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2017年12月25日 (月)

八幡大神信仰について

八幡大神は、応神天皇(誉田別命)の御神霊で、欽明天皇三十二年(五七一年)に初めて宇佐の地に示顕したと伝えられている。

 

八幡神を祭る神社には、応神天皇(誉田別命)を主神として、比売大神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っていると承る。また、八幡三神のうち、比売神や、神功皇后に代えて仲哀天皇や、武内宿禰、玉依姫命を祀っている神社も多くあるという。

 

京都の石清水八幡宮の御祭神は、御本殿中央に八幡大神(誉田別尊・ほんだわけのみこと・第十五代応神天皇)、西に比咩大神(ひめおおかみさま)、 東に神功皇后(息長帯比賣命・おきながたらしひめのみこと)を祀られてゐる。本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神と申し上げる。

 

応神天皇は、仲哀天皇の第四皇子であらせれる。御母君は神功皇后。母君の胎内にあられて新羅へと往還されたが、ご帰国直後の仲哀天皇九年(三二〇)に筑紫において生誕された。

 

応神天皇は、水田開発など農業生産拡大を行われつつ、文化発展、殖産興業も図られた。応神天皇の御代は、鉄の文化が普及し、日本国が大いに発展した時代で、大陸・朝鮮半島との交流を深められた。同時に軍事力も強化された。こうした御事績がが、応神天皇が、国難打開・武の神たる八幡神として崇められた大きな理由であろう。

 

比咩大神は、多紀理毘賣命(たぎりつびめのみこと)、市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)、多岐津毘賣命(たきつひめのみこと)の三柱を申し上げ、天照大御神の神勅を受け宇佐島に降られ皇土守護と国威発揚の神と承る。

 

神功皇后は、仲哀天皇の皇后であらせられ、天皇崩御後、武内宿禰とはかり懐妊の御身を以て男装して海を渡られて新羅を征してこれを下し給うた。凱旋後、応神天皇のをお産みになった。皇后であられながら、武の神として崇められている。

 

八幡神が信仰されるやーようになったのは奈良時代からであり、神代には登場されない神である。八幡信仰が盛んになったのは、武門とりわけ源氏の隆盛と深く関わりがあると思われる。また、怨霊の魂鎮めとも関連があると言われている。中世以来、討死した武将、攻められて自裁した武将及びその一族を、八幡神として祀った例が多くあるといわれる。

 

神代以来の神々いわゆる天神地祇とはそのご性格を少しく異にしているといえる。

 

「かみ」「かむ」(神)のカは接頭語である。ミとかムに意味がある。ミ・ムは霊的な力をいふといはれてゐる。また、ミは身であり実である。即ち存在の実質・中身のことである。即ち強い霊力・霊威を持った存在のことをカミといふ。

 

八幡神がわが国最初の神仏習合神として早くから信仰された。聖武天皇は、東大寺大仏(盧舎那大仏)造立に際して、豊前国の宇佐宮に勅使として橘諸兄(従三位左大臣)を遣はわし、「国家鎮護」と「大仏造立」の祈願を行わせられた。天平十九年(七四七)に八幡神の「天神地祇を率いて大仏建立に協力しよう」という意の神託が下された。

 

天平二一年(七四九)陸奥の国から大仏像に使う黄金が献上され大仏造立が完成した。聖武天皇は大変お喜びになり、この年の七月二日天平勝宝と元号を改められた。黄金の発見といふ瑞祥は八幡神の神徳のよるものとされたのであろう。

 

天平勝宝元年(七四九)十二月に、宇佐八幡の神霊が、紫錦の輦輿(れんよ・鳳輦のこと)に乗って入京し、東大寺の地主神として迎えられたという。紫錦の輦輿は、天皇のお乗り物であり、八幡神がすでにこの頃、応神天皇の御神霊であると信仰されていたと思われる。

 

 天応元年(七八一)に、八幡神に「八幡大菩薩」の神号が与へられた。延暦二年(七八三)には、「護国霊験威力神通大自在菩薩」という号も加へられている。

 

神仏習合の初期現象たる「八幡神上京」は、教義・教条の理論的裏付けがあって行われたのではない。現実が先行し、それに後から理屈がつけられたのである。まず神と仏が習合することが先だったのである。ここが日本民族の信仰生活の面白いところであり、幅が広く奥行きが深いといわれる所以である。

 

神と仏とがごく自然に同居し、同じく人々によって信仰せられて来たのが日本の信仰の特色であり傳統であろう。神と仏とを理論的教学的に識別する以前に、日本民族の信仰においては、感性において神と仏とを同一のものの変身した存在として信仰したのである。一つの家に神棚と仏壇が祀られ安置されている姿は、一神教の世界ではあり得ない。

 

日本人が太古から継承してきた自然信仰と祖霊信仰といふ日本民族の中核信仰に外来宗教が融合されていった。

 

石田一良氏は「神道の原質と時代時代の宗教・思想の影響との関係は『着せ替え人形』における人形と衣裳との関係のようなものと喩えられるかもしれない。…神道の神道たる所以は原初的な原質が時代時代に異なる『衣装』をつけ、または『姿』をとって、その時代時代に歴史的な働きをする所にある」(『カミと日本文化』)と論じてゐる。

 

いくら外来宗教を受容したからとて、わが国の風土と日本民族の気質から生まれたすべてを神として拝ろがむ伝統信仰の中核は失われることはなかったのである。

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