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2018年2月21日 (水)

祭祀の現代的意義

 

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるとする。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事である。救済宗教の役目も持ってゐる。

 

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同志の一體感も實感する行事である。 

 

倉前盛通氏は、「世界の乾極の代表がユダヤ人であり、湿極の代表が日本人である。しかも民族固有の神を今日に至るまで戴いてゐる民族はユダヤ人と日本人だけである。世界の乾極のアラビアにおいて最も厳しい一神教が成立し、湿極において最も寛容な多神教が成立した。一神教はバイブルやコーランそして神學教學を持ち、神道はバイブルに相当するするものや神學教學を持たない。一神教を敵に回してはならない。むしろ、乾極と湿極に生まれた対象的な性格を持つもの同士が長短相補う道を探るべきであろう」「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然妻子、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう」「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である。」(『新・悪の論理』)と述べてゐる。

 

自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神と拝ろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

 

わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の傳統精神すなはち日本國民の歩むべき道といふものがある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。

 

我々日本民族の祖先が有した人生や國家や世界や宇宙に対する思想精神は、神とか罪悪に関する考へ方が、全て祭祀といふ實際の信仰行事と不可分的に生まれてきた。抽象的な論理や教義として我が國傳統信仰の精神即ち神道を理解することはできない。我が國においては生活そのものの中に傳統信仰が生きてゐるのである。

 

わが國の神々とは天地自然の尊い命であり先祖の御靈である。わが國の神は天津神、國津神、八百萬の神と言われるやうに、天地自然の尊い命であり、先祖の御靈である。 

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』を大切に護って来た。

 

それは『鎮守の森』には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。『鎮守の森』ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至ってゐる。

 

 さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

 我が國傳統信仰すなはち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の靈を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」といふ。その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

 

天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。『日本書紀』神武天皇即位前紀戌午年九月甲子の段に「丹生川上に陟りて、天神地祇を祭りたまふ。」と記されてゐる。

 

天皇の御使命は、地上に稲作の栄える瑞穂の國を作られることにある。これが天皇中心の日本國體の根幹である。稲作生活から生まれた神話の精神を、祭祀といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきておられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。

 

その天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。その天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。

 

天皇の祭祀において、わが國の傳統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はるのである。

 

太古より行なはれてきた祭祀が、外来宗教を摂取し且つ近代科學技術文明が発達した今日唯今の日本においても行はれてゐるといふ事實は、世界の奇跡と言って良い。

 

わが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下萬民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。

 

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行わはてゐる信仰行事である。

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