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2017年9月14日 (木)

教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎である

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きというものは大切にするが、そうしたものから遊離した超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものは、作り事であり、嘘や独善と隣合わせであると直感するからである。

 

土井晩翆氏作詩の『星落秋風五丈原』に「嗚呼鳳遂に衰へて/今に楚狂の歌もあれ/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあり、三上卓氏作詩の『昭和維新青年日本の歌』には「功名何ぞ夢の跡/消えざるものはただ誠/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあるように、日本人は物事を「あげつらふ」ことを嫌った。「あげつらふ」とは、物事の善し悪しについて意見を言い合うことであり、欠点・短所などを殊更に言い立てることである。それは人生や宇宙そして自然そのものを歪曲する危険があると考えたからである。

論理とか哲学とか教義(イデオロギー)というものは宇宙や人生や世界や歴史に対する一つの解釈であり絶対のものではないのである。

 

しかし、それは日本の伝統的な精神を論理化しないということであって、日本に哲学や思想がなかったということではない。萬葉歌人の柿本人麿にしても近世の俳人松尾芭蕉にしても、彼らの偉大なる思想精神は、詩によって表現されている。

 

このことについて保田與重郎氏は、「芭蕉は…自ら感得した詩人の思想を、思想の言葉で語ることはしていない。これは芭蕉のみでなく、わが國の思想の深さを描いた文章の常である。…最も深いものを、日本の思想として語った人々が、我國では詩人であった。…日本の道は、思想としてかういふ形に現れるものだからである。」(野ざらしの旅)と論じておられる。

 

 古代日本精神を今日まで文献的に伝えているのは『古事記』『日本書紀』『萬葉集』である。これらの文献は、『聖書』『コーラン』『仏典』『論語』のような教義・教条が書き記されている文献ではない。日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められているのみである。日本人があくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ抽象的な論議や理論を重んじなかった証拠である。

 

近世の国学者・平田篤胤はその著『古道大意』において、「古ヘ儒佛ノ道、イマダ御国へ渡リ来ラザル以前ノ純粋ナル古ノ意(ココロ)古ノ言(コトバ)トヲ以テ、天地ノ初ヨリノ事実ヲ素直ニ説広ヘ、ソノ事実ノ上ニ真ノ道ノ具ツテイル事ヲ明アムル学問デアル故ニ、古道学ト申スデゴザル」「真ノ道ト云フモノハ教訓デハ其旨味ガ知レヌ、仍テ其古ノ真ノ道ヲ知ベキ事実ヲ記シテアル其ノ書物ハ何ジヤト云フニ、古事記ガ第一デゴザル」と述べている。

 

篤胤は、儒教や仏教という外来思想が日本に入り来る前の純粋なる古代日本の言葉を以て天地生成の起源からの事実を素直に記述し、その事実の上に立って日本民族固有の『道』を明らかにするのが古道(日本伝統精神を学ぶ学問)であり、日本伝統精神は「教義・教条」ではその真の意義を体得することはできず、古代以来の日本伝統精神を記してある書物の第一は『古事記』であると論じているのである。

 

さらに近世の国学者であり萬葉学者であった契冲はその著『萬葉代匠記怱釈』において「神道とて儒典佛書などの如く、説おかれたる事なし。舊事記、古事記、日本紀等あれども、是は神代より有りつる事どもを記せるのみなり。」と論じている。

 

つまり日本の伝統精神すなわち日本民族固有の『道』は事実の上に備わっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないというのである。抽象的・概念的な考え方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたいあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向である。

 

こういう教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

 

現代社会は、思想とか信仰というものが、人間の心性の中に深く根ざしたものとして把握されるのではなく、洗脳という形で個人の中に注入される<イデオロギー>と化している。共産主義革命思想はその典型である。それは人格破壊を招く機械的な洗脳という恐ろしさを持っている。

 

日本国民が、絶対的に有り難く承るべき言葉は、「天皇のご詔勅」である。また、おのづからに心にしみ入る言葉は、「天皇の大御歌」である。

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