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2017年6月11日 (日)

勅撰和歌集編纂は文藝の面での国風文化再興の到達点

 

奈良時代から平安初期にかけて唐風文化・漢文学が隆盛を誇ってゐたが、その後唐風文化を摂取しながらも日本の風土や生活感情を重視する国風文化が再興して来た。

 

文藝の面での国風文化再興が『萬葉集』への関心の高まりであった。その到達点が『古今和歌集』などの勅撰和歌集の編纂である。『古今和歌集』も最初は『續萬葉集』と呼ばれてゐた。

 

「勅撰和歌集」編纂は、国家行事、天皇の国家統治の主要な柱として行はれた。中古・中世の日本文藝史の中核に位置するのが「勅撰和歌集」である。

 

「勅撰和歌集」とは、天皇や上皇または法皇の命により、和歌を蒐集し、奏覧(天子に奏上して御覧に入れること)を経て公にされた和歌集のことである。基本的に編纂時の時代の和歌の秀作が、その時代のすぐれた歌人によって選択蒐集され編纂されたもので、編纂時の和歌の世界の秀歌集とされる。

 

宇多天皇の第一皇子・醍醐天皇の勅宣による『古今和歌集』(延喜五年【九〇五】成立)が最初で、『新続古今和歌集』(永享十一年【一四三九】成立)までの五三四年間に、『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』『続(しょく)後撰和歌集』『続古今和歌集』『続拾遺和歌集』『新後撰和歌集』『玉葉和歌集』『続千載和歌集』『続後拾遺和歌集』『風雅和歌集』『新千載和歌集』『新拾遺和歌集』『新後拾遺和歌集』『新続古今和歌集』といふ二十一の勅撰和歌集があり、総称して「二十一代集」といふ。このほかに南朝で編纂された『新葉和歌集』を準勅撰集とする。尚、『萬葉集』も勅撰和歌集とする説もある。

 

「勅撰和歌集」の基本的性格は、その序文に示される。最初の勅撰和歌集・『古今和歌集』の序文には次のやうに書かれてゐる。「今すべらぎの天の下しろしめすこと四つの時、九のかへりになむなりぬる。あまねき御うつくしみの浪 八洲のほかまで流れ ひろき御めぐみのかげ 筑波山の麓よりもしげくおはしまして よろづのまつりごとをきこしめすいとま もろもろの事を捨てたまはぬあまりに いにしへのことをも忘れじ 古りにしことをも興したまふとて 今もみそなはし、後の世にも伝はれとて…」(今上陛下が、天下を統治され始めてから、四季が巡ることは九回を数へました。至らぬところなき御慈しみの波は、日本の島々の外にまで流れ、広い御恵みの陰は筑波山の麓にゐるよりも頻りでござゐます。多くの政治を執られるおひまをさいて、色々なことをお捨てにならない結果、古いことも再興しやうと、今もご覧になり、後世に伝へやうとて…)と記されてゐる。

 

醍醐天皇の御世が九年に及び、天皇の仁慈が広く天下に満ち満ちた時に、古き良き事を再興し、さらに後世に伝へやうといふ目的で、『古今和歌集』が編纂されたといふことである。他の勅撰和歌集もその基本的性格は同じである。

 

阿部正路氏は、「『今すべらぎの天の下しろしめすこと』が大切にされている…紀貫之がかかわった『新撰和歌集』や藤原清輔がかかわった『續詞花集』は、撰上される前に主上が崩御されたために勅撰和歌集とならなかった事実は、勅撰和歌集成立の絶対条件として『今すべらぎの天の下しろしめすこと』が欠かすことのできないものであることを物語る。今皇の御意志こそは、勅撰和歌集成立の最大の要件なのである」(『和歌文学発生史論』)と論じてゐる。

 

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させる事が必要である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまとうた」の復活によって実現すると信ずる。やまと歌・言霊の復活が大切である。今日においてまさに「国風文化」が復興しなければならない。今の時代に於いてこそ、特に「勅撰和歌集」が撰上されるべきと考える。

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