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2017年10月15日 (日)

國防に関してはわが國は法治國家ではない

 

『現行占領憲法』第九条には「1・日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない」と書かれてゐる。

 

この条文を素直に讀めば、『現行占領憲法』は自衛権・國防軍の存在を否定してゐると解釈するのが至当である。

 

憲法学の専門用語の解釈ではどうかは知らないが、ごく当たり前の國語の解釈を以てすれば、國家防衛即ち自衛戦争は最重要な「國権の発動」である。北朝鮮や共産支那などからの武力侵略は最も悪質なる「國際紛争」である。これを阻止するために「國権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」を行ふのは國家として当然の権利だ。それを一切否定する『現行憲法』第九条第一項が亡國条文であることは明白だ。

 

従って、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない」といふ第二項は、國家の存立を根底から否定する条文である。「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定してゐないといふ解釈は『現行占領憲法』の「前文」の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というまったく他力本願の精神に立脚すれは全く成り立たない。

 

『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソといふ戦勝國に対して立ち向かふことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

しかし、その後の國際関係に変化によりアメリカの意向で創設され、現実にわが國に存在する自衛隊は、立派な「陸海空軍」であり、武力の行使又は威嚇を行ふ実力組織であり、戦力も交戦権も保持してゐる。「戦力」「交戦権」を持たない「軍」はあり得ない。

 

そして、この自衛隊といふ名称の「陸海空軍」によって、わが國の安全と独立が守られてゐる。この事実は、自衛隊が違憲であるか否かに関はらず、厳然たる事実である。そしてそのことは、「國民大多数の合意になってゐる」と言はれる。『現行占領憲法』が如何に現実を無視してをり、空文となってゐるかは火を見るよりも明らかである。

 

吉田茂内閣総理大臣(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べた。これが『現行占領憲法』の立法意志であり、まともな解釈である。

 

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであらうと戦争はしない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」といふ意味であることは明白だ。前述した通り「前文」の精神に立脚すればそれは当然である。

 

第九条がある限り誰が見ても陸海空軍である自衛隊は「陸海空軍」と見做されないのである。「交戦権」を否定されてゐるのに事実上「陸海空軍」があるといふのは全くの矛盾である。

 

したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上「國軍」として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」といふ絶対矛盾の存在であり続けなければならない。つまり國防に関してはわが國は法治國家ではないのである。こんな憲法は根底から否定されなければならな

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