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2017年10月18日 (水)

日本人の自然信仰

 

日本人にとって自然とは、対立するものでも、征服するものでも、造り替えへるものでもなかった。自然を神々として拝ろがみ、自然に随順し、自然の中に抱かれて生活してきた。自然の摂理に歯向かふ時、人間は自然の報復を受けるといふことを体験的に知ってゐた。報復と言って悪ければ、摂理に逆らふことによって害を受けることを知っていた。日本人は古来、自然を畏敬し、順応しつつ生きて来た。

 

菅原道真は

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに

と詠んだ。

 

伴林光平は

度會の 宮路に立てる 五百枝杉 かげ踏むほどは 神代なりけり

と詠んだ。

 

藤原俊成は

雪降れば 嶺の真榊 うづもれて 月に磨ける 天の香具山

と詠んだ。

 

かうした自然を神として拝ろがむ精神を回復することが今最も大切である。その上で、科学技術の発展を期するべきである。

 

日本神道は、天神地祇を祀る祭祀宗教であるが、神の偶像を拝むといふことはない。何処の神社にお参りしても、その神社の御祭神の神像を拝むといふことはない。日本神道は自然神・祖霊神そのものを拝むからである。

 

祭祀は、現代に生きる神話である。祭祀は、原初・始原への回帰であり、天地宇宙開闢への回帰である。それがそのまま新生となり革新となる。決定的な危機に際して、「原初の神話」を繰り返すことによってこれを打開する。

 

個人の生存も共同体の存立も「肇(はじめ)の時」「始原の時間」への回帰が大切である。個人も共同体も年の初めに新たなる希望と決意を燃やす。祭祀とはその「肇の時」「原初への回帰」の行事である。

 

日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違ひないが、全てを神や仏といふ絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するといふ考へ方ではない。むしろ日本民族は実際生活においては、きはめて合理的・科学的な生活を営んできた。

 

近代科学技術文明による自然破壊・人間破壊の危機を救済するには、稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同体を今日まで保持しつつ、西洋文化・文明を受容し、それを発展せしめ、もっとも発達した工業国なった日本の精神伝統が大きな役目を果たすと考へる。

 

 

 

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