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2017年12月10日 (日)

神社神道は共同体としての國家・國民の精神的基盤である

 

日本の伝統信仰である「神道」への理解が戦後大きく歪められてしまった。神道は、祭祀宗教であって、教団宗教ではないという事が忘却された。法律上、靖國神社が創価學會等の教団宗教と全く同じ「宗教法人」とされてしまった事が最大の問題である。

 

そして、「現行憲法」の「政教分離」の規定が、伊勢の皇大神宮・靖國神社などにまで及んでしまった。神社神道は、教団宗教とは全くその本質を異にしている。

 

しかし、それは『神社神道は宗教ではない』ということではない。神道は信仰共同体日本の生成と共にある祭祀宗教である。排他的な教条を持たず、独善的な布教を行わず、教祖がいない。神道は、共同体としての國家・國民の精神的基盤である。それは建國以来のわが國宗教史を見れば火をみるよりも明らかである。

 

日本の伝統信仰である神社神道は実におおらかにして明るい信仰である。明石に柿本神社という神社が鎮座している。別名を人丸神社と申し上げる。仁和三年(八八七年)、覚証という僧侶が、柿本人麻呂の霊がこの地に留まっているのを感得したとして、柿本人麻呂を祀る祠を建てたのが淵源で、元和六年(一六二〇)当時、明石城主であった小笠原忠政が神社を創建した。ご祭神は、申すまでもなく歌聖・柿本人麻呂である。

 

柿本人麻呂は、赴任地の石見から大和に帰る途中、明石海峡を通過する時、

 

「天離(ざか)る 夷の長通(ながち)ゆ 恋ひ来れば 明石の門(と)より 倭島(やまとしま)見ゆ」

 

という名歌を詠んだ。明石が人麻呂ゆかりの地であることは確かである。

 

ご神徳は、「学問・和歌・安産・火災除・夫婦和合」の神である。なにゆえ人麻呂が安産の神なのかと言うと、ヒトマロとは「人産()まる」という意味に通じるからだそうである。またなにゆえ「火災除け」すなわち防火の神であられるかというと、ヒトマロは「火止まる」に通じるからだそうである。またなにゆえ人麻呂が夫婦和合の神とされるのは、妻を思ふ歌を多く詠んだからだそうである。

 

こじつけ・語呂合わせ・駄洒落と思ってはならないと思う。きっと防火や安産とは直接的には関係のなかった人麻呂はあの世で驚いていると思うが、日本人はかくの如く、おおらかで明るい信仰心を持っているのである。そして天地万物万象を神として拝むのである。またすぐれた人を神として拝むのである。

 

信仰とは人を明るくさせるものでなければなりません。人を暗くし、闘争心をかきたてるような信仰は誤りだと思う。日本民族は本来明るくおおらかな民族なのである。宗教が闘争戦争の原因になるなどということは全くあってはならないことである。

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