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2018年2月15日 (木)

天皇に對し奉り絶対的忠誠を捧げるのが日本国民の最高の「道義」である

 

祭祀は「神人合一」の行事であり、無我になって神にまつろひたてまつる行事である。その最高の実践者が天皇であらせられる。即ち、天皇はわが国において最高の無我のご存在であり、清らけく明けきご存在なのである。

 

信仰共同体・祭祀国家の祭祀主たる天皇は、道義精神の中心であり体現者である。そして、道義の忠臣としての天皇に對し奉り、絶対的忠誠を捧げるのは国民としての「道」であり最高の「道義」である。

 

新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

 

倫理(人のふみ行ふべき道。人間関係や秩序を保持する道徳)は共同体国家において確立される。共同体の中で生きてゐるからこそ、人間に倫理が必要となる。言ひ換へれば人間が獣ではなく、まさに「人」として多くの人々共に生活するには、倫理が必要なのである。倫理を人倫と言ふのも、人にとって倫理が不可欠だからであらう。わが国が素晴らしい特質は、倫理・信仰・文化が天皇皇室を中心として継承されてきたところにある。わが國の国柄・國體が万邦無比といはれる所以である。

 

筧泰彦氏は、「日本人の倫理や道徳の根本は、ワレの心としての『清明心』や『正直』や『誠』にあります。西欧で理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本に考へるのとは対照的に。『私』を去り『我』を没することを以て根本と考へてゐるのです。…天皇は、今日の日本人が日本語を日常的に用ゐてゐる限り、自覚すると否とに拘らず、かかる清明心の根源、無我の体現者たるヒトとして、日本族が長い歴史的鍛錬を通じて作り上げた生きた文化の最高傑作であり、最重の傳統であり、日本人の『ミチ』の中心点でありましょう」(『日本語と日本人の発想』)と論じてゐる。

 

天皇の神聖権威(御稜威)による統治と、天皇にまつろひたてまつる国民の尊皇精神・忠誠心が、日本国家存立の原基である。日本国は権力・武力による専制支配によって成立してゐる國ではない。日本が人倫国家である所以である。

 

しかもそれは、神話時代から継承されてきた傳統である。神話に語られてゐる倫理思想は、太古の倫理思想であるのみならず、後の時代に顕著な形で展開されて来た倫理思想である。

 

新渡戸稲造氏は、「神道の教義には、わが民族の感情生活の二つの支配的特色と呼ばるべき愛国心および忠義が含まれている。…それは国民的本能・民族的感情を入れた枠であるから、あえて体系的哲学もしくは合理的神学たるを装わないのである。」「孔子の教訓は武士道の最も豊富なる淵源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、ならびに朋友間における五倫の道は、経書が中国から輸入される以前からわが民族的本能と認めていたところであって、孔子の教えはこれを確認したに過ぎない。」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

 

日本国民が絶対的忠誠を捧げるのは、「滅私奉公」といふ言葉もある通り、「公」に対してである。「公」とは、権力者のことではない。天皇の御事である。天皇に対し奉り、私心なく清らけく明けくお仕へする心、それが日本人の絶対的忠誠心である。私心なく天皇にお仕へする典型、即ち絶対的忠誠心の最高の実践者が、日本武尊であらせられる。絶対的忠誠精神を体現され生涯をかけて行なはせられたお方が日本武尊であらせられる。

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