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2017年8月30日 (水)

内憂外患交々至るという状況にある今日こそ大和魂を奮い立たさなければならない

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

 

吉田松陰先生が、安政元年(一八五四)、二十五歳の時に詠んだ歌である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されてゐたといふ。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中の四月十五日、高輪泉岳寺前を通過した時赤穂義士に手向けた歌である。松陰が國法に触れることは分かってゐても國家を思ふやむにやまれぬ心で米艦に乗らうとしたことと、赤穂義士が吉良上野之助義央を討てば自分たちも死を賜ることは分かってゐたがやむにやまれぬ思ひで主君の仇・吉良を討った精神とは、共通する思ひであった。ゆゑに松陰は赤穂義士に共感したのである。

 

幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々の心を打つ。あふれるばかりの思ひとはりつめた精神が五・七・五・七・七といふ定型に凝縮されてゐる。かかる思ひは和歌によってしか表現され得ないであらう。

 

片岡啓治氏は「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文學と現實の幸福な一致がある」(『維新幻想』)と論じてゐる。

 

日本固有の文學形式によって自己の真情が吐露できるといふことは、日本人が神から与へられたまさに最高の幸福であると思ふ。

 

物事に素直に感動する心、清く明るい心、無我の心、散るを厭はない心が、大和魂・大和心である。そしてそれは戦闘者の精神・武士の心・軍人精神・維新者の根幹となる心なのである。        

          

大和心・大和魂には、和御魂(にぎみたま)と荒御魂(あらみたま)とがあると小生は考へる。和御魂の大和心・大和魂は日本民族の持つ包容力・美しさを愛する心である。和魂漢才・和魂洋才の和魂は日本民族の強靱なる包容力のことである。荒御魂の大和心・大和魂は、勇武の心・桜の花に象徴される散華の心(潔く散る精神)である。

 

この二つのは全く別なものではなく、清明心(清らかで明るい心)・純粋な心・素直な心・そのままの心として一つである。それは日本民族の本来的持っている魂であり精神である。

 

吉田松陰が、安政五年(一八五八)正月十九日、月性(幕末の勤皇僧。周防妙円寺住職。攘夷海防を論じた)に宛てた書簡で、前年の安政四年に米駐日総領事ハリスが、江戸城に登城し、幕府に米公使江戸駐在を認めさせたことを憂へ、「ミニストル(公使のこと)を江都(江戸のこと)におき、萬國(ここでは國内各藩のこと)の通商、政府に拘らず勝手に出来候へば、神州も實に是きりに御座候。何とも一措置なくては相済み申すべきや。幾重に思ひかへ候ても、此時大和魂を発せねば最早時はこれ無き様覚へ申し候」と記してゐる。大和魂を発揮して幕府の軟弱外交を糾弾すべきことを論じてゐるのである。

 

新渡戸稲造氏は、吉田松陰の「かくすればかくなるものと地りながらやむにやまれぬ大和魂」について、「武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、國民および個人を動かしてきた」(武士道)と論じてゐる。新渡戸稲造氏はさらに、「(注武士道」については)精々口傳により、もしくは数人の有名なる武士や學者の筆によって傳えられたる僅かの格言があるに過ぎない。むしろそれは語られず書かれざる掟、心の肉碑に録されたる立法たることが多い。不言不分であるだけ、実行によって一層強き効力が認められているのである。……道徳史上における武士道の地位は、おそらく政治史上におけるイギリス憲法の地位と同じであろう。」(『武士道』)と論じてゐる。

 

もののふのみち(『武士道』)は、文章の形を取った教義書で傳えられている教条・理論・理屈ではない。

 

日本武士道の教義書はないが、新渡戸稲造氏の言う「心の肉碑」=日本人の魂の奥底の思いを表白する文藝である「和歌」によってもののふの心が傳へられてきた。萬葉歌は飛鳥奈良時代のもののふの道=武士道を傳へてゐる。

 

理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。日本の傳統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行ひ」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を學ぶことによって傳承される。「學ぶ」とは「まねぶ」である。

 

そして武士道は、道徳・倫理精神と共にあった。武士は封建時代において國民の道義の標準を立て、自己の模範によって民衆を指導した。義経記・曽我兄弟の物語・忠臣蔵などの民衆娯楽の芝居・講談・浄瑠璃(平曲・謡曲から発した音曲。語り物)小説などがその主題を武士の物語から取った。明治維新の志士たちの歌も近代日本の武士道教育の手本となった。

 

武道・和歌によって武士道が継承され教育された。これは、武士道が情感・感性によって継承され実行されてきた「道」であり、理知によって継承されてきた教条や独善的観念體系(イデオロギー)ではないことを証しする。

 

武士は、日本國民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。武士は武家時代において、決して民衆を武力で支配した階級のみでなく、道義の手本でもあった。明治維新をはじめとしたわが國の変革を断行せしめた重要なる原動力の一つに武士道があった。

 

内憂外患交々至るという状況にある今日こそ大和魂を奮い立たさなければならない。

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