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2017年6月18日 (日)

日蓮の神祇崇拝を否定する創価学会

 自民党と連立政権を組んでいる公明党と同体異名の関係にある創價學會が日本の伝統文化・國家の存立の基本を根本から揺るがす性格を持つ宗教教団である。それは神社には悪鬼邪神が住み着いていると決めつけ、會員に対して地域の神社の参拝は勿論、伊勢神宮など日本全國の神社への参拝及び神札を拝むことを禁止しているからである。これは敬神崇祖という日本民族の伝統的な道義精神・信仰精神を根底から破壊する行為である。

 

 それではいったい、日蓮は天照大神を如何に信じていたであろうか。日蓮は、篤い神國思想の持ち主であり、天照大神をはじめとした日本の神々が永遠に日本國を守護したまうことを信じる尊皇敬神崇祖の心旺盛な僧侶であった。日蓮は次のように書いている。

 

 文永の役の翌年の建治元年(一二七五)、当時五十四歳の日蓮が、国家的危機の真最中に書いた『撰時鈔下』に、「日本国と申すは、天照大神の日天にてましますゆへなり」と書いている。

 

 そして、『神国王御書』では日本は「八万の国に超たる国」である論じ、その理由として「此の日本国は外道一人無し。其の上神は又第一天照大神、第二八幡大菩薩、第三山王等の三千餘社、晝夜に我国を護り朝夕に国家を視(みそなはし) 給ふ。其の上天照大神は内侍所と申す明鏡に浮べ影内裏に崇められ給ふ」と論じている。

 

 日蓮は「山王第一」とする天台宗の神観念を継承せず天照大神を第一の神としているのである。そして『治部房御返事』では「日本国はいみじき国にて候、神を敬ひ仏を崇(たっと)ぶ国なり」と論じている。

 

 『聖愚問答鈔』では「念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙げる所の諸仏菩薩諸天善神を礼拝雑行と名け、又之を禁ず。然るを日本は夫れ神国として、伊奘諾・伊奘再尊此国を作り、天照大神垂迹御坐(あとたれいま)して御裳濯河の流久うして今にたえず豈に此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや」と述べている。

 

 さらに、『報恩鈔』では「神をば天照という。国をば日本(ひのもと)という」と書いている。

 

 『弥源太殿御返事』では「日蓮は日本国の中には安州の者なり。総じて彼の国は天照大神の住み初め給ひし国なりといへり。彼処にして日本国を探り出し給ふ、安房の国御厨なり。しかも此の国の一切衆生の慈父・慈母なり。かかるいみじき国なれば……いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生れたるは第一の果報なるなり」と述べでいる。

 

 このように、日蓮は神祇とりわけ天照大神への崇拝の念の厚い人で「神国思想」の持ち主であったことは明らかである。日蓮が「天照大神を拝むと罰が当たる。伊勢の神宮に参拝すると不幸になる」などという思想を抱いている人だったとしたら伊勢の皇大神宮の御厨であった安房國に生まれたことこれほど誇りにするはずがない。

 

 日本の神々が天上に上られて神社に住みたまわず神社や神札には悪鬼邪神がすみついているのであるならば、日蓮上人は文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、何故、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオトボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。八幡宮には八幡神がおられず悪鬼邪神が住みついているという創價學會の主張が真実なら、日蓮上人が八幡宮に語りかけるはずがないではないか。

 

 鎌倉仏教の宗祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。創價學會が會員の神社参拝を禁止するのは、天照大神をはじめとした日本の神々へのこのような強烈な尊崇の念を持っていた日蓮の思想に背くこととなる。神社には悪鬼・邪神が棲みついているから参拝すると罰が当たるなどという創價學會の『神天上の法門』は、日本伝統信仰たる敬神崇祖の精神を否定するばかりでなく、『立正安國論』を曲解し日蓮の神祇思想に背く考え方である。

 

日蓮と牧口常三郎氏の<現御神信仰>創価学会は我が國の寛容な伝統精神とは相容れない

 日蓮はまた、『高橋入道殿御返事』で「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」と論じている。

 

 日蓮は、天照大神の御神靈は天皇の御身中に常在しておられるというわが國の伝統的な<現御神信仰>を保持していたのである。

 

創價學會初代會長牧口常三郎氏は、この日蓮の<現御神信仰>を継承し、『大善生活実証録』という昭和十七年発行の書物で「吾々は日本國民として無条件で敬神崇祖しているのである。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖國神社へ参拝するのは『よくぞ國家の為に働いて下さった、有り難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって…天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。…吾々は現人神であらせられる天皇に帰一し奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することができると確信するのである」と論じている。

 

 さらに創価学会は、戦時中、日蓮正宗の当時の法主鈴木日恭と前法主堀日亨が、創価学会の牧口初代会長および戸田城聖二代会長に対して、「伊勢の神宮の神札を受けたらどうか」と諭したのは日蓮の教えに背くと激しく非難し、鈴木法主がその後焼死したのは、罰が当たったのだなどと言っている。

 

ところが同じくその席にいて「神札を受けるように」と勧めた堀前法主は昭和三十二年まで生き長らえて、九十二歳で大往生を遂げている。そして堀前法主の密葬の参列した池田大作は、日記に「九十一年のご生涯感無量。厳然たる仏法の実証」(「若き日の日記」から)と記している。つまり、鈴木法主には罰が当たり堀前法主には当たらなかったという大変矛盾したこととなったのである。これは、学会の神札を祭ると罰が当たるなどという主張が誤りである何よりの証左である。

 

創価学会の神社不拝論は日蓮の主張に背くものであり、牧口初代会長の意思に反するものである。また、神札を祭ることを拒否するなどということは、「敬神崇祖」の我が国伝統精神を根本から否定する邪悪な行動であると共に、日蓮の神祇思想にも反する行為である。

 

 小生が創価學會を批判する最も大きな理由は、學會が日蓮正宗第二祖・白蓮阿闍梨日興(日蓮の弟子・大石寺の開山)以来の『神天上の法門』を標榜して「日蓮の教えが広まっていない日本には神はおらず神社には悪鬼邪神がすみついているから神社に参拝したり神札を拝むと罰があたる」などと言って神社神道を否定するのみならず會員に神社参拝を禁止しているからである。

 

 しかるに今日の創價學會は、日蓮および初代會長牧口常三郎の意思を無視して、神社参拝を否定し、日本國の伝統精神・日本人の中核精神たる『敬神崇祖』を否定している。日本伝統信仰たる神社神道を否定するということは、日本という三千年の歴史を有する國の根幹たる<天皇を中心とした信仰共同體精神>を根底から破壊することである。

 

 日本國は、天皇を中心とした信仰共同體である。天皇は天照大神をはじめとした天神地祇を祭りたもう祭り主であらせられる。そして一億國民等しく、神を崇め祖靈を尊ぶ精神を大切にしている。これが日本國存立の根幹なのである。また、「遠い先祖は神様、近い先祖は仏様」という言葉もある通り、神仏を等しく崇めてきた。一軒の家に神棚と仏壇が共存し、朝起きたら神棚に柏手を打ち仏壇を拝むというのが日本人の一般的な美風である。結婚式や七五三などのおめでた事は神式で行い、お葬式などのお悔みごとは仏式で行うのが一般的である。創價學會はこうした日本國の寛容にして大らかな宗教風土を否定しいいるのである。

 

 創價學會公明党が「日蓮大聖人直結・御書根本」と言うのなら、日蓮および牧口常三郎氏の國體観・天皇信仰・神祇信仰に回帰すべきである。

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