日本民族の道徳的規範
明治天皇は、欧化の風、知育偏重の教育を憂いたまい、『教育勅語』を渙発あそばされた。
『教育勅語』には、「…我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世世厥ノ美ヲ濟セルハ、此レ我カ國體ノ精華ニシテ、教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」と示されている。
親は、子に生命を与えてくださった方である。そしてその生命は溯っては祖先、くだっては子孫へと続いている。生命の連続とは単に肉体と血液の連続ということではない。慈愛の継承であり、心のつながりである。
人間が共同生活をしていくには倫理・道義がなくてはならない。人間生活には倫理が常に働いている。人間は、洋の東西、時の今昔を問わず、人間が道徳的規範にしたがって理想を設定し、それに向かって一歩一歩進んでいくことが正しき生き方であり生活である、と信じている。今日及び将来においてもそのことに変わりはないし変わってはならない。
その道徳的規範とは一体何か。それはわが民族においては古代から今日に至るので綿々と継承されてきた「尊皇」「敬神」「忠孝」という倫理観念である。
倫理・道徳は世界的に共通する普遍的なものであるが、道徳的規範の現れ方は各民族・各國の文化によって異なる。
わが國の傳統的倫理精神は、日本民族の暮らしの中から自然に生まれてきたものである。日本民族の暮らしとは、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体の農耕生活である。生活の中から生まれた自然な道徳観が尊皇敬神の心なのである。
祭祀主であらせられる日本天皇は、日本の傳統文化・傳統的倫理精神の継承者であらせられる。そして御歴代の天皇は常に民を思い、民の幸福を祈られてきた。
ゆえに、建國以来日本國の祭祀主として君臨してきた天皇及び御皇室を尊崇する心即ち尊皇の精神が、わが國倫理精神の基本である。
神人合一が日本人の理想であり、祭祀は神人合一の行事である。神に真心を込めてお仕え申し上げることが「祭りの心」である。神と人間が心と行動において一体となること即ち神人合一が日本人の理想である。祭りとは神人合一の行事である。
『神社本庁敬神生活綱領』には、「世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと」とある。神と天皇に仕える心即ち自分たちの生活そのものを神の心を実現していくという生活が、わが國の理想的な倫理観念である。
「みこともち」とは、神そして神への祭り主であらせられる天皇の御言葉・御命令を持しそれを地上において実現することである。それが日本民族の倫理精神の基本である。
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