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2017年11月22日 (水)

『没後六十年記念 川合玉堂ー四季・人々・自然』展参観記

本日参観した『没後六十年記念 川合玉堂ー四季・人々・自然』展は、「日本の山河をこよなく愛し、豊かな自然とそこに暮らす人々の姿を叙情豊かに描き出した川合玉堂(かわいぎょくどう) (18731957)。山種美術館では、没後60年を記念し、玉堂の画家としての足跡をたどり、その芸術を紹介する回顧展を開催いたします。愛知に生まれ、岐阜で育った玉堂は、14歳で京都の画家・望月玉泉(もちづきぎょくせん)に入門。画壇デビューを果たした17歳から同じ京都の幸野楳嶺(こうのばいれい)に師事しました。1896(明治29)年には23歳で京都から東京へ移り、橋本雅邦(はしもとがほう)のもとでさらなる研鑽を積んでいきます。若い頃から好んで風景を描いた玉堂は、円山四条(まるやましじょう)派の基礎の上に、雅邦が実践した狩野(かのう)派の様式を取り入れ、さらに各地を訪ねて実際の景色に触れることで、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓いていきました。また、官展で審査員をつとめ、帝国美術院会員となる一方、東京美術学校教授、帝室技芸員に任ぜられるなど、東京画壇における中心的な役割を果たし、1940(昭和15)年には文化勲章を受章しています。戦後は、疎開先の奥多摩にとどまって晩年を過ごし、大らかで温かみのある画風を展開させました。…代表作を中心とする名作の数々とともに、玉堂の70年にわたる画業をご紹介します。また、少年時代から俳句を嗜み、晩年には俳歌集『多摩の草屋(たまのくさや)』を刊行するなど、句作や詠歌は玉堂の生活の一部となっていました。玉堂の詠んだ詩歌が書かれた作品をとおして、家族や親しい芸術家との交流にもスポットをあて、素顔の玉堂の魅力をお楽しみいただきます」との趣旨(案内書)で開催された。

 

 《鵜飼》 《雨江帰漁図》《夏雨五位鷺図》 《紅白梅》《渓山四時図》 《早乙女》《竹生嶋山》《雪亭買魚》《春風春水》《山雨一過》《遠雷麦秋》《荒海》《熊》《早乙女》《悠紀地方風俗屏風》《雨後山月》《湖畔暮雪》等多数の美しい風景画を参観。

どの作品も日本の美しい自然を描いている。《雨江帰漁図》は初期の作品であるが、雨と樹木と船が描かれている幽遠な墨絵でひきつけられた。《渓山四時図》は山と人間と馬と樹木が描かれた大作であり、玉堂の絵の特色が凝縮されている。《紅白梅》琳派の影響を受けた色彩豊かな六曲一双の大作であった。《悠紀地方風俗屏風》は昭和三年一月、昭和天皇御大典の時に命により揮毫されたもので、極彩色の大和絵風の様式が描かれた六曲一双の文字通り見事なる絵である。画賛形式の絵を見て、玉堂の書が大変美しいということ今回初めて知った。

私は川合玉堂の作品が昔から好きだったので今日は本当にいい機会が与えられたと思った。自然そのものの美しさを描いていると共に、その中に小さな人物・人影が描かれているので、一層心が癒される思いがする。「人間と自然の共生」というのは最近はやりの言葉であるが玉堂の絵はまさにそういう世界を描いている。

川合玉堂の絵は、単なる山水画ではなく、 江の中に人が生きている。生活があ。人と自然のやさしい交流・一体化がある。日本的美の伝統を継承し表現している。  

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