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2017年7月22日 (土)

「清明心」に憧れ「くらき心」「きたなき心」を嫌ふ日本人の心

 

 

大伴家持

 

「劒太刀いよよ研ぐべし古(いにしへ)ゆ清(さやけ)く負ひて來しその名ぞ」

 (四四六七・わが一族の傳統の刀をいよいよ研ぐべきである。古来より清くさやけく傳へてきた大君の辺にこそ死なめといふ大伴氏の名であるぞ。祖の名を曇らすことなきように磨けよ)といふ意。

 

天平勝宝八年(七五六)聖武天皇が崩御されると間もなく、大伴氏の有力者・古慈悲が朝廷を誹謗した廉で解任された。家持は氏の上としての責任感から「族を喩す歌」といふ長歌を詠んだ。この歌はその反歌である。

 

「剣太刀いよよ研ぐべし」と、きはめて断定的な歌ひ方をしてゐる。興奮した歌ひぶり。「研ぐ」といふ言葉に「剣太刀を研ぐこと」と「家名を磨くこと」を掛けてゐる。

 

 長歌は、「ひさかたの 天の戸開き 高千穂の 嶽に天降りし 皇祖(すめろき)の 神の御代より…」と天孫降臨から歌ひ起こし、神武天皇橿原奠都を歌ひ、わが國の歴史を述べ、天孫降臨すなはち肇國のはじめからの歴史精神を貫いてゐる。そして、「皇祖の 天の日嗣と つぎて来る 君の御代御代 隱さはぬ 赤き心を 皇方(すめらべ)に 極め盡して 仕へ来る 祖(おや)の職(つかさ)と …… 清きその名ぞ 凡(おほ)ろかに 心思ひて 虚言(むなごと)も 祖の名斷つな 大伴の 氏の名に負へる 丈夫(ますらを)の伴(とも)」と歌った。

 

 この家持の「族を喩す歌」には、二つの大きな思想精神が詠まれてゐる。一つは、天孫降臨以来の皇統連綿・萬世一系の御歴代天皇への絶對的忠誠であり、降臨された天孫邇邇藝命に仕へ、御歴代の天皇に仕へた大伴氏の勤皇の誇りである。二つは、祖先を尊び家柄・家名を重んじる精神である。「名を重んずる心」である。

 

反歌では特に家名を重んじる精神を歌ってゐる。「剣太刀いよよ研ぐべし」といふ武門の名誉そして「赤き心を皇辺に極めつくして止へ来る」といふ赤誠心を詠んだ。

 

保田與重郎氏は、「彼(註・大伴家持)は喩族歌の中で、史官の描かない、時局情勢の描かぬ、眞の歴史を歌ひあげ、…その日の時局に對立して肇國の精神を貫かうとする思想であった。…天降りし天孫に仕へ奉ったといふことをいふ、皇方(スメラヘ)に仕へた勤皇の誇りだったのである。…彼は不平不満の中で、不平の詩歌を開くといふ類の東洋的詩人の域をつとに脱してゐたのである。」(『萬葉集の精神』)と論じてゐる。

 

大伴家持の『族に喩す歌』は、神代以来忠誠を一族の使命として来た大伴氏の家柄を詠じて、一族の奮起を促し、大伴一門の傳統的忠誠・尊皇思想そして家名を重んじる精神を歌ってゐる。しかし、それだけでなく、わが國民全体が保持すべき尊皇精神と家名を重んじる廉恥の心を歌ったと言へる。

 

 そして、この歌は、決して口先だけの生易しい歌ではなく、氏の長者としての責任の重大さを痛感して、真心を吐露し、赤誠を表白した血の出るやうな歌である。

 

家持の歌の「さやけく」とは「清明心」である。「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の重要な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「しかあらば、汝が心の清く明きは何をもって知らむ」と仰せられた。須佐之男命は、ご自分の「清明」を証明するために「うけひ」をされた。

 

また、天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。日本國民は古来、「清けく明けく」(清明心)を最高の価値として来たのである。

 

 天智天皇は

 

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう。)

 

と詠ませられてゐる。「清々しい」といふほどの心にこの「清明」の文字をあてた御心が大事である。「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

 

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

 

和辻哲郎氏は、「上代人は、全体性の権威を無限に深い根源から理解して、そこに神聖性を認めた。そして神聖性の担い手を現御神や皇祖神として把握した。従って全体性への順従を意味する清明心は、究極において現御神や皇祖神への無私なる帰属を意味することになる。この無私なる帰属が、権力への屈従ではなくして柔和なる心情や優しい情愛に充たされているところに、上代人の清明心の最も著しい特徴が看取せられるべきであろう。」(『日本古代文化』)と論じておられる。

 

平田篤胤は、「抑我が皇神の道の趣きは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)ひ、君親には忠孝(マメ)に事(ツカ)へ、妻子(メコ)を恵みて子孫を多く生殖(ウミフヤ)し、……家の栄えむ事を思ふぞ、神ながら御傳(ミツタ)へ坐(マ)せる真(マコト)の道なる。」(『玉襷』)と論じてゐる。

 

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへにこそ「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

 

さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり

あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな

 

と詠ませられてゐる。この御製の大御心こそ清明心であると拝する。

 

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

 

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

 

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

 

古代における「清明心」は、中古時代には『源氏物語』において「もののあはれ」と表現され、中世においては『神皇正統記』などにおいて「正直」と表現され、近世においては本居宣長などによって「やまとごころ」と表現され受け継がれた。 

 

わが國の「もののふの道」は、『古事記・萬葉』の歌々を見ても明らかな如く、日本の中核的な傳統精神から発した。上御一人・現御神に對する戀闕が根幹である。

 

大東亜戦争後、日本弱体化を目的として押し付けられ「似非平和主義」を脱却して、「ますらをの道」「もののふの道」に回帰すべきである。それこそが、共産支那や北朝鮮の軍事的政治的恫喝からわが國を守り抜き真の平和を確立する方途であると確信する。

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