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2017年9月16日 (土)

宮崎学氏による「テロ等準備罪・盗聴法を考える」と題する講演内容

五月二十三日に行われた講演会における宮崎学氏による「テロ等準備罪・盗聴法を考える」と題する講演内容は次の通り。

 

「法律は『法の下の平等』で成り立っている。それが近代市民法の原理。これを侵すのは法としておかしい。相互監視・密告・監視カメラで危機感を煽っているのが最大の問題。三十年前に『暴対法』が出来た。市民運動は反対せず容認して来た。その流れの中に『共謀罪』がある。遠藤誠・西垣内堅佑の二人の弁護士が反対した。弁護士もなかなか集まらなかった。やくざ当事者も反対運動をほとんどしなかった。改正が重ねられ、都道府県条例が作られ、やくざ取締りは厳しい状況になっている。お上に逆らうのは如何なものかという意見もあり、やくざ側の取り組みも遅れた。

 

組織犯罪集団=やくざの側は『暴排条例』の適用を受けてきた。やくざの組員はある程度の免疫力を持った。共謀罪はやくざの周辺者を取り締まることができるようになった。コアではなく周辺で直撃していく。言葉が曖昧に使われている。ものすごく広い範囲をひっかけて行くというのが今回の特徴。

 

『朝日新聞』の報道もピンと外れ。『市民が取り締まられるから悪い』と言うのだ。一般の人まで逮捕されるから悪いというのは大きな間違い。『法の下の平等』は万人に保証されなければならない。法の下に特殊な存在を作るのは嫌な感じがする。『俺の眼を見ろ何にも言うな』という歌がある。目と目を見れば意思が通じていることを理解したら共謀だということになる。

 

色々な集団の独自性を奪うと、フラットで真っ白な社会になるのが怖い。不自然な形で突出して来たのが『共謀罪』。国際的にどこの国もある法律だと言うが、國によって法律が違うのは当たり前。日本には日本の独自の法体系があるべし。

 

一般人は対象としないと言うのは『法の下の平等』に反し法の原則を逸脱している。この法律によって取り締まるのは警察であり、誰を取り締まるのかは警察の判断である。取り締まる側と判断する側が同じというのはいびつ。法としての瑕疵が多い。犯罪計画の準備段階で拘束できると言う。人間関係特に東洋的発想の中に『阿吽の呼吸』がある。これを肯定すると『計画がある』ということになる。文化を破壊する。人殺しの小説が『反社会的』という烙印が押され、規制される可能性あり。私は無制限の表現の自由を求める。権力で規制するのはとんでもない。自然淘汰されるべし。

 

微罪とも言えない微罪でやくざとその周辺者が逮捕されている。そういう状況で『法の下の平等』がぶっ壊されている。この法律が通れば警察官の凄い増員をしなければならない。盗聴監視を裁判所の手続きをしないで出来るようになる。極秘裏に監視されるのは恐ろしい。警察が自分で決めて自分で取り締まる事が出来る権力を掌握する。この法律で得をするのは警察だけ。三十年前の『暴対法』の時も同じ。

 

裁判闘争をすべし。金も時間もかかり、警察に余計に睨まれるが、そのリスクを背負っていただきたい。この法律に対峙してもらいたい。盗聴の技術は凄く発達している。大人のおもちゃ屋でも盗聴する道具を売っている。街宣活動はこの法律で引っ掛けられる。この法律でダメージを受けるのは右派」。

 

千駄木庵主人曰く。この講演内容に全面的に賛同するものではありませんが、報告の意味で掲載しました。

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