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2017年8月21日 (月)

「日本侵略國家論」を払拭しなければ「戦後」は終らない

 

「戦後体制」を維持したいという勢力がまだまだ根強いことを実感する。保守といわれる勢力の中にも、自主独立の日本の回復及び歴史と伝統の国日本の再興に反対し抵抗する勢力がまだまだ根強く存在する。また安倍政権の連立相手も創価学会・公明党も戦後体制打倒を目指してはいない。むしろ戦後体制維持である。

 

わが国伝統精神は、見直し・聞き直し・のり直しである。陰極は必ず陽転します。常夜行く時にこそ、天の岩戸は開かれる。国家の再生のためにこれからも勇躍前進して行かねばならない。そして国家的危機を跳ね返し、国の現在および将来を危うくする勢力を駆逐せねばならない。

 

真の保守とは、自民党政権を守るとか、現体制を擁護するというのでは決してない。戦後体制打倒である。まさに「旧来の陋習を破り、天地の公道に基づく」日本を建設する我々こそが真の革新勢力=維新勢力なのである。

 

「戦後」といふ言葉は何時まで続くのであろうか。敗戦以来すでに七十二年も経過している。戦後とは敗戦後といふことであり、屈辱的な時代といふ事である。しかも、日本は侵略戦争を行なったという歴史観が『憲法』の『前文』にも記され、且つ、閣議決定の『戦後五十周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話』にも記されている。即ち、「日本は侵略戦争を行なった悪い国だった」といふのが日本『国是』になっていると言ふことが出来る。

 

だから「戦後」という言葉は陰鬱な響きを持っているのである。大東亜戦争は決して日本の一方的な侵略ではなかったこと、ソ連の謀略やアメリカの挑発によって追い込まれ、開始せざるを得なかったことを正しく認識すべきである。

 

 大東亜戦争侵略史観を払拭し、大東亜戦争は、自存自衛の戦いであり、アジア・アフリカ民族に民族としての自覚と名誉の回復の可能性を与え、民族自立と独立の引き金となった聖なる戦いであった、という正しき歴史認識を確立しなければ、「戦後」は終らないし、わが國の再生はあり得ない。

 

 極東國際軍事裁判で「日本無罪論」の判決を書いたインドのパール判事は、「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう」と、「判決文」の最後に書いた。しかるに、日本國民自身が、戦後七十二年を経過したにもかかわらず、「偏見」と「虚偽」から脱出することができないでいる。

 

歴史を大観すれば、明治維新、日清・日露両戦争、満洲事変、支那事変、そして大東亜戦争は、まさに幕末以来の尊皇攘夷の戦ひ即ち西欧列強によるアジア侵略支配を打破する戦いであった。このことをわが國民は正しく認識し、「過去の賞罰の多くにその所を変へる時代」の招来を期するべきである。

 

また戦争中に残虐行為大量虐殺を行ったのはわが國ではなく、アメリカとソ=ロシア連であったことを全国民が正しく認識すべきである。

 

東トルキスタン、チベット、内コルを見てもわかるやうに、わが國に「謝罪しろ」と執拗に迫って来ている支那こそ、今日、帝國主義的侵略と搾取と暴虐の植民地経営を行っている最大最悪の侵略國家である。

 

日本人は、祖國と民族の名誉を回復するために、また、将来にわたり誇りある日本人を育てていくためにも、さらには、共産支那などからのわが國へ侵略を阻止するためにも、明治維新以来終戦までの正しい歴史観を形成すべきである。

 

 特に、満洲國建國の正当性、蘆溝橋事件及び支那事変におけるわが國の自衛権行使、米國側の挑発とソ連の陰謀による日米開戦という歴史の真実を正しく認識し、日本侵略國家史観を一日も早く払拭すべきである。

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