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2017年10月31日 (火)

『東照大権現』について

徳川家康のことを「東照大権現」と言う。東から日本の國を照らす神という意味であろう。皇室の祖先神・天照大御神を意識した神名である。臣下にこのような神号を付けるのは明らかに不敬である。

 

「権現」とは、仏が衆生を救うために、神・人など仮の姿をもってこの世に現れることで、神道の本地垂迹説においては、仏が衆生を救うために日本の神の姿となって現れた神のことという。

 

東照大権現即ち徳川家康の本地(本来の姿)は、東方浄瑠璃世界の教主・薬師瑠璃光如来であるとした。徳川家の菩提寺・上野寛永寺の本尊は薬師瑠璃光如来である。

 

しかも「東照大権現」という神号は、後水尾天皇の勅許によってつけられた。日光東照宮には後水尾天皇の御宸筆の「東照大権現」と書かれた敕額が掲げられた。つまり徳川幕府は、天皇の権威によって徳川家康の神格化を行ったのである。しかもその神格化は、明らかに、天皇の権威に対抗するものであった。日光東照宮は、伊勢皇大神宮に対抗するものである。そして大名に東照宮を建立することを半ば強制し全国の五百社を超える東照宮が作られた。

 

後水尾天皇は、度重なる徳川幕府とりわけ、徳川秀忠の圧迫と不敬行為に耐えられ、朝廷の権威を守られた。京都岩倉実相院で、後水尾上皇御宸筆の『忍』という色紙を拝したことがある。徳川幕府の横暴に対する御心を示されたと拝される。

 

しかし、幕末の国家的危機において、日本国民は、皇祖天照大神に国難打開を祈り、天照大御神の生みの御子即ち現御神たる天皇中心の國體を明らかにすることによって、国難を打開し、明治維新を断行した。

欧米列強の侵略の危機を打開し、日本の独立を維持するためには、徳川幕府が、天皇及び皇室の神聖権威に対抗すべく不遜不敬にも創出した「東照大権現」の神威では、とても國民的統一の信仰的核にはなり得なかった。

 

今谷明氏は、「東照大権現の神威は、武家階層はともかく、民衆レベルに浸透したとはとうてい考えられない。反面、大衆の間に天皇祖神を祭る伊勢の神威が高まっていくのは、よく知られているとおりである。伊勢と日光の勝負はもはやついて居た。」(『武家と天皇』)と論じてゐる。

 

そもそも征夷大将軍たる徳川氏は、その職責である夷狄を征伐する力を喪失したのである。もともと戦國時代の武士の覇権争いの勝者・覇者にすぎなかった徳川氏は、覇者たるの力と資格を喪失したのである。端的に言えば、徳川氏は「征夷大将軍」(夷狄を征伐する大将軍)の任を果たす事が出来なくなったのである。

 

現御神信仰・尊皇精神の興起は、勤皇の志士たちのみならず、一般庶民においても旺盛であった。伊勢の皇大神宮への民衆の集団参拝(いわゆる御蔭参り)が行われ一般庶民の皇室の御祖先神に対する信仰が大きく復活してきていた。天保元年(一八三〇)には、御蔭参り参加者が閏一月から八月までで五百万人に達したという。

 

國家の独立と安定と統一を保持するには、日本の伝統と自主性を體現される御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるようになった。そして、一君万民の國體を明徴化する明治維新が断行されたのである。

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