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2017年9月30日 (土)

今日想ったこと

小池百合子さんが、民進左派を排除しようとしていることを高く評価する。しかし、小池百合子さんか、都知事を辞任することはできないと思う。それは小池さんに入れた都民を裏切りだということになり彼女への評価が落ちるからだ。

 

小池さんが衆議院議員になれないとなると、小池さんが代表を務める政党が政権を掌握しても、小池さんが総理大臣になることはできない。防衛大臣・外務大臣にもなることはできない。また小池新党で当選する人々がどういう人たちか全くわからないし、政治経験が未熟な人も多いであろう。それでは、国難の時期に強力なる政府を作ることはできない。私が望むのは小池総理・西村眞悟防衛大臣・中山成彬財務大臣・中山恭子外務大臣なのだがそれは不可能だろう。

 

従って、今度の選挙で小池新党に票を入れることは残念ながら出来ない。色々不満はあっても、自民党に入れるしかないと私は思っている。自民党が過半数を取れなかったら、小池新党と連立を組むのが良いと思う。そして政権から公明党を排除するのが良い。ともかく民進左派・社民・共産を政治の世界から排除することが大切である。

 

小沢がいる小池新党も困るが、公明党と連立を組む自民党も困る。

 

以上が今日考えていることであります。

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今日詠みし歌

民進左派を排除すると宣言せし小池百合子は正しい思ふ

 

安保憲法を踏み絵となしてサヨク分子を排除することは正しかりけり

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2017年9月29日 (金)

森の宗教が砂漠の宗教を救う

 

自然破壊・民族闘争・宗教戦争は、日本伝統精神すなわち明朗心・清明心・慈しみの心・むすびの心・神人合一・すべてに神を観る心・天皇仰慕の心・まつりの心・自然及び祖霊を神として拝む心によってこそ救済できる。一言で言えば、森の宗教が砂漠の宗教を救うのである。

 

わが国の神は天津神、国津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。 

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。わが国の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 

それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿ってると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の国・麗しい国があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

我が国伝統信仰すなわち神道は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」という。

 

その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽に神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

日本伝統信仰即ち神道は、自然の命と祖先の霊を崇める精神がその根幹であり全てである。それは日本民族の実際生活から生まれて来た信仰なのである。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた教条・教義に基づく信仰ではない。ここが神道と教団宗教との根本的相違である。つまり、わが国伝統信仰=神道はまことに大らかにして包容力旺盛な信仰なのである。

 

だからこそ、わが国伝統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。わが国において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全国に国分寺・国分尼寺を建立された。わが国において仏教は、皇室を通して広まったと言っていいのである。日本伝統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

 

わが日本民族は、今日の混迷も必ずこれを打開して正しき日本の姿を回復するに違いない。しかしそのためには、歴史を回顧して明らかな如く、真に国家の伝統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

 

わが国の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖国日本への限り無い愛と、国民同胞意識を回復しなければならない。

 

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千駄木庵日乗九月二十九日

午前は、諸事。

 

午後二時より、市ヶ谷のゼンセン会館にて、特定失踪者問題調査会主催『パネルディスカッション 「その後」を考える集い』開催。加藤博氏(北朝鮮難民救援基金理事長)・山田文明氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表)・荒木和博氏(特定失踪者問題調査会代表・司会兼)などが討論。

 

午後五時半より、市ヶ谷にて、同志二氏と懇談・意見交換。

 

帰宅後は、原稿執筆など。

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『政治文化情報』平成二十九年十月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年十月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十九年十月号(平成二十九年九月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

日本傳統信仰の自然観

 

日本傳統信仰は自然の中に神の命を拝む心・祖靈を尊ぶ心

舒明天皇の「國見歌」には日本民族の神ながらなる自然観が歌はれてゐる 

 

日本國は素晴らしい瑞穂の國であり豊穣の國である

 

日本傳統信仰の今日的意義

 

千駄木庵日乗

 

ブレット・スティーブンス氏(ウォール・ストリート・ジャーナル 論説室副委員長)「アメリカは世界から遊離してはいけない。平和のためにはたまには力を用いなければならない。より高い次元を目指すものでなければならない。広い心を持って事に臨むのは犠牲ではなく投資。保護主義に戻ることはできない」

 

松本彧彦氏(日台スポーツ・文化推進協會理事長)九月二十五日、田中・大平・二階堂が訪中。日華國交断絶。この日の夜、私は泣いた。蒋経國、張群の顔を思い出した。眠れなかった。これから民間人として交流しなければならないと決意した」

 

この頃詠みし歌

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今朝思ったこと

小池新党がいかなる政党であるか、小池氏が何を目指すか、彼女の本質とは何かは、民進党左派に対する態度、即ち彼らを入党させ公認するかどうかによって明らかになる。

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2017年9月28日 (木)

小池百合子さんについて

小池百合子さんについて以前掲載した文章を再掲載させていただきます。

 

『伝統と革新』誌に掲載された小池氏の主張

 

「小池百合子さんは、小生が編集を担当させていただいている季刊誌『伝統と革新』第十一号(平成二十五年四月十五日発行)で、小生の質問に答えて次のように語った。


中國はかねてより、太平洋の野望を抱いていることは知られている通りです。二〇〇八年、米国上院で当時のキーティング太平洋軍司令官がその旨を証言しています。「中国軍高官が太平洋の東西を米国と中国で分割しよう」と。その後、ロシアの中古空母を改造するなど、着々と準備を進めていた。そこに、日本の政権交代です。民主党政権の誕生により日本が混乱することで、中国の戦略行程を前倒しにした感があります。鳩山首相の普天間基地の扱い、つまり「海外、少なくとも県外」発言や、小沢さんが百四十三人もの現職民主党議員を引き連れての朝貢外交など、北京からすれば、小躍りしたくなるような政権でしたからね。中國からすれば、尖閣は単なる突破口でしょう。

 

このせめぎ合いは十年、二十年と長期にわたるものとなるでしょう、有事に備えるのは当然ですが、一方で痺れを切らした方が負けです。日米同盟の強化とともに、官邸にNSC(国家安全保障会議)を創設し、省庁の縦割りを排し、復情報も一元化すべきです。中長期的な日本の安全保障を構築しなければなりません。ただ、NSCの機能を高めるためには。しっかりした国家観を有するリーダーシップを抱かねばなりません。さもなければ、無用の長物になる恐れがあります。

 

自民党は憲法改正を党是とし、長年議論を重ね。憲法改正草案を作成してきまた。草案に盛り込まれた「集団的自衛権の行使」「や「国防軍創設」にはもちろん賛成です。

 

本来、憲法は国民を守るために存在するわけですが、憲法発布の頃と比べ、世界情勢も大きく変化してきました。左派と呼ばれる方々は、戦後の日本の平和を憲法第九条のおかげと言われますが、現実は日米安全保障が日本の平和と安全を支えたと言っていいでしょう。日本の憲法改正を批判するのは中国と韓国くらいじゃないですか。軍国主義に後戻りするとか言ってそれは、彼らが日本を自縄自縛させている方が都合がよいからなのであって、彼らの都合です。それをさらに日本の左派メディアが強調する。そもそも原文が英語で、それを日本語に翻訳しただけの現憲法はいわば「もらいもの」。

 

日本中の街角で最もたくさん見かける国旗といえば、実はイタリア国旗ではないかと思うんです。…ピザ屋やスパゲッティ屋さんの店先に揚げられているでしょう(笑い)。アメリカでも、フランスでも、中国、韓国でも、自国旗はどこでも誇らしげに掲げられています。日本の国会議員として日の丸の掲揚キャンペーンもやりたいですね。

 

防衛大臣を務めた期間は短かったですが、私が最も力を入れたのが情報保全対策でした。そこで、ぜひとも実現したいのがスパイ防止法の制定です。日本はスパイ天国ですよ。危機意識の薄い日本では機密保持についてオオ甘です。最悪が国会議員(笑い)。「これは秘密ですから」などと枕詞がつけばなおさら喋りまくる習性があります。たまに開かれる議院運営委員会での秘密会など、数分後には漏れています。笑えない事実です。

 

私は、日本の中にある伝統、文化など、全てを凝縮しているのが皇室だと思っています。大臣就任中にはありとあらゆる皇室行事に参加させていただきました。新嘗祭、歌会始……すべてです。閣僚である際にしか参加できない行事も多いことから、貴重な機会を逃すまいと思いました。そこで実感したのは、陛下のお役割やお務めがいかに厳しく、かつ重要かということです。陛下は思いをこめてお務めされているのです。アラブの湾岸諸国には王朝・首長制の国々は多数あります。そういう国々へ総理大臣や閣僚が一万回出向くよりも、陛下や皇室の方が一度いらっしゃるだけで、日本のプレゼンスは格段に上がります。日本の皇室の存在はかけがえのないものです」。

              〇

有力視されている三人の都知事選候補者の中で、小池百合子さんが最もまともな人である事は、このインタビューにおける小池さんの話を讀めば明白である。自民党は小池さんに一本化すべきであった。他の二人は『現行占領憲法』擁護を主張している。特に鳥越某は、尊皇心は全くなく、天皇・皇室に対し奉り不敬発言をした男である。また、「改憲阻止のために都知事選に立候補した」と言っている。何としても叩き落さねばならない。

 

小池百合子氏が小沢一郎氏と決別した理由

小池百合子氏は、『文藝春秋』平成二十年一月号で、一時は政治の師と仰いだ小沢一郎氏と決別した理由について次のように書いています。

 

           〇

「政策上の理由では、三点ある。…国旗・国歌法案と外国人参政権の法案をめぐる対応、そして安全保障上での国連中心主義に対する見解の相違が大きい。私は国旗・国歌法には賛成。外国人参政権には否定的な立場で、自由党内の大勢も同じ見解だった。…しかし、公明の取り込みという政局的観点からか、党内議論とは別に、国旗・国歌法に反対、外国人参政権に賛成とした。…この大転換は私にとって衝撃だった。この二つの問題は国家のあり方の背骨の部分である。日本という国家としてのあり方を問う主要な政策を政局の道具として使うことに違和感を覚えた。いったん芽生えた不信感は、次第に膨れ上がって行った。いま思えば、これが〝小沢離れ〟のきっかけだったかもしれない。…そして、小沢氏の国連原理主義に対しても、じつは私は懐疑的だった。…国連はそれほど立派なものなのか。国連憲章に則って現代の国際社会を読み直せば、それは欺瞞に満ちた構図しか見えてこない。いまや日本の国連予算はアメリカに次ぐ世界第二位にもかかわらず、国連憲章にはいまだに敵国条項が残っている。つまり、第二次大戦での敗戦国である日本の地位は、国連のなかにおいていまだに回復されていない。…その国連での決議が、果たして錦の御旗になるのだろうか、という疑問も残る。…日本は独立した主権国家である。主権国家たるもの自主独立の精神を貫くべきだ。自国の存立にかかわる判断基準を国連という外部組織に求めるべきではないだろう」。

 

ほぼ正論と思います。三人の有力候補者の中では小池百合子氏が最もまともであると思います。ともかく鳥越を都知事にしてはならないと思います。もう一人の役人出身の人も、護憲論者です」。

 

           〇

小池百合子さんは、今回の選挙で、民進党左派を公認することは絶対にやめてもらいたい。それが私の切なる願いである。

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今日思ったこと

私は都知事選で小池さんに投票しました。小池さんに入れた人は四年間小池さんに都知事をしていただくということで入れたのでありましょう。であるならば、小池さんが途中で都知事を辞めて国政に戻るとのは、言ってみれは「契約違反」です。

 

しかし小池さんは憲法・安保てはサヨクよりはまともな意見を持っている人ですから、この人が領導する政党が出来るとなれば、保守二大政党で政権争奪戦が行われるということです。保守二大政党で政権交代が行われるというのは良い形かも知れません。

 

「日本の心」は「憲法改正試案」を作ったばかりでした。中山さんご夫妻はこの「試案」を小池さんに受け入れてもらったのでしょうか。

 

ともかく、民進左派、共産、社民勢力が出来るだけ少なくなることを期待します。

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日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだ

日本人の伝統精神がやまと歌の形で表現されている日本最大の歌集『萬葉集』には「言霊」「事霊」といふ言葉が数多く出て来る。

 

『萬葉集』の原文には、「言霊」を「事霊」と書いてゐる歌がある。萬葉人にとって「言」と「事」は一体であった。これを「言事不二」と言ふ。言葉は事物そのものであるといふことであり、さらに言へば、全ての存在が言葉であるといふことである。

 

谷口雅春師は次のやうに説いてゐる。「日本的思惟に従うならば、日本人は『存在』の根元を神より發したものとしてこれを把える。日本人には『存在』はコト()であり、神はミコトであり、ミコトとは御言(みこと)であり、〝言事不二〟であり、命を漢字にて表現するのに『命』(いのち)なる文字をもってをする。存在の根本生命であるものは〝コトバ〟であることを直感的に知ってゐのだが日本民族なのである」(『古事記と現代の預言』)

 

日本民族は「ことば」を大切にし、「ことば」に不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視した。言葉に内在する霊的力が人の幸不幸を左右すると信じた。日本には「一言主神」といふ神様もをられる。この神様は、「吾は悪事も一言、善事も一言、言ひ離(さか)つ神。葛城の一言主の大神なり」(『古事記』)といふ神である。

 

山口悌治氏は「言霊信仰は、一言でいへば、善き言葉を述べれば善き事が現れ、悪しき言葉を吐けば禍ひを招く――といふ信仰に基いてゐる。われわれの先祖は、明るく清く美しい言葉をもって神々を祭り、日月万象を仰ぎ、国土を讃め、五穀の豊穣を祈り、すべてに感謝し、善き言葉の幸(さき)はへを信じて、言霊の幸はふ國と称へて来たのである。そして悪しき言葉を忌み慎んで来たのである」(『万葉の世界と精神』 後篇)と論じてゐる。

 

わが國は「言靈のさきはふ國」と言はれる。「日本は言葉の靈が豊かに栄える國である」といふ意味である。日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉は生命を持ち、言葉を唱へることによってその靈力が発揮されると信じた。わが國においては、「ことば」は何よりも大切な神への捧げものとされた。神様に祝詞を唱え、仏様のお経をあげるといふ宗教行為も、言葉に霊的な力があると信じてゐるから行はれるのである。

 

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり」と書かれてゐる。

 

「御託宣」「神示」は神靈が籠り神威が表白された言葉である。「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「やまと歌」にも靈が込められてゐる。「祝詞」を唱えへ「やまと歌」を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。

 

折口信夫氏は、「日本の詞は霊妙不可思議な作用を持って居て、短歌や其外總べての文学はそこに生まれて来ます。…一つの文章を唱へると其詞章の中に潜んで居る一種霊的な精神がそれを唱へかけられた人に働きかけるのです。或は人でなくても自然一般の現象でも構ひません。言語精霊が不思議な作用を表すといふことが言霊がさきはふといふ意です。それを一所懸命失はないやうに伝承して来たのが日本文学の始まりです」(『神道の改革』)と論じてゐる。

 

神に対してだけでなく、恋人や親や死者や自然や国土など他者に対する魂の訴へかけが、日本文藝の起源である。日本人の言靈信仰が「やまと歌」を生んだのである。日本古典の全てが、言霊の文学と言っても良いのである。その言霊によって護られ栄ゆく国が日本国なのである。

 

さらに戦ひの時においても、「言霊の力」は大いなる力を発揮する。景行天皇が、日本武尊に東国の荒ぶる神どもをば「言向け和せ」と命じられた。言霊を発することによって相手を平定せよといふご命令である。相手に対して発した言霊は、相手の魂を和らげるのである。つまり、敵対して来る者たちの魂を和ましめるのが言霊である。

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千駄木庵日乗九月二十七日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2017年9月27日 (水)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

四宮正貴が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 十月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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2017年9月26日 (火)

山田宏参院議員の講演内容

五月二十三日に開催された『第五十回呉竹会アジアフォーラム』における山田宏参院議員の講演内容は次の通り。

 

「言葉狩りは世界を無色にする。トランプ登場は国家としての日本を取りもどすチャンス。ヨーロッパは一つになると誰もが疑っていなかったが、それが崩れてきた。日本は外国頼みになっているもどかしさがある。北のミサイルに体して日本自身は何もできない。

 

グローバルの反対はエスニック。日本人は日本人らしく生きよう。日本は自分で自分を守らねばならない時代にいる。日本直が何処まで眼覚められるか。日本は国家を自分の手で守ろうということを拒否してきた。憲法九条二項を削るべし。来年の十二月までには発議しなければならない。日本の夜明けになるかどうかの正念場。

 

日本は数千年来、天皇を中心にまとまっている國。神話が生きている國。これが一番の強み。皇室・神社・日本語が日本を支えている。山上憶良の『好去好来の歌』は遣唐使への歌。『そらみつ 大和の国は 皇神(すめがみ)の 嚴(いつく)しき國 言霊の 幸はふ國』と歌われている。私はこの歌に出会った時、この精神を守りこの精神を基盤に日本が睦み合って行くのが大切だと思った。危機の時こそ『根っこ』を大切にしていきたい」。

 

続いて田母神俊雄氏は次のように語った。

「北は儲からない暴発はしない。アメリカも北を攻撃しても儲からない。日本にとって一番怖いのは中国。尖閣に侵攻する」。

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加瀬英明氏の講演内容

五月二十四日に開催された『第五十回呉竹会アジアフォーラム』における加瀬英明氏の講演内容は次の通り。

 

「二〇一七年は日本の曙。日本の周辺は騒然としている。中国がアジアを制するか、日本がアジア導くのか、分かれ目である。十九世紀後半、西洋帝国主義が大津波のように押し寄せた時、日本は近代化を遂げたか、中国は近代化できなかった。大化改新と明治維新はよく似ている。大化改新の頃は、唐が大きな勢力。朝鮮半島は流動的。徳川時代末期と似ている。

 

日本は近代化にために天皇中心の中央集権国家にした。神道よりも仏教を選んだ。仏教の方が普遍性がある。『中国』という名称は辛亥革命の後彼らが勝手に作ったもの。日本は海の文化。中国は山。中国の理想郷は山の奥。日本は謙虚な文明。中国は傲慢な文明。今上天皇は世界で最も謙虚な方。世界から良い物を採用する日本は謙虚。日本は謙虚だから明治維新が成功した。日本にとって一番大切なのは天皇。

国民は天皇のことを真剣に考えるようになった。天皇は芸能人でも政治家でもない。天皇は神々を祭られ祈られることが一番のご使命。天皇はお祭りをされるとともに歌を詠まれる。歌は祈り。

 

『宗教』『独裁者』『指導者』という言葉は明治以降の言葉。私たちの中には指導者・独裁者はいない。神道で一番大切なのは言挙げしないこと。言葉が大切であることを日本人は太古から知っていた。仏教・儒教と共に日本にロジックが入ってきた。言葉は自己主張・自己弁護のために使う。言葉は危険なもの、

 

イスラムはキリスト教より六百年若い宗教。カソリックとプロテスタントとが論理が違うと言って殺し合った。日本版は論理を嫌う。孔子はペテン師。民衆を治めるための政治的書いたものが『論語』。

 

天皇は日本人の優れた面の結晶。マッカーサーが臣籍降下にした皇族の若い方を皇籍にお入れすることが大事。『平和無抵抗憲法』を改正すべし。安倍氏の提言に大賛成」。

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千駄木庵日乗九月二十六日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、根津にて、知人ご夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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サヨクは北朝鮮の手先・協力者

民進左派・社民・共産そして偏向メディアは、「戦争は良くない」とか「人殺し」は良くないとか言って「平和憲法を守れ」とか言っている。『九条の会』とかいうのも存在する。

 

共産党と社民党(旧社会党)は、国際テロ国家でありわが国国民を拉致した人さらい国家である北朝鮮と緊密な関係にあった国である。そのような政党が、「平和」や「人命」を語る資格は毛筋の横幅ほどもない。

 

私の学生時代、すなわち昭和四十年代前半、民主青年同盟という共産党の青年組織が学校の内外で活発な運動を展開していた。彼等は、北朝鮮を理想国家のように宣伝していた。そして北朝鮮の歌曲「イムジン河」というのを盛んに歌っていた。歯の浮くような北朝鮮礼賛の歌であった。また日本共産党は、北朝鮮を「地上の楽園」であるかのごとく宣伝し在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動に全面的に協力した。

 

共産党・社民党は、北朝鮮の脅威について「話し合いによる平和的解決」を主張している。そう思うのなら、志位なり不破なり福島なりが北朝鮮に行って、北朝鮮の核実験・ミサイル発射に抗議し、止めさせればいいではないか。

 

社民党は、社会党時代から朝鮮労働党と「友党関係」にあり、北朝鮮礼賛を繰り返しその手先となっていた。社民党・土井たか子は、拉致問題を無視してきただけではなく否定してきた。社民党は、拉致の事実が明らかになった後も日本人拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」などと否定していた。そして社民党は機関紙で北朝鮮による拉致事件を、「(韓国)安企部の脚本、産経(新聞)の脚色によるデッチあげ」、「日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された」などと主張し(平成九年七月号)、一貫して北朝鮮を擁護し続けてきた。

 

アメリカと日本の防衛協力、わが國の防衛力拡充には猛烈に反対する偏向メディア、社民共産両党、そして反戦平和運動屋とそれに踊らされている無知な人々は、共産支那・北朝鮮には一切抗議はしない。彼らは実質的に北朝鮮・共産支那の手先であり協力者なのだ。

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江戸時代においても尊皇思想の道統は脈々と受け継がれてゐた

 

江戸時代においても、天皇が日本國の君主であるといふ事實、即ち一君萬民の國體が全く隠蔽されてゐたわけではない。尊皇思想の道統は脈々と受け継がれてゐた。天皇を君主と仰ぐことが、徳川幕藩体制の「正統性」の根拠であったのだからそれは当然である。

 

江戸期においても、わが國を「本朝」「皇朝」と称し、幕末に近くなると「皇國」が多くなった。

 

徳川幕府による武家中心の政権をめざし首都を朝廷の置かれた京都から江戸に移したとの説があるが、日本の都は、天皇がゐます所であることは、江戸時代においても全く変はりはない。江戸時代において「都」が江戸に遷ることはなかった。「都」はずっと京都であった。江戸時代の地図の経度の起点は幕府の所在地である江戸ではなく、上御一人日本天皇のおはします京都の上に置かれてゐた。(藤田覚氏著『幕末の天皇』)

 

これは、日本國の君主・統治者は上御一人・日本天皇であるといふ國體に揺るぎがなかったことを証明する。

 

「勤皇」が徳川光圀以来の水戸藩の傳統である。光圀は、常々近臣に対して、「わが主君は天子なり、今将軍はわが宗室なり。あしく了簡仕り、取り違へ申すまじき」と戒め、毎年元旦には、直垂(ひたたれ)を着して早朝京都を遥拝したという。

 

光圀の學問・尊皇思想は、各方面に多大な影響を及ぼした。それは徳川御三家にまで及んだ。御三家筆頭の尾張藩四代藩主・徳川吉通は、子孫に対する訓誡『圓覺院様御傳十五カ条』において「天下の武士は、みな公方(注・徳川将軍)家を主君の如く崇めかしづけども、實は左にあらず…三家(尾張、紀伊、水戸)の者は全く公方の家来にて無し、今日の位官は朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣(注・天武天皇十三年に定めた八階級の姓の第二位。後には、三位の人の姓の下、四位の人の名の下につける敬称)と称するからは、これ朝廷の臣なり。されば水戸の西山殿(注・徳川光圀のこと)は、我らが主君は今上皇帝なり、公方は旗頭なりとのたまひし由、然ればいかなる不測の変ありて、保元・平治・承久・元弘のごとき事出来て、官兵を催される事ある時は、いつとても官軍に属すべし。一門の好みに思ふて、かりにも朝廷にむかふて弓を引くことあるべからず」と述べた。

 

ただし辻達也氏はその著『天皇と将軍』において、「この文章は吉通から約半世紀の十八世紀後半に作為されたものと考えるのが妥当いえよう」としてゐる。しかし辻氏は「吉通といい宗治といい、尾州家には将軍家への対抗意識が傳統的にあり、これが幕末の尾張義勝の勤王意識に連続するといえそうである」「巷の雜説のなかに、尾州家は将軍家と同格、尾州家は天皇の直臣という意識が醸し出されてきたことが認められる。それは尊王意識を育む土壌の形成を意味していると考えてよいのではあるまいか」(同書)と論じてゐる。

 

徳川御三家の一つ水戸藩で形成された学問「水戸學」は、天皇國日本の悠遠な真姿を示し、徳川幕藩體制のみならず鎌倉幕府以来の武家政権の転変を超えて持続する「皇位の傳統」「國體の道統」を明らかにした。それは、『大日本史』の綱条の序文に、「人皇基を肇めて二千余年、神裔相承け、列聖統を纉(つ)ぎ、姦賊未だ嘗て覬覦(注・身分不相応なことをうかがひねらふこと)の心を生ぜず。神器の在る所、日月と並び照らす。猗歟(ああ)盛なる哉。其原(もと)づく所を究むるに、寔(まこと)に祖宗の仁沢、民心を固結し、州基を盤石の如くならしむるに由る也」とある通りである。

 

幕末における水戸藩の「尊皇攘夷思想」が端的に書かれた文章を紹介する。

水戸学の泰斗・藤田東湖が、主君・徳川齊昭に奉った文章で次のやうに論じてゐる。

 

「先づは関東の弊風にて、日光等さへ御立派に候へば、山陵はいか様にても嘆き候者も少なき姿に御座候、…日光御門主(輪王寺宮)を平日御手に御附け遊ばされ、萬一の節は、忽ち南北朝の勢をなし候意味、叡山へ対し東叡山御建立、其の外禁中諸法度等の意味、實に言語を絶し嘆かはしき次第、右等を以て相考へ候へば、京所司代などは、以心傳心の心得ぶり、密かに相傳り仕り候かも計りがたく、實意を考へつめて候へば、一日も寝席を安んじかね候次第」。

 

徳川幕府の朝廷への不敬を厳しく糾弾した文章である。かうした正統なる尊皇精神が徳川御三家の一つ水戸徳川家に存したといふことは實に以て驚くべき事である。明治維新、尊皇討幕運動は水戸藩の「尊皇攘夷思想」から発したのである。

 

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

 

天明八年(一七八八)十月に、老中松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を實施して寛政の改革を實行)は、将軍・徳川家斉に奉った上書『御心得の箇条』に、「六十四州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とは思召され間敷候御事に御座候」「永く天下を御治さめ遊ばれ候御事、皇天及び禁庭への御勤め、御先祖様方への御孝心に当たらせらるべし」と記してゐる。

 

これを「大政委任論」(天皇・朝廷から國政を委任されてゐるといふ論)と言ふ。この大義名分論が、「大政奉還」即ち明治維新に継承され一君萬民の國體明徴化されるのである。

 

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

 

このやうに、江戸時代においても、日本國の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるといふ「大義名分」は継承されてゐたのである。

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千駄木庵日乗九月二十五日

午前は、諸事。

午後一時より、都内のホテルにて、ある政治家主催の講演会開催。非公開ということを参加した後知りました。残念ですが報告することができません。

夕刻、団子坂下にて、若き友人と懇談。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆の準備など。

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2017年9月25日 (月)

「天皇の國家統治」について

 

日本天皇の國家統治とは、天皇が権力や武力によって國家國民を屈従させることではないし、天皇が國民の意志を全く無視し蹂躙して恣意的に権力を行使するといふ事でもない。

 

「天皇の國家統治」とは、天皇が精神的・文化的に國家と國民を統合される事を言ふのであり、天皇が日本國の君主であり統治者であるとは、天皇が日本國の傳統・文化そして歴史的永続性を体現され日本國民の統合を体現される御存在であるといふ事である。天皇が日本國及び日本國民を統合され統治される御存在であることは建國以来の道統である。

 

「統治」といふ言葉は漢語である。〈やまとことば〉で言へば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまひ、天皇の御心を民に知らしめる」といふことが「統治」なのである。

 

祭祀國家・信仰共同体であった古代日本において、祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の「しろしめす」=國家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本國が成立する。

 

明治天皇の外祖父・中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇國は天照皇大神の御國で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といへども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したといふ。

 

日本天皇は、『朕は國家なり』と言ふような國家國民を私物化する西洋的な絶対専制君主とは全くその本質を異にする。

 

天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるといふ雄大なる神話的発想に基づくのである。天皇による日本の祭祀的統一といふ歴史を背景として成立した日本神話には、天皇の御祖先である邇邇藝命が高天原から地上に天降られた時に、天照大神からの御命令(御神勅)が下されたと記されてゐる。

 

それには、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の生みの子が統治すべき地である。なんじ生みの子よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであらうことは、天地と共に永遠で窮まりないであらう、といふほどの意)と示されてゐる。

 

この御神勅は、天照大神の神霊をそのまま受け継がれた生みの子たる天皇が永遠に統治される國が日本であるといふことを端的に表現してゐる。

 

天皇の國家統治とは、人為的に権力・武力によって民と國土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって國民と國土を治めるといふことである。

 

〈やまとことば〉ではまた「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)とも言ふ。天皇が民の心を聞かれるといふ意味である。

 

 日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父君にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひめあめのおしほみみのみこと)と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本國の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたとされる。

 

天皇の國家統治とは、権力行為ではない。力によって民を屈従せしめるといふものではない。天皇は國民の意思を広くお知りになり統合される御存在であるといふ事である。さらに言へば天皇の國家統治とは、國家と國民の統一と調和すなはち統合が天皇の宗教的権威によって保たれるといふことである。

 

 ただし、天皇が日本傳統信仰の祭祀主として君臨されるといふことは、天皇が現実政治に全く関はりを持たれないといふことではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が國家の中心にゐまし、常に國家の平安と國民の幸福を神に祈る祭祀を続けられてゐることが、政治のみならず日本國のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の國家統治そのものなのである。

 

わが國建國以来の天皇を君主と仰ぐ國體は護りぬかねばならないし、正しく開顕しなければならない。天皇は近代成文法以前から君臨されてきた日本國の神聖なる君主であらせられる

 

日本國の國體が隠蔽されてゐる状況を是正しさらには國體破壊を防ぐめには、信仰共同体の君主・祭祀國家の祭祀主であらせられ、國家と國民を統合される神聖にして至高の御存在であるといふ古代以来の國體を正しく成文化された正統憲法に回帰すべきである。 

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千駄木庵日乗九月二十四日

午前は、諸事。『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には明日お届けできると存じます。

午後一時より、春日の文京シビックホールにて、『日本の心を学会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏及び小生が講演。質疑応答。

午後四時より、青山霊園警視庁墓地内の清水家墓所前にて、『清水澄博士墓前祭』執行。所功氏が挨拶。清水潔皇學館大学学長が「遺書朗読」、全員で拝礼。

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清水澄博士墓所

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挨拶する所功氏

午後五時より、赤坂の乃木会館にて、『清水澄博士に学ぶ会』開催。久禮克維氏が司会。所功氏・加藤司郎乃木神社宮司が挨拶。川田敬一金沢工業大学教授・菅谷幸浩亜細亜大学講師が講演。この後、慶野義雄・永江太郎・田尾憲男・高乗正臣・坪内隆男の各氏そして小生などがスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2017年9月24日 (日)

國民主権論は日本國體と絶対に相容れない

「現行占領憲法」に「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く」とあるところから、「大日本帝國憲法では、主権は天皇にあったが現行憲法で主権が國民に移った。ゆゑに天皇は君主ではない」といふ主張が蔓延してゐる。

 

「國民主権」といふ思想は、西洋の歴史における國王あるいは皇帝と人民との権利のぶつかり合ひの中から生まれた思想である。西洋の憲法の歴史とは、國王・皇帝と人民との権力争奪戦の歴史と言っても過言ではない。

 

ところが、日本國の君主であらせられる天皇と大御宝である日本國民とが権力闘争を行なふなどといふ歴史は日本にはなかった。日本國體は、君民一体であり、君と民とは信仰的にも精神的にも文化的にもそして政治的関係においても、闘争関係・対立関係にあった事はない。これを君民一体・君臣一如の國體と言ふ。わが國には君主に主権があるとか、人民に主権があるとかいふやうな発想は本来なかった。従って「國民主権」といふ日本の傳統と相容れない西洋概念を成文憲法に持ち込んではならない。

 

憲法學では「國民主権」といふ事自体「抗争的概念」とされてゐると言ふ。吉原恒雄氏は、「國民(人民)主権學説は十六世紀のキリスト教プロテスタント運動の過程で、第一階層である聖職者と第二階層である君主・貴族との権力争いの中で生まれたものだ。…支配力が衰えつつある聖職者側が君主を上回る権力を保有する論拠として構築したのが國民主権説である。…十七世紀に入ってこの國民主権學説は、第三階層と呼ばれたブルジョアジー(市民)が第二階層の君主・貴族に対抗する理論として利用されるようになる。…國民主権は人類普遍の原理どころか、特定の時代背景のもとに特定の意図を持って構築された理論であり、極めで特殊的゛なものである…統治原理は文化の霊の中核をなすものである。日本の現状は、國民主権という他國の守護神が成文法に入りこみ悪意と破壊の鬼になって暴れまわっている状況と言ってよい。それゆえ、憲法論議の中心は國民主権主義の検証でなければならない。」と論じておられる。(『祖國の青年』平成十一年六月号・「『國民主権』は憲法論議の前提か」)

 

この吉原氏の論は、今日のわが國において「天皇は君主でも元首でもない」などといふ暴論(憲法學界では永い間「天皇元首説」は少数説だったといふ)が罷り通ってゐる根本原因を鋭く言ひ当ててゐる。

 

戦後に押し付けられた米國製の憲法ではじめて「國民主権」などといふ言葉・概念が登場した。これは、天皇を君主と仰ぐ日本の國柄を隠蔽せしめ日本民族と國家を弱体化せんとする戦勝國アメリカの意図に基く。

 

「現行占領憲法」による日本國體の破壊を防ぐためには、「國民主権」を日本の傳統にでき得る限り近づけて定義することが必要であるとして、さういふ努力をしてゐる憲法學者もをられる。例へば、「主権の存する日本國民」の中に「天皇」が含まれるといふ議論がある。この議論は、天皇・皇族は國民なのか、憲法に保障される選挙権・被選挙権などの「國民の権利及び義務」が、天皇及び皇族にも適用されるのか、といふ大問題が起こってくる。わが日本の國體は「一君萬民」である。天皇が國民ではあらせられないことはあまりにも自明である。

「國民主権」といふ日本の傳統的國家観とは相容れない思想・概念・言葉はわが國の憲法から排除しなければならない。

 

ゆゑに、「國民主権論」を第一とした「現行憲法三原理」を踏襲する憲法改定では、「自主憲法制定」にも「憲法改正」(「改正」とは間違ひや不十分な部分を直して良くするといふ意)にもならない。

 

西洋概念でありその「定義」も多義にわたってゐる「國民主権」なる概念をそのままにしたのでは、「自主憲法制定」「憲法改正」にはならない。わが國の成文憲法から「国民主権論」を排除しなければならない。従って、「現行占領憲法」を変えるのではなく、正統憲法たる「大日本帝国憲法」に回帰すべきなのである。

 

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千駄木庵日乗九月二十三日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送作業。原稿執筆の準備など。

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2017年9月23日 (土)

傳統的な尊皇精神について

 

尊皇愛國の精神を尊び、それを基本として日本國の現状を変革し理想の姿を回復せんしてさまざまな運動を行ってゐる人々、そして皇室尊崇の念を道義の基本としてゐる人々は、天皇様や皇太子様が「自己の抱く天皇の理想像」あるいは「天皇様にはかうあっていただきたいといふ思ひ」と異なる御発言や御行動をされた時、天皇様や皇太子様に批判の思ひを抱くことがある。

 

しかし、それでは真の尊皇にはならないと思ふ。日本國民が天皇を神聖なる君主と仰ぐとはいかなることであるのか、言ひ換へれば尊皇精神とはいかなることであるのか。わが國の傳統的な尊皇精神を正しく継承しなければならない。

 

尊皇精神とは、日本國の祭祀主であられ神聖なる君主であられる天皇への「かしこみの心」である。そしてそれは日本人の道義精神の根本である。

 

村岡典嗣氏は、「歴史日本が創造した道徳的價値の重要なものとしては、尊皇道と武士道との二つを、擧げ得る。尊皇道徳は太古に淵源し、我が國體の完成とともに、而してまたその根柢ともなって成就したものである…そは即ち、天皇に對し奉る絶對的忠誠の道徳であって…太古人がその素朴純眞な心に有した天皇即現人神の信念こそは、實にその淵源であった」と論じて、柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上にいほらせるかも」を挙げてゐる。(『日本思想史研究・第四』)

 

天皇に対する絶対忠誠の心は太古以来今日に至るまで継承されて来てゐる。『古事記』には次のやうなことが記されてゐる。

 

第二十三代・顕宗天皇はその父君市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を殺したまふた雄略天皇をお怨みになり、その御霊に報復せんとされて御陵を毀損しやうとされ、弟君・意祁命(おけのみこと)にそれを命じられた。だが、意祁命は御陵の土を少し掘っただけであられた。天皇がその理由を尋ねられると意祁命は「大長谷の天皇(雄略天皇の御事)は、父の怨みにはあれども、還りてはわが従父(をぢ)にまし、また天の下治らしめしし天皇にますを、今単(ひとへ)に父の仇といふ志を取りて、天の下治らしめしし天皇の陵を悉に破壊りなば、後の人かならず誹謗(そし)りまつらむ」と奉答された。この意祁命のみ心に、天皇に対し奉り絶対的に従ひ奉る尊皇精神がよく表れてゐる。

 

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びず思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じてゐる。

 

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。天皇陛下が間違ったご命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、國民は勅命に反してはならずまして反対したり御退位を願ったりしてはならない、如何にしても従へない場合は楠正成の如く自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であることを、本居宣長先生は教へられてゐるのである。

 

山崎闇斎(江戸初期の朱子學者、神道家。朱子學の純粋化・日本化に努め、門弟は数千人を数へた。また、神道を修め、垂加神道を創始し、後世の尊皇運動に大きな影響を与へた)を祖とする「垂加神道」は、「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)と説いてゐる。

 

村岡典嗣氏はこの文章を、「(絶對尊皇道徳の・註)最も代表的なものを山崎闇斎を祖とする垂加神道の所説とする。曰く、日本の天皇は、支那に比すれば天子でなくて天そのものに當る。儒教の天がわが皇室である。儒教でいへば、大君の上に天命がある。勅令の上に天命がある。しかるに我國では、大君なる天皇は即ち天帝であり、勅命はやがて天命である。されば假に君不徳にましまして、無理を行はれるといふやうなことがあっても、日本では國民たるものは決してその爲に、天皇に背き奉り、また怨み奉るべきでないことは、恰かも天災がたまたまあったとて、ために支那に於いて、天帝に背き、また天帝を恨むべきではないとされると同様である。」と解釈し、「これまさしく、わが國民精神の中核を爲した絶対對尊皇思想である。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

二・二六事件に指導的立場で参加し処刑された村中孝次氏(元陸軍大尉)は獄中において「吾人は三月事件、十月事件などのごとき『クーデター』は國體破壊なることを強調し、諤々として今日まで諫論し来たれり。いやしくも兵力を用いて大権の発動を強要し奉るごとき結果を招来せば、至尊の尊厳、國體の権威をいかんせん、…吾人同志間には兵力をもって至尊を強要し奉らんとするがごとき不敵なる意図は極微といえどもあらず、純乎として純なる殉國の赤誠至情に駆られて、國體を冒す奸賊を誅戮せんとして蹶起せるものなり。」(獄中の遺書『丹心録』)と書き遺してゐる。

 

この精神こそが真の絶対尊皇精神である。わが國道義精神の基本は「清明心(きよらけくあきらけきこころ)」である。それは「まごころ」「正直」と言ひ換へられる。まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神であると思ふ。

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千駄木庵日乗九月二十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆、日用に行われる『日本の心を学会』における講演準備。

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2017年9月22日 (金)

第77回 日本の心を学ぶ会 

 テーマ 北朝鮮問題をどう考えるか 

 

 北朝鮮は9969回目の建国記念日とされる日を迎えました。 

 8月末に日本に向けてミサイルを発射し、9月には6度目の核実験を強行したことからこの日に更なる挑発行為を行うのではないか世界各国は警戒を強めていました。 

 北朝鮮の労働新聞は「日本は、原爆、水爆、ともに大陸間弾道ミサイルまで保有した核強国だ。世界的な軍事強国に上り詰めた」と宣言し、アメリカに対し「敵対行為を続けるなら大小の贈り物を受け取り続けるだろう」とさらなる挑発を示唆しています。 

 朝鮮半島有事の際に北朝鮮はアメリカの大都市への核攻撃を示唆することでアメリカの介入を困難にすることが可能になったことを意味しております。 

 仮にアメリカが朝鮮半島への介入を躊躇した場合、日米、米韓同盟に重大な危機を招くことになります。 

 そして東アジアにおけるアメリカの存在感の低下は共産支那の覇権主義のさらなる拡大することとなり東アジアは混乱に陥ることになります。北朝鮮が米本土への核攻撃能力を持ったことは日本周辺に重大な影響を及ぼしたといえます。 

 これは日本にとって大きな問題と言えるでしょう。 

 今回の勉強会ではこの問題を打開するにはどうしたらいいかについて考えてみたいと思います。 

 

(今回の勉強会は時間がいつもと違います。ご注意ください) 

 

【日 時】平成29924日 午後1時から 

【場 所】文京区民会議室5D(文京シビックセンター内)

112-8555 東京都文京区春日1丁目1621

文京シビックセンター

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

 

【講 演】 

演題 特定アジア問題に対する今までの運動と今後の展望について

講師 渡邊昇 日本の心を学ぶ会 代表 

演題 北朝鮮・共産支那にどう対峙するのか 

講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所代表 

【司会者】林大悟 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です) 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395 

 

この告知文は主催者が作成いたしました。

 

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今日思ったこと

今日、街に停まっていた共産党の街宣車に「総選挙をして国民の信を問え」と書かれていた。「大義無き解散に反対」とは正反対の主張である。まだ書き換えることができないのだろう。馬鹿な奴らだ。

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天照大御神の御神體・八咫鏡の意義

 

三種の神器の一つである八咫鏡は、伊勢の神宮に御神體として祀られ、草薙剣は熱田神宮に御神體として祀られ、八坂瓊曲玉は宮中に傳へられてゐる。

 

八咫鏡は、天照大御神が岩戸にお隠れになった時、石凝姥命(いしこりどめのみこと)がお造りした。天孫降臨後、天照大御神の神靈の依代(よりしろ)として宮中に安置され、垂仁天皇の時代に伊勢に移されたと傳へられる。伊勢神宮の御神體である。そして「形代」が、皇位継承のみしるしとして宮中賢所(かしこどころ)に鏡がまつられてゐる。

 

『日本書紀』には、天照大御神が天忍穂耳命(あまのほしほみみのみこと・邇邇藝命の父神)に「宝鏡」を授けて

 

「視此宝鏡、当猶視吾、可与同殿共殿、以為斎鏡」(この鏡を視まさむこと、まさに吾を視るがごとくすべし。ともに床(ゆか)を同じくし殿(おほとの)を共(ひとつ)にして、斎鏡(いはひのかがみ)とすべし)

 

と命じられたと記されてゐる。

 

『古事記』には、邇邇藝命が天降られる時、天照大御神が、三種の神器を副へて「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が前を拝(いつ)くがごと、斎(いつ)きまつれ」(この鏡こそはもっぱら私の魂として、私の前を祭るやうにお祭り申し上げよ)との御神勅を下されたと記されてゐる。

 

「八咫鏡」は、天照大御神の依代(よりしろ・神が顕現する時の媒體となるもの)として拝まれるのである。

 

『日本書紀』には、鏡を作って日の神の御像としたことが記されてゐる。鏡は三世紀代の古墳から発見されてをり、その頃には太陽神(日の神)祭祀に用いられてゐたと思はれる。太陽に鏡を向けると、その鏡は太陽と同じようにまぶしく光り輝くので、鏡は太陽神を象徴するのに最もふさわしいものであったと考へられる。

 

『古事記』には、天照大御神が天の岩屋戸にこもられた時、天照大御神に再び御出現していただくために、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が八咫鏡を作り、真榊に取り付けて、さまざまな事をして喜び遊んだ。天照大御神が不思議に思はれて岩戸から外を覗かれた時、八咫鏡を示した。大神は、ご自分の姿がその鏡に映ったのでいよいよ不思議に思はれ、岩戸より少し出られた所を手力男命が御手を取って外にお引き出し申上げた、といふ神話が記されてゐる。

 

天の岩戸神話は、新嘗祭に発する本縁(事の起こり。由来や起源。縁起)譚であり、冬至の日に執り行はれた太陽復活祭であるといはれてゐる。

 

松前健氏は、「冬に衰える太陽の光熱の回復のため、その神の裔としての日の御子であり、且つその化身であると考えられた天皇に対して、そのたまふりを行なったのが趣意であろうということは、すでに定説化している。…冬至は、農耕民族においては、『古い太陽が死ぬ日』でもあったし、また『新しい太陽の誕生する日』でもあった。この衰弱死する古い太陽が磐隠りするアマテラスであり、このときふたたび生まれ出る新しい太陽が『磐戸を開いて出現する日の御子』である。」(『日本の神々』)と論じてをられる。

 

太陽復活祭たる天の岩戸開きは、新嘗祭・大嘗祭の原型と拝してよいと思ふ。ゆゑにその祭りは、神々の知力・呪力・體力・技術力・笑ひの力といふもろもろの力が結集されてをり、これ以上盛大な祭りはないといふほどの祭りである。天皇は、新嘗祭・大嘗祭を通して、日の神たる天照大神の神威を體現されるご存在と仰がれるのである。

 

鏡は太陽の光を反射させるので、太陽神も鏡に宿るとされたと思はれる。祭祀によって「高天原を地上へ」「今即神代」といふ信仰が実現する。その時に「鏡」が重要な役目を持つのである。

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千駄木庵日乗九月二十一日

午前は、諸事、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後は、菩提寺に参詣。四宮家の墓所を掃苔、「般若心経」読誦、ご冥福とご加護を祈る。住職夫人にご挨拶。

午後六時より、神田にて、永年の同志二氏と懇談、意見交換。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2017年9月20日 (水)

皇祖たる日の神の神靈と稲穂の神靈とは一體である

 

伊勢の神宮御正殿の建築様式を「唯一神明造」と言ふ。弥生時代の高床式の穀倉形式である。素朴であり、何の豪華さもない。しかし、言ふに言はれぬ清浄さと威厳がある。日本文化の簡素さと清浄さを體現する建物である。日本人の信仰精神の結晶である。

 

神を祀る社殿のことを祠(ほこら)と言ふのは、穂倉(ほくら)に由来するといはれる。人々の生命の根源である稲などの穀物の収蔵庫は神聖視されたので、神のまします建物が穂倉の形になったのであらう。

 

稲作は、日本人にとって、天照大御神の「みこともち(御神勅)」によって天照大御神の「ことよさし(御委任)」を受けたところの神聖なる「なりはひ」である。稲作生活そのものが神聖なる行事なのである。

 

稲穂にとって太陽の光と温熱は、生命の原動力である。稲などの穀物は、太陽の光明温熱が無ければ発育しないので、自然に日の神祭祀と穀靈祭祀が二つながらに発展し、豊かにし、洗練され、高度化され、統一されて行ったと思はれる。

 

皇祖神たる日の神の神靈と、稲の命たる稲穂の靈(穀靈)とは一體となった。日靈・祖靈・穀靈は一體の関係にある。國民一人一人も、穀靈・日靈・祖靈の神靈に生かされてゐる。

 

日本民族の主食である稲穂の「ホ」とは、日であり火であり穂であるとされる。皇室の祖靈であらせられる火照命(別名・火須勢理命、邇邇藝命の御子) 火遠理命(別名・彦火火出見尊、邇邇藝命の御子)の「ホ」は、穂であり火であり日である。つまり、皇室の祖靈は稲穂の靈であり太陽神の靈であせられる。

 

天照大御神は、「以吾高天原所御斎庭之穂、亦當御於吾兒」(吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭の穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつるべし。わが高天原に造ってゐる神に捧げる稲を育てる田の稲穂をわが子にまかせやう)といふ神勅を下された。「日本國の統治者たる天皇は常に稲穂の豊饒を最高の使命とすべし」とご命令されたのである。

 

天照大御神は、日神・穀靈・皇祖神としての御神格を有せられる。ゆゑにその生みの御子たる天津彦彦火邇邇藝命も日神・穀靈を體現されるのである。高天原の主神たる天照大御神の「生みの御子」たる日本天皇が豊葦原瑞穂國の主であらせられると拝するのは、ごく自然な信仰である。

 

『日本書紀』には、物部大連尾輿と中臣連鎌子が、欽明天皇に奏上した言葉として、「我が國家(みかど)の、天下に王(きみ)とましますは、恒に天地社稷(あまつやしろくにつやしろ)の百八十神(ももあまりやそかみ)を以て、春夏秋冬、祭拝(まつ)りたまふことを事(わざ)とす。」と記されてゐる。

 

天皇は祭祀主として日本國を統治されるのである。天皇の神聖権威の根源は祭祀主たることにある。

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千駄木庵日乗九月二十日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社』幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆。

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千駄木庵日乗九月十九日

朝、宿舎を出発。昼前に帰宅。

午後は、明日行うスピーチの準備。

午後七時より、横浜市万代町の横浜市技能文化会館にて、『安岡教学研究会定例会』開催。松田康司氏が司会。国歌斉唱。国旗に敬礼。村山實会長が挨拶。小生が「萬葉集と日本の心」と題して講演。終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、明日行うスピーチの準備。

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2017年9月19日 (火)

吉田松陰先生について

江戸時代に傳馬町牢屋敷があった。牢屋敷は慶長年間常盤橋際よりこの地に移り、明治八年五月に市ヶ谷囚獄が出来るまで二百七十年間存した。安政の大獄の時、この地で吉田松陰・頼三樹三郎・橋本左内などの勤皇の志士九十六名が処刑された。吉田松陰は安政六年七月傳馬町牢に囚はれ、同年十月二十七日三十歳にて最期を遂げた。

 

松陰はこの獄に二回囚はれた。最初は、安政元年三月、海外渡航を決意し、下田から米艦に乗船しようとして果たせず、傳馬町獄送りとなった。途中、播州赤穂藩主・浅野長矩及び大石内蔵助等赤穂義士の墓所のある高輪泉岳寺前で詠んだ歌が有名な、

 

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

である。

 

松陰は、『安政の大獄』によって安政六年七月、再びこの獄に囚はれた。他の囚徒たちは松陰先生にたちまち感化され門人になったといふ。

 

大老井伊直弼の特命により死罪と決定された事を聞いた松陰は、父、叔父、兄に宛てて永訣の書を送ってゐる。安政六年十月十一日付けの堀江克之助に宛てた松陰の書状にあるのが、

 

「親思ふ心にまさる親ごころけふのおとづれ何と聞くらむ」

 

の一首である。

 

徳富蘇峰氏はこの歌について、「死するに際して、第一彼れの念頭に上りし者は、その父母にてありしなり。…かくの如き人にしてかくの如きことを作()す、不思議なる忠臣を考子の門に求むるの語、吾人実にその真なるを疑ふ能はず。」(吉田松陰)と述べてゐる。松陰はまさに忠孝一本の日本道義精神の実践者であったのである。

 

そして、松陰は同じ書状に「幕府正義は丸に御取用ひ之なく、夷狄は縦横自在に御府内を跋扈致し候へども、神國未だ地に墜ち申さず、上に、聖天子あり、下に忠魂義魄充々致し候へば、天下の事も余り御力御落し之無き様願ひ奉り候」「日嗣之隆、与天壌無窮と有之候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば、正気重ねて発生の時、必ずある也。只今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と記した。

 

松陰先生の偉大なのは、どんなに逆境にあっても、國體の無窮・上御一人の御稜威を信じて疑はず、祖國の将来を絶対に絶望されなかったことである。松陰は、天壌無窮の御神勅に絶対の信を置き、復古即革新すなはち日本肇國の大精神の回帰してこの國の危機を救はんとしたまことの維新者であった。

 

また、処刑の時の近づくのを知って十月二十五日より二十六日の黄昏にかかって書き上げたのが『留魂録』である。その冒頭に記した歌が

 

「身はたとひ武さしの野辺に朽ちぬともとゞ置かまし大和魂」

 

である。

 

また『留魂録』の最後には

 

「呼びだしの声まつ外に今の世に待つべき事のなかりけるかな」

「討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ」

 

等の歌が記されてゐる。これら松陰先生の辞世は文字通り古今の絶唱であり、日本民族の魂に刻まれる歌である。

 

この『留魂録』は同囚で八丈島送りになった沼崎吉五郎に託したが、二十年後、当時神奈川県令となってゐた松陰門下の野村靖に手渡したものが現在残ってゐる『留魂録』である。小生はその實物を萩の松陰神社にある松陰遺墨展示館で拝観した。

 

二十七日、刑の執行を受けるため揚屋(士分の牢獄)を出る時、松陰は、

 

「吾今國の為に死す 死して君親に負(そむ)かず 悠々たり天地の事 鑑照明神に在り」

 

の詩を朗唱し、刑場では「身はたとひ」の歌を朗唱して従容として刑についたと伝へられる。行年三十歳であった。

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千駄木庵日乗九月十七日

午前は、諸事。

午後、熱海に向かう。

午後六時より、熱海市東海岸町の古屋にて、『日本を糺す会』開催。荒井清壽弁護士が主催者挨拶。犬塚博英民族革新会議議長が祝辞。小生の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。津軽三味線の実演などがあった。そして小生が』元禄名槍譜俵星玄蕃』を熱唱し終了した。まことに数多くの同志が出席し盛大な会合となった。主催者のご尽力に感謝します。

この日は熱海に泊まる。

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2017年9月18日 (月)

日本精神・日本主義の今日的使命

日本が、外来文化文明を咀嚼し融合し高度化したのは、日本に天皇・皇室の御存在があるからである。天皇・皇室を中心として外来文化・思想・宗教の融合・高度化が実行された。

 

日本は儒教・佛教のみならず近代科學技術文明をも摂取し咀嚼し高度化した歴史を持っている。これは将来においても優れた特性として保持し続けなければならない。

 

ポール・アントワーヌ・リシャル(一八七四年、南仏に生まれた詩人・思想家。大正五年に来日し大川周明氏と親しく交わる)は『日本の児等に』という詩で、「新しき科學と旧き智慧と、ヨーロッパの思想とアジヤの精神とを自己のうちに統一せる唯一の民! 此等二つの世界、来たるべき世の此等両部を統合するは汝の任なり」「流血の跡なき宗教を有てる唯一の民! 一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは汝なるべし」「建國以来一系の天皇、永遠にわたる一人の天皇を奉戴せる唯一の民! 汝は地上の萬國に向って、人は皆な一天の子にして、天を永遠の君主とする一個の帝國を建設すべきことを教へんが為に生れたり」と歌っている。

 

中山嶺雄氏は、「人類を破滅から救済する論理は、過去数千年に亙って自然との共存、共生、共栄を実践してきた純朴高雅なる『日本』の精神文化、即ち『やまとごころ』を措いて他にない…民族同族間、人類同族間の争闘を本質的に否定する『日本精神』『やまとごころ』が全世界に敷衍した時、始めて人類は救済され、存続への道を歩み始めるのである」と論じている。(『神風』百三号)

 

「日本主義」とは、日本の國益だけを第一に考える主義ではない。また、日本を世界の覇者とする主義でもない。経済力や武力によって世界を支配することを最高の主義とするものではない。日本傳統信仰・日本精神によって世界を救済し世界を新たならしめ、世界を維新する思想である。

 

今日の世界的危機をもたらしている自然破壊・民族闘争・宗教戦争は、日本精神即ち明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一の精神(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心・自然及び祖霊を神として拝む心によってこそ救済できる。そのことを、能動的に世界に恢弘するのが日本主義である。

 

天孫降臨即ち稲穂による天皇統治の精神は絶対平和の精神である。また、天之御中主神と八百万の神々の共生という日本の傳統的神観は、一即多・多即一の包容精神である。一神教と多神教を融合する日本の神話の精神である。天地の万物は神が生みたもうたという神話は自然を大切にする心である。こうした日本傳統精神は今日重大な意味を持っている。

 

イスラム教とユダヤ教とキリスト教との争いとを終息せしめ神々のもとに永遠の平和を創造するのは、わが日本の使命である。

 

しかるに、今日の日本自身が日本の傳統精神が正しく全国民的に継承していない。占領憲法たる『日本國憲法』には、「日本精神」「日本の傳統」はまったく書かれていない。「前文」は詫び証文であり、憲法全体はアメリカ民主主義・契約國家論・似非平和主義に彩られている。

 

「日本傳統精神を救済原理・変革原理として日本國及び世界を正しく変革する思想」たる「日本主義」を今日において恢弘することが真の國家変革・真の世界平和の基礎である。天孫降臨の精神に回帰し、〈循環と相互扶助〉〈絶対平和と永遠の生命〉を象徴する稲穂を世界に広めることが大切である。まさしく、神代を今に、高天原を地上に持ち来たさねばならない。

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千駄木庵日乗九月十七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2017年9月17日 (日)

維新について

維新」という言葉の出典は、『詩経』(支那最古の詩篇。孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる)の「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」であるという。「周という国は、古い国であるが、新しき天命を受けている」というほどの意味であろう。

 

わが国では、藤田東湖が天保元年(1830年、)藩政改革への決意を述べる際に、「維新」という言葉をを引用して用いたのが最初とされている。

 

古くから続く国が、革新を繰り返し、新生するという意味である。日本民族が、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ國體を護持しつつ、常に革新・改革を繰り返してきた歴史に合致した言葉なのである。

 

明治維新は、有史以来未曽有の変革ではあったが、國體は護持された。と言うよりも、日本國體の真の姿を回復することによって、大変革を成し遂げたのである。即ち、「復古即革新」である。

世の中の矛盾・不合理を徹底的に粉砕し、国民の幸福と国家の存立を確保する。それがただの破壊・破壊としないためには、日本国の道統を原理としなければならない。日本における革新とは、古きものの土台の上に立脚する。「古きもの」とは、単なる時間的過去ではない。「原初」「始原」「始まりの時」である。すなわち。天孫降臨・神武肇国への回帰である。

 

歴史のさびを落とすためにものの本質・原初に立ち戻るのである。神代への回帰である。維新とは、「高天原への回帰」であり「今即神代」の精神である。

 

今日の日本はまさに混迷を深めている。しかし、混迷を深め国家民族が危機に陥っている時にこそ、変革が行われる。それがわが国の歴史である。

 

大化改新・建武中興・明治維新という我が国の変革の歴史は、天皇を君主と仰ぐ國體意識・尊皇精神の興起が原基となって断行された。これを維新と言う。

 

天皇を原基とし原理とするが故に、醜い政治権力闘争ではなくなる。美しく荘厳なる変革となる。それが他国の革命との絶対的違いである。つまり、天皇を祭祀主と仰ぐ神聖国家・道義国家の再生が、日本的変革即ち維新の本質なのである。尊皇精神なき維新はあり得ない。

 

維新とは、祭政一致の清明なる「まつりごと」の回復である。教条や政治理論に基づく体制変革ではない。醜悪な国になりつつある祖国日本を救済する大変革それが維新である。今こそ、維新断行の時である。

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千駄木庵日乗九月十六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理など。

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2017年9月16日 (土)

宮崎学氏による「テロ等準備罪・盗聴法を考える」と題する講演内容

五月二十三日に行われた講演会における宮崎学氏による「テロ等準備罪・盗聴法を考える」と題する講演内容は次の通り。

 

「法律は『法の下の平等』で成り立っている。それが近代市民法の原理。これを侵すのは法としておかしい。相互監視・密告・監視カメラで危機感を煽っているのが最大の問題。三十年前に『暴対法』が出来た。市民運動は反対せず容認して来た。その流れの中に『共謀罪』がある。遠藤誠・西垣内堅佑の二人の弁護士が反対した。弁護士もなかなか集まらなかった。やくざ当事者も反対運動をほとんどしなかった。改正が重ねられ、都道府県条例が作られ、やくざ取締りは厳しい状況になっている。お上に逆らうのは如何なものかという意見もあり、やくざ側の取り組みも遅れた。

 

組織犯罪集団=やくざの側は『暴排条例』の適用を受けてきた。やくざの組員はある程度の免疫力を持った。共謀罪はやくざの周辺者を取り締まることができるようになった。コアではなく周辺で直撃していく。言葉が曖昧に使われている。ものすごく広い範囲をひっかけて行くというのが今回の特徴。

 

『朝日新聞』の報道もピンと外れ。『市民が取り締まられるから悪い』と言うのだ。一般の人まで逮捕されるから悪いというのは大きな間違い。『法の下の平等』は万人に保証されなければならない。法の下に特殊な存在を作るのは嫌な感じがする。『俺の眼を見ろ何にも言うな』という歌がある。目と目を見れば意思が通じていることを理解したら共謀だということになる。

 

色々な集団の独自性を奪うと、フラットで真っ白な社会になるのが怖い。不自然な形で突出して来たのが『共謀罪』。国際的にどこの国もある法律だと言うが、國によって法律が違うのは当たり前。日本には日本の独自の法体系があるべし。

 

一般人は対象としないと言うのは『法の下の平等』に反し法の原則を逸脱している。この法律によって取り締まるのは警察であり、誰を取り締まるのかは警察の判断である。取り締まる側と判断する側が同じというのはいびつ。法としての瑕疵が多い。犯罪計画の準備段階で拘束できると言う。人間関係特に東洋的発想の中に『阿吽の呼吸』がある。これを肯定すると『計画がある』ということになる。文化を破壊する。人殺しの小説が『反社会的』という烙印が押され、規制される可能性あり。私は無制限の表現の自由を求める。権力で規制するのはとんでもない。自然淘汰されるべし。

 

微罪とも言えない微罪でやくざとその周辺者が逮捕されている。そういう状況で『法の下の平等』がぶっ壊されている。この法律が通れば警察官の凄い増員をしなければならない。盗聴監視を裁判所の手続きをしないで出来るようになる。極秘裏に監視されるのは恐ろしい。警察が自分で決めて自分で取り締まる事が出来る権力を掌握する。この法律で得をするのは警察だけ。三十年前の『暴対法』の時も同じ。

 

裁判闘争をすべし。金も時間もかかり、警察に余計に睨まれるが、そのリスクを背負っていただきたい。この法律に対峙してもらいたい。盗聴の技術は凄く発達している。大人のおもちゃ屋でも盗聴する道具を売っている。街宣活動はこの法律で引っ掛けられる。この法律でダメージを受けるのは右派」。

 

千駄木庵主人曰く。この講演内容に全面的に賛同するものではありませんが、報告の意味で掲載しました。

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2017年9月15日 (金)

言靈の復活

一切の改革・変革の基本に、言靈の復興がなければならない。言葉が意志伝達の手段としか考へられなくなり、人間が言葉への畏れを無くした時、人氾濫し濫用された時、文化と道義は頽廃し、人間は堕落する。それが現代社会である。

 

言葉への畏れを喪失するといふことは、言葉を単なる情報伝達の手段と考へることである。「言葉は意志伝達の手段、人間の扱ふ道具だ」といふ観念が、國語の軽視と破壊の原因である。言葉が単なる情報伝達の手段であるのなら、なるべく便利で簡単で負担が少ない方が良いといふことになる。漢字制限はさういふ安易な便宜主義・目先の理由によって行はれたと考へる。

 

それは言靈の喪失である。現代ほど言靈が軽視されてゐる時代はない。文藝においてすら言靈を喪失してゐる。そして日本人の魂は、今、よすがなく彷徨ってゐるやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言靈の復活が大切である。それは、言靈が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまと歌」の復活である。今日において、まさに、「國風文化」が復興しなければならない。

 

 「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが日本が再生した時代である。和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

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千駄木庵日乗九月十五日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、十九日に行う『萬葉集』についての講演の準備など。

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天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿をより一層開顕することが現代の救済となる

 

日本人の伝統信仰において祭られる神は、自然に宿る神と祖霊神である。日本人の信仰の基本は「敬神崇祖」と言われる。「敬神」とは自然に宿る神を敬う事であり、「崇祖」とは祖霊を崇めることである。

 

わが國の神々は、天津神、國津神、八百萬の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。わが國伝統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一体となって結ばれる信仰である。それと共に、自分たちの祖先の霊を崇め感謝し奉る信仰である。

 

その最も端的な例が天照大神への信仰である。天照大神は、農耕生活にとって最も大切な太陽神であられると共に、その太陽神を祭られる祭り主であられる「すめらみこと」=天皇の祖先神であられる。そして天照大神は日本民族の親神として崇められて来たのである。

 

自然を大切にし自然の中に神の命を拝ろがむ心、そして祖先を尊ぶ心が日本人の基本精神である。それはきわめて自然で自由で大らかな精神である。

 

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。それは鎮守の森には、神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精霊が生きていると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の霊が宿っていると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られたのである。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山・阿蘇山など多くの山々は神と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが龍宮信仰である。海は創造の本源世界として崇められた。

 

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の伝統的な文化を大切なものとする姿勢、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識をより一層深めるべきである。我が國は神話時代(神代)以来の伝統精神すなわち日本國民の歩むべき道がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

 

わが國の伝統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。

 

天皇は日本国の祭祀主として、新嘗祭、春季皇霊祭、秋季皇霊祭などの多くの祭祀を行わせられている。そしてその祭祀は、自然に宿る神々と皇祖皇宗のご神霊へのお祭りである。天皇は、敬神崇祖の最高の実行者であらせられるのである。

 

祭祀は、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本伝統精神の価値は今日まことに大切なものとなっている。天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同体が日本國の本姿である。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家の本姿をより一層開顕することが現代の救済につながり、道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

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2017年9月14日 (木)

千駄木庵日乗九月十四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、十九日に行う『萬葉集』に関する講演の準備、原稿執筆など。

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教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎である

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きというものは大切にするが、そうしたものから遊離した超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものは、作り事であり、嘘や独善と隣合わせであると直感するからである。

 

土井晩翆氏作詩の『星落秋風五丈原』に「嗚呼鳳遂に衰へて/今に楚狂の歌もあれ/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあり、三上卓氏作詩の『昭和維新青年日本の歌』には「功名何ぞ夢の跡/消えざるものはただ誠/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあるように、日本人は物事を「あげつらふ」ことを嫌った。「あげつらふ」とは、物事の善し悪しについて意見を言い合うことであり、欠点・短所などを殊更に言い立てることである。それは人生や宇宙そして自然そのものを歪曲する危険があると考えたからである。

論理とか哲学とか教義(イデオロギー)というものは宇宙や人生や世界や歴史に対する一つの解釈であり絶対のものではないのである。

 

しかし、それは日本の伝統的な精神を論理化しないということであって、日本に哲学や思想がなかったということではない。萬葉歌人の柿本人麿にしても近世の俳人松尾芭蕉にしても、彼らの偉大なる思想精神は、詩によって表現されている。

 

このことについて保田與重郎氏は、「芭蕉は…自ら感得した詩人の思想を、思想の言葉で語ることはしていない。これは芭蕉のみでなく、わが國の思想の深さを描いた文章の常である。…最も深いものを、日本の思想として語った人々が、我國では詩人であった。…日本の道は、思想としてかういふ形に現れるものだからである。」(野ざらしの旅)と論じておられる。

 

 古代日本精神を今日まで文献的に伝えているのは『古事記』『日本書紀』『萬葉集』である。これらの文献は、『聖書』『コーラン』『仏典』『論語』のような教義・教条が書き記されている文献ではない。日本の神々と日本国の歴史が叙述され魂の表白たる歌が収められているのみである。日本人があくまでも真実を尊び人間の感性を重んじ抽象的な論議や理論を重んじなかった証拠である。

 

近世の国学者・平田篤胤はその著『古道大意』において、「古ヘ儒佛ノ道、イマダ御国へ渡リ来ラザル以前ノ純粋ナル古ノ意(ココロ)古ノ言(コトバ)トヲ以テ、天地ノ初ヨリノ事実ヲ素直ニ説広ヘ、ソノ事実ノ上ニ真ノ道ノ具ツテイル事ヲ明アムル学問デアル故ニ、古道学ト申スデゴザル」「真ノ道ト云フモノハ教訓デハ其旨味ガ知レヌ、仍テ其古ノ真ノ道ヲ知ベキ事実ヲ記シテアル其ノ書物ハ何ジヤト云フニ、古事記ガ第一デゴザル」と述べている。

 

篤胤は、儒教や仏教という外来思想が日本に入り来る前の純粋なる古代日本の言葉を以て天地生成の起源からの事実を素直に記述し、その事実の上に立って日本民族固有の『道』を明らかにするのが古道(日本伝統精神を学ぶ学問)であり、日本伝統精神は「教義・教条」ではその真の意義を体得することはできず、古代以来の日本伝統精神を記してある書物の第一は『古事記』であると論じているのである。

 

さらに近世の国学者であり萬葉学者であった契冲はその著『萬葉代匠記怱釈』において「神道とて儒典佛書などの如く、説おかれたる事なし。舊事記、古事記、日本紀等あれども、是は神代より有りつる事どもを記せるのみなり。」と論じている。

 

つまり日本の伝統精神すなわち日本民族固有の『道』は事実の上に備わっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないというのである。抽象的・概念的な考え方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたいあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向である。

 

こういう教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

 

現代社会は、思想とか信仰というものが、人間の心性の中に深く根ざしたものとして把握されるのではなく、洗脳という形で個人の中に注入される<イデオロギー>と化している。共産主義革命思想はその典型である。それは人格破壊を招く機械的な洗脳という恐ろしさを持っている。

 

日本国民が、絶対的に有り難く承るべき言葉は、「天皇のご詔勅」である。また、おのづからに心にしみ入る言葉は、「天皇の大御歌」である。

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千駄木庵日乗九月十三日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込の豊島区立地域文化創造館にて『萬葉古代史研究会』開催。山上憶良の歌を講義。質疑応答。帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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2017年9月12日 (火)

この頃詠みし歌

上野山の彼方に根岸の町あれど越えて行くことのなき日々過ごす

 

山のあなたに幸ひ住むと言はるれど山越えて行くことのなき日々(ひび)

 

逝きませる父母(ちちはは)の声がよみがへる静かなる夜を一人過ごせば

 

シャワー浴び身を清めたる後にして祝詞唱へる日々(にちにち)の朝

 

他人のこと責めたるをみな今日は何と糾弾の庭に立ちて苦しむ

 

にょっきりと雲の中より顔を出す黄色の満月目にさやかなり

 

政争と醜聞続く日々ながら国会議事堂の姿雄々しき

 

義理の叔父腹違ひの兄を殺せし男ミサイル打ち上げ喜びでゐる

 

わが歌をほめてくれたる人の顔遠き過去より甦り来る

 

祭礼の提灯並ぶ根津の町ほのかなる光り人をなごます

 

下町の祭りの宵は提灯が並び灯れる道のゆかしさ

 

夜の更けに佳き人の面影浮かびきて燃ゆるが如きわが心かも

 

目薬をさして眠らむ今日もまた一日パソコンに向かひ過ごせば

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千駄木庵日乗九月十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、明後日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

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ゾルゲ・尾崎による謀略工作と今日の『反戦平和運動』

大東亜戦争・第二次欧州大戦の結果、最も利益を獲得した国家はロシア(旧ソ連)である。アジアにおいてもヨーロッパにおいてもその勢力範囲を飛躍的に拡大した。ロシアこそ第二次世界大戦における最大の侵略国家なのだ。

 

そのロシアの手先となって日本を戦争へ追い込むための謀略を行なったのが、リヒャルト・ゾルゲであり、その協力者の尾崎秀実(朝日新聞記者。後に近衛内閣嘱託)である。彼等は平和のために働いたのではなく、日本に戦争を起させるために様々な謀略活動を行なったのである。ゾルゲと尾崎は平和の敵であり祖国日本の敵であった。

 

ゾルゲは、東京のドイツ大使館を拠点として、わが国政府の機密情報を収集してロシアに流しただけでなく、わが国をシナ大陸における泥沼の戦いそして日米戦争に駆り立てる謀略を行なった〈民族の敵〉である。

 

ゾルゲは、『日ソ不可侵条約』を一方的に踏み躙って侵略戦争を行ない、多くの日本国民を殺戮し、シベリアで強制労働を課して死地に追いやり、且つ、南樺太全千島というわが国固有の領土を奪ったろしあから、一九六四年に『ソ連邦英雄』の称号を与えられた。

 

ゾルゲの共犯・尾崎秀実は、近衛内閣の嘱託という立場を利用して、諜報活動を行なっただけでなく、近衛内閣の政策決定に影響を与え、支那事変・日米開戦を煽動し、わが国を敗戦へと導いた。

 

彼等二人の目的は、わが国の対ソ戦突入を回避せしめ、支那大陸での戦いそして南方への進出を煽動して、対米英戦争に突入せしめるにあった。

 

これは、レーニンの「社会主義の勝利にいたるまでの基本原則は資本主義国家間の矛盾対立を利用して、これら諸国を互いにかみ合わすことである」(一九二〇年十一月、モスクワ共産党細胞書記長會議)という戦略、そして、一九三五年にモスクワで開催された『第七回コミンテルン大会』において決定された「米英と日独という資本主義国家同士を戦わせて、双方とも疲弊させ、ソ連への圧迫を排除して上で、米英を打倒してソ連の世界制覇を実現する」という戦略に基づくものであった。

 

さらに昭和七年(一九三二年)八月~九月のコミンテルン第一二回総會が行なった決議は、米英仏日独といった『帝国主義列強』を互いに対立させ、戦争に追い込め、という戦略指令であった。日本について言えば、①日本を米国との戦争へ追い込め、②日本がソ連を攻撃するのを阻止せよ、ということが書かれていた。

 

ソ連共産党の謀略機関も、ソ連政府の外交機関も、この目標に向けて一斉に活動した。ゾルゲ機関は、日本の政治中枢や軍部へ浸透を図って米国との対決路線に追い込み、また、マスコミにも、反米英主義(『鬼畜米英』)を吹き込んだ。一方、米国内でも、ソ連の手先によって排日機運の盛り上げが工作されていた。

 

その頃、『日ソ中立条約』の締結があったので、日本国民は『北辺の安寧』(ロシアが攻めて来る危険はなくなったということ)が保障されたと安心した。かくて、日本軍部の進路は米英との対決以外になくなったし、したがって日本がナチスドイツと呼応してソ連を挟撃する恐れもなくなった。ゾルゲ機関を駆使したソ連共産党の謀略は成功したのである。

 

わが国と蒋介石政権が全面戦争に突入した原因である西安事件も蘆溝橋事件も、ソ連と中共の謀略であったという説が有力である。

 

ソルゲと尾崎は日本国内において以上のような謀略を実行したのである。『革命の祖国・ソ連』を守る為に日本を「北進」させてはならず、そのために「南進論」を煽ったのである。また、日本と蒋介石政権の和平を図る動きを妨害したのもゾルゲと尾崎である。

 

ゾルゲと尾崎を筆頭とするわが国内のコミンテルンのエージェントたち(西園寺公望、風見章など)は、昭和十年代に入ってわが国内で澎湃と湧き起こって来た「国家革新」「東亜解放」という正義の主張をたくみに利用して、日本がソ連よりもアメリカ・イギリスを主敵とし、ソ連と戦うよりも「米英を撃つべし」という世論を煽ったのである。

 

昭和十六年十月十五日、ゾルゲと尾崎は検挙されたが、わが国政府はゾルゲをすぐには処刑せず、ソ連と捕虜交換交渉を行なったが、ソ連はこれを拒否した。ゾルゲを死地に追いやったのはソ連である。

 

東京多磨霊園にあるゾルゲの墓には、「戦争に反対し世界平和のために生命を捧げた勇士ここに眠る」と刻まれている。事実は全く逆で、吹き出したくなるような文句である。また、墓石正面の上部にはソ連から送られた勲章の形が刻まれている。こんな墓がわが国内にあること自体許されざることである。ゾルゲの遺骨はロシアに送り返すべきだ。

 

繰り返し言う。ゾルゲと尾崎が反戦平和のために働いたなどというのは全く嘘出鱈目であって、彼等こそ日本そしてアジアを戦争に追い込んだ張本人なのだ。

 

日本は今、共産支那・北朝鮮の軍事攻撃、侵略の危機にさらされている。今日の日本において、「反戦平和」「反核」「反米軍基地」の運動を行っている連中は、自覚するとしないとに関わらず、事実上、共産支那・北朝鮮にの手先となっていると断言してはばからない。

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千駄木庵日乗九月十一日

午前は、諸事。

午後からは、『伝統と革新』編集の仕事。十三日に開催される『萬葉古代史研究会』における講義の準備など。

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2017年9月11日 (月)

「第77回 日本の心を学ぶ会」のお知らせ

 

77回 日本の心を学ぶ会 

 

 

テーマ 北朝鮮問題をどう考えるか 

 

 北朝鮮は9969回目の建国記念日とされる日を迎えました。 

 8月末に日本に向けてミサイルを発射し、9月には6度目の核実験を強行したことからこの日に更なる挑発行為を行うのではないか世界各国は警戒を強めていました。 

 北朝鮮の労働新聞は「日本は、原爆、水爆、ともに大陸間弾道ミサイルまで保有した核強国だ。世界的な軍事強国に上り詰めた」と宣言し、アメリカに対し「敵対行為を続けるなら大小の贈り物を受け取り続けるだろう」とさらなる挑発を示唆しています。 

 朝鮮半島有事の際に北朝鮮はアメリカの大都市への核攻撃を示唆することでアメリカの介入を困難にすることが可能になったことを意味しております。 

 仮にアメリカが朝鮮半島への介入を躊躇した場合、日米、米韓同盟に重大な危機を招くことになります。

 そして東アジアにおけるアメリカの存在感の低下は共産支那の覇権主義のさらなる拡大することとなり東アジアは混乱に陥ることになります。北朝鮮が米本土への核攻撃能力を持ったことは日本周辺に重大な影響を及ぼしたといえます。 

 これは日本にとって大きな問題と言えるでしょう。 

 今回の勉強会ではこの問題を打開するにはどうしたらいいかについて考えてみたいと思います。   

 

(今回の勉強会は時間がいつもと違います。ご注意ください) 

 

【日 時】平成29924日 午後1時から 

【場 所】文京区民会議室5D(文京シビックセンター内)

112-8555 東京都文京区春日1丁目1621

文京シビックセンター

http://www.city.bunkyo.lg.jp/shisetsu/civiccenter/civic.html

 

【講 演】

 

 

演題 特定アジア問題に対する今までの運動と今後の展望について

講師 渡邊昇 日本の心を学ぶ会 代表

 

 

演題 北朝鮮・共産支那にどう対峙するのか 

講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表 

 

 

【司会者】林大悟 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です) 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395 

 

この告知文は主催者が作成し

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真の攘夷精神とは

保田與重郎氏は、「攘夷論が封建的鎖國論と、發想の異なるところを考へるべきである。けだし勤皇志士の攘夷論は、八紘爲宇の神勅を奉じ、しかる故に神州の聖天子と神州の尊貴に立脚して攘夷馭戎を論じ行じたのである。…この大自信には敵の実力を軽んじるとか蔑るといふやうな、つまらぬ危惧は何らないのである。…我々の先人はたゞ天つ神のことよさせ給うた神勅を無限の生命の原理とし、御世の萬世一系を信念とし、淡々として難に赴いたのである。」(『「橿ノ下」私抄』)と論じてゐる。

 

真の攘夷精神とは、そして明治維新の理想とは、八紘為宇の建國の理想実現であった。明治維新の基本理念である「攘夷」とはかたくなな排外思想ではないし、德川幕府の基本政策たる「鎖国」とも全く異なるものである。明治維新後に、新政府が攘夷から一転して開國に踏み切った背景には、幕末期から開國思想があったからである。表面的には、明治政府が徳川幕府と同じ開國政策を取るのなら、幕府を倒す必要はなかったと思へるかもしれない。しかし、決してさうではなかった。開國政策に転換するにせよしないにせよ、それを実行する主体的力量を日本といふ國家が持たなければならなかった。徳川将軍家にはそれが最早なくなってゐた。だから徳川幕府は打倒されねばならなかった。

 

 徳川幕府は開設以来鎖國政策を取り、頑なに外國との接触を拒否してゐた。にもかかはらず、アメリカの恫喝に遭遇すると、屈辱的な開港を行ってしまった。明治維新の志士たちはかうした徳川幕府の軟弱な姿勢を批判し否定したのであって、外國との交渉・開港を一切否定したのではない。ここが徳川幕府の従来通りの鎖國政策と維新者の攘夷精神との決定的な違ひである。

 

 吉田松陰や坂本龍馬らは、日本の自主性を保持し日本の真の発展に資する外國との交渉を望んだ。だから、松陰や龍馬など多くの維新の志士たちは外國の文物を学ぶことに熱心であった。

 

吉田松陰が安政三年三月二十七日夜、金子重輔と一緒に下田来泊のペリーの米艦にて米國に渡航せんとしたことは、攘夷とは排外・鎖國を可とするのではなく、日本が外國の支配下に入ることを拒み、独立を維持するために、外國の進歩した文物を学ぶことを要するといふ開明的な考へ方であったことを証しする。

 

 かうした下地があったからこそ、徳川幕藩体制が崩壊し、明治維新が断行された後の日本では、外國との交際を一切行はないといふ頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を学ばなければならないといふ強い意志を持った。これを「開國攘夷」と言ふ。ここに日本民族の柔軟性・優秀性がある。

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千駄木庵日乗九月十日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。

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2017年9月10日 (日)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 九月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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日本伝統精神の今日的意義

「旅は生ける学問なり」といふ言葉があります。徳富蘇峰氏の言葉です。まさしくその通りです。文献で分かったつもりでも、實際に歴史に登場する土地に行くと新たなる発見があり、歴史の真實が分かることが多いのです。

 

大和の国を旅しますと、日本国の生成がまことに麗しい歴史であることを實感します。神々への祭りと祈りが国家生成の根本になってゐます。神国日本といふのは決して嘘ではありません。神国日本とは「神々の御加護とお導きのもとに生まれた国が日本である」といふことだと思ひます。日本国民はそのことに感謝し、有り難く思ふことが大切であります。傲慢になったり排他的になってはならないと思ひます。また、日本天皇の国家統治は祭祀と一體であります。祭政一致とは神を祭り神に祈りつつ政治を行ふということであります。

 

大和の国を旅しますと、神話の世界が今日唯今の日本の国土に中に生き生きと生きてゐるといふことを実感します。神話とは遥か遠い昔の傳説ではありません。今日唯今の生きてゐるのであります。太古の祭りが今日も皇室祭祀そして日本各地の神社の祭祀に継承されてゐるのです。

 

日本各地の多くの神社に参拝し、自然を愛で、日本国生成の歴史と精神を體感し、日本民族は神々を尊び、祖先を敬ひ、自然と共に生活する、極めて平和的な民族であることをあらためて實感します。日本精神・大和心とは本来、絶対平和精神であります。

 

現代は精神的にも物質的にも大きな困難に直面してゐます。各地で民族紛争・宗教紛争が起こり、資源が枯渇し、自然破壊が進み、人類は不幸への道を歩んでゐるといっても過言ではありません。

 

この根本原因は、砂漠に生まれ、神と人間が隔絶した関係にあり、自然を人間の対立物ととらへ、一つの神・一つの教義を絶対視して他を排除する一神教的思想を淵源としてゐる西洋の文化・文明にあると考へられます。共産主義独裁思想もその亜流です。これを根本的に是正すべき時に来てゐます。

 

そのためには、自然と共に生き稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、外来文化・文明を受容し、それを昇華洗練せしめた日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へます。

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千駄木庵日乗九月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2017年9月 9日 (土)

<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から学んできた。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知ってゐた。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精霊たちを怖れるだけではなく、祭祀によって神や精霊たちを祓ひ清め鎮めたのである。

 

現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行ふようになった文明のことであるとされるが、それは、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかってゐる。

 

現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本伝統文化へと回帰しなければならない。

 

日本伝統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなほその生命が伝へられてゐる。のみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたまふ御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となってゐる。

 

わが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになってゐる今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きてをり、伊勢の神宮をはじめとした全国各地で神社で毎日のようにお祭りが行はれてゐる。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられてゐる。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきてゐる国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

現代日本の汚れを祓ひ清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>といふのである。

 

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。天地自然に神の命が生きてゐるといふ信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

 

日本伝統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。日本伝統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道であると思ふ。

 

 

そのためには、「現代に生きる神話」たる<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復しかない。

 

 

 

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千駄木庵日乗九月八日

午前は、諸事。

 

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』の原稿執筆。

 

午後六時より、永田町の憲政記念館にて、『呉竹会アジアフォーラム』開催。有村治子参議院議員が「御退位特例法に寄せる 真の日本人の心」と題して講演。続いて藤井厳喜氏が「安倍政権とトランプ政権はどうなるのか」と題して講演。頭山興助会長が挨拶。大変興味深い講演であった。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年9月 8日 (金)

今日思ったこと

男女関係がなかったのならなぜ離党する必要があるのか。おかしな話だ。そもそも検事・警察官は他者を攻撃するのは得意だが、他者からの攻撃から自らを守るのは不得手である。

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石破茂氏の「米軍核兵器日本国内配備論」について

私は視聴していないのだが、自民党の石破茂元幹事長は6日のテレビ朝日番組で、「北朝鮮による6回目の核実験を踏まえ、日米同盟の抑止力向上のため、日本国内への米軍核兵器配備の是非を議論すべきだ」との考えを示したという。そして「米国の核で守ってもらうと言いながら、日本国内に置かないというのは議論として本当に正しいのか」「(日本の非核三原則を踏まえ核兵器を)『持ち込ませず』というのと、拡大抑止力の維持は、本当に矛盾しないのか。そういう状況に日本は置かれているのではないか」と指摘し、「(日本による核兵器保有は)唯一の戦争被爆国である日本が持てば、世界のどこが持ってもいいという話になる」と否定したという。

 

半年くらい前、私が石破茂氏にインタビューした時、「我が国には核実験場がない。日本は核武装をすべきできない。しかし核の傘やミサイル防衛の実効性について、もっとしっかり協議しなければいけない」(『伝統と革新』誌本年春号)と語っていた。

 

石破氏は、「アメリカの核を日本に持ち込ませるべきだ」と考えているのであろう。北朝鮮の核攻撃を阻止するためには緊急措置としてアメリカの核の持ち込ませる事は必要かもしれない。

 

冷静に国際情勢を眺めた場合、日本が核抑止力を持つのは当然である。わが国が唯一の被爆国だからこそ、二度と再び核攻撃の惨禍を受けることのないようにすべきである。広島・長崎が核攻撃を受けたのは、日本に核抑止力がなかったからである。

 

アメリカが将来にわたってずっと日本を守ってくれるという保障はない。また、外交だけで平和が守られるわけがない。「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉を忘れてはならない。

 

今、日本はまさに国難に遭遇している。この国難を契機として、国防・安保に関して万全の態勢を確立しなければならない。『現行占領憲法』の「前文」に書かれているいわゆる「平和主義」は現実無視の危険千万な思想であることが明白になった。

 

専守防衛・非核三原則は根本から見直すべきだ。「日米安保即時廃棄」は危険だ。共産支那や北朝鮮との軍事的対立を抱えている中にあって、アメリカを敵に回すことはできない。

 

「対米自立」は大切である。しかし、二國間の「対等な関係」を確立するには、まず以て、軍事的に対等な関係を確立されなければならない。それが冷厳な現實である。軍事面で「対米自立」「日米対等」を實現するには、日本は核武装するしかない。日本民族はその覚悟を持たねばならない。その覚悟がなくして、「対米自立」「日米対等」などと言うのは無責任であるし不可能である。

 

共産支那や北朝鮮からの核攻撃を防ぐためにも、日本は核抑止力を持つべきである。北朝鮮からの核攻撃という緊急事態を打開するためには、日本国内への米軍核兵器配備は必要であろう。

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千駄木庵日乗九月七日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』原稿執筆など。

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2017年9月 7日 (木)

大国主の命について

 大国主命は、数多くの別名を持っておられる。『古事記』では、大穴牟遅神(おほあなむぢのかみ)葦原色許男神(あしはらしこをのかみ) 八千矛神(やちほこのかみ)宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)、さらに『日本書紀』では、大物主神(おほものぬしのかみ)大己貴命(おほなむちのかみ) 大国玉神(おほくにたまのかみ)顕国玉神(うつしくにたまのかみ)という別名が記されている。

 

 これらの御神名は、大国主命の様々なお働き・権能の構成要素を示している。ただし、『書紀』の本文は大己貴神で一貫している。さらに、『出雲國風土記』『萬葉集』『古語拾遺』『出雲國造賀詞』などに様々な御神名が記されている。

 

 高崎正秀氏は「(大國主神注)に御名が八つ、御子神の数が百八十一柱といふのは、その神格の幅の広さ、出雲びとのこの大神に結んだ憧憬の深さ強さを見せるもので…それは一方から云へば、出雲的世界の枢軸をしめくくる自然神、人文神、英雄神の統合体であり、綜合的神格でもあった訣であらう…地域的に横に見て、幾多の別個の人格の活動の跡を、すべてこの大國主神の御名に包摂して来てゐる点も認めねばならない」(神剣考)と述べておられる。

 

 一即多、多即一として把握するのが、日本のものの考え方の特質であるが、大国主命の様々な神名もまた、神のお働きの多様性を表示しているということである。

 

 そこで、それぞれの別名の意義について考えてみたい。まず、大穴牟遅神(おほあなむぢのかみ) とは、「オホ」は美称であり、「アナ」とは土地のことであり、「ムチ」とは貴の意であるという。つまり、貴くも大いなる大地の神という意であり、大地主神・土地の守護神・国土の開拓神である。なお、「アナ」とは文字通り穴であり、洞窟の神とする説もある。また、この神は各地を巡遊して、前出した『小学唱歌』にも歌われているように、兎の火傷を癒すという医療神の性格も持つ。

 

 次に、須佐之男命から色々な厳しい試練を受けられた時の御名が、葦原色許男命(あしはらしこおのみこと) である。「シコ」とは「強い」とか「頑丈」という意である。ゆえに、葦原色許男とは、地上の世界(葦原)の頑丈で強い男の神という意味である。日本武尊(日本の武の神)と相似の名である。日本武尊も父君・景行天皇により様々な試練を課せられた神である。

 

 八千矛神(やちほこのかみ)とは、八(や)とは数多くのという意であり、千(ち)は霊のことであり、矛(ほこ)は武器の意である。即ち、数多くの霊的な武器を神格化した神である。この場合の武器とは、神霊の憑代(よりしろ・神霊のかかってくるもの) である。この八千矛神は、『古事記』においては、妻神と恋歌を交換する神である。

 

 このように大国主命は、神話の色々な場面で、自在に名を変えられる神なのである。

 

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千駄木庵日乗九月六日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆など。

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2017年9月 6日 (水)

世界でも類を見ないわが國独自の現象=神佛習合

 

 日本人は模倣が上手だとか言われるが、外國の文化や文明を模倣のみによって日本文化・文明・思想は成立しているのではない。外来思想の輸入は、必ず日本本来の思想精神を基盤にし契機にしている。強靱なる伝統精神が厳然存在していたからこそ、日本民族は外國の文化・思想・宗教・技術を幅広く寛大に輸入し、さらに発展させ自己のものとしたのである。

 

 佛教が日本に受容されたのは、佛教と日本伝統信仰の根底にある自然観が、非常に共通するものがあったからである。日本人は、天地に遍満する自然神を八百万の神として仰いだ。佛教も、天地自然を佛の命として拝んだ。自然と日本の神と佛の三つは一つのものとして把握されたのである。それは日本の自然が美しく人間に対してやさしい存在であるからである。神佛習合(日本の神道と外来の佛教とを結びつける信仰思想)は日本の自然環境が生んだと言ってもいい。

 

 自然だけではない。人間自身も神佛と分かちがたい存在として信じられた。日本伝統信仰における『人間観』は、人は神から生まれた存在であり、人は神の分霊(わけみたま)であるという信仰である。人はすぐに神になるし神もまたすぐ人間となる。天照大神やその弟神であられる須佐之男命をはじめとした日本の多くの神々は、人間と隔絶した存在ではない。太陽神である天照大神もまた弟神の須佐之男命もほとんど人と同じように悩まれ、戦われる。それでいて、人と國土を守り、万物を育み給い導く神である。

 

 神佛習合は、世界でも類を見ないわが國独自の現象である。大陸から盛んに文化を輸入していた時期である七~八世紀にすでに神佛習合の素地は形成された。大陸文化の摂取がいかに盛んであっても、日本の独自の精神文化が、常に摂取した外来文化を日本化してした。これは日本の伝統文化が豊かな包容力を持っていると共に強靱さを持っていることを証明する。

 

 平安時代になって大陸文化の直接的な影響が希薄になり、文化の國風化現象が起こった。和歌・物語・随筆・日記文学において、建築・絵画・書道・彫刻などにおいて、そして宗教において、日本独自の文化が発達してきた。そして宗教においてはますます神佛習合が促進された。

 

 佛教と日本の伝統信仰とが、融合する形で現れたのが天台本覚論である。天台本覚論とは、平安後期に始まり、中世に盛行した現実を肯定的にとらえる佛教理論で、「本覚」とは人間に本来的にそなわっている悟りの心のことである。天台本覚論は、人間および天地自然は佛の命そのものであると説く。天台本覚論には「一切衆生悉有佛性」(天地一切の生きとし生けるものはすべて佛性を持っている)「草木國土悉皆成佛」(草木も國土もみな成佛している)という言葉がある。これは日本伝統信仰の自然の神を見る精神と同じである。

 

 日本において、自然も人間も佛と分かちがたい存在であるとする天台本覚論が生まれたのは、現実世界をそのまま神の生きる國であるとする現世肯定的な日本の伝統信仰があったからである。本覚思想が佛教の融合を促進した理論であったと共に、本覚思想を生んだのも日本伝統信仰だったのである。

 

 寛容にして包容力豊かな日本伝統信仰があったからこそ、日本において佛教が広まったのである。日本伝統信仰には、佛教やキリスト教のような教義体系は無い。しかし、教義・教条を超越した大きな信仰精神があるのである。それが大きくそして強靱な土壌として存在しているからこそ、佛教のみならず多くの外来思想や文化を摂取したのである。

 

 日本の佛教受容(神佛習合思想)の形成において本覚思想と共に重要な役目を果たしたのが、本地垂迹(ほんちじすいじゃく)思想である。「本地」とは物の本源、本来の姿をいい、佛や菩薩が一切衆生を救済するために時と場所に応じて仮の姿を現すという考え方である。日本の神々は、本地である佛や菩薩が日本において仮の姿を現した存在であるとする。

 

 この思想によれば神と佛は全く対立する存在ではなくなる。神佛は一つのものの両面に過ぎない関係であって、その両面を本地と垂迹という言葉で表現したということになる。天地の奥に実体として久遠に流れる生命そのものを、あるいは神あるいは佛という名称を付けて崇敬する精神である。

 

 そもそも日本の神は、他界から来臨する。邇邇藝命のように天上から降られる神もいれば、塩椎の神のように海の彼方から来られる神もいる。ゆえにインドの佛が日本にやって来て神として姿を現すという信仰も生まれやすかったのである。

 

 こうした信仰を、後西天皇は、

 

「神のめぐみ佛のをしへふたつ無くたゞ國はこの道ぞかし」

 

と詠まれ、

 

崇徳天皇は、

「道のべのちりにひかりをやはらげて神も佛のなのりなりけり」

 

と詠まれたのである。

 

 天台本覚論や本地垂迹説の根底には、日本人の篤い敬神思想があった。だから、信仰共同体日本の相互連帯の根幹にあった神への信仰が、佛への信仰よりも先行している。これは今日の町村という共同体における生活の実態を見ても、その共同体の相互連帯の中心は、お寺よりも神社である。東京においては、山王日枝神社・神田明神・浅草神社・根津神社・富岡八幡宮などの祭りが、それぞれの地域の共同意識・連帯感の中核になっている。決してお寺の行事ではない。

 

 日本が佛教國といわれるまでに全國津々浦々に寺院があり、日本國民の殆どが何処かのお寺の檀家になっているのは、徳川時代初期に宗門改め(徳川幕府がキリシタン禁圧のために設けた制度で、各家・各人ごとに佛教の宗旨を調べ、寺に信者であることを証明させた)によるものである。これにより日本國民の殆どがいずれかの寺の管轄に属さざるを得なかった。つまり、日本國が佛教國と言われるようになったのは、権力の強制によるものと言っても過言ではない。

 

 これに反して、神社への崇拝は何ら権力の強制ではない。法事以外ではお寺の付き合いのない家や個人も、神社参りやお祭りへの参加は自由にそして盛んに行われてきた。神事が優位に立ち、佛事は副次的である。

 

 本地垂迹説は、平安末期より鎌倉時代にかけて神が本地であって佛は神の仮の現れであるという、神本佛迹説へと発展していくのである。特に元の来襲による神國思想の高まりがそれを促進した。元の軍隊は神風によって滅びたと信じた日本人は、天照大神を中心とした日本の神々が日本國を守り給うという信仰が強まれば強まるほど、神國思想が強固になっていったからである。

 

 こういう傾向が、鎌倉時代には両部神道(伊勢神道に真言宗を習合したもの・天照大神の本地は大日如来とする説)の次のような説を生む。両部神道の代表的な著作『中臣祓訓解』には「神は即ち諸佛の魂、佛は則ち諸神の性なり…是れより東の方、八十億恒河沙の世界を過ぎて、一佛國土有り。名づけて大日本國と云ふ。神聖(かみ)其の中に座(いま)せり。名づけて大日霊貴(おほひるめむち)と曰(もう)す。当に知るべし、生を此の國に受けたる衆生は、佛威神力を承けて、諸佛と共に其の園に遊ぶ。」と書かれている。大日霊貴とは天照大神の御事である。佛教の立場に立ちながらも、日本國を天照大神のいます佛國土と讃えている。これは神國思想そのものである。

 

 さらに室町時代末期に吉田神道を生む。吉田神道は、吉田兼倶という人が大成した神道の一派で、神道・儒教・佛教・道教・陰陽道の関係を説き、神道を万法の根本とし、神主佛従の立場に立ち神本佛迹を説いた。 吉田兼倶の著書『唯一神道名法要集』の典拠になったのは、慈遍(南北朝時代の天台宗の僧侶・徒然草の吉田兼好の兄で後醍醐天皇の信任が厚かった)『旧事本紀玄義』の巻五で、それには「抑も和國は三界の根にして、余州を尋ぬれば此國の末なり。…その効用を論ずれば本は神國にあり。唐は枝葉を掌り、梵(インド)は果実を得、花は落ちて根に帰す。果は流れを受くるのみ」(日本國は世界の根であって、他の國は日本の末である。根本は神國日本であり、支那やインドは枝葉や果実である、というほどの意)という日本中心思想が説かれている。

 

 また、天武天皇の御代以降、國家的祈願を行う時は、神事(祭祀によって神に祈願する)・佛事(法要によって佛に祈願する)の両様が用いられたが、やはり数において神事が優位に立っているという。また神事によるものは地域的範囲が広く、佛事によるものは京都や近畿地方内に限られていたという。そして神事と佛事が同時に行われる場合は、神事を先にしたという。つまり國家的祈願は、神事によるものが優位に立ち、佛事によるものは副次的であったということである。

 

 日本神道は元来教義・教条を持たなかったが、佛教との融合によって日本神道の中に教義を持つものが生まれた。両部神道(真言宗の立場からの神道解釈に基づく神佛習合思想)伊勢神道(伊勢の外宮の神官度会氏が唱えた神道説で、儒教や佛教の説を取り入れている)山王神道(天台宗の教義と習合した佛教的神道)などの発生がそれである。これらは佛教の強い影響を受けた教義を持っているが、こうした佛教や儒教の教義と融合した神道教義の出現が、その反動として後に、神道の純粋性・優越性を主張する立場を生んだ。これが近世國学思想である。

 

 日本人は、佛教に帰依することによって日本伝統信仰を捨てさることはしなかった。神佛を同時に崇めることに矛盾を感じなかった。外来の佛教は日本伝統信仰と融合することなくして日本に定着することはできなかったのである。日本民族は何百年という歴史の流れの間に佛教を日本化し自家薬籠中のものとして信じたのである。

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千駄木庵日乗九月五日

午前は、諸事。

昼、若き友人の懇談。

この後、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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2017年9月 4日 (月)

日本は、現御神日本天皇を君主と仰ぎ天地の神々が生き給ふ國である

天津日嗣日本天皇は、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>である。稲作生活を営む日本民族にとって太陽はなくてはならぬ存在であるので、わが國では、日の神信仰(太陽信仰)はより強固なものであった。その日の神の御子が祭り主日本天皇であらせられる。

 

「天皇」といふ御稱号の「天」は、天つ神のをられるところすなはち高天原のことである。「皇」は冠が架上に置かれている形の象形文字であり天の神のことを言ふ。(加藤常賢・山田勝美両氏著『当用漢字字源辞典』)

 

津田左右吉氏は、「推古天皇時代に天皇いふ御稱號の用ゐられたことは確實であらう。これは此の天皇の丁卯の年に書かれた法隆寺金堂の藥師像の光背の銘に『池邊大宮治天下天皇』とあるからである」「『天皇』といふ御稱号がやはりシナの成語を採ったものであることは、おのづから推知せられる。さうしてそれは、多分、神仙説もしくは道教に關係ある書物から来たのであらう」「支那に於ける天皇の稱呼は、帝王としての意義を裏面には含みながら、宗教的觀念が主になってゐるのであるが、それは恰もよく、上代人の思想に於いて政治的君主の地位に宗教的由来があり、その意味で神とも呼ばれ、そこから天つ神の御子孫として天から降られたといふことになってゐた、わが皇室の地位に適合するものであって、此の語の採られた主旨もそこにあったに違ひない」と論じてゐる。(『日本上代史の研究』)

 

肥後和男氏は、「『天皇』というのはもちろん中國語で、『三皇本紀』に『天地初めて立つ、天皇氏有り』と見え、天の支配者といった意味で、いわば最高の神格をさした名称であり、中國でも君主をば天子と称し、あえて天皇とはいわなかった」「聖徳太子は…スメラミコトは天皇という新しい称号のもとに、絶対なる存在たらしめようとした。ここに、中國では天の支配者をさす『天皇』という大きな名を、スメラミコトの称号として採用することにふみきったものと思われる」「聖徳太子等をして、そこまでふみきらせた歴史的根拠は…古くからの日神信仰にあったと考えられる。…日本民族は『ことば』にひとつの力を認める。それがいわゆる言霊の説であるが、スメラミコトが天皇という称号を用いることによって、その本質が一段と高められ、一種の神格的存在となった…。」「太子が隋との國交において対等の礼を用い、その國書に『東天皇つつしみて西皇帝に申す』といった用語をされたことは、日本を未開の外蕃とみなしてきた中國古来のゆきかたに正面から挑戦したもの…。」と論じてゐる。(『天皇と國のあゆみ』)

 

高森明勅氏は、「天皇号の成立は、シナ王朝を中心とする古代東アジア世界において、わが國が自尊独立の文明國家を目指すことを内外に闡明したもの」「天皇号成立の意義については、対外的には何ものにも従属しない國家の主体性と尊厳を表徴するものであって、同時に國内的には、君主大権の神聖な超越的権威と公的・普遍的統治の理念を堅持するものだったと言へるのである」と論じてゐる。(「天皇号の濫觴」・『立正』誌皇紀二六五五年一月号)

 

「天皇」といふ御稱号は、「天の神様」を指すことばである。日本國の君主を『天皇』と申し上げるのは、天命の主体たる天つ神の地上的御顕現、言ひ換へると肉身をそなへた天つ神すなはち『現御神』もしくは『現人神』がわが國の君主であらせられるといふわが國の傳統的な「天皇信仰」に基づく御稱号である。

 

山崎闇斎を祖とする「垂加神道」の「異國には大君の上に天帝あり。敕命の上に上天の命あり。吾國の大君は、所謂天帝也。敕命は所謂天命と心得べし。假令へば天災ありて、大風洪水或は時疫流行して人民多く死亡に至ると雖も、一人も天を怨むる者なく、下民罪ある故に、天此災を降せりとして、反て身を省る、是常に天帝の清明なるを仰ぎ尊む故なり。」(玉木清英『藻盬草』)といふ「絶対尊皇思想」は、「天皇」といふ御稱号の意義と一致する。

 

里見岸雄氏は、「天皇とはなにかといふことは、天皇なる概念に含まれてゐる多くの表象を分析した上で総合的に観念されなければならないのであって、憲法によって天皇の概念が定まったかの如くに思ひ、そして、軽視的に『象徴である』『象徴に過ぎない』などといふのは、全く逆である」

「憲法の象徴といふ規定と関連して、天皇非君主説、換言すれば天皇國民説、乃至天皇非元首説を主張するのは、憲法の法相を無視し、天皇概念を正確に把持しない非科學的独断、イデオロギー的見解といはねばならぬ」

「古来の日本人が、天皇といふ言葉によって観念してきたものは、…他國に類例のない理想的帝王であるとの誇りに充ちた観念である…もう少しくわしく言えば、天皇とは、日本國民が古来、世界に類例のない理想的帝王であると信じてきた萬世一系の君主である。と定義してよからう」

「憲法が天皇といふ文字を用ゐてゐるのは、國民に対しての概念である事、及び天皇なる文字そのものが君主の意味である事を前提としたものであるのは明白であって、天皇が君主でないなら、天皇の文字を用ゐることは許されぬ。天皇は明白疑ふ余地のない君主である」と論じてをられる。(『萬世一系の天皇』)

 

天皇は祭祀主として神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に傳へるご使命を果たされる。ゆへに、民から仰ぎ拝すれば、天皇は地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、歴代の天皇に一貫してゐる。

 

聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。

 

 天皇が日の神の御子として國家を統治あそばされるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。第一一六代・桃園天皇(江戸中期)は、

 

「もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞ思ふ」

 

といふ御製を詠ませられてゐる。        

 

天皇が御即位の大礼において、高御座に上られ、天下万民の前にお姿を現されるお姿は、「冕冠・大袖」である。「冕冠」は、『古事談』によると、応神天皇以来のものとされ、中央に金烏を描いた放射状の日像(ひがた)を立てる。これはまさしく日の御子のお姿である。つまり即位式において、天皇が高御座に登られるのは、新しい太陽神の地上における御誕生なのである。また、大嘗祭における鎮魂のみ祭りも、日の神の再生の祭りといはれてゐる。

 

天皇が御即位された後初めて行はれる新嘗祭を大嘗祭といふ。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一體となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を保持される。

 

大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん實らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

 

日嗣の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一體となり、日嗣の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕される祭祀である大嘗祭においても、天皇は真床追衾に包まれるといふ。大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一體となられるのである。つまり御歴代の天皇は、御肉體は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、持統天皇の御代から行はれるやうになった。

 

日本は、現御神日本天皇を君主と仰ぎ天地の神々が生き給ふ國である。それは、わが國の歴史を見れば、否定することは全く不可能な事實であり、建國以来のわが國體である。

 

日本の傳統精神・國家観・人間観を隠蔽してゐる元凶は「現行占領憲法」である。憲法は國家あっての憲法であり、國家理念を正しく規定されていなければならない。

 

わが國の悠久の歴史精神と日本國體精神に、憲法の条文なり理念が合致してゐなければならない。終戦直後、國際法の禁を破って押し付けられた「現行占領憲法」の無効を確認し、わが國の國體精神に立脚した憲法に回帰すべきである。

 

今日、外来思想である「君主と対立する人民が國家の主権者である」といふ「國民主権論」が横溢し、わが國の國家傳統の隠蔽し破壊してゐる。そしてそれが一般國民の常識となって浸透してゐることは實に以て、國家存立の基礎を揺るがす事實である。今回の「天皇陛下の御譲位」をめぐる政府及び國會の動きを見てそのことを切實に実感する。

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千駄木庵日乗九月四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆など。

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天皇・皇室と和歌

 

和歌は、傳統の継承と創造とが一體となっている文藝である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として學ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。ここに和歌文學の特質がある。日本人は傳統の継承から創造を學んだ。和歌はその典型である。

 

これは、皇位継承・伊勢の神宮の御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれる。それによって、新しき玉體であらせられながら邇邇藝命以来の靈統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神靈は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

 

永遠の傳統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが國の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他國には見られないわが日本の特質である。まさにわが國體は萬邦無比なのである。

 

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

 

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

 

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

 

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を讀むことによって可能となる。

 

中河与一氏は「和歌が國風(註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた日本回帰の文化の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本に於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

 

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって維新の情念を傳統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。

 

和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとして和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ實感すべきである。

 

そもそも愛國心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛國心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を學ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治體制の革新のみではなく、國民精神の革新・日本の傳統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗九月三日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆、資料の整理など。

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2017年9月 3日 (日)

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年九月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年九月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十九年八月号(平成二十九年八月二十五日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

「平成と天皇 首相経験者に聞く」といふ連載記事を讀みて

 

天皇陛下の全國御巡幸についての福田康夫氏の正論

 

天皇の國家統治と『國見』の意義

 

昭和天皇・今上天皇の御製を拝し奉りて

 

アメリカに押し付けられた『現行占領憲法』の國體隠蔽・革命思想を遵守する姿勢を示した海部俊樹氏

 

天皇陛下の臣下としての自覚と矜持が希薄な海部俊樹氏は、吉田茂氏の爪の垢でも煎じて飲んだ方が良い

 

共産支那の理不尽な要求を受け入れ實現させた民主党政権の罪は深かった

 

日本は古代から今日に至るまで、天皇の神聖権威を原基とする人倫國家である

 

千駄木庵日乗

 

二階俊博自民党幹事長「日米安保体制強化、日米同盟の抑止力を強化させるのが大事。新しいガイドライン、新安保体制の下で日米同盟をさらに進めて行く」

 

浅川公紀筑波学院大学教授「日米同盟はアジア太平洋における平和・繁栄・自由の礎。『日米安保条約』の第五条を尖閣に適用が大事。このことを共同宣言に入れたのは重要。安倍さんの真面目さがアメリカに傳わった」

 

田久保忠衛杏林大学名誉教授「安倍さんは『独立自尊の道義國家』を唱えれば良い意味で日本第一になる。日本のモラルを高らかに掲げると宣言したらいい」

 

平井正修全生庵住職「武士道とは武士社會の道徳ではない。身分とは関係なく日本人たるべきものが皆行うべき道である。仁義礼智信全てを貫く大道。根柢にあるものは『無我』。無我の境地に立つと、親に対しては孝、君に対しては忠になる」

 

この頃詠みし歌

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この頃詠みし歌

くっきりと三日月浮かぶ夏の空

 

政敵をみな監獄にぶち込みし習近平の笑顔醜し

 

北朝鮮の核には一切抗議せぬ「反核反戦」の欺瞞を厭ふ

 

パソコンが起動するのを待つ時のいら立つ心を如何にとやせむ

 

仰ぎ見る空に月が浮かびゐてとことはの光放ちてぞゐる

 

夏の夕べビール呑みつつ青年と共に語らふひと時ぞ良し

 

青年と思ひてゐしに年齢が四十歳と聞きて驚く

 

雷鳴が轟く夕べ空を覆ふ雲の中より稲妻光る

 

古き町の古き酒房の御主人は三代目にして我と同年

 

國のため命捧げし人々の御霊鎮まる靖國の宮

 

東京を日本全土を焼き尽くせしアメリカの蛮行を忘れざるべし

 

同胞を飢ゑと寒さで殺戮せしロシアの蛮行を忘れざるべし

 

祈り深く日の本の國をしらしめすわが大君のみ姿尊し

 

大君が終戦を迎へたまひたる奥日光の地に今日来たるかも

 

瀧つ瀬を眺めて立てば遠き日の旅甦る幻のごとく

 

昔見たる華厳の瀧は今日もなほ水落続く時間止まりて

 

昔日の旅の思ひ出よみがへる華厳の瀧の前に立ちつつ

 

広くひろがる湖の上に一艘の船浮かびゐて動かざりけり

 

一艘の船が浮かべる湖に夏の雨降る静かなる時

 

湖面には波一つ立たぬ静けさは眺める我の心なごます

 

露天風呂につかりてをれば山の雨静かに降り来る朝(あした)なりけり

 

鶯の声聞こえ来る高原を一人歩めばさやかなるかも

 

高原の道を行きなば木々の命がわれの命をさきはへにけり

 

熊避けの鈴鳴らしつつ行く人と挨拶交はしすれ違ひたり

 

久しぶりに谷水の音を聞きてをり夏の夕べの静けさの中

 

島津伊達の灯篭立ちゐる東照宮 外様大名の屈服の印

 

覇者の驕り勝者の贅をつくしたる東照宮の社殿を仰ぐ

 

食べ物の文句ばかりいふ老婦人 その傍らの夫君はあはれ

 

山男湯に入り来る夏の朝

 

大陸にながく戦ひ帰り来て家族養ひ父は生きたまふ

 

久しぶりに大日論が照り映えて夏の大空すがしかりけり

 

日の本は神の国なり日章旗ひるがへりゐる空清々し

 

日の御旗ひるがへりゐる夏の空

 

雨あがり日のさす朝(あした) 窓ガラス拭き終はりたる後のすがしさ

 

夏の夜はビール飲み干すことが良し美女の前ならなほさらの事

 

部屋中をゴキブリ一匹走り回るゴキブリといふ名のあはれさ背負ひ

 

出で来たるゴキブリを見て幼子の如くに驚く気の弱き我

 

声高に皇室を誹謗する人にこらへかね激情のままに怒鳴りつけたり

 

変節といふ言の葉が浮かび来る土岐善麿の歌を詠みつつ

 

変節といふ言の葉か浮かび来る宮澤俊義の憲法論読み

 

今もまだ生きゐます如き父母の動画を見ては涙さしぐむ

 

ベランダで迎へ火を焚く父母の動画を見つつ手を合はせをり

 

佳き人の歌集を詠みて言霊の清らかさをぞしみじみと思ふ(福永眞由美さま歌集『花吹雪』)

 

息子の如き思ひするなる二人の甥 今日も元気で過ごしゐるなり

 

健やかになりたる友が傍らに座して酒酌むことのよろしさ

 

怒りやすきわが性(さが)何とかならぬかと思ひつつ一人酒を呑みをり

 

改修工事転居入居繰り返される築三十年のわが住むマンション

 

ローンをば払ひ終はれば老朽化激しくなりぬわが住むマンション

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千駄木庵日乗九月二日

午前は、諸事。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。澤英武氏が司会。村井友秀東京国際大学国際戦略研究所教授が「中国の覇権野望に直面して―国際紛争の理論と現実」と題して講演。大変興味深い内容であり勉強になった。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、『伝統と革新』次号編集の準備。原稿執筆。資料の整理など。

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2017年9月 2日 (土)

伏見天皇御製に歌われた「みやび」

 

伏見天皇御製 

 

 

 

むつきのはじめつかた雨ふる日よませ給うける 

 

 

 

のどかにも やがてなり行く けしきかな 昨日の日影 けふの春雨

 

 

 

「のどかにやがてなってゆく景色であるなあ。昨日の日の光も今日の春雨も」というほどの意。

 

 

 

「むつき」(睦月)は陰暦正月の異名。睦び月。この御製は『玉葉和歌集』に収められている。『玉葉和歌集』は、鎌倉後期の歌集。二〇巻。伏見天皇の命により京極(藤原)為兼が撰。勅撰和歌集の第一四番目。鎌倉室町期の勅撰集の中で、歌風の清新さにおいて『風雅和歌集』とともに高く評価される。

 

 

 

第九十二代・伏見天皇は、後深草天皇の第一皇子。建治元年(1275)、御年十一歳のとき、後宇多天皇の皇太子となり、弘安十年(1287)、御年二十三歳で践祚。永仁六年(1298)、御子の後伏見天皇に譲位、院政を敷かれた。御幼少の頃よりより和歌を好まれ、その後、弘安三年(1280)より出仕した京極為兼を師範とする。勅撰集編纂を企画し、応長元年(1311)、為兼に単独撰進を命ぜられた。正和元年(1312)、十四番目の勅撰集『玉葉和歌集』として奏覧。正和二年(1313)に出家され、院政を後伏見院に譲られる。文保元年(1317)九月三日、崩御(御年五十三歳)。

 

 

 

国家と国民の平安を祈りつつ天下を治められる伏見天皇は、ある日、のどかに移ろい行く自然の姿を素直に肯定され、殊の外麗しいものと感じられたのであろう。その実感が大らかに歌われている。日本の自然をいつくしまれる天皇の大御心が優しく伝わってくる。

 

 

 

伏見天皇の上御一人としてのご品格は自然に歌柄に反映し、大らかなお歌となっている。歌はれた風景は、天地自然のいのちの中に生かされている人間を生き生きと伝えている。

 

 

 

自由で柔軟な歌で、自然を慈しまれる天皇のみ心がよく表現されている。日本の天皇様は、このような優しく美しいお心を持たれる御方なのである。決して権力や武力で民を押さえつけて日本国を支配される方ではないのである。

 

 

 

この御製に歌われているような優しく麗しい美感覚を「みやび」という。「みやび」は、日本人の傳統的な美感覚・日本的情緒とされている。この美感覚は、萬葉集末期の天平時代に生まれ、中古・中世には美の理想されるようになった。

 

 

 

近世の國学者本居宣長は「みやび」こそ日本の傳統的情緒であるとして、「すべて人は、雅の趣をしらでは有るべからず」「すべて神の道は…理屈は、露ばかりもなく、ただゆたかにおほらかに、雅たる物にて、歌のおもむきぞよくこれにかなへり」(『うひ山ぶみ』)と言っている。

 

 

 

「みやび」とは、宮廷風で上品なことと定義される。洗練された風雅であり優美さである。言い換えると、素朴さ、未分化の美からさらに発展し、人事の洗練された美を追求し、それを自らの生活に知的技巧的に表現する態度である。それは恋愛や和歌の創作に具体的に表現された。自然や恋愛生活すら鑑賞的な態度で眺め、それを美しく表現した。

 

 

 

ただし、「みやび」は、単に平安時代における貴族的風流というよりも、宮廷において伝えられた日本の傳統美への憧れである。その根底には、天皇の祭祀があった。

 

 

 

「みやび」は、萬葉歌人によっても歌われている。

 

 

 

大伴家持

 

「うらうらに 照れる春日に 雲雀(ひばり)あがり 情(こころ)悲しも独りしおもへば」

 

 

 

山部赤人

 

「春の野に 菫(すみれ)摘みにと 来し吾ぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける」

 

 

 

「明日よりは 春菜(はるな)摘まむと 標()めし野に 昨日も今日も雪は降りつつ」

 

 

 

これらの歌は、「ひやび」の窮極であると評価されている。天平時代の美感覚が、その後の日本人の美の伝統の起源となったことを示している。

 

 

 

紀貫之は山部赤人を高く評価し、平安時代には赤人の歌は「歌の理想」として尊ばれた。中古中世の日本人にとって和歌とは、人々の魂の表白・訴えであると共に、人々の生活の美的規範ともなった。その規範が「ひやび」であったといえる。

 

 

 

日本の傳統美への回帰とは原始・粗野の時代に帰ることではない。優雅にして品格のある美感覚への回帰である。みやびの伝統を今日にまで継承されているご存在が皇室である。

 

 

 

 

 

 

 

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千駄木庵日乗九月一日

午前は、諸事。

午後は、原稿校正。

午後四時より。西荻窪にて、『伝統と革新』編集会議。終了後出席者と懇談。談論風発。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2017年9月 1日 (金)

天香具山について

 天香具山は奈良県橿原市東部にある海抜一四八㍍の小山。大和盆地は海抜百㍍だから麓からは四八㍍しかない。畝傍山・耳成山と共に大和三山の一つである。古代日本人には、麗しい山を神と仰ぐ信仰がある。大和地方では大和三山・三輪山・二上山など、東國地方では木曽御嶽山・富士山・筑波山・出羽三山など、九州地方では高千穂峰・阿蘇山が尊い山として仰がれた。

 

 天香具山は、上に「天の」と付けられてゐるやうに高天原から天降って来た山で「天と地とをつなぐ山」として神聖視され大和三山の中でもとりわけ尊い山とされた。現代風にいへば、天と地とをつなぐアンテナで、神事を行ふ際、神の降臨を仰ぐために立てる榊である「ひもろぎ」と同じ性格を持つ山である。「鎮守の森」といはれるやうに神社には多くの樹木があるのは、その樹木に神が降臨すると信じたからである。

 

 キリスト教では、人類が唯一絶対神たるゴッド及びその一人子であるイエス・キリストを受け入れ、罪を悔い改めなければ、最後の審判において罪人は滅ぼされ、天國に入ることができないとされてゐる。キリスト教は神人分離の信仰である。ところがわが國傳統信仰における「神代」「高天原」と「地上」とは交流しゐて、隔絶してゐない。日本傳統信仰は天地一体・今即神代・神人一体の信仰である。

 

 「香具」(かぐ)とは「輝く」を短くした言葉で、香具山は輝く山・神聖な山として信仰の対象となってゐる。後世のかぐや姫とは「輝く御姫様」といふ意である。天香具山とは「天に通じる輝く山」といふ意で、高天原と直結する山と信じられたのである。

 

 高天原にある天香具山について、『古事記』には、天照大神が天の岩戸に隠れになった時、大神に岩戸からお出ましを願ほうとした八百萬命が相談して、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとたまのみこと)が取って来た天香具山の男鹿の肩胛骨を波波迦の木で焼いて占ひを行って、天香具山に茂った賢木(さかき)に勾玉(まがたま)や鏡などを付けて捧げ持ち、天宇受売命(あめのうづめみこと)が天香具山の日影蔓(ひかげかづら)を手襁(たすき)に懸け、真拆(まさき)を鬘(かずら)として、天香具山の小竹の葉を手に持ち、岩戸の前で桶を踏み鳴らして神憑りしたと傳へられてゐる。

 

 また、神武天皇が御東征を終へられ大和に都を開かれる時のお祭りで用いられた神具の土器は、天香具山の土で作られたと傳へられてゐる。國土には地の靈(國魂)が籠ってゐるといふ信仰があり、大和の都を開かれるにあたっては、大和の國の靈を鎮めなければならない。そのために大和の地の靈を象徴し大和の國魂が宿ってゐて、天と地とをつなぐ神聖なる天香具山の土を、土器にして祭祀に用いたのである。それによって、神武天皇は大和國を治められる靈的なお力を備へられたのである。天香具山の土を手に入れることが大和全体をしろしめすことになるといふ信仰である。

 

 折口信夫氏は、「天香具山の名は天上の山の名である。同時に地上の祭時に當って、天上と一つの聖地-天高市(アメタケチ)-と考へられた土地の中心が此山であった。だから平常にも聖なる地として天なる称號をつけて呼ぶ様になったのだ」「大和なる地名は、當然宮廷のある地を意味する。天は、宮廷の真上にあり、宮廷のある處は、天の真下である。即ち、國語に於ける天が下(アメガシタ)の確かな用語例は、宮廷及び宮廷の所在を示すことになる。だから、宮廷の存在なる狭義の大倭は、天が下であり、同時に天其物と觀じることが出来た。天香具山は、地上に於ける聖地の中心であった。即ち、大倭の中心である。この山の埴土(注・きめの細かい黄赤色の粘土)は、大倭の國魂の象徴にもなる…。」(大倭宮廷の靱業期)論じられてゐる。

 

 天皇のゐます宮は「天」(高天原)であり「聖地」である。その中心が天香具山なのである。このやうな神聖な所を神座(カミクラ・神のゐますところ)といふ。

 

 このやうに天香具山は天皇の祭祀・神事即ち國家統治には欠かせない尊い山である。舒明天皇が、神座である天香具山に登られて「國見」をされた。 

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千駄木庵日乗八月三十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。書状執筆など。

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