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2017年6月 7日 (水)

ベルジャーエフの「平和論」と「現行占領憲法」

ニコライ・ベルジャーエフ(注・ロシアの哲学者。マルキストであったが、ロシア革命を経て転向し、反共産主義者となる。神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。十月革命後にパリに亡命。1874-1948)は次のように論じている。

 

「戦争を大なる悪、大なる罪として弾劾せざるをえないにしても、別な極端に堕して断然抽象的な平和主義に懸命になることはいましめなければならない。われわれの世界が現存しているこの悪の状態においては、戦争はより小なる罪禍である得る。帝国主義的征服戦争、圧制戦争が絶対的に悪いにしても、解放戦争、自衛戦争はたんに義認されるのみでなく神聖とみなされる。…忍耐は一美徳ではある。しかし忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうるわけである。…戦争の完全放棄は、人間社会の精神状況の変化と社会秩序の改革の結果としてのみ可能である」(『神と人間の実存的弁証法』)

 

この主張は、『現行占領憲法』の「似非平和主義」への批判になっていると思う。

 

『現行占領憲法』前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章こそ「極端に堕した断然抽象的な平和主義」である。

 

今日の国際社会は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」などということはない。「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して」いる。

 

現実を無視した『現行占領憲法』の「似非平和主義」はまさにベルジャーエフの云う通り、「忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうる」のである。『現行占領憲法』の「似非平和主義」は悪徳の思想である。

 

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて」などということとは全く逆のこと、即ち「戦争を好み、専制と隷従、圧迫と偏狭」を自国民そして隣国に強い、「帝国主義的征服戦争、圧制戦争」を行う危険がある共産支那・北朝鮮を「近隣国家」に持つわが国は、義認されるのみでなく神聖とみなされる自衛戦争を行う権利があるである。わが国の憲法にはそのことが正しく書かれていなければならない。

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