« 千駄木庵日乗九月十日 | トップページ | 「第77回 日本の心を学ぶ会」のお知らせ »

2017年9月11日 (月)

真の攘夷精神とは

保田與重郎氏は、「攘夷論が封建的鎖國論と、發想の異なるところを考へるべきである。けだし勤皇志士の攘夷論は、八紘爲宇の神勅を奉じ、しかる故に神州の聖天子と神州の尊貴に立脚して攘夷馭戎を論じ行じたのである。…この大自信には敵の実力を軽んじるとか蔑るといふやうな、つまらぬ危惧は何らないのである。…我々の先人はたゞ天つ神のことよさせ給うた神勅を無限の生命の原理とし、御世の萬世一系を信念とし、淡々として難に赴いたのである。」(『「橿ノ下」私抄』)と論じてゐる。

 

真の攘夷精神とは、そして明治維新の理想とは、八紘為宇の建國の理想実現であった。明治維新の基本理念である「攘夷」とはかたくなな排外思想ではないし、德川幕府の基本政策たる「鎖国」とも全く異なるものである。明治維新後に、新政府が攘夷から一転して開國に踏み切った背景には、幕末期から開國思想があったからである。表面的には、明治政府が徳川幕府と同じ開國政策を取るのなら、幕府を倒す必要はなかったと思へるかもしれない。しかし、決してさうではなかった。開國政策に転換するにせよしないにせよ、それを実行する主体的力量を日本といふ國家が持たなければならなかった。徳川将軍家にはそれが最早なくなってゐた。だから徳川幕府は打倒されねばならなかった。

 

 徳川幕府は開設以来鎖國政策を取り、頑なに外國との接触を拒否してゐた。にもかかはらず、アメリカの恫喝に遭遇すると、屈辱的な開港を行ってしまった。明治維新の志士たちはかうした徳川幕府の軟弱な姿勢を批判し否定したのであって、外國との交渉・開港を一切否定したのではない。ここが徳川幕府の従来通りの鎖國政策と維新者の攘夷精神との決定的な違ひである。

 

 吉田松陰や坂本龍馬らは、日本の自主性を保持し日本の真の発展に資する外國との交渉を望んだ。だから、松陰や龍馬など多くの維新の志士たちは外國の文物を学ぶことに熱心であった。

 

吉田松陰が安政三年三月二十七日夜、金子重輔と一緒に下田来泊のペリーの米艦にて米國に渡航せんとしたことは、攘夷とは排外・鎖國を可とするのではなく、日本が外國の支配下に入ることを拒み、独立を維持するために、外國の進歩した文物を学ぶことを要するといふ開明的な考へ方であったことを証しする。

 

 かうした下地があったからこそ、徳川幕藩体制が崩壊し、明治維新が断行された後の日本では、外國との交際を一切行はないといふ頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を学ばなければならないといふ強い意志を持った。これを「開國攘夷」と言ふ。ここに日本民族の柔軟性・優秀性がある。

|

« 千駄木庵日乗九月十日 | トップページ | 「第77回 日本の心を学ぶ会」のお知らせ »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 真の攘夷精神とは:

« 千駄木庵日乗九月十日 | トップページ | 「第77回 日本の心を学ぶ会」のお知らせ »