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2017年11月11日 (土)

近世國學について

 

近世國學とはいかなる思想運動であったのであらうか。十九世紀後半当時の世界情勢を見ると、東アジアは、西洋列強・白色人種による侵略支配の危機に瀕してゐた。日本も勿論その例外ではなく、日本の国の歴史を探求し、日本独自の思想・信仰を深化させんとする運動が起こった。それが近世国学運動の思想である。

 

國學運動は世界情勢に対してかなり積極的に目を開き、それに呼応した運動であった。キリスト教や、欧米の歴史や現状についても研究し、海外の政治情勢についても情報収集につとめたうえでの学問であり思想運動であった。

 

國學運動の底流にあったのは、日本伝統精神への回帰であり、日本國體の開顕である。さういふ思ひは、次に挙げる国学者たちの歌に表れてゐる。

 

最も早い時期の国学者であり、國學の始祖といはれる荷田春滿(京都の人。古典・故実・国史・歌道の研究者)は、

 

「ふみわけよ 大和にはあらぬ 唐鳥の 跡を見るのみ 人の道かは」 

(よく道を踏みわきまへて間違はないやうにせよ。日本ではない唐(支那)の鳥の足跡のみを見つめて歩くのが、日本人たるものの道ではないぞ)と詠んだ。「唐鳥の跡」は漢籍・漢字のこと。

 

八代将軍・徳川吉宗は、各国の古書を集めたが、その真偽玉石の鑑定を荷田春滿に依頼した。その徳川将軍家の学問は儒教であった。林羅山・中江藤樹・荻生徂徠・新井白石・伊藤仁齋等々江戸時代の中期までの学者の殆どは儒教・漢学の系統であった。さうしたことを悲憤慷慨して詠んだ歌がこの春滿の歌である。

 

鹿持雅澄(幕末土佐の国学者・萬葉集を中心として古典を研究。『萬葉集古義』の著者)は、

 

「神國の 道ふみそけて 横さらふ いづくにいたる汝が名のらさね」(わが神国の正しき道を踏みそらして、蟹のやうに横這ひの道を歩む者共よ、お前の名は何と言ふのか、名乗ってみろ)と詠んでゐる。

 

雅澄は日本の伝統思想に目もくれず外来の外来の学問に現を抜かしゐる者たちに対して憤慨してゐるのである。日本伝統精神に対する雅澄の態度精神を昂然と歌ひあげてゐる。この歌が歌われた時期は蘭学が盛んになり、日本に英船米艦露艦がしばしば渡来した。荷田春滿は儒教と仏教、鹿持雅澄は蘭学に対して批判的態度を示してゐる。

 

さらに鹿持雅澄は、ペリー来航を憂ひて、安政元年(一八五四)正月、六十四歳の時に、

 

「神風に 息吹きやらはれしづきつつ 後悔いむかも おぞの亞米利加」(神風に吹きやられ、海底に沈められた後に、後悔するのであらう。愚かなアメリカは)と詠んでゐる。かうした憂国の至情と気概が学問の奥底にあったのである。

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