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2018年1月27日 (土)

半藤一利氏の祖国を貶める歴史観は全く間違ってゐる

半藤一利氏は、平成二十七年六月九日号の『朝日新聞』で、記者の質問に答へて次のやうに語った。「満州事変にしろ、上海事変にしろ、日本のやったことは、不戦条約違反であり、明らかな國際法違反だった」「日本國内だけの理屈ならば、『自存自衛』かも知れないが、國際社會の一員としては通用しない。日本はやはり戦争責任國なのです」「戦後の婦人参政権などが加わった新選挙法による國民の選良が、徹底的に討議して、GHQ案に日本人の意思と気持ちをこめてどんどん筆を加えたものが憲法(『現行占領憲法』・注)です」に論じた。 

 

「満州事変」「上海事変」が当時の國際法に違反してゐたと言ふが、当時の國際社會において國際法に違反せずに対外戦略を實行した國はない。祖國日本のみを「違反した」と責め立てるのはあまりにも一方的な論議である。

 

半藤一利氏は「反戦」「反軍」の作家として永井荷風を評価し、『昭和史1926-1945』において度々永井荷風の『断腸亭日記』を引用して、当時の世相、軍及び政府、ナチスドイツを批判してゐる。

 

しかし、三月一日に満州國建國が行はれた昭和七年八月二十日の『断腸亭日記』には、「満州外交問題の記事誌面をうづむ。余窃に思ふに英國は世界到る處に領地を有す。然るに今日吾國が満洲占領の野心あるを喜ばざるは奇怪の至極といふべきなり。…畢竟強者の食たるに過ぎず。國家は國家として惡をなさざれば立つこと難く一個人は一個人として罪惡をなさざれば生存する事能はざるなり。之を思へば人生は悲しむべきものなり。天地間の生物は各其處を得て始めて安泰なり」と書かれてゐる。

 

永井荷風ですら当時の弱肉強食の世界情勢の中にあって、日本の自存自衛のための海外進出を止むを得ざることとしてゐたのである。

 

半藤氏はまた、「自存自衛」は「日本國内だけの理屈」と言ふが、日本にとって、「自存自衛」は、國が滅亡するか否か、國家民族の存亡をかけた大問題である。「國内だけ」などと言ふ言葉で片付けられる問題ではない。日本も「國際社會」の一員だったが、東亜侵略・植民地支配を行った欧米列強も言ふまでもなく「國際社會の一員」であった。日本のみが「國際社會の一員」として何処の國も守ってゐない「國際法」を遵守し國が滅びても良かったといふ理屈は全く成り立たない。

 

「占領憲法」の押しつけについても半藤氏は、「戦後の婦人参政権などが加わった新選挙法による國民の選良が、徹底的に討議した」などと言ってゐるが、戦争終了直後、國民の大多数が食ふや食はずの状態にあり、さらに海外にも未帰還同胞が多数ゐた。とても日本國民全体が憲法について真剣にそして徹底的に考へ論議する状況ではなかった。さうした時期に行はれた選挙、そしてその選挙で選ばれた議員が行った「討議」とそれに基づく「意思」が真の意味の「日本國民の自由に表明せられた意思」(『ポツダム宣言』)とすること到底できない。

 

半藤一利氏の好きな永井荷風は『断腸亭日乗』昭和二十二年五月三日の記述において「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由、笑ふべし」と記されてゐる。

 

荷風は、『現行占領憲法』は「日本人の意思と気持ちをこめてどんどん筆を加えた憲法」即ち日本國民が自主的に作った憲法などとは全く思ってゐなかった。「占領憲法實施」を冷笑してゐたのだ。半藤一利氏の祖国を貶める歴史観は全く間違ってゐる。

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