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2017年7月30日 (日)

現御神信仰と皇位継承

後櫻町天皇御製に拝する『天津日嗣』の御精神

 

第百十七代・後櫻町天皇御製

 

「まもれなほ伊勢の内外(うちと)の宮ばしら天つ日つぎの末ながき世を」

(どうかお護り下さい。伊勢の内宮外宮の神よ。天津日嗣日本天皇が統治する永遠の日本國を)

 

後櫻町天皇は、第百十五代・桜町天皇の第二皇女。江戸時代の宝暦十三年(一七六三)に御即位。

 

 「天津日嗣」とは、「天照大御神の靈統を継承する御方」といふ意である。天皇の神聖性はここより発する。「日」は「天照大御神の神靈」の御事である。

 

わが國悠久の歴史は、現御神としての御自覚で君臨あそばされた大君と、天皇を現御神として仰いだ國民とが支へてきたのである。天皇は地上においては天照大神の靈統の継承者・御代理としての御資格を有される。この御製はそのご自覚を高らかに歌ひあげられた御歌と拝する。

 

影山正治氏は、「(天津日嗣は)『もっもと大いなる日〈ひ〉を継ぎつづける日本國の中心の御方』といふ意味である。『生命』─『いのち』の核心は『ひ』であり、『人』は『日子(彦)』と『ひ女(姫)』に分れる『ひ止』であって『ひのとどまったもの』であり、『ひを継ぎつづけること』によってこそ存在するものであるが、そのうちでも、最も中心的な、最も大いなる『ひ』を継ぎつづける日本の中心をなす『大生命』が『あまつひつぎ─天皇』の御存在である。」(『天皇の御本質』・「不二」昭和五十五年緑陰号)と論じてゐる。

 

女性天皇も、現御神即ち地上に現はれられた生きたまふ神であらせられる。肉身においては女性であられても、天津日嗣を継承される現御神であらせられるのである。臣民もまた、「人」としての靈統は、男女の差別は全くなく継承されるのである。「人」は、「日子」であり「日女」であるといふのが神代以来のわが國の傳統信仰である。

 

 

平野孝國氏は、「(天津日嗣の)ツギの思想は、元来個人の肉体を超えて継承される系譜と思ってよい。ヨツギという形で後代まで変化しつつ残ったが、宮廷のツギは日を修飾にして、ヒツギと言ふ。日のみ子、或は日神の系図の義である。」(『大嘗祭の構造』)と論じてゐる。

 

天皇は、先帝の崩御によって御肉體は替はられるが御神靈は新帝に天降られ再生されるのである。ただしその御肉體・玉體・御血統は皇祖皇宗から繼承されなければならない。

 

昭和天皇は、『昭和二十一年元旦の詔書』に於いて「神格」を否定されたなどといふ論議があるが全く誤りである。先帝昭和天皇も、今上陛下も、祭祀を厳修せられてゐる。この貴い事實は、戦勝國アメリカの占領軍の無理強ひによって発せられた『昭和二十一年元旦の詔書』が「人間宣言」であったなどといふことを根底から否定する。

 

昭和天皇おかせられては、昭和三十四年、『皇太子の結婚』と題されて、

 

あなうれし神のみ前に日の御子のいもせの契りむすぶこの朝

 

と詠ませられてゐる。「日の御子」とは「日の神すなはち天照大御神の御子」といふ意味である。「日嗣(ひつぎ)の御子」とも申し上げる。昭和天皇におかせられては、天皇及び皇太子は「天照大御神の生みの御子=現御神である」との御自覚はいささかも揺らいでをられなかったことは、この御製を拝すればあまりにも明白である。

 

『萬葉集』に収められてゐる柿本人麻呂の歌には「やすみしし わが大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと…」と高らかに歌ひあげられてゐる。「四方をやすらけくたいらけくしらしめされるわが大君、高く光る日の神の御子、神ながらに、神にますままに、…」といふほどの意である。この歌は、古代日本人の現御神日本天皇仰慕の無上の詠嘆であり、現御神日本天皇のご本質を高らかに歌ひあげてゐる。

 

「高光る 日の御子 やすみしし わが大君」といふ言葉は、『古事記』の景行天皇記の美夜受比売(みやづひめ)の御歌に最初に登場する。現御神信仰は、わが國古代以来今日まで繼承されて来たてゐるのである。

 

歴代天皇そして皇太子は、血統上は天照大御神・邇邇藝命・神武天皇のご子孫であり血統を継承されてゐるのであるが、信仰上は今上天皇も皇太子もひとしく天照大御神の「生みの御子」であらせられるのであり、天照大御神との御関係は邇邇藝命も神武天皇も今上天皇も皇太子も同一である。

 

昭和天皇はさらに、昭和三十五年に『光』と題されて、

 

さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞわがねがひなる

 

と詠ませられてゐる。「さし昇る朝日の光が差別することなく世を照らすことこそ私の願ひである」といふほどの意と拝する。

 

鈴木正男氏は、この御製について「まことに堂々たる天津日嗣天皇の大みうたである。…一天萬乗の至尊にしてはじめて述べることのできる御製である。いかに昭和天皇が皇祖皇宗の示された大道を畏み給ひ、御歴代中最も苦難な御一代を通じて、その御重責をいかに御痛感遊ばされてゐたかを示す御製である。」と述べてゐる。(『昭和天皇のおほみうた』)

 

昭和天皇は、現御神として君臨あそばされてゐるといふ御自覚は決して失っておられなかったのである。『昭和二十一年元旦の詔書』において昭和天皇は「人間宣言」をされたなどといふことは全くの絵空事である。「現御神信仰」は今日においても「生きた真実」である。

 

この二首の御製は、天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるといふ御自覚を歌はれてゐるのである。

 

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が『昭和二十一年元旦の詔書』においていはゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどといふ説が大きな誤りであることが分かる。

 

天皇の即位は、聖なる『日の御子』御生誕であり天降りであり、新たなる大御代の始まりである。肇國(はつくに)・稚國(わかくに)への回帰である。天皇即位の時、天津日嗣の高御座に登られ百官の前にお姿を現される御装束は、日の御子のお姿である。「天津日嗣の高御座」とは、天上の日の神とおられるところと同じ高いところといふ意味であるといふ。また、大嘗祭は、若々しい新生の「現御神御誕生」の祭祀である。

 

今上陛下におかせられては、平成二年、「大嘗祭」と題されて、

 

父君のにひなめまつりしのびつつ我がおほにへのまつり行なふ

 

と詠ませられた。皇位の継承は祭祀の継承であり、それは現御神日本天皇のご使命・ご自覚の継承である。

 

天皇が即位の大礼を行はれ、大嘗祭を執行されるといふことは、すなはち天皇の神聖性の確認であり、現御神日本天皇の靈統の継承なのである。天皇が「神格」を否定されることはあり得ないし、不可能なことなのである。

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