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2017年8月25日 (金)

「現行占領憲法」の制約下に、上御一人日本天皇を置き奉る事があっては絶対にならない

 

 西洋の成文法は、一定の地域で共同生活を営む人間同士が信頼することができなくなり、文章で色々な決め事を書いておかなければならない状況になってから作られるようになったのであらう。

 

 要するに西洋の成文法とは共同生活を営む人間同士の契約文書である。といふことは、人間同士が本当に信頼し合って生きていく世の中であれば成文法などは本来不必要だとも言へる。極論すれば成文法は人間性悪説に立脚してゐると言っても過言ではない。

 

 西洋の成文憲法の淵源とされる『マグナカルタ』(一二一五年、イギリスの封建諸侯が國王ジョンに迫り、王権の制限と諸侯の権利を確認させた文書。國王の専制から國民の権利・自由を守るための典拠としてイギリスの立憲制の支柱とされる)は、専制君主と國民との間の不信感に発して作られた契約文書にほかならない。ここから憲法は権力の制限規範だといふ考へ方が生まれた。

日本国は、天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家・信仰共同体である。日本国は、西洋の権力国家とは全く成り立ちが異なり、日本天皇は西洋の専制君主とはまったくその本質を異にするのである。

 

 日本國の成文憲法は、人間同士の不信ではなく日本の麗しい伝統精神に立脚した成文憲法でなければならない。天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家といふ日本國の道統が成文憲法の条文に正しく表現されなくてはならない。

 

成文憲法及び成文法そしてそれに基づく政治権力機関は、天皇日本の道統を破壊したり否定してはならないし、本来否定することは出来ない。むしろ天皇日本の道統に即した憲法及び法律そして権力機関であらねばならない。

 

 憲法や政治権力は、その権限を越えて、共同體國家の精神伝統及び國民の精神生活、道徳生活、文化創造活動などに介入したり制限を加えたりしてはならない。特に成文法によって、天皇皇室を規制し奉ってはならない。成文憲法や政治権力は、日本國の道統に立脚し、その道統を正しく実際の國家において実現するための役割を果たすべきなのである。

 

『現行占領憲法』下においても、「憲法にこう書かれてゐるから、皇室はかうあらねばならない」とか「天皇はかういふことをされてはならない」と主張する事はあってはならない。

 

何故なら、『現行占領憲法』には、天皇は「國政に関する権能を有しない」と書かれてをり、「憲法とは権力の制限規範である」とされてゐるからである。国政の関する権能を有しないといふ事は権力者ではないといふことである。従って「権力者」ではあらせられない天皇は、「権力の制限規範」たる憲法を超越した御存在であり、憲法が天皇を制約することがあってはならないのである。三権の一つであり「国権の最高機関である」と規定されてゐる國會が、権力者であらせられない「天皇の御位」即ち「皇位」について議論し決定することは、憲法が「権力の制限」である以上、出来ないのである。

 

ともかく、日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に則った憲法であらねばならない。日本國の國體に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されてゐなければならない。即ち「天皇を君主と仰ぐ日本國體」に基づいた正統憲法を回復しなければならない。

 

 

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