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2017年11月28日 (火)

天皇・皇室は日本文化の包摂性の核心

 

 日本民族が異文化との交流を持つ以前の時代の精神、即ち純日本精神ともいうべき精神は、異文化との交流が活発になり日本民族が異文化の影響を強く受けるようになっても決して消滅することはなかった。消滅するどころかますます強靱になっていった。

 

 日本は多くの外来思想を摂取したが、決して無批判取り入れたのではない。むしろ日本の主体性・独自性を高めるために外来思想を借用したといってもいいくらいである。

 

 日本の農耕文化を基底にした信仰共同体の祭り主・日本天皇が、日本の文化的・宗教的中心に存在したという尊い事実が、日本が実に積極的に次々と大陸から外来文化を受け入れても、日本の独自性を喪失しなかった最も大きな原因である。天皇及び皇室が日本文化の独自性の核として不動に存在していたがゆえに、外来文化を積極的に受入れ融合しても日本の独自性を喪失することはなかったのである。

 

 山口悌治氏は「主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造。…その構造の『核』となってゐるものが、日本民族の神話なのである。…特殊性と普遍性といってもいいし、…ナショナルなものとインターナショナルなものとの関係ともいへる。…これらは次元を異にして互ひに矛盾してゐるものではない。本来一つのものが二つに分れて機能し、二つの機能が一つに作用し合って生々発展の無限の契機を生み出すのである」「(日本人が注)仏教を生きるとは、インドをおのれの祖先と感ずることではなくて、仏法をこの国に実現して仏国土となすことだったのである。儒学を骨肉とするとはシナをおのれの祖先と感ずることではなくて、王道国家をこの国に現成するといふことだったのである。」(『萬葉の世界と精神』)と論じておられる。

 

 この主体性と開放性を両面に持った日本民族の精神構造の『核』となってゐる日本民族の<神話>とは、『古事記』『日本書紀』という文献にのこされている神話のみではなく、今日に生きている神話である<祭祀>とりわけ<天皇の祭祀>でもある。信仰共同体日本の祭り主・日本天皇の御存在が、特殊性と普遍性、ナショナルなものとインターナショナルなものを統一し包み込む中心であり、日本文化の包摂性の原点である。

 

 倉前盛通氏は日本文化の独自性の保持能力のことを『情報制御装置』と表現して次のように論じておられる。「国家も生物と同じように、自動制御装置なしには生き残れない。日本において、このような自動制御装置の源泉になったものは、…日本民族固有の高度化された“自然祭祀”であった…何でも新しいものに飛びつく新しがり屋であり、何でも外国のものを崇拝する外国かぶれの癖があり、…外国の単語を会話の端にはさんで喜んでいるような、まるで自主性のない民族に見えながら、日本人ほど古代からの共同体祭祀を守り続けてきた民族はない」(『艶の発想』)

 この信仰共同体の祭り主が天皇であらせられる。外来の文化も思想も、日本の独自性・日本の伝統信仰が厳然としてあるがゆえに寛容に包容したのである。日本の独自性を保守し伝統を大切にすることが、外国から新しいものを取り入れる素地だったのである。日本伝統精神はあくまでも護り抜くという自主精神が、如何なる外来文化をも受入れそれを包摂・融合する拠り所となっていたのである。その自主精神の体現者が天皇であらせられる。

 

 日本の独自性を保守し伝統を大切にすることの中心点に千古一貫して皇室の存在があった。日本の最も古き伝統の保持者たる皇室が新しき外来文化文明を消化したのである。

 

 三世紀に大陸から多くの文明が渡来した。それはまず皇室にもたらされ、やがて全国に普及した仏教がその最もよい例である。壬申の乱は唐文化の輸入に熱心であった近江朝廷と日本古代信仰を重視した天武天皇のとの戦いであったといわれる。しかし、天武天皇は、乱の後の天武天皇二年(六七三)に、壬申の乱の戦没者慰霊のため、飛鳥の川原寺において一切経の写経をなさしめた。天武天皇は、『古事記』の編纂を命じられ、神道精神を基本にした政治を行われた。しかし一方でこうして外来宗教たる仏教も重んじられた。以後、朝廷においては儒教・仏教という外来宗教・思想そしてそれに基づく様々な制度を用いるようになった。

 

 とりわけ仏教は、皇室によって全国に普及した。持統天皇の御代(西暦六八六~六九六)に全国に六四八の寺院がつくられた。天平十三年(七四一)には、聖武天皇により全国に国分寺・国分尼寺建立の勅命が下された。また東大寺大仏の造立も行われた。このように仏教は日本伝統信仰の祭祀主である天皇によって公認され全国に広められた。

 

 天皇及び皇室は、日本の保守の中心であるとともに革新の中心でもあったのである。明治以後の近代化も、『五箇条の御誓文』を拝しても明らかなように日本文化の保守の中心である天皇の大号令によって行われた。日本的変革即ち維新の原理が<復古即革新>とされるのは実にこういうことなのである。そして大化の改新・明治維新を見れば明らかな通り、日本の変革のすなわち維新の原点には常に天皇がいましたのである。

 

 日本の文化伝統は決して偏狭なものではなく、大らかにして開放的、そして革新の気に満ちたものである。そして日本天皇は民族の独自性・求心力の核であったが、それと同時に世界性・開放性・変革性の中心でもあったのである。

  

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