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2017年10月23日 (月)

神道と近代日本

戦前、神社は内務省神社局の管理下に置かれ、神職は公務員であった。政府の基本的考え方は、「神社神道は宗教にあらず儀礼である」ということとなっていたという。私は明治大正昭和前期までの実際の神社神道については体験的に知っているわけではないので、確定的なことは言えないが、日本国民の伝統的信仰精神が隠蔽されたと見る事が出来る。勿論、神社神道においては、「御託宣」とか「神がかり」は行われなくなったと思われる。神社は専ら儀礼としての祭祀のみを行い、神道精神に基づく宗教的救済活動も行わなくなった。そして、実際に民衆に対する宗教的救済活動は、天理教・金光教・黒住教・大本教などの教派神道が行うようになった。

 

葦津珍彦先生は、

「明治維新に際して「祭政一致」「神仏分離」「大教宣布」の国策決定に大きな働きをした玉松操などをはじめとする主要人物や活動家は、明治3年には早くも政府中枢と対決を生じて、その後10年のうちに追放され、刑死され、戦没するなどして、いわゆる神道勢力全般は「残党なお亡びず」といった悲惨な状態になってしまっていた」

 

「神社局の消極主義は、無精神、脱イデオロギー、ことなかれ主義とも言いかえる事ができ、神宮神社を著名な天皇、皇族、または国家、郷土に功労のあった人々を崇敬するためのモニュメントとして、神霊を祀る神道独自の精神を著しく否定するものだった。神社局長のポストが任官待ちのポストで祝詞も古典も知らないような官吏が腰かけにするようなものであったところをみても、いかに当時の政府が神道に何の期待もしていなかったかがわかる 」(「武士道、天皇、国家神道」)

 

「神社は宗教に非ず」との政府の公式見解は、古来の日本人の神道信仰心理を抹消しようとした。…内務省の公式見解は、議会、とくに衆議院の建議者たちとは異なって、非宗教といふことを、きはめて世俗の常識合理主義の意味での国家精神(国民道徳)以上のなにものでもないとの意味に解することになった。その解釈を要約すると、神社とは、日本帝国の天皇、皇族または、国家社会に特に功績のあった人格者に対して、伝統的な礼法をもって表敬すべき場所であるといふことである。神主は、国家的記念堂(メモリアル・ホール)の儀礼的執行者であり管理人であって、特殊格別の宗教信仰心や思想を持つものではない。忠良な臣民としては、仏教、儒教、キリスト者と同一の国民精神を持つべきで、神道といふ特殊の宗教や思想の対立的独自の立場があるべきではないといふのである」(「国家神道とは何だったのか」)

と論じておられる。

 

明治維新当初は、祭政一致の古代国家再生が実行されようとしたが、それは文明開化路線とは相容れずかつまた仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。神道はむしろ形骸化されたと言うべきである。

 

仏教を尊崇し、檀家制度を体制維持の手段にした徳川幕府打倒の戦いであった明治維新の後、明治初期に「神仏分離令」が出され、廃仏毀釈が行なわれたのは徳川幕藩体制下で、神道・神社が仏教から圧迫され制約を受けていたことへの反動である。

 

近代日本においては、神社は宗教ではないとされた。ただ、国民道徳上の儀礼ということになった。「神」も遺徳ある先人と言う事であり宗教上の神ではない。神社神道によって仏教などが圧迫され「布教の自由・信教の自由」が脅かされたなどと言うことはなかった。むしろ神社神道がその宗教性を剥奪されたと言って良い。

 

第二維新すなわち明治維新の理想貫徹をめざした人々=神風連は勿論西郷隆盛や江藤新平らは、大体神道を重んじ、キリスト教や仏教には批判的であったが、そういう勢力が弱まってしまった。

 

近代日本の政府は「神道は宗教ではなく神職は宗教家ではないから宗教活動・布教活動はしなくて良い」というのが基本方針であった。「国家神道が国教だった。国家神道以外は迫害された」などという主張は全くの幻想であり虚構である。

 

しかし、神道の祭祀は、天皇・皇室そして全国の神社で継承され、それが日本国民精神・文化伝統の基軸・基盤となっていた。

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