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2017年12月18日 (月)

『天壤無窮の御神勅』について

 

 「天壤無窮」とは、「天地と共に窮(きわ)まりが無く永遠である」という意味である。太陽神であり皇室の祖先神である天照大神の御孫であられる邇邇藝命が地上に天降られる時に、天照大神が邇邇藝命に与えられた<神勅>のひとつである『天壤無窮の神勅』にある聖句である。「壤」とは「土」のことである。

 

 『天壤無窮の神勅』には次のように示されている。

 「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」。

 

 これを現代國語に訳すと、「豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の靈統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう」。  

 

 この『天壤無窮の神勅』には、「日本國は天皇が永遠に統治する國である」という日本國體が端的に表現されている。

 

 「これ吾が子孫(うみのこ)」とは、邇邇藝命をはじめ神武天皇そして今上天皇に至るまでの御歴代の天皇は、天照大神の「生みの子」であり、御歴代の天皇は天照大神の御神霊と一體であり、同一神格であり、邇邇藝命も神武天皇も御歴代の天皇も今上天皇も、天照大神と同じ関係であるということである。ゆえに天皇を皇御孫尊(すめみまのみこと)と申し上げるのである。今上天皇は、邇邇藝命・神武天皇と不二一體なのである。天皇が現御神・現人神であらせられるとはこういう意味である。 

 

 「爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)」は、天照大神の生みの子よ、日本國を統べ治めよ、つつがなくあれ、という御命令である。

 

 「治(し)らす」とは、「知る」の尊敬語の「知らす」と同じで、「知る」という動詞に尊敬の意を表す「す」のついた語である。天の下を御統治されるという意味である。

 

 なぜ「知る」という言葉が「統治」を意味するようになったのか。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の「宣命」には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。

 

この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 

文武天皇の『宣命』に「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。

 

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

 

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

さらに、祭り主たる天皇は、神の意志を知ることを根本にして國家を統治されるからである。神の意志を君主がよくお知りになることが國家國民を統治することの基本なのである。

 

 天皇が神をお祭りになられて、神の御心をお知りになり、臣下は天皇がお知りになった神の御心に基づきそれを実現するために実際の政治を行うというのがわが國の古来からの「まつりごと」のあり方である。これを「祭政一致」という。

 

 歴代天皇は神のご意志をよくお知りになって神の意志を実現させることを使命とされる。天皇は宗教的統治者であらせられる。

 

 「寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむ」とは、「皇位が栄える」(寶祚とは天皇の御位のことである)ということである。「あまつひつぎ」とは、政治権力者の地位ということでは全くない。

 

 「紀元節」の歌に、「天津日繼ぎの高御座 千代よろづ世に動きなき 基い定めしそのかみを 仰ぐけふこそ楽しけれ」(高崎正風作詞)とある通り、寶祚とは「天津日繼ぎ」あるいは「天津日嗣」と書く。

 

 「天津日繼ぎ」とは、「高天原の天つ神から伝達された日(靈)を繼承される」という意味である。日本天皇は天の神(天照大神・日の大神)の靈統を繼承され、神の御心のままに(神ながらに)日本國を治められるので、皇位のことを「天津日繼ぎの高御座」というのである。「高御座」とは、天の神の御子即ち日の御子のお座りになる高い御座所という意味である。

 

 皇位の繼承は肉體的な血統のみによるとともに、日の神の神靈を繼承するという神代以来の信仰に基づくのである。

 

 天地が永遠であるように天皇の日本國御統治も永遠であると、天照大神は宣言されているのである。これが「寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」の意味である。

 

 このように『天壤無窮の御神勅』は、天照大神の神靈をそのまま受け継がれた「生みの子」たる邇邇藝命及びその御子孫が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現しているのである。

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