嘗祭」と題する講演内容

昨年十一月二十三日に開催された『第三十四回新嘗を祝ふ集ひ』における稲貴夫氏(元神社本庁総合研究部長)による「御代替はり大嘗祭」と題する講演内容は次の通り。

 

「この度の御代替わりは、昨年(平成二十八年)八月八日の『象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉』が出発点になっている。本年(平成二十九年)六月九日、『天皇の退位などに関する皇室典範特例法』成立。ご退位が、皇室会議で正式に決まる。今上陛下には長く御在位いただきたいという願いがあったが、想定外の事態となった。今上陛下は象徴としてのおつとめに全身全霊を込めて来られた。

 

戦後の皇室制度は、未整備のまま今日まで続いてしまった。ご譲位を是とするか否かは議論がある。近代以前を含めて考えるかどうかで結論も変る。天皇のご存在は憲法以前のもの。憲法を超越するご存在である。こういう観点から考えるべし。御代替わりには、即位礼、大嘗祭という国家と皇室の重儀が行われる。

 

現行皇室法には重大なる欠陥がある。皇位継承に不可分の『神器』『大嘗祭』が欠落している。葦津珍彦先生を中心とした皇室法研究会の『現行皇室法の批判的研究』(昭和六十二年十二月刊行)によって、政府関係者に皇統継承のあり方について理解が深まった。戦前は『登極令』があったが廃止された。戦前は、皇室財産である御料林は帝室林野局が管理した。国の財政とは独立していた。昭和三十五年に『伊勢の神宮の御鏡に関する質問に対する政府答弁書』で御鏡は皇位継承と不可分との答弁があった。根本的な法的整備が難しいが、一歩でも二歩でも正しいあり方に近づけたいという先人の努力。

 

大嘗祭の位置づけについて当時論争があった。國の行事とすることによって世俗・政治・政界の横槍が入らないように努力。大嘗祭に関する論争がある。『邇邇藝命が真床追衾にくるまって降臨する。大嘗祭には寝座にやすまれることによって天皇靈を身に付ける』という論があったが、多くの学者によって否定された。秘儀はない。天皇靈が身に付くことはないということになった。しかし、大嘗祭の信仰的・精神的意義を深く考えるべし。新穀をいただくことによって霊が蘇える。

 

平成の御代替わりでは日本の國柄を確認する行事が行われた。しかし極左のテロがあった。三十社の神社に時限発火装置が仕掛けられた。しかし、当時の神社関係者はテロに屈しないと決意した。平成の御代替わりと同様、今度も皇室と国民との強いつながりを確認し、盛り上げていくことが必要。

 

式年遷宮が国民の奉賛があったと同様、大嘗祭も国民全体が奉賛させていただく。日本文化の根底には稲作がある。人間の命の根源である食べ物の有難さを思う。皇位継承と密接に結びついている。稲を中心とする日本文化を考えるべし。

 

アジア島南部にはじまり、生産性が高く連作もできる水田稲作は、その栽培に適したモンスーン地帯へ広がって行ったと考えられる。その時代や経由地については諸説あるが、日本人が稲とその栽培技術を国家形成の基盤と捉えてきたことは間違いない。そのことは、私たちの祖先が辿って来た歴史にも、そして神話の中に記されたコメの起源神話などにも明らか。そして今日のいたるまで品種や栽培技術の改良が続けられてきた。

 

 

 

かつては三食お米を食べることが日本人の夢であり、先人たちはその実現を追い求めてきた。その営みは戦後まで続き、コメの完全自給を達成したのは昭和四十二年のこと。その頃、コメの生産量は過去最高の千四百万トン超を記録したが、以降は逆に余剰が問題となり、生産調整が進められた。現在の生産量は最盛期の半分程度であり、広大な耕作放棄地が生まれている。

 

 

 

同時にその間、食の多様化や経済のグローバル化の渦中に晒され、米離れは今日の過疎問題の原因ともなっている。現実と理想の狭間でコメ離れが進んでいく中、私たちの将来に関わるこの大きな課題を、国民全体が真剣に考える時を迎えている。

 

昭和三十四年生まれの私は、臨海学校に米を持参した。『斎庭稲穂の神勅(ゆにはいなほのしんちよく)』を継承し、御代替わりの際に深く考えることが大事」。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十六日

午前は諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆、資料整理など。

| | トラックバック (0)

国家的危機と武の精神の勃興

「三種の神器」に「剣」があるのを拝しても明らかなごとく、皇室の道統・日本天皇の国家統治は、武の精神と一体である。また上御一人日本天皇は軍の最高の統率者であらせられる。神武天皇・天武天皇・聖武天皇という諡号を拝して、それはあまりにも明白である。応神天皇は、八幡宮として祀られ、武の神・軍神として今日に至るまで崇められている。日本天皇及び朝廷は、わが国の伝統的な武の精神の体現者であらせられる。軍においてもその頂点にお立ちになるのが本来のお姿である。

 

しかし、中古時代以降、朝廷において「武の精神」が希薄になったことが、武家による政治の壟断の原因であると言ってよい。後鳥羽上皇・後醍醐天皇は、隠蔽され衰微していた天皇の国家統治と武の精神の一体性の復興を目指されたのである。

 

元弘四年(一九九四)正月二十九日、「建武」と改元されたのは、武の精神の復興を目指されたからである。建武中興は、武家による政権壟断以前の時代の精神の復興であった。すなわち復古即革新である。今日の日本においても、建武中興・明治維新の理想が実現されねばならない。

 

國家的危機においてはわが國は、天皇を中心とした國家的統一すなわち國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動、そして天皇及びご皇室を中心にして「ますらをぶり」「剣魂」「もののふの心」が勃興した。

 

 承久の変・元寇・建武中興・幕末の時期に起こった動きがその典型である。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強による侵略の危機に遭遇した幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。これは危機にさらされたときに必ず起こるわが國の伝統である。

 

 また、須佐之男命・神武天皇・日本武尊以来の日本皇室の武の精神・ますらをぶりは平安時代から明治の御代までの間断絶していたのではない。承久の変を起こされた後鳥羽上皇は御自ら、馬競べ・狩猟・水練・刀剣のご製作に励まれ、建武中興を断行された後醍醐天皇及び護良親王などの皇子方は率先して幕府方と戦われるなど、大いにますらをぶり・武の精神を発揮された。

 

幕末期の尊皇攘夷運動は、孝明天皇の「戈とりてまもれ宮人こゝのへのみはしのさくら風そよぐなり」という「ますらをぶり」の大御歌にこたえたてまつらむとした多くの志士たちによって実行されたのである。

 

 戦後日本は誤った<平和主義>に侵されて、軍事・防衛を忌避し自衛隊を日陰者扱いにした。そして、天皇及びご皇室は軍(自衛隊)から引き離された状況が続いている。

 

 しかし、危機的状況を迎えた今日において、天皇を中心とする國體への回帰による危機突破という日本的愛国精神が勃興して来なければならない。それがわが國の歴史伝統である。    

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十六日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、原稿執筆・資料整理など。

| | トラックバック (0)

2018年3月16日 (金)

対米自立について

日本は、非核三原則などという誤った原則を墨守し、且つ、軍事力を全く否定した似非平和憲法を未だに破棄出来ないでいる国である。そればかりでなく日本は、現実に何時共産支那や北朝鮮から核攻撃を受けるかわからない危機に曝されている国である。

 

日本はかつてアメリカと戦った国であり、ベトナムやイラクと同じようにアメリカの空爆を受け、国土は焦土と化し、多くの国民が殺戮された国である。ベトナムやイラク以上にひどい目に遭った国が日本である。だから、日本国民には潜在的にアメリカに対する反感がある。

 

ブッシュは九・一一テロの直後、「アメリカに逆らった国で殲滅されなかった国はない」とか、「イラクの終戦処理は第二次大戦後の日本占領を模範とする」などと言った。こうした発言は日本民族にとってきわめて不愉快である。

 

大東亜戦争に敗北した後、日本は七年間もアメリカの軍事支配を受け、日本を弱体化することを目的とした憲法を押し付けられた。日本は、その占領憲法を後生大事に未だに押し戴いている。そして自分の国を自分で守ることのできない情けない国である。多くの日本国民は反感を持っている。小生ももちろんその一人である。

 

ともかく現行占領憲法がある限り、日本は独立国家ではないのである。アメリカの支配下にある国なのだ。そのことを明確に認識しなければならない。

 

アメリカ製の憲法を押し戴きアメリカの核の傘に入っている以上、国際問題、経済問題等々でアメリカに徹底的に逆らうことなど出来ないのである。まさに日本はアメリカの属国なのだ。否、いまだにアメリカの占領下から独立してはいないのである。だからトランプは日本に来た時、成田や羽田ではなく横田基地に来たのだ。

 

わが国がアメリカと対等の立場に立ち、言いたいことが言える国になるためには、核武装して自主防衛体制を確立し、自主憲法を制定し、真の独立国家として再生しなければならない。

 

日本国も核武装し自主防衛体制を確立し単独で支那共産帝国主義や北朝鮮と戦いこれを壊滅できる力を持つような国家になるよう努力すべきである。

 

ところが、日本の真の独立=アメリカの属国からの脱却を妨害して来たのが、自主憲法制定・自主防衛体制確立・核武装に反対してきた亡国政党=社民・共産・民進党左派・立憲民主党であり、偏向マスコミなのである。自民党の中にさえそういう連中がいる。

 

最近、国際的安保環境は大規模に変容している。とりわけ北東アジア情勢は極めて危険である。日本は正しき安保観・国防観を一刻も早く確立しなければならない。自主防衛体制=核武装を断行して、いかなる国からの攻撃・侵略も徹底的に排除する態勢を確立しなければならない。そのために、日本国内の似非保守・売国分子を糾さなければならない。

 

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十五日

午前は、諸事。

午後三時より、麹町の加瀬英明氏事務所にて、『日本再生同志の会』幹事会。開催。中村信一郎氏が司会。五月二十五日に開催するシンポジウムについて討議。

午後六時より、水道橋にして、永年の同志と懇談。意見交換。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月15日 (木)

今朝思ったこと

辻元清美は証人喚問を何と考えているのか。言論の自由を否定する暴力主義、専制主義者である。辻元は「良いね」とはどうことが知らぬはずがない。断固として安倍昭恵さんを擁護する。そして辻元は政治家を即刻辞めるべきである。安倍昭恵さんの証人喚問まで要求する亡国野党・メディア(フジテレビを含む)は狂っているとしか言いようがない。

| | トラックバック (0)

『五箇条の御誓文』は、維新日本出発の基礎であり、近代日本の基本精神である

 

『五箇条の御誓文』は、百五十年前の慶應四年(この年の九月八日明治に改元。一八六八年)三月十四日、明治天皇が、百官・公家・諸侯を率いられて京都御所紫宸殿に出御あらせられ、御自ら天神地祇をお祀りになり、維新の基本方針を天地の神々にお誓ひになった御文である。

 

『五箇条の御誓文』には

「一、広ク會議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス

一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ我国未曽有ノ変革ヲ為サントシ,朕躬ヲ以テ衆ニ先ンジ,天地神明ニ誓ヒ,大ニ斯国是ヲ定メ万民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協力努力セヨ」

と示されてゐる。

 

『五箇条の御誓文』は、維新日本出発の基礎であり、近代日本の基本精神と言っても過言ではない。

 

慶応三年十二月九日(一八六八年一月三日)に江戸幕府を廃絶し、同時に摂政・関白等の廃止と三職の設置による新政府の樹立を宣言した『王政復古の大号令』は、明治維新の構想を明示した大宣言であるが、それには「諸事神武創業之始ニ原キ、縉紳武弁堂上地下之無別、至当之公議竭シ、天下ト休戚ヲ同ク可被遊叡慮ニ付、各勉励、旧来驕惰之汚習ヲ洗ヒ、尽忠報国之誠ヲ以テ可致奉公候事」と示された。

 

諸事神武創業に回帰することを大眼目とし、公議を竭(つく)して天下と休戚(喜びと悲しみ、幸福と不幸)を同じくし、旧習を洗ひ清めて、国民の身分差別をなくし、国民が倦むことなく明るく幸せに暮らす一君万民の理想国家を建設することが「王政復古」即ち明治維新の理想であることが明示された。

 

「公議を竭す政治」の実現は、明治維新の大きな目的の一つであった。万延元年六月に岩倉具視が提出した『上申書』に「誠に皇国危急の秋に際して、憂慮に堪へず候。之に依り其の匡済(注・悪をただし、乱れを救ふこと)の長計を愚考仕り候には、関東へご委任の政柄(注・政治を行ふ上での権力)を隠然と朝廷へ御収復遊ばされ候御方略に為されられる拠り、先づ億兆の心を御収攬(注・人の心などをとらへて手中におさめること)、其帰向する所を一定為し致し候て、輿議(注・世論)公論(注・公けの議論)に基き、御国是を儼然と御確立遊ばされ候半(そうらは)では、相成り難しと存じ奉り候」と論じた。

 

徳川幕府に委任してゐた国政に関する権能を朝廷に収復し、さらに国民全体の意志をよく確認し、世論や公論をよく聞いて国是を確立すべきであるといふ意見である。井伊大老天誅直後において、すでに、天皇中心の政治、議会政治・国民世論重視の姿勢が唱へられたのである。

 

慶応三年十月三日、山内豊信(土佐藩第十五代藩主、隠居後の号は容堂)が幕府に提出した『建白書』に添へられた『上書』には「一、天下の体制ヲ議スル全権ハ朝廷ニアリ。乃チ我皇国ノ制度法則一切万機必ズ京師ノ議政所ヨリ出ツベシ。一、議政所上下ヲ分チ議事官ハ上公卿ヨリ下陪臣庶民二至ル迄正明純良ノ士ヲ撰挙スベシ」と書かれてゐた。

 

朝廷中心の政治・議会政治の実現が説かれてゐる。この「上書」は坂本龍馬の『船中八策』を参考にしてものと言はれる。

 

『船中八策』とは、慶応三年六月九日土佐藩船「夕顔」で長崎を出航、十二日に兵庫に入航するまでに、坂本龍馬の発案により、長岡謙吉(土佐藩士。海援隊隊員)が筆記したもので、「一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事」「一、古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事」とある。朝廷中心の政治と議会政治実現と共に「無窮の大典」即ち「憲法」制定をも提言してゐる。

 

「朝廷中心の政治」「公議を竭す政治」の実現は、德川幕府打倒を目指した側のみならず、幕末期の徳川幕府においても論じられてゐた。

 

慶應四年十月十四日に提出された『大政奉還の表』には「當今、外國の交際日に盛んなるにより、愈々朝權一途に出で申さず候ひては、綱紀立ち難く候間、從來の舊習を改め、政權を朝廷に歸し奉り、廣く天下の公議を盡くし、聖斷を仰ぎ、同心協力、共に皇國を保護仕り候得ば、必ず海外萬國と並び立つ可く候。臣慶喜、國家に盡くす所、是に過ぎずと存じ奉り候。去り乍ら、猶見込みの儀も之れ有り候得ば、申し聞く可き旨、諸侯へ相達し置き候。之れに依りて此の段、謹んで奏聞仕り候」と書かれてゐた。

 

天皇中心の日本國體の回復即ち天に二日無き一君万民の国家実現と萬民の公議による政治が、幕府側からも論じられたのである。

| | トラックバック (0)

2018年3月14日 (水)

千駄木庵日乗三月十四日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、脱稿、送付。今夜行う講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が山上憶良の歌などを講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

| | トラックバック (0)

今日思ったこと

適材適所忖度改竄といふ言葉喧しくも飛び交ひてゐる

 

鬼の首を取ったやうにはしゃぎゐる偏向朝日と亡国野党

 

国会前で騒ぎゐる輩 汚らはしき地獄の亡者の如くに見ゆる

 

一人の人間を公衆の面前で暴力的に責めあげる「証人喚問」とはロシア・支那の共産革命の時に行われた人民裁判と同じである。それこそ「民主主義」に反する人権無視の暴力行為である。ああいうものをやりたがる偏向朝日、亡国野党は、正義の味方面して暴力革命を扇動していると同じである。

 

ともかく民進党が分裂した後、離合集散をり返し、外交・安全・経済・財政・福祉・教育そして肝心の憲法にについての何等の政策も理念も政策も示し得ない現在の野党に政権を委ねることは絶対に出来ない。

|

2018年3月13日 (火)

この頃詠みし歌

たまきはる命を生きて七十一年いよいよ強く生きたしと思ふ

 

ものを書かむと机に向かふ時にしも列車の音が風に乗り来る

 

静かなる夕べの神域に入りゆきて神を拝ろがむ時のかしこさ(根津神社参拝)

 

古き町の小さき教會昔のままの姿なりけることのよろしさ

 

家出でて夕暮の町を歩み行く 目指すは何時もの居酒屋一軒

 

温かきうどんを食するこの夕べ我はともかく大食漢にて

 

昇り来し中坂の上の神苑に白梅薫る湯島天神

 

白梅の咲き薫る庭を経巡りて春の来たるを喜びてをり

 

天満宮人満ち溢れ春来たる

 

女坂下り行きつつ梅めでる

 

やはらかき春の陽射しを身に浴びて四方(よも)を眺むる屋上庭園

 

やはらかき春の陽射しの中に立ちいよゝ目覚める新しき戀

 

切れ味の悪き鋏と格闘し袋切り裂く朝(あした)なりけり

 

父の故郷徳島眉山を訪ねし日の晴れわたる空今も忘れず

 

父の友と共に食せし名物の菓子の名前は忘れたりけり

 

鳴門の海見晴るかすホテルで父と共に食せし鯛の刺身懐かし

 

あの頃の父はまだまだ健やかに故郷(ふるさと)の友と語らひてをり

 

覚悟して暗き川にぞ入り行きし人の魂天に昇れり

 

守護靈の導きたまふを祈りつつ静かなる夜をもの書きてゐる

 

雨風の激しき夕べ買ひ物に出で来し道にたたら踏みたり

 

ひねもすをやまと歌のこと書き過ごす春の嵐の吹くを聞きつつ

 

春雨の降り続く日は家に籠りひたすらものを書き続けたり

 

青年の如くに生きんと自らに言ひ聞かせたり鏡を見つつ

 

一日を恙なく過ごせし喜びを神に感謝に床に就きたり

 

(えにし)ある人々集ひ逝きませる小田村先生に花捧げたり(故小田村四郎先生告別式)

 

小雨降る町を歩みて佳き人の告別式會場に着きにけるかも()

 

またお一人昭和の御代のみいくさ戦ひし方が世を去りたまふ()

 

多くの人が参り来たれど告別の式てふものは悲しかりけり()

 

幼き日の父母との思ひ出よみがへり涙さしぐむ我にしありけり

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。明日行う『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

| | トラックバック (0)

この頃詠みし歌

混迷の政治状況を見据えつつ亡国野党滅びよと思ふ

 

改竄も忖度もそんなことどうでもよく亡国野党は滅びるが良し

 

安倍さんよ辞めてくれるな耐えに耐えこの難局を乗り越えてくれ

 

テレビ朝日朝日新聞はこの世より無くなることを祈る日々(にちにち)

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、書状執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月12日 (月)

第八十二回日本の心を学ぶ会

第八十二回日本の心を学ぶ会

 

武士道を考える。

 

今年の311日で東日本大震災から七年が経過しました。

 

当時を振り返りますと被害の大きさや津波の恐ろしさ以上に、非常事態のなかでも混乱することなく整然と行動する日本人の姿が印象的だったことを思い出します。

 

なかでも被災地における救援物資を分かち合う様子や原子力発電所の復旧に敢闘する人々の姿は海外のメディアでも紹介され日本の精神的優秀性を表す現象であると紹介されました。さらにこのようなことの根本に、日本の武士道の影響を指摘したメディアも多くありました。そもそも武士道とは字義的には武士の守るべき道を意味します。

 

しかしなから武士道とは特定の人物によって書かれた教義ではありません。

日本の長い歴史のなかで自然生成的に成長してきた民族の伝統的精神であります。

 

ひとたび国家に危機が到来したときは必ず武士道が勃興し国難を乗り越えてきました。明治維新は、草莽の武士たちの蹶起が大きな役割を果たし、一君万民と國體を明らかにし、国民皆兵すなわち国民全体が武士となる体制を実現しました。しかし敗戦後のGHQによる占領政策・日本弱体化政策は日本から武士道的なるものを消し去り、日本にただの一人の武士もいなくなることが目的であったといえます。

 

しかし、このような占領政策があったにも関わらず、震災時の行動を見ると武士道は日本人の精神の深いところに根付いています。

そして今日の危機的情勢、内外の諸問題を考える上で武士道は何かの指標を与えてくれると思います。今月の勉強会では武士道について考えてみたいと思います。

 

【日時】平成三十年三月二十五日 午後六時から

 

【会場】文京シビックセンター 3階会議室A

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

住所:東京都文京区春日11621◎東京メトロ後楽園駅・丸ノ内線(4a5番出口)南北線(5番出口)徒歩1分◎都営地下鉄春日駅三田線・大江戸線(文京シビックセンター連絡口)徒歩1分◎JR総武線水道橋駅(東口)徒歩9

 

【演題】「もののふの道・武士道」と道義國家日本

 

【講師】 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

 

この告知文は主催者が作成しました。

 

| | トラックバック (0)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 三月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

| | トラックバック (0)

亡国野党・偏向朝日の倒閣の企みを阻止しなければなりません

立憲民主党・共産党などの亡国野党と朝日新聞などの亡国メディアが、大阪の学校法人の問題で安倍政権を批判している。倒閣を視野に入れているという。

 

しかし、志位和夫・蓮舫・福島瑞穂・辻元清美・山尾志桜里・小川敏夫・長妻昭などという連中が中枢を担う政権が誕生すれば、まさに日本は亡国です。こんな連中が政府閣僚になっている姿を想像するだけでゾッとします。そんな政権より安倍政権の方がましであることは火を見るよりも明らかです。

 

安倍政権がどんなに内政問題で不祥事を起こしたとしても、今の野党に政権を渡してはならないということは自明であります。日本国の政治が混迷し不安定になれば一番喜ぶのは誰かを考えるべきであります。日本は支那の属国になり、軍事的政治的支配下に置かれることとなります。経済も福祉も停滞します。治安も悪くなります。

 

ともかく、亡国野党・偏向朝日の倒閣の企みを阻止しなければなりません。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月11日 (日)

國民精神の革新・日本の傳統精神の復興の中核が和歌の復興である

 

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を讀むことによって可能となる。

 

中河与一氏は「和歌が國風(註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本に於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

 

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を傳統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとして和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ實感すべきである。

 

そもそも愛國心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛國心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を學ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治體制の革新のみではなく、國民精神の革新・日本の傳統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月十日

午前は、諸事。

午後二時より。内幸町の日本プレスセンターにて、「アジア問題懇話会」開催。馬田啓一杏林大学名誉教授が「揺らぐアジア太平洋の経済統合の行方と日本の対応」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月10日 (土)

〈日本の伝統信仰・天皇の祭祀〉が今日の混迷を打開する

 

天皇は、大嘗祭をはじめとした宮中祭祀において、天照大御神をはじめとした天神地祇、瑞穂の霊、歴代の皇霊を祭られる。日本人の自然を大切にする心と潤ひのある衣食住の基本には、全てを神として拝み、神として祭る心がある。その最高の実行者が、和歌を詠まれ、農事を行はれ、祭祀を行はれる日本天皇であらせられる。

 

天皇の祭祀は、五穀の豊穣・國民の平安を祈られる。また、わが國伝統信仰に基づく儀礼であって、日本國の成立と共に行はれてきた。それは『記紀』に記された歴代天皇の御事績を拝すれば明らかである。

 

したがって、天皇の祭祀は私事ではないし、単なる先祖祭でもない。信仰共同体日本の根幹であり最も大切な公事である。日本國家生成の根源である。

 

戦後日本の「弱体化」「伝統否定」の中で、天皇および皇室は、祭祀主・宗教的権威としての天皇の本質を軽視し隠蔽されて来た。現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子の真姿への回帰・天皇の御本質の開顕が根本である。

 

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考へる。

 

日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆を根絶しなければならない。

 

橘曙覧(たちばなのあけみ。幕末の歌人。越前國の人)は、

 

「利(くぶさ)のみむさぼる國に 正しかる日嗣のゆゑを しめしたらなむ」

 

と詠んだ。

 

科学技術の進歩と営利至上主義が生態系を破壊しつつある今日、自然と共に生き自然を大切なものとして拝ろがむ精神の回復が必要である。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。科学技術文明・近代合理主義に依拠し、利益と進歩のみを求め欲望と便利さの充足を至上の価値とし、自然を造りかへ破壊して来た近代の傲慢さに対する歯止めとして、天皇を祭祀主と仰ぐ日本伝統信仰の祭祀が大きな価値を持つ。

 

日本伝統信仰の祭りは、天地自然及び祖霊に対する敬虔なる思ひの表現である。天地自然の神々の復活が現代の救済であり世界恒久平和の基である。

 

伊勢の神宮、皇居の森、明治神宮の森をはじめとして全國各地の「鎮守の森」は、現代社会において人々の魂を清め、精神を清浄化する場として、大きな価値を持ってゐる。〈日本の伝統信仰・天皇の祭祀〉が今日の混迷を打開する。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月九日

朝は、諸事。

 

午前十一時より、小日向の拓殖大学後藤新平・新渡戸稲造記念講堂において、『故 小田村四郎先生告別式』執行。黙祷が行われた後、福田勝幸拓殖大学理事長、徳川康久靖国神社前宮司、李登輝元台湾総統(代読)が弔辞を述べた。喪主の小田村芳忠氏が謝辞を述べた。そして参列者全員が献花を行った。拓殖大学関係者のほか、実に多くの真正保守の論客、運動者が参集した。

 

帰途、大手町で、参列した同志と懇談。

 

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月 8日 (木)

國體精神を恢弘してわが國の革新と再生を実現すべし

 

日本伝統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を伝えられている。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

 日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。

 

 現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。

 

 現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本伝統文化へと回帰しなければならない。

 

わが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地で神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

 

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。今日の日本の政治は醜い権力闘争が繰り広げられている。

 

しかし、日本の歴史と傳統は、天皇によって体現されている。日本文化の一体性・連続性の窮極の中心者が天皇である。日本文化傳統の核である祭祀を司っておられるお方が天皇であらせられる。天皇は、日本の歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他にかけがえのない唯一の中心者であらせられるのである。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

 

 

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

昨年十一月十四日に開催された『呉竹会アジアフォーラム』における中谷元・元防衛大臣の講演内容

昨年十一月十四日に開催された『呉竹会アジアフォーラム』における中谷元・元防衛大臣の講演内容は次の通り。

 

「私は昭和三十二年に高知県に生まれた。防衛大学を出て、六年間自衛隊にいた。苛酷なレンジャー訓練も受けた。平成二年に衆議院議員になった、九・一一の時、防衛庁長官だった。二年前の平和安全法制の時、防衛大臣。掃海艇の派遣は出来なかった。PKOでも戦闘が行われていない地域しか行けない。

 

グローバル化の時代と言うが、国家主義が台頭して来ている。情報ツールで世界が動かされている。エジプトではフェイスブック革命で政権が倒れた。密室でアクセスしてしまう。世の中が劇的に変化。

 

頭山満先生は素晴らしい先覚者。アジア主義の巨頭。条約改正反対を貫いた。金玉均など各国のニューリーダーを育てた。土佐に板垣退助を訪ねた。昭和四年、日光東照宮に板垣退助の銅像を建てた時、民権運動の弟子として祝辞を述べた。

 

今年は大政奉還百五十年。来年は明治維新百五十年。阿部正弘は嘉永七年、日米和親条約を締結し開国を行った。慶応三年、坂本龍馬は山内容堂に対して大政奉還論を進言するため『船中八策』を提出。『一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。 一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事』などがと書かれていた。大政奉還が行われ、『五箇条の御誓文』が示された。

 

昭和十五年に『三国同盟』を結び道を誤った。アメリカと対立した。無条件降伏した。『ポツダム宣言』が今の憲法の原点になっている。『憲法』を十日間で作り上げた。

 

五年後に朝鮮戰爭がおこり、警察予備隊が創設された。二十六年に主権回復。二十九年に自衛隊創設。三十四年に最高裁の自衛隊合憲判決が出た。

 

トランプファミリーがアメリカを動かしている。トランプ情報が国の運命を左右する。マスコミ情報が正しいかどうかを見誤ると国が滅びる。韓国は慰安婦問題で国家の品位品格が感じられない。北朝鮮は通常戦力では米韓にかなわない。各国のエゴイズムの時代になりつつある」。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料整理、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2018年3月 7日 (水)

昨年十一月七日に開催された『笹川日中友好基金主催 講演会 日中有識者対話・北朝鮮の核危機と北東アジア情勢の行方』における登壇者の発言

昨年十一月七日に開催された『笹川日中友好基金主催 講演会 日中有識者対話・北朝鮮の核危機と北東アジア情勢の行方』における登壇者の発言は次の通り。

 

沈志華氏(華東師範大学歴史学部教授、冷戦国際史研究センター主任、周辺国家研究院院長)「今年三月、大連で講演した時に私は『北朝鮮は中国の潜在的敵』と言った。すると売国奴と批判された。多くの中国人は中朝関係をよく分かっていない。中朝同盟は常に友好を謳っていたが内情は常に変化していた。中国の改革開放以来二十年間で中朝関係は大きな変化が起こった。毛沢東時代は特殊な時代。二〇〇〇年に金正日が江沢民に会った時、金正日は『東北(注・満州)に視察に来た』と言った。『訪問』と言うべきだった。金正日はウチのお父さん(注・金日成)は、毛沢東はかつて何回も『東北は朝鮮のもの』だと言っていたと語った。周恩来は『中国人の祖先があなたたちの祖先をいじめたことを謝る』と言った。毛沢東は、『北朝鮮は最前線にあり、東北は後方にある。一緒に管理しましょう』と言った。金日成は東北で訓練を受けた。特別な関係だった。毛沢東・周恩来死去の後、中国の指導者の考え方が変化。市場経済はすでに社会主義ではなくなった。イデオロギーでも中朝は一致性が無くなった冷戦の終了、東南アジアあるいは世界の構造変化、特に改革開放後の中国の基本的な利益の背離によって、中朝同盟の基盤はすでに事実上崩壊している。中国は安定した周辺環境を必要としており、世界も中国の安定を必要としている」。

 

平岩俊司氏(南山大学総合政策学部教授)「北朝鮮は、以前は中ソ論争・矛盾を利用して国益を確保。今日は米中の対立を巧みに利用して外交空間を確保しようとしている。中韓国交正常化が今の核問題の原点。北朝鮮は中国に裏切られたと思った。自分が核の脅威にさらされるというのが核保有正当化の理由。中韓国交正常化で、北朝鮮は中国の核の傘の下に入っていないという不安を持った」。

 

周永生氏(外交学院国際関係研究所教授)「中国は北朝鮮を完全に信頼していないわけではない。核兵器を中国に向けているとは考えないが、中国に向けているという意見もある。中国は日中関係の改善を望んでいるが、安倍首相は中国批判を続けている」。

 

牛軍氏(北京大学国際関係学院教授)「アジア太平洋地域には長い対立がある。一九七九年の中米国交樹立が対抗から協力への転換。八〇年代から今日まで安全秩序が保障されてきた。四〇年間の安定が続いて来た。朝鮮統一で七千万の人口を持ち核兵器を持つ国が出来る問題がある。核拡散の問題は我々一人一人の生活に関わる問題。この地域の人々全員に対する脅威。技術的故障で核物質が漏れ出した時どうするのか」。

 

李丹慧氏(華東師範大学冷戦国際史研究センター研究員)「中露は七千六百キロの国境を持っている。六十年代初め中ソのイデオロギー闘争が国境闘争にまで広がった。六四年の中ソ国境交渉が決裂。ソ連は核による威嚇を行った。一九六九年の珍宝島事件、文革での反ソの高まりで、一触即発の状態になった。東北アジアにおいて北朝鮮と最も密接な関係を持つ国はロシア。北朝鮮はロシアよりもロシアに傾いている。またロシアは北朝鮮を利用して朝鮮半島と東北アジアでの影響力を強めている。東北アジアから核の暗雲を晴らし、朝鮮半島の安定と平和を実現するためには、大国間の協調が必要。中露が米日韓に対峙して北朝鮮に漁夫の利を得させてはならない」。

 

小泉悠氏(公益財団法人未来工学研究所特別研究員)「ロシア軍はバイカル湖の東に八万人配備されている。人民解放軍が攻めて来ても、ロシア軍は見つからないのではないかという冗談を言う人がいる。NATOの脅威を書く人はいるが、東側で直面している中国の脅威について何も書いていない。この事を明確に言うとデメリットがあるから言わない方が良いという考え」。

 

周志興氏(米中新視角基金会長)「北朝鮮の核汚染の問題がジレンマ。解決できない。中国のメディア・世論は制限をかけられている。インターネットは管理されている。メディアは殆ど政府の立場を代弁している。北朝鮮の指導者を批判してはならないということ。批判すると北朝鮮から抗議が来る。官製メディアはトーンダウンして報道。しかし控えめに批判していいということ。今は反対だがアメリカが武力行使したら中国は変る」。

 

| | トラックバック (0)

わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている

 昨日も書いたが、古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行われる祭祀を中核として、他の地方的な祭祀が全國的に統一されることによって実現したのである。これが天皇國日本の成立である。日本國は権力者の武力によって統一された権力國家ではない。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生まれた國である。

 

 古代日本の統一とは祭祀的・信仰的統一であり、日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の精神的な共同体である。

 

 したがって、日本という國家は権力者が國民を支配するための機関すなわち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。

 

さらに、天皇國日本は、世界の多くの國々のような征服や革命によって人為的に成立した國家ではない。だからわが國の國体を「萬邦無比」というのである。

 

「天皇制と民主主義は矛盾する。歴史の進歩にしたがって天皇制はなくなるし、なくすべきだ」と考える人がいる。こうした考えは、悠久の歴史を有する日本國を否定し破壊する考え方である。そして、こうした考え方に妥協して、いわゆる「民主主義」といわゆる「天皇制」を何とか矛盾なく結合させようとする考え方がある。「現行占領憲法」の「天皇条項」はそうした考え方によって書かれていると言えるのかもしれない。

 

「占領憲法」に象徴される「戦後民主主義」(欧米民主主義思想と言い換えてもよい)なるものが如何に日本國を堕落させ破壊したかは、今日の日本の現状を見れば火を見るよりも明らかである。

 

我々は日本を亡國の淵から救い、立て直すために、「戦後民主主義」を是正しなければならない。そして、「戦後民主主義」の是正は、日本の伝統的國家観・政治思想の復興によって行われるのである。言い換えると、日本國體精神が「戦後民主主義」是正の原理なのである。

 

 日本國は決して「占領軍や共産主義勢力が目指した民主國家」になってはならない。日本國は天皇國である。「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)は決して善でも正義でも真理でもない。日本にとって百害あって一利無き亡國思想である。欧米民主主義を建国以来理想として来た国がアメリカであるが、そのアメリカにおいて黒人の奴隷制が行われていた。

 

国家を権力機構とみなし、君主と人民は対立する関係にあるとする「戦後民主主義」(欧米民主主義思想)と「天皇制」との結合などということは全く必要のないことであるし、また不可能なことなのである。

 

 ただし、わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。国民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが国においては、古代より国民を「おほみたから(大御宝)」ときた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

 

 歴代の天皇は、すべて国民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」戸しての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの国民に限りない仁政を垂れたもうたのである。

 

 国民の幸福を実現する政治制度という意味で「民主政治」「民主主義」という言葉を使うとするなら、わが國の天皇統治はまさにそういう政治制度を生み出す根幹なのである。

 

天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。それは、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、民主政治の基本が示されている。

 

 葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外国の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治しそうであった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

 

 昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、国民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった」と仰せになられた。天皇の国家統治は、「輸入のものではない民主政治であり民主主義」なのである。

 

 天皇の国家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の統治は民の心をお聞きになり、民の心をお知りになる事が基本である。そしてそれは議会によって実現する。ゆえに、明治維新断行後において、帝国議会が開設され『大日本帝国憲法』が施行されたのである。

 

近代に於いてのみならず、古代日本においても、国民のために政治が天皇の統治によって実現していたのである。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

 

 天皇が国民の幸福を祈られる祭祀を執行され、国民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、国民のための政治即ち民主政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇のまつりごとにこそ、真の民主政治のである。

 

天皇は常に国民の幸福を祈られ、天皇統治とは国民を意志をお知りになることが基本である。わが國は天皇が民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされる君民一体の国柄である。これこそ真の民主政治でなくして何であろうか。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月六日

午前は、諸事。

 

午後二時半より、虎ノ門の笹川平和財団ビにて、『笹川平和財団主催 フォーラム』開催。 ボニー・グレイザー女史(CSIS「チャイナ・パワー・プロジェクト」ディレクター)が「中国の対外戦略ー新時代の意味するもの」と題して講演。この後、同女史と高原明生教授(東京大学)、松川るい参議院議員、小原凡司(笹川平和財団)が討論。質疑応答。

 

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月 6日 (火)

日本國の本質

 

 我々の愛する国家とは権力機構としての国家ではない。否定しても否定し切れないところの「父祖の國」「母國」と表現されるところの「共同生活を営む國」である。海といふ大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する国、農耕を営み、優れた文化感覚を持つ国「日本」である。

 

 この麗しき国日本は、村落共同体から出発して、次第にその範囲を広め、「日本」といふ国家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする伝統信仰によって結合してゐる共同体である。その信仰共同体の祭り主が天皇(すめらみこと)である。

 

かかる日本国の生成を『日本神話』は「神が日本國を生みたまふた」と表現した。古代日本の統一は、日の御子(太陽神の子)たる天皇が行はれる祭祀を中心とし、その祭祀が地方の祭祀を次第に全國的に統一されることによって實現したのである。つまり、古代日本の統一(日本國の生成)は、祭祀的統一である。各部族間の武力闘争はあったにしても、外国のくらべるとはるかに少なく、その有限的にして相対的な勝利は、最終的には神への祭祀によって聖化された。

 

日本民族の生活の基本たる稲作に欠かすことのできない自然の恵みが、太陽であり大地である。日本民族は太陽と大地を神として拝んだ。その太陽の神が天照大神である。また大地の神は國津神として祭られた。また稲穂そのものも神の靈が宿ってゐるものとして尊んだ。そして、古代日本人は太陽神・天照大神を最も尊貴なる神として崇めた。

 

 天照大神をはじめとする天津神、大地の神である國津神、そして稲穂の靈をお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主たる天皇は、天照大神の御子即ち日の御子として國民から崇められた。天照大神は、太陽の神であると共に、皇室の御祖先神であると信じられた。そして、祭り主たる天皇を、稲作を営む古代日本人の共同體の統合と連帯の中心者として仰いだ。

 

歴史学によると、紀元三世紀の日本は既に大和朝廷によって統一されており、天照大神信仰・現御神日本天皇仰慕の心による中核とする信仰共同体としての国家の統一が成立してゐたとされる。

 

 祭祀主たる天皇は、「大化改新」によって北は東北から南は南九州に及ぶ統一国家体制が制度的・法的に確立する時期よりはるか以前から、天皇はわが國に君臨せられてゐたのである。

 

 日本国の本質は権力国家ではない。また、日本天皇は絶対専制君主ではあらせられない。日本國の本質は、「祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體」である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。

| | トラックバック (0)

2018年3月 5日 (月)

千駄木庵日乗三月五日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、日本橋にて、同志と台湾問題などについて懇談。

帰宅後は、書状執筆、原稿校正など。

| | トラックバック (0)

台湾独立論

 民族とは「言語、地域、経済生活、及び文化の共通性のうちにあらわれる精神の共通性・運命共同意識を基礎として、時間的経過の中で歴史的に構成された人々の堅固な運命共同体である」といわれている。民族と人種とは異なる。台湾人と支那人は、歴史・伝統・文化・言語・基本的生活様式・運命共同体意識が異なっている。台湾人は支那人とは異なった民族である。ゆえに、台湾は民族自決の原則にしたがって支那の支配下から独立するべきなのである。

 

 さらにいえば、台湾は今まで「支那の一部」ではない。明朝において、台湾は明の領土でなかったことは明代の地図に明らかであるし、明朝はオランダの台湾占領と領有に同意している。また清朝においても、台湾は清の植民地であり移住民の島であったに過ぎない。明治六年、わが国の沖縄漁民が台湾に漂着して台湾先住民(いわゆる高砂族)に捕らえられて殺害されたことについて、日本政府は、清国に問責すると、清国政府は「台湾は王化(注・清の皇帝の影響下にあること)の地ではなく、その民は化外(注・清の影響下の外)の民である。……その乱暴あるいは無礼に対して責任を負うことはできない」と陳述した。

 

 日清戦争後、「下関条約」によって日本統治下にはいった。そして終戦まで五十一年間日本が統治した。この間台湾は近代化が行われ発展を遂げた。

 

 本来なら、台湾は大東亜戦争終結時において独立を獲得すべきだったのだ。しかしそうはならなかったところに最大の悲劇がある。一九四三年十二月一日、ルーズヴェルト米大統領、チャーチル英首相、蒋介石中華民国総統による『カイロ宣言』に、「満洲、台湾及び澎湖島のような日本が清国人から盗取した全ての地域を中華民国に返還する」と書かれたことにより、戦争終結後、蒋介石軍が台湾に入って来て、台湾を「支那領」にしてしまった。

 

しかし、この『カイロ宣言』は戦勝国同士がその分け前を談合した勝手な取り決めに過ぎず、国際法上何の効力もないのである。第一、台湾は日本が清国から盗取したものではない。日清戦争の結果、条約に基づいて割譲を受けたのである。つまり、国際法上も、台湾は中華民国や中華人民共和国の領土ではないのである。

 一九四七年二月二十八日に起こった密輸タバコ取締りに端を発した反国民党暴動・「二・二八事件」は、台湾人の「反支那感情」「反国民党感情」の爆発である。台湾人たちは勇敢に戦い、最初は優勢のうちに戦いを進めた。「汚職の一掃・台湾人の自治拡大要求」を根幹とした要求を国民党に突きつけた。ところが、三月八日、大陸から約一万三千人以上の国民党軍応援部隊(戦争直後に来た兵隊たちと違ってアメリカ式の装備を付けた精鋭部隊)が台湾に上陸し、無差別の機関銃掃射を行った。また、事件に参加した者は勿論、多くの台湾人有識者・知識人・指導者などが逮捕・拷問・虐殺された。国民党軍による殺戮の犠牲者は、国民党政権側の発表によっても、その数・二万八千人となっているという。実際には、四万とも五万とも言われている。

 

 大陸を追い出されて台湾にやって来た中華民国政府は亡命政権であり、台湾人にとっては外来政権であった。台湾は、戦後五十年間、「中華民国」という名の亡命政権・外来政権の残忍な植民地支配下にあったのである。今日「統一」という名の共産支那の台湾侵略支配が現実のものとなれば、「中華人民共和国」という名の新たなる外来政権による植民地支配の始まりとなるのである。

 

 ともかく二・二八事件とその後の暴虐なる恐怖政治によって、台湾人から「支那は日本の統治から台湾を『解放』してくれたわが祖国」という感情は雲散霧消し、「我々は支那人ではない」「支那人にはなりたくない」という自覚が強くなった。ナショナリズムは外部からの圧力を排して民族の独立を勝ち取ろうとする国民的規模の精神と行動である。二・二八事件とその後の長期にわたる国民党政権による植民地支配という歴史が、台湾人ナショナリズムを勃興させたのである。

 

 二・二八事件以来今年で七十一年を経過した。この間に台湾人は、「台湾は支那とは全く異なった民族であり国家である」という国民的規模の台湾人ナショナリズム・台湾民族精神が強固に確立された。台湾人のナショナリズムは、今日、将来の台湾独立・建国へ向けて燃え盛っているのである。我々日本人は、民族自決の大義の上から、共産支那による「台湾統一」という名の台湾侵略支配を阻止し、台湾独立を支持しなければならない。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月四日

午前は、諸事。

 

午後二時より、西新宿の京王プラザホテルにて、台湾独立建国聯盟主催「台湾二・二八時局講演会」開催。黄正澄日本本部副委員長が司会。王明理日本本部委員長が開会の挨拶。「二・二八事件」の犠牲者に黙祷。金美齢氏が来賓挨拶。沈清楷台湾輔仁大学哲学系副教授、台湾独立建国聯盟台湾本部副主席、民視常務顧問が「台湾の現状の危機と正名運動の展開」と題して講演。この後、青年二人が意見発表。林建良日本本部中央委員が閉会の辞。

 

帰宅後は、原稿執筆など。

| | トラックバック (0)

2018年3月 4日 (日)

葦津珍彦先生の神道論

 

『古事記』冒頭に示された造化の三神を無視あるいは否定するといふことは、わが國傳統信仰の根本を否定するのと同じであらう。また、造化の三神の否定は高天原の否定にも通じる。つまり、神道の宗教性を抜きにするといふ事は、高天原を否定し、造化の三神そして『古事記』神代の巻を否定する事と同義と考へて差し支へないと思ふ。

 

葦津珍彦氏は次のやうに論じてをられる。

 

「後世の現代人には、神社局は神道的神靈への信はなくとも『國體精神』『國家主義』の精神はあったといふ人があらうが、その程度の世俗『國家主義』は、その時代の全日本に例外なく満ちてゐたものであって(仏教寺院キリスト教徒なども同じであったし)、ことさら神社局に國體精神があるなどといふべきものでない。神道の信仰精神があったかなかったかといへば、『無精神』だったと評すべきだといふのである。かれらは、神宮神社をもって、著名なる天皇、皇族あるいは國家、郷土に功労のあった人々を崇敬することを主たる性格とするものであると称して、神社を合理主義化し、神社を非宗教のものとする理論を生んだ。このやうなメモリアル風の解釈もできる神社が明治以後に数多く建てられたのも事實ではあるが、神社本来の古社には、そのやうなものはなく、西欧の偏見的宗教學では、アニミズムとして蔑視してゐる山河風水の神々などが多い。神社行政官僚が神社とメモリアル殿堂を同視する論は、さすがに神道人を信服させ得たわけではないが、國家主義の本拠、内務省神社局の非宗教行政といふのは『神道独自の精神』なるものを全的に否定し、神主をただ古文化財的儀礼執行者、公金収支にまちがひない正直な下級事務者にすることを考へてゐたにすぎない。」

 

「井上(四宮註・井上毅)は…『神道ヲ以テ宗教トスルハ、實ニ近世一二國學者ノ主導スル所ニ始マル、而シテ之ヲ祖宗ノ遺訓ニ考フルニ、並に徴拠スヘキコトナシ、蓋宗廟ヲ崇敬スルハ、皇家追遠厚本ノ重典、即チ朝憲ニ属シテ教憲ニ属セズ』と述べ、内務省社寺局の神社・神道非宗教論を踏襲してゐる。(『井上毅傳』資料篇第六、)」

 

「神祇院書記官、武若時一郎が高等神職教育のために、大東亜戦争中に出版した『神社法』中の一文…『宗教學上の定義によれば、世人の崇むる所の神は、人格・徳風・才幹・力量等の卓越した者を神格化した人格神と、自然崇拝より発生した山川、草木、鳥獣の諸神の如き自然神と、純然たる哲學的思索によって産出された観念神とに分れる。然し神社に斎祀せらるる神は、自然神や観念神ではなくして、人格神たることを本義とする。現在、神社に奉斎せらるる神祇は、皇祖・皇宗を始めて、諸氏族の祖先又は皇室・國家に功労ありし忠臣烈士乃至は戦時事変に於ける殉難者等、多様であるが、何れも皇國の鎮護たる神社に祭神として相応しき神功著しき人格神である。』…しかしこれは合理的だとしても、實存する神社とは異なるし、それは精神的信仰を全的に神社の外に追放することともなる。多くの神道的神靈を無視するものであり、神社と神道を信仰なき無精神のものとして空白化するものである。それは、当然に神道人の側からも、きびしい批判があった。」

 

「内務省の解するやうな意味での『神社非宗教論』に対して、法論理的に真正面から痛烈な反論を続けたのは東大教授、筧克彦博士である。博士は『神道は、まぎれもなく宗教であり、世界最高の宗教である。帝國憲法をもって、それをただの政教分離憲法と解するのは誤りである。憲法によって各信教の自由は認められてゐるが、惟神の大道を國教とする精神的立場に立つ』との法理を主張した。」

 

「葦津耕次郎は、内務省流神社行政に対する直撃的批判者だった。『内務省は、神社をもって、國家精神に基づく國の宗祀と称してゐるが、その國家精神なるものが、西欧権力國家の功利的世俗主義と異なる所なく、日本古来の神道・國家とは程遠いものではないか、古来の神道に戻れ』と直言し、政府に迫った。神社局に限らず、明治帝國の官僚は合理世俗主義で、宗教心理を解さなかった。植民地官僚は、朝鮮神宮をはじめとして、新領土に神宮神社を建てて皇祖皇宗に対する表敬の場としようとした。それは西欧列強が植民地で、征服英雄の銅像や(メモリアル・ホール)、國王名の記念公園等を作ったのと同一心理だった。葦津は、このやうな神宮神社が、異民族の宗教的社會意識にいかに深刻な反感を生ずるものであるかを力説して反対した。…葦津は、明治十五年の神社神官の非宗教制を固めた法令を天下の悪法として、神社法制を改革し維新の『祭政一致に戻れ』と主張した。」(『國家神道とは何だったのか』)。

 

西洋覇道精神・合理主義、法思想に基づく宗教政策が大きな誤りを犯した。これは鎮守の森の伐採・神社統合政策にもよく現はれてゐる。かうしたことが祭祀國家日本の本姿を隠蔽して日本を西洋化・覇道化させたと云ひ得る。ただし明治以後に建立された神社にはメモリアルホール的なものもあったが、神道といふ日本傳統信仰それに宗教性・神秘性を与へたとも云へる。

 

神靈への信を隠蔽した國家主義は、わが國傳統信仰の根本を否定してゐるのだから、真の國體精神・國家主義ではない。近代のいはゆる「國家神道」が形骸化とされるのはこのことが原因となったと思はれる。そして神道精神は純粋ではない歪められた形となってしまった。これが明治以後の日本の大欠陥であった。

 

神社神道は教団宗教ではなく、祭祀宗教・共同體信仰・民族信仰なのだから、造化の三神を祀り、信仰の対象として仰いだとしても、一般の教団宗教と相対立し外来宗教を排斥することにはならない。それは、造化の三神を否定あるいは無視し、形骸化されたいはゆる「國家神道」が存在しない近代以前の歴史、そして大東亜戦争後の歴史を見れば明らかである。神道は排他的ではない。外来宗教を拒絶しこれを排斥するといふことはない。わが國の宗教史は、神道が核となって外来宗教を包摂し融合して来た歴史である。

 

「神道は宗教に非ず」といふ政府の考へ方は、國家の儀式典礼に関与する神官は、一切の宗教的言論教導、宗教行為(葬儀執行等)を實行してはならないといふ方針と結びついた。このことが、日本傳統信仰たる神道が、國民精神を正しく導く道を閉ざしてしまったと云へる。

 

つまり、「神道非宗教論」を基軸とする「國家神道制度」は、神道精神の恢弘を制限したのである。外来宗教を排斥するのは間違ひであるが、神道独自の宗教精神を恢弘するのを制限すべきではなかった。また、神道と仏教・儒教との相違点を指摘するのを制限すべきではなかった。

 

日本民族は窮極においては日本傳統信仰に基本してゐる。これは外来宗教排斥ではなく、外来宗教融合摂取の基盤確立であり確認である。それをしなかったら日本の独自性が失はれる。

 

このことについては、伊勢の神宮におけるトインビーの言葉が重い意味を持つ。アーノルド・J・トインビーは、昭和四十二年に伊勢の皇大神宮に参拝した時、『芳名簿』に、「Here  in this holy place I feel the units of all religions(この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます)」と書いた。神道は宗教ではないどころか最も偉大にして根源的な宗教が神道である。

 

日本傳統信仰の包容性を維持し宗教対立を回避し防止することは正しいが、神道といふ日本傳統信仰そのものを骨抜きにしてはならない。特に造化の三神への信仰の否定は神道の根本を否定することとなる。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆、脱稿送付。

| | トラックバック (0)

2018年3月 3日 (土)

「やまと歌」の定型について

 

「五・七・五・七・七」といふ定型は、まつりごと=祭祀に於いて自然に神ながらに整へられたといへる。これは「五・七調」に日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるといふことである。

 

『萬葉集』の九十五%が、短歌(五・七・五・七・七)である。短歌形式を古代日本人は、自分たちの抒情の文藝形式として獲得した。『記紀』『萬葉』以来今日まで千数百年にわたって、短歌形式が日本人の生活の中に生きてきて断絶がなかったといふ事實が非常に重要である。

 

それだけ、「五・七・五・七・七」の短歌形式には魅力があり、日本人の心を表現する形式として非常に適していたといふことになる。

 

和歌は、何ゆゑ定型・韻律に則って歌はれるのか。それは日本人の生活が常にある一定の規則・リズムに則ってゐるからであらう。日本の四季は規則正しく変化する。したがって農業を基本としてきた我が國民の生活も規則正しいものとなってゐる。わが國においては四季の変化と農耕生活とが調和してをり、毎年一定の「型」が繰り返されてゐるといへる。規則正しい四季の変化と農耕を基本とする規則正しい生活が、定型詩である和歌が生んだといふことができる。

和歌は、人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれ)の表白であるから、規則正しい生活の中から、自然にある声調を生み、「五・七・五・七・七」の定型を生み出したのである。

 

田谷鋭氏は、短歌とは何かを論じて、「()短歌は日本古来からの定型詩で、その形式はわれわれに与えられたもの──民族の約束──として存在し、ほとんど黄金形式と言っていい完璧さを持っている。()短歌は意味と韻律の融合から成り立っていて、その持つ意味や韻律は無数の変化とその組み合わせから成り立っている。」(『短歌とは』・「短歌」昭和五十六年一月号所収)と論じてゐる。

 

中河与一氏は、「大體ものに規格を与へるということは常に全體的意志があるのであって、三十一字を決定したといふこと自體に、古代人の聡明な民族的理由をわれわれは讀まねばならぬのである。…それは初めから意図したものではなく、自然に民族の直感がさぐりあてたものといふべきである。かくて三十一字形式といふものは古代人の発明した實に見事な、藝術における全體的意図をもった形式となったのである。三十一字といふ一つの形式によることによって、民族を自然に結んだのであるが、その定着が何によってゐるかは誰にもわからない。」 (『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

 

阿部正路氏は、「『平家物語』にあらわれた長歌は、七・五調を基調とした短歌の影響を受けながら発生したものであろう…夭折者の無念の思いは、こうした歌によって、こんにちもなお人々の心を動かしてやまないのである。その心をさそうのが、五音あるいは七音を基調とする律文學だったのである。…(四註・それは)言葉の長さの組み合わせではなく《しらべ》の組み合わせなのであって、それゆえにこそ《歌》なのである。…現行の『日本國憲法』の第八十二条の条文…美事に、五・七・五・七・七の五句七音の短歌なのである。…きわめて散文的な憲法の条文に、五句三十一音の韻律がそのまま重なり合っているという事實。この事實こそが、日本の言葉の一特色を典型的に指し示しているということができる。…短歌は、日本人の精神の最深部に常に確固として存在しつづけており、決して日本人と切り離すことのできない文學であり、精神領域であることを知る。」(『和歌文學発生史論』)と論じてゐる。

 

折口信夫氏は、「日本人のもっている文學といふものには、常に典型といふものがあり…日本では、型を重んじてゐる。…歌舞伎芝居の型を見ますと、型を守って今の役者がしてゐるといふのは、その型を創始した役者より劣っているといふことではない。…技術をなぞって來たために、そこに傑れた技術が生れて來た…日本の短歌と演劇とは一つに言へないほど非常な力量が撥揮せられた。…典型をなぞってゆくといふことによって、更に大きな文學が生れて來る。」(『與謝野寛論』)と論じてゐる。

 

「型」を大切にするのは日本人の特性である。歌舞伎などの演劇の世界をはじめとして茶道・歌道・書道などにおいて型の継承が、非常に大切なものとされる。武道もしかりである。「型」を継承することは、単に旧態依然としたものを墨守するといふのではなく、新しい創造をともなふのである。典型をなぞっていくことによって新たなる進歩発展があるといふところに和歌の面白さがある。

 

これは和歌のみならず學問においてもいへる。「學ぶ」の語源は「まねぶ」であるといふ。先達・師匠の真似をすることが「學ぶ」の原点である。

 

正岡子規に、「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり」といふ歌がある。「花瓶にさしてある藤の花房が短いので、畳の上にとどかないでゐるなあ」といふ意味である。これは韻律を踏み定型になってゐるから文藝作品としての価値が生まれるのである。また、子規が死の床にあって詠んだ歌といふことだから感動を呼ぶのである。歌にはかういふ不思議さがある。

| | トラックバック (0)

2018年3月 2日 (金)

千駄木庵日乗三月二日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆、校正。

この後、湯島天満宮参拝。梅園散策。社務所に立ち寄り、境内に建立されている「湯島神社一千年祭碑」(文学博士重野安繹譔、侯爵前田利嗣篆額、正三位日下部東作書)の写しをいただく。そして湯島天満宮に奉仕しておられる前大東塾代表・故佐々木壽先生の御子息にご挨拶。

上野広小路近くにて、永年の友人ご兄弟と懇談。

帰宅後は、原稿校正・執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

天皇の國家御統治はの根幹は祭祀・歌・武である

 

『古事記』には、神武天皇の御事績について、「荒ぶる神どもを言向(ことむ)け和(やは)し、伏(まつろ)はぬ人どもを退(そ)け撥(はら)ひて、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮にましまして、天の下を治(し)らしめしき。」と語られてゐる。

 

神武天皇そして天皇が率ゐられる皇軍は、荒ぶる神に対しては言葉で説得して鎮魂し帰順させたが、従はない人たちに対しては武力を用いて平定された。

 

これについて夜久正雄氏は、「これは、爾後の古代の御歴代天皇の行動原理となったのである。…地上を騒がせ民をまどわす『荒ぶる神』は、ことばのちからによって、なだめしたがえ…君徳に反抗する者どもは撃攘するほかない。前者はいうまでもなく宗教・文化であり、後者は武力・軍事である。つまり、文武両面にわたって國家の統一を押し進めたというので、これが建國であり初代天皇の御即位であったと『古事記』は記すのである」(『神話・傳説の天皇像』)と論じてゐる。

 

文武両面による國家統治が神武天皇以来のわが國の道統である。わが國の「國民の和と統一・政治の安定・文化の継承と興隆・すべての生産の豊饒」は、上に天皇がおはしますことによって實現してきたのである。

 

神武天皇は、秩序も法もなく、力の強い者が長(をさ)となった集団が跳梁跋扈し、それがまたお互ひに相争ってゐた状況を、神の御命令によってまさに「神武」を以て平定し、日本國の統一と平和を達成されたのである。

 

その「神武」の御精神を歌はれた神武天皇の御製が

 

みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮(かみら)一茎(ひともと) そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ

 

である。

 

夜久正雄氏は、「この民謡風軍歌のゆたかなつよい表現を、初代天皇の御歌と信じた『古事記』の傳誦者たちは、この御歌のようにゆたかにしてたくましく、おおしい人格としての天皇を思い描いたにちがいないのである」(同書)と論じてゐる。

 

御歴代の天皇が継承され體現された「武の精神」は、単なる「武力」ではない。それは諡号を拝して明らかな如く、「神武」であり「天武」であり「聖武」なのである。 

 

第四十五代・聖武天皇は、

 

ますらをの行くとふ道ぞ凡(おほ)ろかに思ひて行くな丈夫(ますらを)の伴

(ますらおの行くべき道だ。いい加減に思って行くな。ますらをたちよ、といふ意)

 

 と詠ませられた。

 

天平四年に、節度使(聖武天皇の御代、天平四年および天平宝字五年の二度、東海・南海・西海道にそれぞれ設置された軍隊の訓練、軍備充實の役割を果たした職)を諸道に遣はされた時の御歌である。この時節度使となった者即ち東海東山二道の藤原房前、山陰道の多治比眞人(たじひのまひと)、西海道の藤原宇合(うまかひ)が宮中で御酒を賜った時の御製である。玉音豊かにお詠みあそばされたと御推察申し上げる。聖武天皇は、仏教を尊崇し、各地に國分寺・國分尼寺を建て、奈良に大仏を造立された。それとともに、丈夫の行くべき道・あるべき姿を示されてゐる。天皇の臣下を思はれ、國の礎が揺るぎなさを示される雄渾な機略を感じさせる。これは、御歴代の天皇御製に傳来する特質であり、君民一體の國柄が麗しく歌はれてゐる。

 

『萬葉集』の「皇神のいつかしき國、言霊の幸(さき)はふ國」とは、上代祖先の國民的自覚であったが、同時に天皇の御本質として理解された。日本天皇の國家御統治は祭祀・歌・武がその根幹になってゐるのである。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗三月一日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆・脱稿・送付。原稿校正。

夜は、千駄木にて、親族と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

| | トラックバック (0)

2018年3月 1日 (木)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 三月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

| | トラックバック (0)

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教である

祭祀は、現代に生きる神話である。祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

 

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

 

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教である。神の偶像を祀りそれを拝むといふことはない。何処の神社にお参りしても、その神社の御祭神の神像を拝むといふことは殆どない。日本神道は自然神・祖霊神そのものを拝むからである。偶像崇拝は無い。

 

日本人は本来「自然には神霊が宿る」といふ信仰を持ってゐる。それは『記紀』の物語や『萬葉集』の歌に表白されてゐる。

 

菅原道真は

 

「このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに」

 

と詠んだ。

 

伴林光平は

 

「度會の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり 」

 

と詠んだ。

 

藤原俊成は

 

「雪降れば 嶺の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山」

 

と詠んだ。

 

こうした自然神秘思想を回復することが今最も大切なのであろう。

| | トラックバック (0)

千駄木庵日乗二月二十八日

午前は諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆・脱稿・送付。

| | トラックバック (0)

« 2018年2月 | トップページ | 2018年4月 »