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2017年11月23日 (木)

半藤一利氏の歴史家としての見識は低劣である

今週号(十一月三十日号)の『週刊新潮』所載の「変見自在」というコラムて、高山正之氏は半藤一利氏に対して、「半藤の書くものはとても近視眼的」「(半藤氏は・注)渉猟した資料はまさに汗牛充棟だろう。でも気に入らないものは見ないふりをする癖があるやに見える」と批判している。同感である。

 

半藤一利氏は、平成二十七年六月九日の『朝日新聞』で、「朝日新聞記者の質問に答へて次のやうに語った。「(安倍晋三総理は・注)吉田松陰の好んだ『千萬人といえども我ゆかん』という孟子の言葉も使うが、安倍さんからすれば、自分が正しいと思ったことは實行する、自分の善意が通じなければ相手を攻撃していい、と思っているのだろう」。

 

「千萬人といえども我ゆかん」といふ言葉は、『孟子公孫丑章句 上』にある言葉で、「自ら反(かへり)みて縮(なお)からずんば、褐寛博と雖も吾惴(おそ)れざらんや。自ら反みて縮ければ、千萬人と雖も吾往かん」と書かれてゐる。

 

「自ら反省して自分が真っ直ぐでないと分かったら、相手が毛織のだらだらした衣服を着てゐるいやしい人でも恐れないわけにはいかない。自ら反省して自分が真っ直ぐだと分かったら相手が千萬人であっても、恐れることはない」といふ意である。

 

自分が正義でなければどのやうな相手でも恐れるが、自己が正義と信じた道はいかなる困難があらうとまたいかなる反対があらうと貫き通す、といふ決意と信念を表明した言葉である。

 

半藤一利氏は、孟子の言葉は「自分が正義であるか正義でないか」といふ反省を前提としてゐるのに、それは一切無視し、「千萬人と雖も吾往かん」といふ言葉だけを取り出し、「自分の善意が通じなければ」などと勝手な解釈をして、安倍晋三氏は「自分の善意が通じなければ相手を攻撃していいと思っている」などと推測してゐる。これは悪意ある邪推である。

 

さらに半藤氏は同じ『朝日』の記事で「満州事変にしろ、上海事変にしろ、日本のやったことは、不戦条約違反であり、明らかな國際法違反だった」「日本國内だけの理屈ならば、『自存自衛』かも知れないが、國際社會の一員としては通用しない。日本はやはり戦争責任國なのです」と論じた。

 

「満州事変」「上海事変」が当時の國際法に違反してゐたと言ふが、当時の國際社會において國際法に違反せずに対外戦略を實行した國はない。祖國日本のみを「違反した」と責め立てるのは偏った論議である。

 

半藤一利氏は永井荷風氏を「反戦」「反軍」の作家として尊敬してゐるやうである。半藤氏はその著『昭和史1926-1945』において度々永井荷風『断腸亭日記』を引用して、当時の世相、軍および政府、ナチスドイツを批判してゐる。

 

しかし、三月一日に満州國建國が行はれた昭和七年八月二十日の『断腸亭日記』には、「満州外交問題の記事誌面をうづむ。余窃に思ふに英國は世界到る處に領地を有す。然るに今日吾國が満洲占領の野心あるを喜ばざるは奇怪の至極といふべきなり。…畢竟強者の食たるに過ぎず。國家は國家として惡をなさざれば立つこと難く一個人は一個人として罪惡をなさざれば生存する事能はざるなり。之を思へば人生は悲しむべきものなり。天地間の生物は各其處を得て始めて安泰なり」と書いた。永井荷風ですら当時の弱肉強食の世界情勢の中にあって、日本の自存自衛のための海外進出を止むを得ざることとしてゐたと思はれる。

 

半藤氏はまた、「自存自衛」は「日本國内だけの理屈」と言ふが、日本にとって、「自存自衛」は、國が滅亡するか否か、國家民族の存亡をかけた大問題である。「國内だけ」などと言ふ言葉で片付けられる問題ではない。日本も「國際社會」の一員だったが、東亜侵略・植民地支配を行った欧米列強も言ふまでもなく「國際社會の一員」であった。日本のみが「國際社會の一員」として何処の國も守っていない「國際法」を遵守し國が滅びても良かったといふ理屈は全く成り立たない。

 

半藤氏はさらに、「戦後の婦人参政権などが加わった新選挙法による國民の選良が、徹底的に討議して、GHQ案に日本人の意思と気持ちをこめてどんどん筆を加えたものが憲法(『現行占領憲法』・注)です」と論じた。

 

大東亜戦争終了直後、國民の大多数が食ふや食はずの状態にあり、さらに海外にも未帰還同胞が多数ゐた。とても日本國民全体が憲法について真剣にそして徹底的に考へ論議する状況ではなかった。さうした時期に行はれた選挙、そしてその選挙で選ばれた議員が行った「討議」とそれに基づく「意思」が真の意味の「日本國民の自由に表明せられた意思」(『ポツダム宣言』)とすることはできない。半藤一利氏の好きな永井荷風は『断腸亭日乗』昭和二十二年五月三日の記述において「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由、笑ふべし」と記されてゐる。荷風は、『現行占領憲法』は「日本人の意思と気持ちをこめてどんどん筆を加えた憲法」即ち日本國民が自主的に作った憲法などとは思ってゐなかったのである。「占領憲法」實施を冷笑してゐたのだ。

 

 

以上述べてきたやうに、高山正之氏による半藤一利氏に対する「半藤の書くものはとても近視眼的」「半藤氏は気に入らない資料は見ないふりをする癖があるやに見える」という批判は正鵠を得てをり、全く正しいのである。半藤氏は、今日、歴史家として高く評価されてゐるやうであるが、その見識は相当に低劣と言はざるを得ない。

 

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