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2018年2月 7日 (水)

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは

アメリカはわが国に対し真綿で首を絞めるやうなことをして来た

 

昭和天皇は、わが國が戦争に追ひ込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列国の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに十分な物である。」「総理になった東條は、九月六日の午前会議の決定を白紙に還すべく、連日連絡会議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、万一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになってゐる。

 

小生は、鈴木貞一氏がテレビで、「資源が無いのに何故アメリカと戦争をしたのですか」との質問に対し「資源が無いから戦争をはじめたのだ」と答へてゐたこと鮮明に記憶している。

 

開戦前のアメリカによるわが国への圧迫は、①対日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めるやうなことをして来たのである。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京国民政府及び満州国の否認、日独伊三国同盟の死文化を求める米国務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王国やルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いてゐる。

 

わが国は、まさに「開戦の詔勅」に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

佐藤優氏は、「日本国民は当時の国家指導者に騙されて戦争に突入したのでもなければ、日本人が集団ヒステリーに陥って世界制覇という夢想に取り憑かれたのでもない。日本は当時の国際社会のルールを守って行動しながら、じりじりと破滅に追い込まれていったのである。あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないか」(『日米開戦の真実』)と論じてゐる。

 

対米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員会で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸国人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ国家生存、国民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大暑セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼国人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ。」と切言してゐる。

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