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2018年1月18日 (木)

歴史に学ぶということの意義を全く知らない野田聖子

報道によると野田聖子総務相は十五日、金沢市での講演で、明治維新から今年で150年となることに触れ、「明治維新をなぞっても次の日本は描けない。私たちはここで決別しないといけない」と述べ、「現在の高齢化率は明治維新の頃を大幅に上回っており、社会の姿が全く違う」と指摘し、「あの時は良かったということで、明治維新をもう一度というわけにはいかない」と語ったという。また、「明治は一握りの強い人が国を支える社会だった」とする一方で、「人が抱えている不自由を取り除くことが、これからの日本にとって極めて重要。弱者をなくしていく時代をつくっていかなければいけない」と強調したという。

 

まともに論評するのも馬鹿馬鹿しい主張である。しかし、野田聖子は総務大臣という現職の閣僚である。しかも、次の自民党総裁選に出馬すると息巻いている人だ。

 

「明治維新をなぞっても次の日本は描けない」とはどういう意味か。「なぞる」とは「すでに書かれている詩や文をそのまま真似する」という意味と辞書に書かれている。明治維新百五十年の意義を確認し学ぶとは、「そのまま真似する」ということではない。

 

幕末明治初期と同じように内憂外患交々来たるといった今日の危機的状況を打開するために、德川幕藩体制を解体し、鎖国体制から脱却し、士農工商の身分差別を廃止して、内憂外患を打開して祖国の独立を護り抜き、近代化を為し遂げて祖国を発展させた明治維新の歴史を振り返り、今日に於いて生かすべきところは生かすということである。

 

「明治維新をもう一度というわけにはいかない」などと言っているが、明治維新によって、德川幕藩体制も存在せず、鎖国体制もなくなり、士農工商の身分差別のなくなった今日において、「明治維新をもう一度」などということがあろうはずがない。

 

天皇を君主と仰ぐ日本國體を正しく開顕してこそ、日本國の主体性の確立が行われ、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができるのである。それが明治維新の基本理念である「尊皇攘夷」である。「尊皇攘夷」という基本理念は今日においても極めて大切である。というよりも「尊皇攘夷」は今日における国家変革即ち維新の基本理念であらねばならない。

 

明治維新は単なる政治変革ではなかった。日本の伝統への回帰を目指したのである。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になった。「維新とは復古即革新である」とはそういう意味である。

 

日本が、大胆に外来文化・文明を受容しながらも、傳統文化を喪失することなく日本の独自性を護ることが出来た強靭性を持っていたのは、天皇・皇室のご存在があったからである。近代化・文明開化においても、天皇・皇室が、積極的に外来文化・文明の受容を推進するご意志を示された。

 

明治天皇は明治維新の基本理念が示された『五箇条の御誓文』(明治元年三月十四日)において、

 

「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」

智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」

 

と示された。

 

さらに、御製において、

 

「よきをとりあしきをすてゝ外國におとらぬ國となすよしもがな」

「世の中の人におくれをとりぬべしすゝまむときに進まざりせば」

 

と詠まれた。

 

明治天皇は「皇基ヲ振起スヘシ」「あしきをすてて」と示されている。日本近代化にあたって、大いに欧米をはじめとして外國文化・文明を取り入れ學ぶとしても、それは無原則に取り入れるのでない。あくまでも、わが國の傳統に合致せずわが國の國柄を破壊する要素のある悪しき事はこれを排除するのである。

 

つまり、日本文化の独自性・傳統を維持しつつ外来文化文明を包摂して来たのである。「和魂漢才」「和魂洋才」はわが國の古代からの文化道統である。

 

日本傳統精神に回帰しつつ、徹底した大変革を行ったのが、明治維新であった。まさに「復古即革新」「保守即変革」である。未曽有の危機にある現代においてこそ、この理念が継承されるべきである。

「明治維新から決別する」とは何事か!。明治維新以来百五周年の光輝あるわが国の歴史を否定し侮辱する妄論である。

 

野田聖子という人は全く歴史を学ぶ事の意義を知らないのである。冒頭にも書いたが、こういう人の言うことにまともに反論し批判するのも馬鹿馬鹿しい限りであるが敢て書かせてもらった。ともかくこんな人を総理にしてはならないとつくづく思った。

 

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