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2017年9月17日 (日)

維新について

維新」という言葉の出典は、『詩経』(支那最古の詩篇。孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる)の「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」であるという。「周という国は、古い国であるが、新しき天命を受けている」というほどの意味であろう。

 

わが国では、藤田東湖が天保元年(1830年、)藩政改革への決意を述べる際に、「維新」という言葉をを引用して用いたのが最初とされている。

 

古くから続く国が、革新を繰り返し、新生するという意味である。日本民族が、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ國體を護持しつつ、常に革新・改革を繰り返してきた歴史に合致した言葉なのである。

 

明治維新は、有史以来未曽有の変革ではあったが、國體は護持された。と言うよりも、日本國體の真の姿を回復することによって、大変革を成し遂げたのである。即ち、「復古即革新」である。

世の中の矛盾・不合理を徹底的に粉砕し、国民の幸福と国家の存立を確保する。それがただの破壊・破壊としないためには、日本国の道統を原理としなければならない。日本における革新とは、古きものの土台の上に立脚する。「古きもの」とは、単なる時間的過去ではない。「原初」「始原」「始まりの時」である。すなわち。天孫降臨・神武肇国への回帰である。

 

歴史のさびを落とすためにものの本質・原初に立ち戻るのである。神代への回帰である。維新とは、「高天原への回帰」であり「今即神代」の精神である。

 

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。

 

大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを維新と言う。

 

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。尊皇精神なき維新はあり得ない。

 

維新とは、祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である。教条や政治理論に基づく体制変革ではない。醜悪な国になりつつある祖国日本を救済する大変革それが維新である。今こそ、維新断行の時である。

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