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2018年2月11日 (日)

天皇の国家統治と「國見」

 

天皇が行い給う「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する祭祀行事である。

 

「見る」という言葉にはきわめて信仰的な深い意味があるのである。「目は口ほどにものを言い」という言葉もあるごとく、「見る」は対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。

 

荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」(『現御神考試論』)と論じている。

 

感覚器官の中でもっとも発達し精密で大事なのは視覚だと言われる。人間は視覚を通して外界をとらえ、環境に適応する。視覚以外のことについても「見る」という言葉が使はれる。「味を見る」「触って見る」「匂いを嗅いで見る」「試して見る」という言葉を使う。

 

聴覚を表す言葉に視覚を表す言葉が使われる。たとへば「明るい声」「明るい音」「暗い響き」「黄色い声」である。このように、我々の感覚は常に視覚が優越している。それが言語表現にも及び、視覚の上に立った描写の言葉がよく用いられる。事物をありありと描き出すための手法として視覚の言葉が用いられる。

 

「見る」という言葉を使った歌が『萬葉集』には多い。『萬葉集』における「見る」という言葉も、単に視覚的な意味ではない。柿本人麻呂に、

 

「天ざかる夷(ひな)の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」

 

という歌がある。瀬戸内海を西の方から航行し明石海峡に来たら、故郷の山々が見えたという感激を詠んだ歌。これは単に「見えた」というだけでなく「故郷に近づいた」という感慨を歌った。また、柿本人麻呂が、浪速の港から西の方に向かって航行していく時の歌に,

「ともし火の明石大門(あかしおほと)に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず」

 

という歌がある。明石海峡を越えていくと自分の故郷である葛城山系が見えなくなるという歌である。このように「見る」ということが非常に大事に歌われている。

 

天智天皇が崩御された時に、倭媛大后は、

 

「天の原ふりさけ見れば大君の御命(みいのち)は長く天(あま)足らしたり」

「青旗の木幡の上を通ふとは目には見れどもただに逢はぬかも」

「人はよし思ひやむとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも」

 

とお詠みになった。三首とも「見」という言葉が用いられている。

 

天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行われる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀であり、天から降臨された聖なる資格を持つ現御神天皇が、天香具山といふ天から降った聖地に立たれて、国土の精霊や国民を祝福し繁栄を祈られる「まつりごと」である。

 

また「国見」とは、新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が若々しい命を回復し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、現御神たる天皇が天の神から命じられた國土に稲穂を豊かに實らせるという最大の御使命を實現する天皇の統治にとって重大な意味を持つ祭祀なのである。

 

昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏が「昭和の國見ですね」と申し上げたら、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のような御製を詠ませられた。

 

「丘に立ち歌をききつつ遠つおやのしろしめしたる世をししのびぬ」

 

昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」という御題で賜った御歌が、

 

「遠つおやのしろしめしたる大和路の歴史をしのびけふも旅ゆく」

 

である。

 

稲作國家日本の國民生活は旱魃や洪水などの自然環境によって大きく支配される。したがって、集団の統率者は常に祭りを行って、自然の恵みを願い、豊作を感謝し、そして自然災害が起こらないように神に祈る祭祀を行うことが大きな使命であった。故に、祭祀は、天皇の重要な御使命であった。天皇の政治と祭祀とは一体であった。これを<祭政一致>という。

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