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2017年6月30日 (金)

この頃詠みし歌

 

 

あれほどに明るく健やかなりし母 誤嚥が死をば招きし悔しさ

 

もっともっと多くのことを語らひて父母と過ごせば良かりしものを

 

父母の写真仰ぎ見て今日の生活が終らんとする静かなる時

 

父母(ちちはは)はわが誦する般若心経 心安らかに聴きてをはすか

 

長き日々ベッドに横たはりゐし父母(ちちはは)を思へば悲しみ甦り来る

 

            〇

 

机の中の要らない物を捨てにつつ過ぎ去りし日々を思ひ出しをり

 

昨日も今日もうまき牛肉食しつつ ダイエットといふ言葉かみしめる

 

醜き顔のをみながが怒鳴り声あげる国会審議見るにうとまし

 

みっともない顔をさらすなとがなり立てる女性議員を見つつ思へり

 

子を持たぬ我故なほに街で会ふ幼児(をさなご)たちをいとしと思ふ

 

シュプレヒコールがなり立てゐる人々を避けて歩めり議員会館前

 

路地を歩みあじさいの花に出逢ひたり今日のひと日の喜びとして

 

激しき言葉発する時はわが口より火焔吹き出でるごとくに思ふ

 

原稿を書き終へしばしくつろげる夜は静かに更けてゆくなり

 

下駄履きて街を歩けば身は軽く心も軽く思ほゆるかな

 

ものを書くといふ言葉は使ひ得ず ただ一日をキー叩きゐる

 

頭上より雀の鳴き声聞こえ来て命あるものの尊さを知る

 

金色の大日如来と白色の観音像の並び立つ仏壇の前に幸を祈れり

 

吸殻のたまりたる灰皿を見つめつつ今日のひと日を顧みるなり

 

本に挟まれし写し絵を見て遠き日に元気でゐたる友を偲べり

 

日々(にちにち)の暮らしに悔いが多ければ昇り来る太陽に身をさらすなり

 

佳き友に囲まれて語るこの夕べ梅雨の日ながらさやかなるかな

 

三十一文字(みそひともじ)に我の心を訴へて止まぬ日日(にちにち)力新たなり

 

逢ひ得ざりし人の短歌を讀みにつつ遥か吉野の山河を思ふ

 

朝刊がポストに入れられる音を聞き今日の仕事は終はらむとする

 

時を惜しみ仕事してをればあせるなともう一人の自分が言ひ聞かせゐる

 

あまりにも激しき感情を持つ時は詠まんとすれど歌にはならず

 

迷ひ迷ひてたどり着きたる店に入り冷たきビールを呑み干しにけリ

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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2017年6月29日 (木)

千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆の準備。

午後四時より、六本木の国際文化会館にて、百地章国士舘大学特任教授にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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日本傳統信仰は自然の中に神の命を拝む心・祖靈を尊ぶ心

日本人は自然に対立せず、自然と共に生きて来た。自然と共に生きるとは、自然の命と人の命を連続したものと見ることであり、自然は神から生まれたという信仰、つまり自然の中に神を見る信仰から出てくる精神である。

 

わが國の神は「天津神、國津神、八百萬の神」と言われる。天地自然の尊い命であり、先祖の御靈である。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし、自然の中に神の命を拝む心と、祖先を尊ぶ心である。日本傳統信仰は、日本人の農耕生活の中から自然に生まれた信仰で、天神地祇崇拝(祖先の靈と自然に宿る神を尊ぶ心)を基本とする。それは古代日本の稲作生活から発した大自然と人間の共生の精神でもある。

 

日本人は、自然の摂理に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えない。人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも「神社の森」「鎮守の森」がその原点である。わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな「神社の森」「鎮守の森」を大切に護って来た。それは「鎮守の森」には、神が天降り、神の靈が宿ると信じて来たからである。「鎮守の森」ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きており、秀麗な山には神が天降り、神の靈が宿っていると信じて来た。

 

天皇の御祖先である邇邇藝命は高千穂の峰に天降られた。そして、富士山・三輪山・大和三山・出羽三山・木曾山など多くの山々は神の山と仰がれ今日に至っている。

 

さらに、海の彼方にも理想の國・麗しい國があると信じた。それが、海神(わたつみ)信仰・龍宮信仰である。海は創造の本源世界として憧憬され崇められた。

わが國傳統信仰は、自然の中に生きる神の命と人間の命とが一體となって結ばれる信仰である。それと共に自分たちの祖先の靈を崇め感謝し奉る信仰である。これを「敬神崇祖」といふ。

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2017年6月28日 (水)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 七月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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道義精神の基本は「教育勅語」に示されている

 

 「教育勅語」に、「爾臣民、父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、學を修め業を、習ひ、以て智能を啓發し徳器を成就し、進で公益を廣め世務を開き、常に國憲を重じ國法に遵ひ、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし」と示されている。

 

 「教育勅語」は、明治二十三年十月三十日に渙発以来、国民道徳の基本として学校教育をその根本から支えてきた。その内容は、教育の根源から説き起こされ、わが国国民の踏み行うべき徳目が示されている。

 

 しかるに、昭和二十三年六月十九日に、日本弱体化・伝統抹殺を目的としたアメリカ占領軍総司令部の隷従下にあった衆議院と参議院で「排除」と「失効」を議決してから、学校で勅語を学習する機会は失われた。

 

 「教育勅語」には、「我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に、徳を樹つること深厚なり」と示されている。わが国は悠久の昔の建国以来、道義を基本とした国家であると仰せになっているのである。

 

 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし」という御精神は、他国による侵略や内乱、自然災害が起こった場合、一身を挺して国家公共のために奮励努力することは、最高の道義であり道徳であり国民の務めであるということであり、「教育勅語」に示された徳目は、「天地と共に永遠に続く天皇中心の國體を護持し奉ること」に集約されるのである。

 

 永遠に保持されなければならない国家の平和と国民の幸福は、天皇を中心とする神の国」という肇国以来の國體を護持することによって実現するのである。

 

 近代日本は、「教育勅語」の御精神を基本とした道義国家を形成してきた。この精神によって教育を受けた日本国民は、多くの苦難を乗り越え、近代日本を建設し、アジア解放・祖国の自存自衛の戦いを戦い抜き、さらに戦後の経済復興を為し遂げた。

 

 戦前世代の人々はこの「教育勅語」を根本とする道義教育を受けてきたのである。わが国は、大東亜戦争敗北後、奇跡といわれる経済復興を遂げた。「教育勅語」の教育を受け、日本の伝統的倫理精神をたたき込まれて育った明治・大正・昭和初期生まれの人々が復興の担い手となった。 

 

 「一旦緩急あれば義勇公に奉ずる」という、日本国民の道義精神を実践し、国のために一身を捧げられた方々が、靖国神社及び各県の護国神社に祭られている護国の英霊である。護国の英霊・靖国の忠霊への国家祭祀が行われていない現状は、まさにわが国道義頽廃の原因といっても過言ではない。

 

『教育勅語』が日本国民に大きな感化をもたらしたか、計り知れないものがある。マルクス主義経済学者河上肇ですらその代表的著作『貧乏物語』において、「人間としての理想的生活とは、…自分の肉体的生活、知能的生活及び道徳的生活の向上発展を計り、…進んでは自分以外の他の人々の肉体的生活、知能的生活及び道徳的生活の向上発展を計るがための生活、すなわちそれである。さらにそれをば教育勅語中にあることばを拝借して申すさば、われわれがこの肉体の健康を維持し,『知能を啓発し、徳器を成就し』、進んでは『公益を弘め、世務を開く』ための生活、それがわれわれの理想的生活というものである」と論じた。

 

 しかも明治天皇は、『教育勅語』に示された徳目を、臣民にだけ行じさせやうとされたのではない。『教育勅語』には、「朕爾臣民ト共ニ拳拳服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ」と示されてゐる。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、諸事。

午後は、母がお世話になった施設の方が来宅。打合せ、意見交換。

この後、原稿執筆・資料の整理・『伝統と革新』編集の仕事。。

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2017年6月27日 (火)

天皇國日本の比類なき特質について

 

 日本は古代からの信仰共同體が今日も続いている。祭祀國家日本の祭り主である日本天皇は、常に國民の幸福を祈る祭り主であらせられるから、國民と相対立する存在ではないし、日本天皇は國民を力によって支配し隷従せしめるご存在ではない。國民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を國民に示し、また國民の意志を神に申し上げ、國民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇である。つまり君主と民は「和」と「共同」の関係にあるのであり、「対立関係」ではない。こうした天皇中心の日本の國柄を「君民一體の日本國體」というのである。

 

 このような日本の國柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。ところが外國では、太古の王家も古代國家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた國家は権力國家であり、その後に現れた信仰は教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同體が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同體を奪われ祭りを喪失した人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力國家・武力支配國家を形成した。

 

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同體國家が、外國からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の國なのである。皇室祭祀だけでなく、全國各地で一般國民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 

 日本は、天皇を信仰的文化的中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。近代日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた。しかし、日本は欧米文化文明を受容し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥に不動の核があった。それが日本天皇である。

 

 そして今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、君主と仰ぎ、國家と民族の統一の中心として仰いでいる。こうした事実が、西洋諸國やシナと日本國との決定的違いである。

 

 わが國が、長い歴史を通して様々な変化や混乱などを経験しつつも國が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同體精神があったからである。日本という國は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な國でありながら、激しい変革を繰り返して来た國なのである。その不動の核が天皇である。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家の本質が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。『伝統と革新』編集の仕事。資料の整理など。

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2017年6月26日 (月)

天皇の祭祀と維新

 

 神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 

 人は、神から生まれ、神に生かされ、神と離れた存在ではなく、神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

 混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の傳統的な信仰である。

 

 「維新」とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 

 國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿とは、今此処に、日本人の本来の生活と信仰とを戻すことである。

 

 今日唯今も実際に全國各地で毎日のように行われている禊と祭祀は信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 

 日本傳統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は担っているのである。日本傳統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。これが「八紘為宇の精神」である。

 

 現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

 

 そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本傳統文化へと回帰しなければならない。

 

 自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神が、世界の真の平和を作り出すであろう。

 

 日本傳統信仰は、大自然を尊ぶ。それは、大自然から、人生を学び、生き方を学び、國の平和と人の幸福の道を学ぶ心である。山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の御子)」であり「日女(日の神の姫御子)」なのである。

 

 日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと考えた。人も國土も神から生まれた、神が生みたもうたと考える日本民族の信仰は、神が人間と自然を造ったと考える西洋一神教の創造説とは全く異なる。神と人間と自然とは対立し矛盾した存在ではなく、調和し、融和し、一體の存在であると考える。こうした精神は排他独善の精神ではない。あらゆるものから学ぶべきものは学ぶのである。だからわが國は古来外来の文化を大らかに包容摂取してきた。

 

 闘争戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそこの日本建國の精神が大きな役割を果たすと考える。一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統精神が、世界を救い、統合し融和して調和するのである。

 

 自由自在にして大らかなる日本傳統精神は、教条的で固定的な西洋思想・文化・文明に訂正と活性化を与える。

 

真に日本を改革するためには、今こそ、天皇を変革の中核する「維新」即ち日本傳統精神・國體精神を勃興せしめ、それに基づく変革が断行されなければならない。

 

 天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。 

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時より、春日の文京区民センターにて。『日本の心を学ぶ会』開催。林大悟氏が司会。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が「天皇の国家統治とやまと歌」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年6月25日 (日)

『占領憲法』の「前文」及び第九条を残したままの「憲法改正」は「改正」ではなく「改悪」である

『現行占領憲法』第九条を素直に讀めば、「自衛のためであろうと戦争は行わない」「一切の戦力・陸海空軍は持たない」といふ意味であることは明白だ。この第九条がある限り誰が見ても陸海空軍である自衛隊は「陸海空軍」と見做されないのである。「交戦権」を否定されてゐるのに事実上「陸海空軍」があるというふのは全くの欺瞞である。

 

したがって、「現行憲法」がある限り、自衛隊は憲法上軍として認知されず、何時までも誰かが言った「違憲合法」といふ絶対矛盾の存在であり続けなければならない。つまり國防に関してはわが國は法治國家ではないのである。こんな憲法は根底から否定されなければならない。

 

正々堂々「国家防衛」「国軍保持」を憲法に規定すべきである。自衛隊を國軍として正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に憲法に規定すべきである

 

自民党の「改憲草案」には「第9条の2(国防軍)1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」と書かれ、『国防軍』が明記されてゐる。

 

今回の安倍総理のメッセージ・発言は現在の政治情勢下において一日も早く「憲法」に「国家防衛の實力組織」を明文化しようとの意思に基づく已むを得ざる選択であったらう。また「加憲」を主張する公明党に賛成してもらいたいための発言であらう。安倍総理の本心は「自主憲法制定」であると信ずる。であればこそ、正道を堂々と歩んで欲しいのである。

 

安倍総理の『現行憲法』の第九条をそのままにして、「自衛隊を「憲法」に明記すると言ふ主張は、一日も早く「自衛隊違憲論」の根拠をなくすための窮余の一策なのだらうが、このやうな欺瞞的「加憲」を行ふべきではない。

 

安倍氏は「政治は現実であり、結果を出していくことが求められる。党の改正草案にこだわるべきではない」と主張しているが、「結果を出していく」ことにこだわるあまり、「原則」を全くなおざりにするのは間違いであり、将来に大きな禍根を残す。

『占領憲法』の「前文」及び第九条を残したままの「憲法改正」は「改正」ではなく、「改悪」である。

『占領憲法』に如何に亡国的なことが書かれてゐても、「現行憲法は戦勝国が無理矢野押しつけたものであり、正統なる憲法ではない」として全面的に否定する事かできた。しかし、詫び証文である「前文」そして第九条の第一項第二項をそのままにして『憲法改正』を行ふと、この「詫び証文」及び「亡国条項」がアメリカの押しつけではなく、「国民の意志」になる。これこそまさに亡国への道である。「憲法守って國滅ぶ」といふ言葉がまさに現実のものとなるのである。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、諸事。

午後は、『政治文化情報』発送作業。発送完了。

この後、明日行う講演の準備、書状執筆、原稿執筆。

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2017年6月24日 (土)

天皇・皇室と和歌

和歌は伝統の継承と創造とは一体である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として学ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち伝統と創造が一体になってゐる。ここに和歌文学の特質がある。日本人は伝統の継承から創造を学んだ。和歌はその典型である。伝統と創造が渾然一体となっているのが和歌である。

これは、皇位継承・伊勢の神宮御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれることによって、新しき肉体であらせられながら邇邇藝命以来の皇統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神霊は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

伝統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが国の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他国には見られないわが日本の特質である。わが國の國體は万邦無比である。

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが国に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

天皇の国家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の国家御統治と一体である。天皇国家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給うために実に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の国家統治は和歌とは切り離し難く一体である。天皇の国家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって国民と国土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって国民と国土を統治されるのである。

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも国をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまひことを国家統治の基本とされたといふことである。

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を読むことによって可能となる。

中河与一氏は「和歌が国風(註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、諸事。

午後は、西新宿の損保ジャパン日本興亜美術館にて開催中の『フランス絵画の宝庫 ランス美術館展』参観。

帰宅後は、明後日開かれる『日本に心を学ぶ会』における講演の準備、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆。

 

六月二十三日に参観した西新宿の損保ジャパン日本興亜美術館にて開催された『フランス絵画の宝庫 ランス美術館展』は、フランス北東部シャンパーニュ地方にある、ランス美術館のコレクションをご紹介する展覧会です。ランス美術館は、歴代のフランス国王が戴冠式を行った大聖堂で知られる古都ランス市に位置し、初期ルネサンスから現代まで、幅広いコレクションを有しています。本展覧会はランス美術館の所蔵作品から、17世紀から20世紀まで、選び抜かれた作品約70点を展示、華麗なるフランス絵画の歴史をたどります。また、ランス市に縁の深い日本出身の画家レオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品群も併せて展示します」との趣旨(案内書)で開催された。

 

レオナール・フジタ《聖母マリア》《『平和の聖母礼拝堂』フレスコ画のための素描》 

 

作者不明(フランス)《ルイ15世の娘、アデライード夫人の肖像(と思われる)》

 

ジャック=ルイ・ダヴィッド《マラーの死》

 

ウジェーヌ・ドラクロア《ボロニウスの亡骸を前にするハムレット》

 

ポール・ゴーギャン《バラと彫像》《アリスカンの並木道》

 

カミ―ユ・ピサロ《オペラ座通り、テアトル・フランセ広場》

 

フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ《ひまわり》

 

 

 

などを参観。レオナール・フジタ(藤田嗣治)が好きなので見に行ったのだが、他の作品も見ごたえがあった。美しい絵画の典型である。

 

レオナール・フジタは晩年ランスにノートルダム・ド・ラ・ペ礼拝堂を建立して内壁を飾り、死後この礼拝堂に夫人とともに埋葬されている。そして、フジタの旧蔵作品や資料など2千点余りがランス美術館に寄贈された。1920-30年代の作品もあるが、大半は戦後、それも最晩年の礼拝堂を飾る壁画のための素描や習作である。展示されている作品には宗教的崇高さはあまり感じられなかったが、迫力のある作品であった。黒人の聖母マリア像というは大変に珍しかった。マリアの周りに子供達が描かれているのだが、誰一人笑顔を見せていない。フジタは晩年子供を描いた作品が多いが、笑っている子供はいない。不思議なことである。フジタの孤独感の表れであろうか。

 

フジタは、1955年にフランス国籍を取得、1957年フランス政府からはレジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を贈られ、1959年にはカトリックの洗礼を受けて藤田嗣治からレオナール・フジタとなった。没後、わが國政府からも勲一等瑞宝章を追贈された。

 

何故、フランスに帰化し、カソリック教徒になったのか。戦時中戦争画を数多く描いたことから、非難がフジタに集中したことが原因かと言われている。藤田嗣治は、私が御指導を受けた作家の中河与一氏とは、深い交流があり、藤田がフランスに行った後も続いた。中河氏も、戦時中戦争に協力したということで文壇から事実上追放された。藤田・中河両氏とも戦後、画壇・文壇に巣食っていた左翼勢力の生贄になったと言える。しかし二人の芸術家・作家としての業績は不滅である。

 

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2017年6月23日 (金)

今日思ったこと

豊田真由子議員の事で大騒ぎですが、自民党の河村元官房長官は 「かわいそうだ。男性の衆院議員なら、あんなのはいっぱいいる。気持ちは分かる」と語りました。

 

私も国会や都議会に行くことがありますが、驚くのは、議員の地元支持者やメディア関係の人々に対する態度と、秘書・役人に対する態度が全く異なる議員が多いことです。「ジキル博士とハイド氏」と言ってもいいくらいの議員もいます。

 

表沙汰にならないだけで、秘書に暴力をふるう人もいると思います。暴力は振るわないまでも、暴言を浴びせたり、ねちねち苛めたりする人もいるようです。それは一般社会と同じであります。

 

桜蔭といえば私立女子高では最高レベル、東大法科はエリート中のエリートと言われています。どんな高等教育を受けても、人としての最低の倫理感覺・常識をわきまえない人がいるようであります。

 

 

 

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2017年6月22日 (木)

祭政一致について

 最近の日本は誤れる「民主主義思想・人権思想」によって人と國家の神聖性・道義性を隠蔽してきた。人間の尊厳性はその人間の生活する國家の尊厳性と不離一体の関係にある。國家をあしざまに罵り続け、天皇の神聖性を隠蔽し、自分さえ良ければいいという観念が横溢したところに、今日の日本の頽廃と混迷の根本原因があると考える。 

 

日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

 

わが國古代においては、祭祀と政治は一體であった。だから祭祀も政治も「まつりごと」という。祭祀とは、五穀の豊饒と國民の幸福を神に祈る行事である。政治とは、規則と制度と行政によって國民の幸福を実現することである。祭祀と政治は本来その目的は一つである。これを「祭政一致」というのである。

 

「祭祀」が「政治」と一體であるのは古代からの伝統である。祭祀によって國家國民の平和と繁栄を祈ることと、具體的な施策や制度(すなわち政治)によって國家國民の平和と繁栄を実現することとは、分かち難く一體であった。

 

 祭祀とは、己をむなしくして神に仕えまつる行事である。ゆえに、日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神にまつろい奉る御方であり、神のみ心を伺い、それを民に示される御方であり、民の願いを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。天皇は神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方である。だから民から天皇を仰ぐときには、この世に生きたもう神すなわち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

 「無私」が祭祀の本質であるから、神のみ心のままの政治、私を無くした政治、これが祭政一致であり、天皇の日本國家統治の本質である。だから、日本國はその長い歴史において、覇者同士による多くの競争が行われ戦いがあったが、「無私」の御存在であられる天皇は、唯一神聖不可侵な御存在として絶対的な御位におられ続けた。

 

 武力によるいかなる覇者も、天皇の「信任」を得ることによってその地位の正統性を得ることができた。天皇を廃して自らが日本國の最高君主になることはなかった。徳川幕藩體制下では、行政権・司法権ともに幕府が掌握していたが、祭祀を根本にした日本國の君主すなわち最高の統治者としての権威は天皇にあった。

 

 これは現代においても同じである。今日の日本の政治制度も、國会において多数を制した勢力の長が与党として内閣を組織するが、彼らは天皇の「信任」を得ることによってはじめて「内閣総理大臣」以下大臣としての地位につき國務を執行することができるのである。 

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。日曜に開かれる『日本の心を学ぶ会』における講演準備。原稿執筆。

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わが國の伝統的倫理観念・國家観の興起が緊急の課題

 

 人間が本然的に持っている相互扶助の精神が発達拡大することにより國家が成立する。國家とは、人と人とがお互いに協力して生活していく共同体であるという本質を忘却し、國家を搾取機構・権力機構としてのみとらえれば、「國を愛する」とか「國に忠誠を尽くす」などという心は起こらない。まして生命を懸けて國を守ろうなどという気は起こらない。 

 

 また、個人の生活が、物質的・経済的条件のみで成り立っているのではなく、精神的信仰的道義的価値が無くしては成り立たないのと同様に、國家もまた決して経済的・物質的・政治権力的機構ではない。精神的・信仰的・道義的共同体である

 

國民の自由と民主的な政治の根底には、それを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、わが國民は、戦後日本のいわゆる民主化が進行する過程において、伝統的権威や慣習に制約されることが少なくなった。それだけに、一層自己を統制することが必要である。

 

 戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観の稀薄な「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。

 

 わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

 

 ところが、今日の若者たちの中には浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている者がいる。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

 

 わが國は、阪神淡路大震災・東日本大震災の時、圧倒的多数の国民は、道義精神を発揮し、整然と秩序正しく行動し、お互いが助け合った。日本國はまだまだ道義精神を失ってはいないのである。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観をより一層興起せしめねばならない。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

 

 家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

 人間は伝統的な諸価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができるのである。

 

 混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を否定し、わが國の伝統的な國家観と道義精神をより興起せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、諸事。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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第七十四回日本の心を学ぶ会のお知らせ

 

第七十四回日本の心を学ぶ会

 

テーマ「天皇と和歌」

 

天皇陛下の御譲位についての特別法案が成立いたしました。

昨夏にお言葉を賜って以来続いていた御譲位の問題が一つの節目を迎えたといえます。

 

江戸時代後期の光格天皇以来、約二百年ぶりの御譲位となることもあり、天皇の御存在そして日本の國體に、国民の関心が高まったと言えます。

 

これまで、天皇及び國體に関しましては、政治権力との関係や伝統信仰の祭り主としての宗教的権威について論じられることが多かったように思えます。

 

しかし、天皇・皇室と和歌の関係も実に深いものがあります。というよりも、天皇の国家統治とやまと歌とは切り離しがたい関係にあります。

 

歴代天皇はやまと歌によって大御心お示しになりました。また、天皇はやまと歌によって國民の心をお知りなりました。つまり天皇の国家統治とやまと歌は一体であると言っても過言ではありません。それは毎年新年に行われる「歌会始」の儀を拝しても明らかであります。つまりやまと歌は、天皇の国家統治の根本にあったといえます。

 

明治天皇が「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」と詠まれ平和の願いをお示しになり

 

昭和天皇は御前会議にてこの御製を示されることで平和へ御意思を明らかにしたことは良く知られております。

 

今上陛下が被災地やかつての激戦地を訪れその思いを和歌に詠まれたのもこのような伝統によるものです。

 

御譲位についての特別法には付帯決議として女性宮家の創設を検討することがもりこまれており、今後は新しい時代の天皇と皇室について議論がされていくと思われます。

 

今回の勉強会では、やまと歌と天皇の国家統治の伝統について考えてみようと思います。

   

【日時】平成二十九年六月二十五日() 午後六時から

 

【場 所】文京区民センター 3-D会議室

東京都文京区本郷4-15-14営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分、東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

 

【講 演】「天皇と国家統治とやまと歌

講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

この告知文は主催者が作成しました。

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2017年6月20日 (火)

日本人の道義感について

日本人の道義感が失われつつある。政治家・官僚・学者など知的にも職業的にもエリートと言われる人々の基本的な道義感覚が薄れている。

 

文部事務次官をつとめた前川喜平氏は、天下り問題で、辞職を余儀なくされたことに「逆恨み」して、内部文書を暴露して官邸を攻撃した。

 

また、幼児に「教育勅語」を暗唱させるなど、一見まともな教育を行っていた学校法人「森友学園」(大阪市)が国や大阪府の補助金を不正受給したとして詐欺容疑などで家宅捜索を受けた。

 

広島県警広島中央署で証拠品の現金8572万円が盗まれた事件か起こり、未だに犯人が検挙されていない。九九パーセント内部犯行とされている。

 

官僚・政治家・警察官は「聖人君子」であるべしなどという気はない。しかし、人としての最低の矜持・道義感覚・倫理精神は持っていなければならないと思う。

 

科学技術が発達し、文明は進歩しても、人間の道義感覚がそれに伴って高くなっていない。進歩した文明、科学技術を用いて悪事を働く者が増えている。頻発するテロ、北朝鮮の暴虐などはその典型である。

 

わが國は伝統的に「明らかさ・清らかさ」が最高の美徳とされてゐた。平田篤胤は、「そもそもわが皇神のおもむきは、清浄を本として汚穢(ケガレ)を悪(キラ)」ふと論じてゐる(『玉襷』)。

 

日本人は、清いことは善いことであり、汚いことは悪いことであると考へて来た。日本人は人間の価値基準を「善悪」といふ道徳観念には置かず、「浄穢」といふ美的価値に置いたともいへるのである。日本人は、「きたない」といふことに罪を感じた。

 

故に、神道では「罪穢(つみけがれ)」と言って、道徳上・法律上の「罪」を「穢」と一緒に考へた。神道では、罪穢を祓ひ清めることが重要な行事なのである。禊祓ひをすることが神を祭る重要な前提である。身を清らかにしなければ神を迎へることはできないのである。人類の中でお風呂に入るのが好きな民族は日本民族が一番であらう。

 

実際、日本人にとって、「あいつはきたない奴だ」「やり方がきたない」と言はれることは、「あいつは悪人だ」と言はれるよりも大きな悲しみであり恥辱である。また、「あなたは善人だ」と言はれるよりも、「あなたの心は美しい」「身の処し方がきれいだ」と言はれる方に喜びを感じる。

 

 「清明心」は記紀の神代の巻特に天照大神と須佐之男命が会見されるところに多く出てくる。天照大神は須佐之男命にその心の正しく清らかなことを知りたいとおぼし召されて、「然(し)からば汝(みまし)の心の清明(あか)きことは何以(いか)にして知らまし」と仰せになられた。

 

 日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしている。清明心即ち「あかき心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。

 

天武天皇十四年(西暦六八五)に定められた冠位の制(官人の位階)では、「明位」「浄位」が上位に置かれた。御歴代の天皇の『宣命』(漢文体で書かれた詔勅に対して、宣命体で書かれた詔勅のこと。宣命体とは、体言や用言の語幹は漢字で大きく、用言の語尾や助詞などは万葉仮名で小さく書いた)には、「明」と「浄」という言葉がことにしばしば使われてゐる。

 

徳川家康や吉良上野介があまり日本人に好かれないのは、「やり方がきたない」といふイメージが定着してゐるからであらう。

 

悪人とか善人といふのは場合によって転倒する可能性がある。といふよりも、わが國の祖先は徹底的な悪人・悪魔といふ存在を考へることをしなかった。日本神話には西洋のやうな悪魔は存在しない。日本民族は本来清らかな民族なのである。

 

清明心即ち「明(あか)き心」「清き心」は仏教や儒教が輸入される以前からわが民族のあるべき心とされてきた。それは長い歴史の流れの中で自然につちかはれてきた傳統なのである。

 

この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

「清らかさを求める」とは、あることないことあげつらって、政府攻撃、与党攻撃をすることではない。今、メディアや野党のやってゐることはまさに「いじめ」である。

 

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。繰り返すが、日本人の倫理・道徳の根本は、「清明心」「正直」「誠」にある。「私」を去り「我」を没することを大切にしてゐる。

 

その無私の精神・清明心を体現されるお方が天皇であらせられる。天皇が地上における神の御代理即ち現御神であらせられるということは、天皇が無私・無我となって神を祭られる祭祀主であらせられるということである。

 

無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。故に「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

 

明治天皇は

「さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり」

「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

と詠ませられてゐる。

 

この御製の大御心こそ清明心であると拝する。「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。

 

 この日本民族の傳統的倫理観念の精髄たる「清明心」は、古代においては『宣命』(宣命体で書かれた詔勅)における「明き浄き直き心」、中古においては「もののあはれ」、中世においては「正直」、近世においては「やまとたましひ」として受け継がれてきた。これは別の言葉で言えば、「捨心無我」であり、岡潔氏の言った「日本的情緒」である。

 

忠孝精神とは、天皇と親に真心を尽くしてお仕え申し上げること

 

『黒田武士』

「皇御國(すめらみくに)の 武士(ものゝふ)は

 いかなる事をか つとむべき

 たゞ身にもてる 眞心を

 君と親とに 盡(尽)すまで」

 

この歌が日本道義精神の根本であると思う。

 

政治家に対して清廉潔白さが求められるのは、東洋においてはわが國が最も厳しい。ただしそれは、「明るくさはやかな心」の回復を目指すものでなければならない。朝日新聞などの亡国メディアそして何とか自民党政権を失墜せしめようとする野党による安倍総理及びその夫人への非難攻撃は、日本人の伝統的倫理観たる「清らかさ」「明るさ」とは全く異質である。それは政府与党を責め立ててゐる時の野党政治家のきわめて醜い顔を見れば火を見るよりも明らかであ

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』発送準備。原稿執筆。

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精神性を重視した世界観・文明観の確立と神道精神

 現実の人間生活は理論や理屈通りには行かないものである。また不条理なものである。

 人間の意思決定やものの考え方そして行動は、合理的に論証して行われるのではなく、情念的・情緒的に行われる場合が多い。学問の分野における新たなる発見や発想及び芸術の分野における新たなる創作は、自由な感性・想像力・霊感というような不条理な心理が源泉となり、偉大な業績を生み出す。その感性・想像力・霊感をどのようにして正しく統御し自制するかが問題なのである。

 

 人間は理論や理屈では死ねないし、世界は理論や理屈では動かない。学問や芸術のみならず、歴史そのもののも、人間の情念によって動いてきた。歴史の根底を支えてきた民衆は、政治思想や政治技術によっては容易に動かず、心性を揺さぶる情念によって動かされてきたし、自己の情念が美しいと感じたものに対して命を捧げてきた。己れの「美学」が死をも厭わぬ行為に駆り立てるのである。

  

 今日の人類の危機を打開するためには、合理的発想を重んじるとともに、科学技術・物質文明に偏した考え方を改めて、人間の精神性の復活・内面から発する情念の正しき統御が大事なのである。イデオロギーとしての合理主義やある一人の人の説く教義で全ての世界が説明できるという傲慢な考えを捨てて、壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないという謙虚な姿勢を持つべきである。ここに宗教の必要性が生じてくる。

 

 先進諸国の<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

 

 しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。

 

教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない。そして今日それがますます激化してきている。

 

 日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

 

 今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。これは一種の神秘思想と言っていい。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

 

 日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違いないが、全てを神や仏という絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するという考え方ではない。本居宣長の思想は極めて合理的である。

 

 日本の古代から継承されてきた伝統精神を「道」と称してきたのは、日本の伝統精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもないからである。人間の作り出した科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を否定するのである。

 

 「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

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2017年6月19日 (月)

千駄木庵日乗六月十九日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

夕刻、谷中三崎坂にて、偶然に出会った国文学者ご夫妻と懇談。二松学舎で教えを受けた懐かしい恩師のことなどが話題になる。

団子坂下にて、広報活動をしておられた自民党都議会議員・区議会議員の方々と出会う。文京区は共産党の活動は活発だが、自民党はどうも動きが鈍いように思う。二議席を三人で争う激戦が展開する。自民党を創価学会が支持するかどうかが問題。民進党にいた人は小池新党に入った。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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「現行占領憲法」の「平和と民主主義」は、『敗者の思想』『弱者の思想』である

明治維新の後、攘夷が開国となり、鹿鳴館時代を現出した。それは攘夷のための開国であった。即ちわが国は西欧列強の侵略を排除するために西洋科学技術・近代資本主義を取り入れて近代化を遂げた。日清・日露戦争に勝利し、大清帝国・ロシア帝国によるわが国に対する圧迫と属国化の危機を排除した。

 

しかしその後、西太平洋での覇権確立を目論んだアメリカは、わが国に対する敵対姿勢を明確にして、外交的・軍事的に圧迫し続けた。そして遂に大東亜戦争に突入し、わが国は敗北した。

 

大東亜戦争後、わが国は戦時中の「鬼畜米英」から大転換して「アメリカ万歳」となり、『憧れのハワイ航路』が大ヒットする国になった。変はり身が早い。これが良いことなのか。日本の柔軟性・強靭性なのか。ともかく戦後はアメリカの事実上の従属国になった。そして、「繁栄」と「平和」を謳歌して来た。

 

しかし、いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがない。その上、共産支那・北朝鮮による軍事的脅威がまます高まっている。「天は自ら助くる者を助く」といふ言葉がある。祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。

 

『元寇』の一節を記す。

 

「多々良浜辺の戎夷(えみし) /そは何 蒙古勢 /傲慢無礼もの /倶(とも)に天を戴かず/いでや進みて忠義に /鍛えし我が腕(かいな) /ここぞ国のため /日本刀を試しみん」

 

「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉がある通り、日本が今日の国難を乗り切るためには、防衛力の強化は不可欠である。対米自立・日米対等関係の樹立は、核武装と同義語である。

 

「現行占領憲法」の「平和と民主主義」は、『敗者の思想』『弱者の思想』である。國のために戦うという『強者の思想』を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たないという思想である。また、國家の独立・平和・歴史・傳統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する『弱者の思想』である。また、「戦勝国には一切お手向い致しません」という『敗者の思想』である。

 

 

共産支那は、わが国を支配下に置こうと思っているのだ。共産支那に対する警戒を怠ってはならない。というよりも、共産支那からの軍事攻撃を未然に防止するために、日本国は核武装しなければならない。国防体制強化に反対する民進・社民・共産は、事実上共産支那の手先になっているのだ。

 

支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきだ。そのためには日本国民の意識変革が必要である。

 

『現行占領憲法』の「前文」に書かれているいわゆる「平和主義」は現実無視の危険千万な思想であることが明白である。また前述したように『敗者の思想』『弱者の思想』である。

 

国防の基本に祖国に対する誇りがなければならない。東京裁判史観・自虐史観・大東亜戦争侵略論によるマインドコントロール・呪縛から脱却しなければならない。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、書状執筆、原稿執筆。

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2017年6月18日 (日)

日蓮の神祇崇拝を否定する創価学会

 自民党と連立政権を組んでいる公明党と同体異名の関係にある創價學會が日本の伝統文化・國家の存立の基本を根本から揺るがす性格を持つ宗教教団である。それは神社には悪鬼邪神が住み着いていると決めつけ、會員に対して地域の神社の参拝は勿論、伊勢神宮など日本全國の神社への参拝及び神札を拝むことを禁止しているからである。これは敬神崇祖という日本民族の伝統的な道義精神・信仰精神を根底から破壊する行為である。

 

 それではいったい、日蓮は天照大神を如何に信じていたであろうか。日蓮は、篤い神國思想の持ち主であり、天照大神をはじめとした日本の神々が永遠に日本國を守護したまうことを信じる尊皇敬神崇祖の心旺盛な僧侶であった。日蓮は次のように書いている。

 

 文永の役の翌年の建治元年(一二七五)、当時五十四歳の日蓮が、国家的危機の真最中に書いた『撰時鈔下』に、「日本国と申すは、天照大神の日天にてましますゆへなり」と書いている。

 

 そして、『神国王御書』では日本は「八万の国に超たる国」である論じ、その理由として「此の日本国は外道一人無し。其の上神は又第一天照大神、第二八幡大菩薩、第三山王等の三千餘社、晝夜に我国を護り朝夕に国家を視(みそなはし) 給ふ。其の上天照大神は内侍所と申す明鏡に浮べ影内裏に崇められ給ふ」と論じている。

 

 日蓮は「山王第一」とする天台宗の神観念を継承せず天照大神を第一の神としているのである。そして『治部房御返事』では「日本国はいみじき国にて候、神を敬ひ仏を崇(たっと)ぶ国なり」と論じている。

 

 『聖愚問答鈔』では「念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙げる所の諸仏菩薩諸天善神を礼拝雑行と名け、又之を禁ず。然るを日本は夫れ神国として、伊奘諾・伊奘再尊此国を作り、天照大神垂迹御坐(あとたれいま)して御裳濯河の流久うして今にたえず豈に此の国に生を受けて此の邪義を用ゆべきや」と述べている。

 

 さらに、『報恩鈔』では「神をば天照という。国をば日本(ひのもと)という」と書いている。

 

 『弥源太殿御返事』では「日蓮は日本国の中には安州の者なり。総じて彼の国は天照大神の住み初め給ひし国なりといへり。彼処にして日本国を探り出し給ふ、安房の国御厨なり。しかも此の国の一切衆生の慈父・慈母なり。かかるいみじき国なれば……いかなる宿習にてや候らん。日蓮また彼の国に生れたるは第一の果報なるなり」と述べでいる。

 

 このように、日蓮は神祇とりわけ天照大神への崇拝の念の厚い人で「神国思想」の持ち主であったことは明らかである。日蓮が「天照大神を拝むと罰が当たる。伊勢の神宮に参拝すると不幸になる」などという思想を抱いている人だったとしたら伊勢の皇大神宮の御厨であった安房國に生まれたことこれほど誇りにするはずがない。

 

 日本の神々が天上に上られて神社に住みたまわず神社や神札には悪鬼邪神がすみついているのであるならば、日蓮上人は文永八年(一二七一)の竜口の法難で刑場に向かう途中、何故、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の社頭で「イカニ八幡大菩薩ハマコトノ神カ…イタシオトボシメサバイソギイソギ御計ヒアルベシ」という諫言を行ったのであろうか。八幡宮には八幡神がおられず悪鬼邪神が住みついているという創價學會の主張が真実なら、日蓮上人が八幡宮に語りかけるはずがないではないか。

 

 鎌倉仏教の宗祖といわれる人々の中で日蓮上人はもっとも敬神の念の厚い人であった。創價學會が會員の神社参拝を禁止するのは、天照大神をはじめとした日本の神々へのこのような強烈な尊崇の念を持っていた日蓮の思想に背くこととなる。神社には悪鬼・邪神が棲みついているから参拝すると罰が当たるなどという創價學會の『神天上の法門』は、日本伝統信仰たる敬神崇祖の精神を否定するばかりでなく、『立正安國論』を曲解し日蓮の神祇思想に背く考え方である。

 

日蓮と牧口常三郎氏の<現御神信仰>創価学会は我が國の寛容な伝統精神とは相容れない

 日蓮はまた、『高橋入道殿御返事』で「日本國の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王なり」と論じている。

 

 日蓮は、天照大神の御神靈は天皇の御身中に常在しておられるというわが國の伝統的な<現御神信仰>を保持していたのである。

 

創價學會初代會長牧口常三郎氏は、この日蓮の<現御神信仰>を継承し、『大善生活実証録』という昭和十七年発行の書物で「吾々は日本國民として無条件で敬神崇祖しているのである。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖國神社へ参拝するのは『よくぞ國家の為に働いて下さった、有り難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって…天照大神に対し奉っても同様で、心から感謝し奉るのである。独り天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝し奉ってゐるである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。…吾々は現人神であらせられる天皇に帰一し奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することができると確信するのである」と論じている。

 

 さらに創価学会は、戦時中、日蓮正宗の当時の法主鈴木日恭と前法主堀日亨が、創価学会の牧口初代会長および戸田城聖二代会長に対して、「伊勢の神宮の神札を受けたらどうか」と諭したのは日蓮の教えに背くと激しく非難し、鈴木法主がその後焼死したのは、罰が当たったのだなどと言っている。

 

ところが同じくその席にいて「神札を受けるように」と勧めた堀前法主は昭和三十二年まで生き長らえて、九十二歳で大往生を遂げている。そして堀前法主の密葬の参列した池田大作は、日記に「九十一年のご生涯感無量。厳然たる仏法の実証」(「若き日の日記」から)と記している。つまり、鈴木法主には罰が当たり堀前法主には当たらなかったという大変矛盾したこととなったのである。これは、学会の神札を祭ると罰が当たるなどという主張が誤りである何よりの証左である。

 

創価学会の神社不拝論は日蓮の主張に背くものであり、牧口初代会長の意思に反するものである。また、神札を祭ることを拒否するなどということは、「敬神崇祖」の我が国伝統精神を根本から否定する邪悪な行動であると共に、日蓮の神祇思想にも反する行為である。

 

 小生が創価學會を批判する最も大きな理由は、學會が日蓮正宗第二祖・白蓮阿闍梨日興(日蓮の弟子・大石寺の開山)以来の『神天上の法門』を標榜して「日蓮の教えが広まっていない日本には神はおらず神社には悪鬼邪神がすみついているから神社に参拝したり神札を拝むと罰があたる」などと言って神社神道を否定するのみならず會員に神社参拝を禁止しているからである。

 

 しかるに今日の創價學會は、日蓮および初代會長牧口常三郎の意思を無視して、神社参拝を否定し、日本國の伝統精神・日本人の中核精神たる『敬神崇祖』を否定している。日本伝統信仰たる神社神道を否定するということは、日本という三千年の歴史を有する國の根幹たる<天皇を中心とした信仰共同體精神>を根底から破壊することである。

 

 日本國は、天皇を中心とした信仰共同體である。天皇は天照大神をはじめとした天神地祇を祭りたもう祭り主であらせられる。そして一億國民等しく、神を崇め祖靈を尊ぶ精神を大切にしている。これが日本國存立の根幹なのである。また、「遠い先祖は神様、近い先祖は仏様」という言葉もある通り、神仏を等しく崇めてきた。一軒の家に神棚と仏壇が共存し、朝起きたら神棚に柏手を打ち仏壇を拝むというのが日本人の一般的な美風である。結婚式や七五三などのおめでた事は神式で行い、お葬式などのお悔みごとは仏式で行うのが一般的である。創價學會はこうした日本國の寛容にして大らかな宗教風土を否定しいいるのである。

 

 創價學會公明党が「日蓮大聖人直結・御書根本」と言うのなら、日蓮および牧口常三郎氏の國體観・天皇信仰・神祇信仰に回帰すべきである。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、諸事。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。丹羽文生拓殖大学海外事情研究所准教授が「台湾蔡英文政権の対日政策―緊密化する日台関係―」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

帰宅後は、書状執筆・資料の整理・原稿執筆など。

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2017年6月17日 (土)

日本民族・日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現である

 

 一時、グローバリズムという言葉がはやり、國家とか民族を軽視あるいは否定する傾向が現れていた。しかし、世界・地球・人類に共通して存在する思想・精神は、それぞれの國家・民族固有の思想・精神として発現する。言語一つとって見てもしかりである。世界共通語などというものは本来存在しない。各民族・各國にそれぞれ特有な言語すなわち國語がある。英語が世界で通用している便利な言葉だからといって、英語だけに世界の言語が統一されることはあり得ない。

 

 一定の共同體を形成する人々に共有される言語、生活様式、倫理観を総称して「文化」というのであり、固有の文化を共有する人々のことを「民族」と言うのである。

 

 言葉は文化そのものである。國家・民族は共通の言語(國語)を使う者によって成立する。各國各民族の國語を基礎とし言葉と一體である文化は、各民族・各國家特有のものとして創造され継承されてきている。各民族・各國家の固有の文化を否定することは、世界の文化・地球の文化全體を否定することになる。

 

 和辻哲郎氏は、「人倫の實現は、個人がいきなり抽象的な人類の立場に立つことによって、なされ得るものではない。それは個人がいきなり人類語を話そうとするようなものである。人倫は常に一定の形態を持つ共同體において、すなわち家族とか民族とかの形態において、實現される。」(近代歴史哲學の先駆者)「絶對精神がただそれぞれの特殊な民族精神としてのみ働くということ、すなわち特殊的形態において己を現わすのではない普遍的精神というごときものは抽象的思想に過ぎぬ。…真の絶對者はあらゆる特殊相對をも己とするものでなくてはならない。…生ける主體的全體性が特殊的民族的となることなしに活動したことは、かつて一度もなかったし、またあり得ぬであろう。」(続日本精神史研究)と論じている。 

                            

 人間は、民族とか國家とかを離れて存在するものではない。必ず何処かの民族に属し何処かの國の國民である。抽象的な世界人類というものは存在し得ない。血統・風土・地域性・言語・歴史・傳統・文化というものを離れた人間などというものは存在し得ないからである。

 

 日本民族・日本國家・日本傳統文化は、人類の理想の日本における顕現なのである。天皇國家日本の真姿顕現こそが世界的理想國家・真の自由なる國家の建設である。日本國に日本民族として生を享けた誇りと喜びを回復しなければならない。       

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千駄木庵地日乗六月十六日

午前は、諸事。

午後は、『伝統と革新』の仕事。

午後六時より、神田三崎町にて、永年の同志二氏と懇談、意見交換。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2017年6月16日 (金)

國家を國民と対立する權力機構と考えるのは誤っている

 大分以前から、「國民」という言葉を使わず「市民」という言葉がよく使う人が多くなった。愛國心が希薄になってきた何よりの証拠である。國家とか民族よりも個人の人權の方がよっぽど大切だと考えている人も多い。戦後教育がそういうことを教えてきたのだから当然の成り行きである。

 

戦後教育において、「國家」とは英語のStateの訳語として用いられた。つまり西洋の國家觀に基づいて「國家」というものが教育されてきたのである。そして、Stateとは權力支配組織の意である。この權力支配組織としての國家からの自由を求めるのが近代民主主義であるとされてきた。 

 

 「市民」という言葉の根底には、國家と國民とが対立する関係にあるという思想がある。そういう思想を抱いている人は、「國民」という言葉は読んで字の如く「國の民」という意味であり國家の束縛を受けるように感じられるから使いたくないのであろう。國家の束縛を嫌い、國家と國民とは対立すると考えている人の言う「國家」とは權力機構・支配機構のことである。國家の中には階級対立があり、國家主權と國民の人權及び自由とは矛盾し合い、國家權力と國民とは対立し戦わねばならないとする。そしてできるだけ國家權力は制限すべきであるとする。

 

 こうした國家觀の延長線上に、マルクス・レーニン主義・共産主義の國家觀がある。共産主義者は、「權力國家」はいずれ死滅し、やがて自由で平等な理想社会を作るなどと主張した。しかし、現実には、かつてのソ連(今のロシア)や現在の共産支那、北朝鮮を見ても分かるように、共産主義者が國家權力を掌握した國家ほど國家權力が不断に増大し強大になり、國民の權利を蹂躙し自由を束縛している。それどころか、旧ソ連でも共産支那でも何千万という人々が共産党國家權力によって殺戮された。北朝鮮、カンボジアも然りだ。人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義思想が、かえって國家權力の暴虐を招いたのである。歴史の皮肉というほかはない。

 

なぜそういうことになったのか。それは西洋的な國家觀・國民觀に誤りがあるからである。とりわけ、國家を國民と対立する權力機構としてとらえ、國家が死滅することによって人間の自由・平等・幸福が実現するなどという思想は空理空論であり、根本的に誤っている。

 人間は、よほど特殊の場合を除いて、たった一人では生きるなどということはあり得ないし、不可能である。人間は、多くの人々が助け合い、いたわり合ってこそ生きて行ける。つまり人は、人間関係の中にあってこそ、人として生きて行けるのである。

 

 多くの人々が助け合って生きている場を共同體という。そうした有機的生命體としての共同體が成長発展したものが國家である。國家があってこそ人間は生きて行けるのである。人間がこの世に生きている以上共同體國家はなくてはならない存在である。

 

 個人の自由や幸福はできるだけ実現されなければならないが、人間は、道義を重んじ、他者を愛しいたわり、他者と協力する心があると共に、道義を忘れ、他者を憎み迫害し、他者と競争する心があるので、しばしば他人の自由や幸福と衝突する。その場合各自の自由や權利そして幸福の追求を調整しなければならない。その役目を果たすのが國家なのである。

 

 國家は、國民の道義心を基本として、國民同士の愛と信頼と協力を促進せしめる役割を果たすと共に、國民の道義心の忘却による、憎悪と不信と闘争を抑止する役割を担う。個の尊重とか人間の權利とか自由というものも、共同體國家の中においてこそ守られるのである。

 

 つまり、人間は共同體國家と一體であり、人間は共同體國家を離れては生存することができないのである。そしてその共同體は、人間の生活の場であり、人間は文化を創造し、言語や信仰や道義心を持つ。だから、そこに生きている人々の信仰、文化、言語、そしてその共同體が存在する場所・気候・風土によって個性ができる。ゆえに世界に個性を持った共同體國家が多数存在しているのである。

 

 したがって、國家というものを權力機構であるとか、階級支配の道具であるとして一方的にこれを否定し、死滅に追いやろうとするのは不可能である。むしろ国家の死滅を「予言」したマルクス主義を信奉する国家即ちロシア・共産支那・北朝鮮こそ、国家権力による「人民迫害」がとめどなく続いているのである。 

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・送付。『伝統と革新』の仕事。

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私宅近くに咲いていた紫陽花。

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2017年6月15日 (木)

今日思ったこと

「テロ等準備罪処罰法」がどんな法律かは、詳しくは知りません。しかし、民進党・共産党・社民党・朝日新聞・テレビ朝日が。あれほど反対しているのならきっと良い法律なのでしょう。今までの私の経験上そう言えます。

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『現行憲法』の「基本的人権の尊重」について

 絶対君主が人民の権利を奪い抑圧した西洋の歴史から生まれた天賦人権思想である。「現行憲法」の「基本的人権の尊重」の「基本的人権」とは、人間として生活するために当然に認められなければならない基本的権利のことであるという。その権利は國家に先立って人間が生まれながらにして持っているとされる。これを「天賦人権」という。そして「基本的人権」は、普遍性・不可侵性・永久性・固有性という根本的性格を持つものとされる。ゆえに、基本的人権はなにものにも優先されなければならないとされる。

 

 こうした思想は、絶対君主が人民の権利を奪い抑圧した西洋の歴史から生まれた「國家と個人は対立する権力機構である」という概念に基づく。これは國家を信仰共同体として把握する日本の國體精神とは無縁の思想である。

 

 近代西洋憲法は、人民と國家を対立するものととらえ、さらに國家権力の干渉を排除し、個人の自由を確保することを目指している。たしかに権力によって個人の自由や権利が理不尽に抑圧され蹂躙されることはあってはならない。戦前の我が國においてこれに近いことが行われたことも事実である。しかし、日本國の國家観・君民一体の國體を西洋の絶対君主支配下の体制と同様なものとしてこれを排除し否定してはならない。

 

 ところが、『現行占領憲法』の立法意思は、まさに戦前の日本というよりも建國以来の日本の伝統を否定するところにあった。これは、「戦前の我が國は國民の自由が侵害され基本的人権が蹂躙された暗黒國家であった」という思想に基づいている。そして國家と個人とは相対立するものという思想に基づいて「基本的人権の尊重」を<憲法三原理>の一つとしたのである。

 

 人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人をの尊厳性を奪うことになるのは、今日の我が國の現象を見れば明らかである。今日の日本の教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。

 

 また「個人の権利」のみを強調する『現行憲法』の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が踏み行うことが困難になってきつつある。

 

 人間は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。「人」は、自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

 

 人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。したがって共同体としての國家を敵視したり、國家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。

 

 國民意識の喪失とは歴史と伝統の喪失と同意義である。國民とは國の伝統・歴史・形・共通の規範を認識している。伝統・歴史・形・共通の規範の中で人権・自由が真に生かされる。伝統・歴史・形・共通の規範を欠いた裸の人間の権利とは欲望である。

 

 我が國は「基本的人権の尊重」という美名のもとに、自己の欲望と他者の欲望とのぶつかり合いの世の中となりつつある。人々は、快と不快だけで生き、目に見える至近の距離の世界のみで生きるようになる。「欲望こそ全て」と考える。そして教育荒廃・家庭崩壊が起こり、悪平等が花開き、凶悪犯罪が増加している。

 

 社會全体の品格、國家の品格の中に自分があり得るということ、個と共同体國家との連結を一切見ることができない。日本列島に住む人々は、動物の群れと同じにようになり、國家も人も滅び去ることとなるのである。                   

 

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、諸事。

午後二時より、永田町の参議院議員会館にて、山東昭子参院議員にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載のためなり。

いったん帰宅。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。小生が山上憶良の長歌を講義。活発な質疑応答が行われた。

終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

               ○

議員会館の前の道路で、左翼の活動家だちが宣伝活動を行っていた。数台の街宣車を停め、シュプレヒコールをがなり立てていた。通行することが困難な状態。仕方がないので議員会館に敷地内を歩くしかない。なぜこのようなことが許されるのであろうか。右翼民族派の街宣車は国会近くに近づくこともできない。左翼に許されるのは「法の下の平等」の原則に反する。おかしなことだ。

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2017年6月14日 (水)

國防が「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべし

 

 『現行占領憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは明らかに「軍備撤廃」「非武装」宣言である。

 

 この『前文』の精神に基づいて、『現行占領憲法』第九条の「國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権はこれを認めない」を読めば、この規定は、現行憲法が自衛権・國防軍の存在を否定していると解釈するのが至当である。

 

 「前項の目的」とは「國際紛争を解決する手段」のことであり、それは「侵略戦争」を意味するから、自衛のための戦力は否定していない、などという議論は、苦しい読み方であり、曲解である。

 

 『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 

 しかし、現実にわが國に存在する自衛隊を見て、「戦争をするための組織でなく、國際紛争を解決するために武力による威嚇や行使を行う組織ではなく、陸海空軍ではなく、戦力も交戦権も持っていない」などと思っている人はいない。

 

 自衛隊は立派な陸海空軍によって構成される國際紛争を解決することを目的とした軍であり、武力の行使又は威嚇を行う組織であり、戦力も交戦権も保持している。

 

 そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られている。『現行占領憲法』が如何に現実を無視しており、空文となっているかは火を見るよりも明らかである。

 

 吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べている。これが『現行占領憲法』のまともな解釈である。

 

 したがって、『現行憲法』がある限り、自衛隊は軍として認知されず、何時までも「違憲合法」という絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は真の法治國家ではない。

 

國家の独立を維持し、民族の自立を守り、平和を維持し実現するために國防力・軍事力が不可欠である。

         

 冷戦終結後、わが國を取り巻く軍事・安保情勢はかえって厳しくなった。またわが國は主権國家としてアジア及び世界の安全保障問題・平和維持に主体的に取り組み、積極的な貢献すべきである。

 

國防戦争・自衛戦争まで悪として否定し、憲法に國防が明確に規定されてないという状況を一刻も早く是正することが必要である。國軍を正しく規定し、國家には独立と安全を保つために自衛権・交戦権を有すると明確に規定した憲法にすべきである。

 

 また、國の独立と安全を守ること即ち國防は重要な國家機能である。多くの國では憲法で國民の國を守る義務を定め、また軍保有とその指揮系統を明確に規定している。國家存立の基本たる國防が、「解釈改憲」で成り立っている状況は何としても是正されるべきだ。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、諸事。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、明後日の『萬葉集』講義の準備、原稿執筆など。

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2017年6月13日 (火)

第七十四回日本の心を学ぶ会のお知らせ

 

第七十四回日本の心を学ぶ会

 

テーマ「天皇と和歌」

 

天皇陛下の御譲位についての特別法案が成立いたしました。

昨夏にお言葉を賜って以来続いていた御譲位の問題が一つの節目を迎えたといえます。

 

江戸時代後期の光格天皇以来、約二百年ぶりの御譲位となることもあり、天皇の御存在そして日本の國體に、国民の関心が高まったと言えます。

 

これまで、天皇及び國體に関しましては、政治権力との関係や伝統信仰の祭り主としての宗教的権威について論じられることが多かったように思えます。

 

しかし、天皇・皇室と和歌の関係も実に深いものがあります。というよりも、天皇の国家統治とやまと歌とは切り離しがたい関係にあります。

 

歴代天皇はやまと歌によって大御心お示しになりました。また、天皇はやまと歌によって國民の心をお知りなりました。つまり天皇の国家統治とやまと歌は一体であると言っても過言ではありません。それは毎年新年に行われる「歌会始」の儀を拝しても明らかであります。つまりやまと歌は、天皇の国家統治の根本にあったといえます。

 

明治天皇が「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」と詠まれ平和の願いをお示しになり

 

昭和天皇は御前会議にてこの御製を示されることで平和へ御意思を明らかにしたことは良く知られております。

 

今上陛下が被災地やかつての激戦地を訪れその思いを和歌に詠まれたのもこのような伝統によるものです。

 

御譲位についての特別法には付帯決議として女性宮家の創設を検討することがもりこまれており、今後は新しい時代の天皇と皇室について議論がされていくと思われます。

 

今回の勉強会では、やまと歌と天皇の国家統治の伝統について考えてみようと思います。

   

【日時】平成二十九年六月二十五日 午後六時から

 

【場 所】文京区民センター 3-D会議室

東京都文京区本郷4-15-14営三田線・大江戸線「春日駅A2出口」徒歩2分、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅4b出口」徒歩5分、東京メトロ南北線「後楽園駅6番出口」徒歩5分、JR水道橋駅東口徒歩15分都バス(都02・都02乙・上69・上60)春日駅徒歩2

 

【講 演】「天皇と国家統治とやまと歌

講師 四宮正貴氏 四宮政治文化研究所代表

 

【司会者】林大悟

 

【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(2千円くらいの予定です)

 

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

 

            〇

 

この告知文は主催者が作成しました。

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短歌の起源は素戔鳴尊の御歌

短歌の起源は素戔鳴尊の御歌

 

『古今和歌集』「仮名序」に、「人の世となりて すさのをの命よりぞ 三十文字あまり一文字はよみける すさのをの命は… 出雲の国に宮造りしたまふ時に  そのところに八色の雲の立つを見て よみたまへるなり」と記されている。

 

三十一字の短歌の始まりは、素戔鳴尊(伊邪那岐命・伊邪那美命の御子神。天照大神の弟神)の 

 

「八雲たつ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣つくる その八重垣を」

(多くの雲が立ちのぼる、その出雲の幾重もの垣に囲まれた宮殿よ。妻を中に籠もらせるために幾重もの垣を作る。その幾重もの垣に囲まれた宮殿よ)

 

であると『古今和歌集』の「仮名序」は述べているのである。

 

素戔嗚尊は高天原から出雲の國に天降られた後、八岐大蛇(やまたのおろち・身が一つで頭と尾が八つある大蛇。出雲國の斐伊川上流にいたという)を退治され、大蛇に食べられようとしていた櫛名田比売(くしなだひめ)を助けられた。その比売を妻にして共に住まはれる須賀の宮を造営された時に、雲が立ちのぼった時に詠まれた御歌である。妻を獲得した喜びを素直に力強く吐露している。「魂の訴え」という「歌」の語源そのままの歌であり、内容的にもまさに「歌の起源」である。

 

このように短歌形式は神話時代から始まっているのである。この御歌は、伝承として歌の起源とされるだけでなく、歌われた時代が実際に非常に古い形式の歌とされる。

 

中西進氏は、「(素戔鳴尊の御歌は)一句が五音・七音にととのえられ、全體も短歌形式のものなので、作られた時代がずっと後だといわれている。そのとおりであるが、しかしだからといって祖形まで否定することはできない。むしろ新しい形をもっているのは、長い間歌いつがれた証拠であって、祖形はたいそう古いものというべきである」(『神々と人間』)と論じている。

 

「やまと歌」は日本民族のまごころの調べである。人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれ)の表白であり、それが自然にある声調を生み、五七五七七の定型詩=和歌を生み出したのである。

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天の岩戸の隠れの神話について

 天照大神の天の岩戸の隠れの神話には次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。

 

 八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が御手を引いて、天照大神にお出ましいただくのである。

 

 中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(天つ神の世界)と論じておられる。

 

 日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 

 そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 

 この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。 桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。 

 

祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものであることは言うまでもない。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 

祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再び再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。決して天照大神の御心に反して無理矢理天岩戸の中から引っ張りたす、などという神話ではないのである。

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、諸事。

午後は、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、湯島にて、若き友人と懇談。

帰宅後は、明後日の「萬葉集」講義の準備など。

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2017年6月12日 (月)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が開かれております。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。 

 

日時 六月十四日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 「東京メトロ南北線 駒込駅」四番出口より徒歩一分 「JR山手線 駒込駅」(北口)より徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』

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この頃詠みし歌

 

旅はやはり一人が良いと思ひつつツアー旅行の案内書を見る

 

 

 

足腰も丈夫で口も手も良く働けば嬉しかりけり

 

 

 

毎朝毎晩鏡に向かひて諾ひぬ我はまだまだ老いてはをらず

 

 

 

張り出せる枇杷の木の新しき緑の葉命の力の強きを誇示す

 

 

 

原稿を書き終えし時に口に入れしチョコレートにわが力甦り来る

 

 

 

明るき声の天気予報を聞きにつつ「ノー天気」といふ言葉思ひ出す

 

 

 

千駄木庵主人と名乗りて四十年蕎麦屋と間違へられしことあり

 

 

 

千駄木庵日乗と名付けしわが日記 出家したのかと問はれしことあり

 

 

 

土佐の海の真青く広き美しさ 眼(まなこ)閉ずればまた浮かび来る

 

 

 

冷たくなりし母の亡骸に手を触れて悲しみの心どっと吹き出る 

 

 

 

安置されし母の亡骸に心経を誦して安らかな眠り祈れり

 

 

 

菩薩立像の白きみ姿仰ぎ見て我の心は清まるらんか

 

 

 

荒川の見ゆる施設の小部屋にて母と語らひし日々思ひ出す

 

 

 

水害が来たれば母か危ふしと思ひゐし日々も過ぎ去りにけり

 

 

 

健やかなりし母と共に歩きたる上野山の道をわれ一人行く

 

 

 

幼き日より母をいとしみて来しわれとしみじみと思ふ母逝きし後

 

 

 

夏風邪をひきし我の咳の音 蒸し暑き夜の部屋に響けり

 

 

 

さ夜中にひとりもの書く部屋内に夏風邪の咳響きけるかも

 

 

 

浮かび来て微笑む人の面影を恋ほしみにつつ一人煙草燻らす

 

 

 

まずきコーヒー飲みつつまずきケーキ食す排気ガス入り来る茶房の窓辺。

 

 

 

煙草の煙が部屋の中に漂ふを眺めることも罪悪となるか

 

 

 

母の使ひし下着が施設より届けられ捨て難くして悲しみ新た

 

 

 

わが父も母もこの世を去り行けるさみしさに耐えて今日も生き行く

 

 

 

癌を病む友どちの声が受話器より聞こえ来る時のやるせなさかな

 

 

 

何時もと変はらぬ声聞こえ来て安堵せり癌を病みたる友からの電話

 

 

 

さやかなる初夏の光に照らされて鎌倉の山の緑美し

 

 

 

今は亡き人と共に今は亡き人を訪ねし思ひ出はるか(葦津珍彦先生を野村秋介氏と共に訪ねし思ひ出)

 

 

 

國思ふ人の語らひを傍らで聞きゐし思ひ出の懐かしきかな()

 

 

 

山の麓の墓所に来たりて教へを受けし人の御霊を拝ろがみにけり(葦津珍彦先生墓所拝礼)

 

 

 

初夏の日の鎌倉の町は賑はひて多くの人らが列なして行く

 

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、書状執筆、『政治文化情報』原稿執筆など。

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2017年6月11日 (日)

勅撰和歌集編纂は文藝の面での国風文化再興の到達点

 

奈良時代から平安初期にかけて唐風文化・漢文学が隆盛を誇ってゐたが、その後唐風文化を摂取しながらも日本の風土や生活感情を重視する国風文化が再興して来た。

 

文藝の面での国風文化再興が『萬葉集』への関心の高まりであった。その到達点が『古今和歌集』などの勅撰和歌集の編纂である。『古今和歌集』も最初は『續萬葉集』と呼ばれてゐた。

 

「勅撰和歌集」編纂は、国家行事、天皇の国家統治の主要な柱として行はれた。中古・中世の日本文藝史の中核に位置するのが「勅撰和歌集」である。

 

「勅撰和歌集」とは、天皇や上皇または法皇の命により、和歌を蒐集し、奏覧(天子に奏上して御覧に入れること)を経て公にされた和歌集のことである。基本的に編纂時の時代の和歌の秀作が、その時代のすぐれた歌人によって選択蒐集され編纂されたもので、編纂時の和歌の世界の秀歌集とされる。

 

宇多天皇の第一皇子・醍醐天皇の勅宣による『古今和歌集』(延喜五年【九〇五】成立)が最初で、『新続古今和歌集』(永享十一年【一四三九】成立)までの五三四年間に、『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』『続(しょく)後撰和歌集』『続古今和歌集』『続拾遺和歌集』『新後撰和歌集』『玉葉和歌集』『続千載和歌集』『続後拾遺和歌集』『風雅和歌集』『新千載和歌集』『新拾遺和歌集』『新後拾遺和歌集』『新続古今和歌集』といふ二十一の勅撰和歌集があり、総称して「二十一代集」といふ。このほかに南朝で編纂された『新葉和歌集』を準勅撰集とする。尚、『萬葉集』も勅撰和歌集とする説もある。

 

「勅撰和歌集」の基本的性格は、その序文に示される。最初の勅撰和歌集・『古今和歌集』の序文には次のやうに書かれてゐる。「今すべらぎの天の下しろしめすこと四つの時、九のかへりになむなりぬる。あまねき御うつくしみの浪 八洲のほかまで流れ ひろき御めぐみのかげ 筑波山の麓よりもしげくおはしまして よろづのまつりごとをきこしめすいとま もろもろの事を捨てたまはぬあまりに いにしへのことをも忘れじ 古りにしことをも興したまふとて 今もみそなはし、後の世にも伝はれとて…」(今上陛下が、天下を統治され始めてから、四季が巡ることは九回を数へました。至らぬところなき御慈しみの波は、日本の島々の外にまで流れ、広い御恵みの陰は筑波山の麓にゐるよりも頻りでござゐます。多くの政治を執られるおひまをさいて、色々なことをお捨てにならない結果、古いことも再興しやうと、今もご覧になり、後世に伝へやうとて…)と記されてゐる。

 

醍醐天皇の御世が九年に及び、天皇の仁慈が広く天下に満ち満ちた時に、古き良き事を再興し、さらに後世に伝へやうといふ目的で、『古今和歌集』が編纂されたといふことである。他の勅撰和歌集もその基本的性格は同じである。

 

阿部正路氏は、「『今すべらぎの天の下しろしめすこと』が大切にされている…紀貫之がかかわった『新撰和歌集』や藤原清輔がかかわった『續詞花集』は、撰上される前に主上が崩御されたために勅撰和歌集とならなかった事実は、勅撰和歌集成立の絶対条件として『今すべらぎの天の下しろしめすこと』が欠かすことのできないものであることを物語る。今皇の御意志こそは、勅撰和歌集成立の最大の要件なのである」(『和歌文学発生史論』)と論じてゐる。

 

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させる事が必要である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまとうた」の復活によって実現すると信ずる。やまと歌・言霊の復活が大切である。今日においてまさに「国風文化」が復興しなければならない。今の時代に於いてこそ、特に「勅撰和歌集」が撰上されるべきと考える。

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千駄木庵日乗六月十日

午前、東京を出発。

午後十二時、鎌倉駅前に集合。先輩同志の方々と、佐助の葦津珍彦先生墓所に拝礼。この後、直会。そしてご長谷にあるご子息の葦津泰國氏宅にて、懇談。葦津珍彦先生の教えを受けた先輩同志の貴重にして有益なるお話を承る。

帰宅後は、『やまと新聞』連載原稿執筆・脱稿・送付。『政治文化情報』の原稿執筆。。

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2017年6月10日 (土)

辞世の歌に学ぶ

 

 この世を去るに臨み、自己の感懐を三十一文字に託して表白することは、日本古来の風儀である。これを辞世の歌という。「人の将に死せんとする、その言や善し」といわれて来た通り、人は死に臨んだ時こそ、その真心を訴え・魂の心底からの叫びを発するのである。死に望んだはそしてそれは多くの人々の共感を呼ぶ。

 

日本武尊の辞世

 

 本朝最古の辞世歌は、日本武尊の次の御歌である。

 

 嬢子(をとめ)の 床の辺(べ)に 吾( わ)が置きし その大刀はや

 

 命は東征の帰路、能煩野(のぼの・今日の三重県山中)に至って病が重くなりたまい、この歌を詠まれてお隠れになった。「乙女の床のそばに私が置いてきた太刀、その太刀よ」というほどの意。英雄にして大いなる歌人(うたびと)であられた命の辞世の歌にふさわしいロマンと勇者の世界が歌われている。文字通り「剣魂歌心」の御歌である。

 

大津皇子の辞世

 

 萬葉集に収められた辞世の歌でもっとも有名なのは、大津皇子の次の御歌である。

 

 百伝(ももづたふ)磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ

 

 天武天皇の第三皇子であられた大津皇子が、天武天皇崩御直後の朱鳥元年(六八六)、謀反の罪に問われ、死を賜った時の御歌である。「(百伝ふは枕詞)磐余の池に鳴く鴨を今日を見納めとして自分は死んで行くことであろう」というほどの意である。死に臨んでの再び見ることのできない光景に自らの全生命を集約させた歌いぶりで、詠むものに大きな感動を与える。「雲隠り」と詠んだところに、肉体は滅びても生命は永遠であるという日本人の伝統的な信仰が表れている。この信仰が「七生報国」の精神につながるのである。

 

楠木正行の辞世

 

 かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる

 

 これは、南朝の忠臣楠木正行が足利高氏の大軍を河内の四条畷に迎え撃ち、壮烈な戦死を遂げる直前、同志と共に、後醍醐天皇の吉野の御陵に参拝し、そのふもとにある如意輪堂の壁板に矢立硯で書き留めた辞世の一首で、再び生還しないという悲壮なる決定(けつじょう)を詠んだ歌である。この時正行は鬢の髪を少し切って仏殿に投げ入れ敵陣に向かったという。湊川楠公戦死の場面と、この正行最後の参内の場面とは、『太平記』の中でも最も人の心を動かし、涙をさそう段である。

 四條畷の戦いは、正平三年(一三四八)正月五日の早朝開始され、楠木勢は北進し、高師直の軍に肉迫し、師直もあわやと思われたのであったが、遂に楠木勢は力尽き、正行と舎弟正時とは立ちながら刺し違えて、同じ枕に臥したという。

 

吉田松陰の辞世

 

 幕末勤皇の志士の辞世の歌は数多い。その代表的な歌が、吉田松陰の次の歌であろう。 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

 

 安政の大獄によって幕府に捕らえられた松陰は死罪の判決を受け、安政六年(一八五九)十月二十七日、従容として斬首の刑を受けたのである。松陰先生時に歳三十。先生は獄中において「親思ふ心にまさる親心けふのおとづれ何ときくらん」「呼び出しの声まつ外に今の世に待つべきことのなかりけるかな」という歌も詠まれている。さらに松陰は、

 

 吾今国ノ為ニ死ス 死シテ君親ニ背ズ 悠々タリ天地ノ事 鑑賞明神ニアリ

 

という詩も遺した。門下生は師・松陰の死に奮い立ち、その意志を継ぐべく、覚悟も新たに激動の時代を・維新回天の聖業に邁進するのである。

 

乃木大将御夫妻の辞世

 

 明治四十五年七月三十日暁、明治天皇は、御歳六十一歳をもって崩御あそばされた。後に軍神と仰がれた乃木希典大将は、大正元年九月十二日の御大葬当日、次のような遺言を書いて殉死をとげた。「自分此度御跡ヲ追ヒ奉リ、自殺候段恐入候儀、其罪ハ不軽存候、然ル処、明治十年之役ニ於テ軍旗ヲ失ヒ、其後死処得度心掛候モ其機ヲ得ズ。皇恩ノ厚ニ浴シ今日迄過分ノ御優遇ヲ蒙追々老衰最早御役ニ立候モ無余日候折柄此度ノ御大変何共恐入候次第茲ニ覚悟相定候事ニ候」と。乃木大将は今もって西南戦争の際の軍旗喪失の責任を感じ、皇恩の厚きに感謝している。そして、次のような辞世を遺された。

 

 うつし世を神さりましし大君のみあとしたひてわれはゆくなり

 

 神あかりあかりましぬる大君のみあとはるかにおろがみまつる

 

 さらに静子夫人も、

 

 いでましてかへります日のなしときくけふの御幸に逢うふぞかなしき

 

 との辞世を遺して大将と行を共にされた。時に大将六十四歳、夫人は五十四歳であった。日本殉死史上最後の人といわれる。

 平成元年二月二十四日、昭和天皇の御大葬で、小生は二重橋前にて、轜車をお見送り申し上げたのであるが、その時乃木静子夫人の辞世の歌が思い出され、涙が溢れて止どまらなかった。轜車の御出発はまさしく「かへります日」の無い御幸の御出発であったのである。        

 

三島由紀夫・森田必勝両烈士の辞世

 

 益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾年耐へて今日の初霜

 

 散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

 

 昭和四十五年十一月二十五日午前十一時、楯の会隊長三島由紀夫氏と、隊員森田必勝氏、小賀正義氏、小川正洋氏、古賀浩靖氏の計六名は、東京市谷の自衛隊において、東部方面総監の身柄を拘束し、「自衛隊国軍化」「憲法改正」「道義建設」などを自衛隊員に訴えた。そしてその後、三島・森田両氏は壮烈な自決を遂げた。この二首はその時の三島氏の辞世の歌である。

 さらに、森田必勝氏は、

 

 今日にかけてかねて誓ひし我が胸の思ひを知るは野分のみかは

 

 という辞世を詠んだ。戦後の自決事件でこれほど大きな衝撃をもたらしたものはない。三島氏は「散るをいとふ世にも人にもさきがけて」と詠んでおられる。戦後日本は、経済至上主義・営利至上主義の道をひたすら歩み続け、欺瞞的な平和主義にとっぷりとつかってきた。肉体生命以上の価値を認めず、誤れる「生命尊重」を標榜し、無上の価値即ち国のため・大君のため・大義のために潔く散る精神精神を忘却してしまったのである。かかる状況に耐えかねた三島・森田両氏等は「今こそ生命尊重以上の価値を諸君の目に見せてやる」(檄文)と訴えたのである。

 

 現代日本は、日本武尊・大津皇子・楠木正行・吉田松陰・乃木御夫妻・三島森田両烈士の自決の精神こそ「生命尊重以上の価値」であった。「物で栄えて心で滅びる」といった状況を呈しつつある今日こそ、そうした精神に回帰すべき時である。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、原稿執筆。

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2017年6月 9日 (金)

『政治文化情報』平成二十九年六月号のお知らせ

四宮政治文化研究所発行・『政治文化情報』平成二十九年六月号のお知らせ

 

『政治文化情報』は、昭和五十九年創刊以来、小生の論考、時局問題などに関する主張、活動状況の報告、各方面から得た様々な情報などを掲載し、それなりの評価を得て来たと自負致しております。
多くの心有る皆様方のご購読をお願い申し上げます。
見本誌御希望の方はご遠慮なくメールでお申し込み下さい。

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

購読料
年間 12000
半年 6000

平成二十九年六月号(平成二十九年五月二十日発行)の内容

 

〈皇都の一隅より〉

大アジア主義について

 

明治維新と大アジア主義

 

「大西郷の精神」と「欧化主義」

 

「大攘夷」の精神と明治以後の開國・近代化

 

「夷を以て夷を制す」

 

日露戦争の意義

 

対米英戦争は「尊皇攘夷」「アジア解放」の戦ひであった

 

今日における「大アジア主義」とは

 

千駄木庵日乗

村井友秀東京國際大學教授「國内の不満を外に転嫁するために日中関係は緊張している方がいい。外敵の脅威が重大だとして國内を統一する。それが共産党統治のメカニズム」

 

高村正彦氏(衆議院議員・基調講演)「積極的平和主義は多くの國から支持されている。わが國の國益の確保を目指した積極的努力、アジア・アフリカへの日本の質の高い支援は、高い評価を得ている」

 

ジョセフ・ナイ 氏(ハーバード大學教授)「アメリカは破綻しない。アジアの将来は日米同盟がある限り楽観できる」

 

 

ヴァリ・ナッサー 氏(ジョンズ・ホプキンス大學教授)「ヨーロッパのファシズムの台頭は難民問題が影響している。國際秩序の維持のために難民の二次被害を防がねばならない」

 

岡本行夫氏(外交評論家)「ロシア・中國という新しい帝國主義の勢力が伸びて来て、新しい帝國主義の時代になっている。アメリカが動かないと中國とロシアが攻め込んでくる」

 

 

この頃詠みし歌

 

 

 

 

 

 

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天皇の祭祀と現代の救済

 

 神話とは太古の「神聖な歴史の物語」という定義がある。日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語である。言い換えると、神話とは、日本民族の「始まりの時」を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。

 

 神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の出来事は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文学・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持っている。

 

 「始まりの時」に帰ることによって現状を変革するという希望はあらゆる生命體が持っている。一人の人間として、新年を迎えた時や、春四月を迎えた時には、心機一転「初心」(始まりの時の心)に帰り新たなる気分になって仕事や勉学などに励もうとする。それと同じように、日本人一人一人およびその共同體としての國家は、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しようという希望を持つ。明治維新という國家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がそのスローガンであった。

 

 そして神話の世界は、『古事記』『日本書紀』といった記録・文献として語り伝えられると共に、儀礼・祭祀という生きた現実として継承される。太古の神聖な物語を「文献」と「行事」によって今日まで伝えているという意味で、神話という「文献」と祭祀という「儀礼」は一體である。

 

 大林太良氏は「(神話と儀礼は)分かちがたくたがひに結びついている。儀礼は神話によってその意味が明らかにされねば効力を失い、神話は儀礼によって描きだされねば不毛である」(神話学入門)と述べておられる。 「祭祀」とは、「始まりの時」に行われた行事を繰り返し行うことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓い、祝詞奏上、玉串奉奠などを行うことによって、罪けがれを祓い清めて、人としての本来の姿に立ち帰るという行事である。言い換えると、一切の私利私欲を禊祓い去って生成の根源に回帰するということである。「無私」になって神に一切を「まつろう」(従い奉る)から「まつり」というのである。

 

 そして日本神話は、天皇を祭り主とする大和朝廷による日本の祭祀的統一という歴史を背景として成立したのである。

 

 日本においては、日本神話の「神聖な歴史の物語」は、今日ただ今も<天皇の祭祀>に生きている。神話の世界で、天照大神が行われたと同じ祭祀(新嘗祭)を、今上陛下は今日も行われている。よその國では滅びてしまった「神話の世界」が、日本においては、仏教やキリスト教といった世界宗教が日本に入ってきた後もそして、近代科学技術文明が入ってきた後も、<天皇の祭祀>として今も現実に生きている。日本の國の素晴らしさはここにある。つまり<天皇の祭祀>は日本における「生きた神話」なのである。

 

 神話と祭祀とは、日本民族の固有の精神の在り方を示すものであり、日本という國の根底にある精神的道統・価値観・國家観・人間観を・文化観・宗教観を體現している。であるがゆえに、日本國家の統合・安定・継承・発展の基礎である。

 

 これまでの日本は日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきた。特に、今世紀の日本は、世界の中でめざましい変化と発展を遂げた國である。しかし、日本は進歩し発展はしたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固の保守し続けてきた。現実面の変化の奥にある不動の核があった。それが日本天皇であることはいうまでもない。

 

 天皇は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって分裂し疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

 混迷する現代日本は、よほどの変革が行われなければならない。しかし、上に天皇がいますかぎりは、この危機を見事に乗り切るための変革を断行することができる。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。

 

 今日の日本の危機を打開し救済するためには、「現代に生きる神話」すなわち<天皇の祭祀>への回帰しかないのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになる「み心」を、道義的倫理的規範として習い奉るということである。それが理想的な國家実現の基礎である。 

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆、連載原稿の校正など。

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2017年6月 8日 (木)

孝明天皇御製を拝し奉りて

孝明天皇御製

 

國の風 ふきおこしても あまつ日を もとの光に かへすをぞ待つ

 

長州藩直目付長井雅楽は、文久元年(一八六一)五月に藩主毛利慶親に提出した建言書・『航海遠略策』で次のやうに論じた。

 

「…御國體相立たず、彼が凌辱軽侮を受け候ふては、鎖も真の鎖にあらず、開も真の開に之無く、然らば開鎖の實は御國體の上に之有るべく、…鎖國と申す儀は三百年来の御掟にて、島原一乱後、別して厳重仰せつけられ候事にて、其以前は異人共内地へ滞留差し免(ゆる)され、且つ天朝御隆盛の時は、京師へ鴻臚館(註・外國使節を接待した宿舎)を建て置かれ候事もある由に候へば、全く皇國の御旧法と申すにてもこれなく候はん。伊勢神宮の御宣誓に、天日の照臨する所は皇化を布き及し賜ふ可(べ)しとの御事の由に候へば、…天日の照臨なし賜へる所は悉く知す(註・統治する)可き御事にて、鎖國など申す儀は決して神慮に相叶はず、人の子の子孫たるもの、上下となく其祖先の志を継ぎ、事を述るを以て孝と仕り候儀にて、往昔神后三韓を征伐し賜ひ(註・神功皇后が朝鮮に遠征されたこと)候も、全く神祖の思し召しを継せ賜へる御事にて、莫大の御大孝と今以て称し奉り候。……仰ぎ願はくは、神祖の思し召しを継がせ賜ひ、鎖國の叡慮思し召し替られ、皇威海外に振ひ、五大洲の貢悉く皇國へ捧げ来らずば赦さずとの御國是一旦立たせ賜はば、禍を転じて福と為し、忽ち點夷(註・小さな外國)の虚喝(註・虚勢を張った脅かし)を押へ、皇威を海外に振ひ候期も亦遠からずと存じ奉り候…」。

 

大和朝廷の頃は、外國との交際も盛んであり、太陽の照るところは全て天皇の統治される地であるといふのが日本の神の御心であるから、鎖國政策は、日本の神の御心に反しており日本の傳統ではないから転換すべきである、そして、外圧といふ禍を転じて福と為し、天皇の御稜威を世界に広めるべきであると論じてゐる。天照大御神の神威を體し鎖國を止めて、海外への発展の道を開くべしといふ、氣宇壮大な主張である。

 

鎖國は、八紘為宇のわが國建國の精神に悖るといふ正論である。この正論は明治維新の断行によって實現した。

 

この長井雅楽の文書は五月十二日に毛利慶親より三条愛(さねなる)に提出された。これをお読みになった孝明天皇は、

 

「六月二日長門藩主・毛利慶親の臣・長井雅楽を以て慶親へたまひたる」と題されて、

 

國の風ふきおこしてもあまつ日をもとの光にかへすをぞ待つ

 

との御製を賜った。孝明天皇は決して頑なな攘夷論者・鎖國論者ではあらせられなかった。わが國の主體性を確立した上での開國・海外発展・外國との和親交際は太古以来のわが國の傳統であると考へられてゐたのである。皇臣・岩倉具視も同じ考へである。岩倉が、孝明天皇を弑逆し奉ったなどといふ説は妄説である。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、諸事。

午後は、資料の整理。

夕刻、団子坂下にて、永年の同志と懇談、意見交換。

帰宅後は、原稿執筆。

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2017年6月 7日 (水)

ベルジャーエフの「平和論」と「現行占領憲法」

ニコライ・ベルジャーエフ(注・ロシアの哲学者。マルキストであったが、ロシア革命を経て転向し、反共産主義者となる。神秘主義に基づき文化や歴史の問題を論じた。十月革命後にパリに亡命。1874-1948)は次のように論じている。

 

「戦争を大なる悪、大なる罪として弾劾せざるをえないにしても、別な極端に堕して断然抽象的な平和主義に懸命になることはいましめなければならない。われわれの世界が現存しているこの悪の状態においては、戦争はより小なる罪禍である得る。帝国主義的征服戦争、圧制戦争が絶対的に悪いにしても、解放戦争、自衛戦争はたんに義認されるのみでなく神聖とみなされる。…忍耐は一美徳ではある。しかし忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうるわけである。…戦争の完全放棄は、人間社会の精神状況の変化と社会秩序の改革の結果としてのみ可能である」(『神と人間の実存的弁証法』)

 

この主張は、『現行占領憲法』の「似非平和主義」への批判になっていると思う。

 

『現行占領憲法』前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文章こそ「極端に堕した断然抽象的な平和主義」である。

 

今日の国際社会は「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる」などということはない。「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視して」いる。

 

現実を無視した『現行占領憲法』の「似非平和主義」はまさにベルジャーエフの云う通り、「忍耐がかえって悪を鼓舞することに役立つ場合には、悪徳に変わりうる」のである。『現行占領憲法』の「似非平和主義」は悪徳の思想である。

 

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めて」などということとは全く逆のこと、即ち「戦争を好み、専制と隷従、圧迫と偏狭」を自国民そして隣国に強い、「帝国主義的征服戦争、圧制戦争」を行う危険がある共産支那・北朝鮮を「近隣国家」に持つわが国は、義認されるのみでなく神聖とみなされる自衛戦争を行う権利があるである。わが国の憲法にはそのことが正しく書かれていなければならない。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、諸事。

午後二時、母に入っていた施設の係りの人来宅。事務手続き。

この後、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、原稿執筆。

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2017年6月 6日 (火)

「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」という國體に関する根本問題について権力機構が干渉したり何事かを決めてはならない

「皇位継承」「皇室典範改正」「天皇御譲位」について、「天皇・皇族から意見を聞くことは憲法に反する。象徴天皇制のいまの制度ではできない」というのが今日の通説になっているという。『現行占領憲法』第四条に、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されているのがその根拠になっている。

 

本欄において度々論じているように、「皇位継承」「皇室典範』改定」は、日本国家を体現される御方の「御位」(みくらい)に関する事柄であり他の政治問題とは全く性格を異にする。皇位継承とは、『天津日嗣の高御座』の繼承である。普通一般の国家の国家元首・権力者交代とはまったく次元を異にする。

 

故に権力機構が多数決で決めてはならない。また、『天皇のご意志を伺はなくていい』などという議論は全く間違っている。日本の傳統の根幹に関わることなのであるから、日本の傳統の体現者であらせられる天皇の御意志に添い奉るべきである。

 

内閣・国会という権力機構が決定したことを、陛下に押し付け奉ることがあってはならない。「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」という國體に関する根本問題について、「天皇御意思」を全く無視するなどということがあっていいはずがない。

 

『現行占領憲法』第四条の「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と書かれているのは、『現行憲法』上、天皇は権力者ではあらせられないということである。であるならば、天皇は、「権力の制限規範」である「成文憲法」の制約を受けられないのである。天皇は、「成文憲法」を超越した御存在である。

 

天皇は権力者ではあらせられないし、申すも畏れ多いが、天皇は権力機関ではあらせられない。したがって「皇室典範」「皇位継承」「御譲位」という國體に関する根本的事柄について、権力機関たる国会や政府が干渉したり、何事かを決めることは本来出来ないのである。

 

天皇の大御心にまつろい奉ることが日本國民の道義心の根幹である。天皇国日本存立および日本国民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と国民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇に「清らけき心」「明けき心」で随順したてまつることが、日本国永遠の隆昌の基礎であり、日本国民の倫理精神の基礎である。私心なく天皇にお仕えする心がもっとも大切である。それは、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

 

支那の有徳王君主思想は、「君主に徳がなくなり間違ったことするようになればこれを廃する」という思想である。日本の尊皇精神は、「天皇は現御神であらせられ、善悪の論を離れて絶対に尊びたてまつるべし」という至情である。これを「あかき心」(赤誠心)といふのである。「あかき心」とは私心が無い即ち無私の心である。

 

私心なく天皇にお仕えする心がもっとも大切である。それは、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

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2017年6月 5日 (月)

千駄木庵日乗六月五日

午前は、諸事。

午後は、原稿執筆。

夕刻、谷中三崎坂にて、知人と懇談。二十年間アメリカで生活していた音楽・言語学の専門家の方。白人は基本的に有色人種に差別意識を持っていること、アメリカ大陸開拓時、白人は先住民を動物を殺す如くに殺戮したことなどを語っておられた。原爆投下、東京大空襲を想起した。勉強になった。

帰宅後は、書状執筆など。

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『はじめての古美術鑑賞ー紙の装飾ー』展参観記

昨日、根津美術館にて参観した『はじめての古美術鑑賞ー紙の装飾ー』展は、「日本の古美術はなんとなく敷居が高いという声に応えて企画した『はじめての古美術鑑賞』シリーズ。二回目の今年は、『読めない』という理由から敬遠されがちな書の作品にアプローチする一つの方法として、書を書くための紙、すなわち料紙(りょうし)の装飾に注目しました。華麗な色や金銀あるいは雲母(うんも)によるさまざまな装飾技法を、当館コレクションの作品を中心にやさしく解説するとともに、絵画に取り込まれた例もご覧いただきます。この展覧会が、書の作品に親しく接する機会となり、さらにはより深い古美術鑑賞への足がかりとなれば幸いです」(案内文)との趣旨で開催された。

 

大聖武 伝聖武天皇御筆 奈良時代 8世紀

五徳義御書巻 伝後陽成天皇御筆 桃山時代 16-17世紀

尾形切 伝藤原公任筆・平安時代 

百人一首帖 智仁親王筆・江戸時代 17世紀

今城切 藤原教長筆・平安時代 12世紀

難波切 伝藤原順筆・平安時代 11世紀

相生橋図 冷泉為恭筆・江戸時代 19世紀

百人一首帖 智仁親王筆・江戸時代 17世紀

八幡切 伝飛鳥井雅有筆・鎌倉時代 13世紀む

風俗図(部分)・ 江戸時代 17世紀

 

などを鑑賞。「書蹟」が多く展示されていた。書籍特に仮名文字は判読するのに大変苦労する。崩し字・変体仮名が多く讀み難い作品が多かった。『百人一首』や『萬葉集』に収められている歌は、初句さえ読めれば何んとか分かるが、それ以外は読解するのがとても困難である。しかし大変に美しい作品ばかりであった。

 

「大聖武(おほしょうむ) 伝聖武天皇御筆」は、聖武天皇が『賢愚経』(釈迦が、比丘たちに、三業の善悪とその果報について説いてゐるお経といふ)を書写されたと伝承される作品。紙本墨書。雄渾にしてたっぷりとした堂々とした大字で書写されてゐる。長い歳月、聖武天皇の御宸筆として尊ばれてきた。

 

第四十五代・聖武天皇は、佛教への信及び佛の慈悲と加護によって災厄から國家・國民を救ひたいと念願あそばされ、天平十三年(七四一)三月に『詔』を発せられて、諸國に國分寺(金光明四天王護國寺)・國分尼寺(法華滅罪寺)を建立するように命じられた。これらの寺は、鎮護國家の祈りを全國的な規模で行おうとしたものであった。さらに、聖武天皇は、天平十五年(七四三)『盧舎那大佛造立の詔』を発せられ、鎮護國家の祈りを全國的規模で行ふ日本國の総國分寺として東大寺を建立された。深い仏教信仰を持たれた天皇であらせられる。しかし、聖武天皇は、日本伝統信仰の祭祀主・現御神としての御自覚は正しく厳然と継承あそばされてゐたことは疑うべくもない事実である。奈良の大佛=盧舎那大佛建立は、日本の傳統的な信仰精神の佛教的表現である。盧舎那大佛は、太陽神の仏教的表現であり、天照大神のお姿そのものなのである。天地生成の神である伊耶那岐命・伊耶那美命二神の御子神が、太陽神であり皇祖神であらせられる天照大御神である。天照大神は高天原の主宰神であらせられ、その「生みの御子」を日本の永遠の君主と仰いできた。

 

日本民族は太古より太陽神を崇拝してきた。これは、日本民族は本来的に太陽のような明るさ・大らかさに強い憧れを抱いていたことを証明する。広大な前方後円墳にしても、東大寺の盧舎那大佛にしても、暗さは少しもない、明るく大らかである。また威圧感もなく円満である。

 

「五徳義御書巻 伝後陽成天皇御筆」は、儒教で説く五つの徳目「仁・義・礼・智・信」の要旨が書かれた書である。江戸時代以来、後陽成天皇の宸翰とされてゐる。法書(先人の筆跡を臨書したもの)として、青蓮院流(しょうれんいんりゅう・青蓮院門跡、尊円法親王を始祖とする書の流派)の堂々たる書風である。

 

第一〇七代後陽成天皇は、近世初期の天皇であらせられ、豊臣秀吉の権力掌握と豊臣家の滅亡、そして徳川家康の天下統一の時代の上御一人であらせられる。

 

聖武天皇・後陽成天皇の宸筆はまことに以て上御一人の書として大きな気宇を感じさせていただいた。

 

根津美術館の庭園を散策。鬱蒼と茂る樹木、池、そして所々に仏像や石塔が置かれている。東武鉄道創業者である初代根津嘉一郎氏は相当深い仏教信仰の持ち主であったと思われる。江戸時代の大名ではなく、近代になってからの個人邸宅跡の庭園としてはまことに広大なものである。東京には、根津家のほか、岩崎家(三菱)、古河家(古河鉱業)、五島家(東急)など大企業グループ総帥の屋敷跡の庭園が公開されている。何故か、堤家(西武)の屋敷跡とか堤家の美術館というのがないのが不思議である。

 

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備、原稿執筆。

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2017年6月 4日 (日)

日本伝統信仰と仏教受容

 日本人は、外国からの文化・文明を自由に受容してきた。古代における仏教の受容はその典型といえる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきている。神と仏は日本人の生活の中で溶け合っている。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合している。

 

 稲作生活を基盤として生まれた日本の地域共同体には、自然を神と崇め祖霊を祭るという固有信仰が、太古以来今日までの脈々として生きてきている。日本人は「自然に宿る霊」と「祖先の霊」を八百万の神として尊崇した。そして八百万の神々に現世の幸福(五穀の豊饒・病気の治癒など)を祈するための祭りを行ってきた。

 

 そういった日本の固有信仰に仏教が融合したのである。仏教の受容については、多少の反対はあったものの、祈りの宗教として採用された。現世の幸福を仏に祈ることは、日本の神々への祭りによって現世の幸福を祈るのことと同じである。というよりも、日本人の仏教信仰の実態は日本人の固有信仰が仏教という表皮をまとって形を変えたものなのである。

 

 日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次の仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。

 

 つまり日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。

 

 日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教祭壇の形態を借りて行い、現世の幸福を祈っているのである。日本の一般庶民が仏教の深遠な教義が日本人の実生活に知識として受け容れられたということではない。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うに止どまった。

 

 そもそも、人間に対して厳しい気候風土のインドに生まれた仏教は、現世を実在とは考えず苦界と見、人間が現世から超越して解脱の境涯に入ることを理想とする宗教である。本来厭世的な宗教といっていい。

 

 一方、明瞭な四季の変化があり、四方環海にして山が多く平地が小さい日本列島は、人間に対してやさしい気候風土である。そういうところに生まれた日本の固有信仰は、現世を肯定し、人間生活を謳歌するところの明るく大らかな信仰精神である。『古事記』を見てもわかるように日本人は厭世思想とは無縁である。仏教が大分浸透した後に編纂された『萬葉集』にも仏教の厭世思想に関係があると思われる歌はきわめて少ない。

 

 日本固有信仰(神道)と仏教は全く異なった性格を持つ二つの宗教である。しかし、日本人は仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。

 

 インドに始まった仏教は、南方に伝わったもの(南伝)が小乗仏教を形成し、北方に伝わったもの(北伝)が大乗仏教を形成したという。そして日本には支那・朝鮮を経由して大乗仏教が伝えられたのである。

 

 『日本書紀』によると、わが国への仏教公式的な伝来は、欽明天皇十三年(五五二)とされ、百済の聖明王が、欽明天皇に釈迦仏像や経典を献じた時であると記されている。しかし、別の資料ではそれは欽明天皇七年(西暦五三八)のことだったとされている。

 

 『日本書紀』によると、この時、欽明天皇は、仏像の美しさに驚嘆され次のように仰せになったと伝えられる。「西蕃(にしのくに)の献((たてまつ)れる仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」。

 

 日本の固有信仰は自然そのものそして祖霊を信仰しているのであるから、神は姿を見せない、というよりも神の姿はないのである。仏像などのような美しく威厳のある姿を表現した偶像を造りそれを神の像として礼拝することはなかった。だから百済の王様から献じられた金色燦然とした仏像を見て、その美しさに驚嘆したのである。仏教への驚異の念はその教義に対してではなく、仏像に対する驚異だったと言える。

 

 またここで注意すべきことは、『日本書紀』において日本の仏教を伝えた支那や朝鮮を「西蕃」と表現していることである。欽明天皇が仏教を採用するかどうかを群臣に諮問した際に、仏教受容を支持した蘇我稲目(仏教を日本に伝えた百済系の渡来人といわれている)は「西蕃諸国、一に皆之を礼(いやま)ふ。豊秋日本(とよあきつやまと)、豈に独り背かむや」と答えた。

 

 先進文明や文物を伝えてくれた相手の国を「西の蛮人(西方の未開人というほどの意)の国」などと言っているのである。日本が支那の中華思想を受け容れさらに自己のものとして、中華思想の本家本元を「蛮人」と見なしているのである。日本の独立性・自主性の高らかな誇示であり、支那から多くの文化・文明を輸入していた『日本書紀』編纂当時にあっても、日本人は支那の属国意識を持ってなかったことの証拠である。ここが支那と朝鮮の関係との大きな違いである。

 

 外国文明の輸入に熱心であり、渡来諸氏族を背景にしたいわゆる国際派の蘇我氏ですら「西蕃」と言っている。そして仏教に対しても「外国も拝んでいるから日本も拝んだらよいだろう」と言った程度で、深い宗教的自覚に基づいて仏教を受け容れるべきだと主張しているわけではない。宗教を何か流行物と同じように考えている。

 

 また仏教輸入に反対した物部尾輿と中臣鎌子にしても「わが国家(みかど)、天の下に王(きみ)とましますは、恒(つね)に天地社稷の百八十神を以て、春夏秋冬に祭り拝(いわいおが)むことを、事(わざ)と為す。方(まさ)に今、改めて、蕃神(となりのくにのかみ)を拝むこと、恐らくは国神(くにつかみ)の怒を致したまはむことを」(日本書紀)と主張して反対した。

 

 この奉答も、日本国の自主性と純粋性を保たんとする国粋的立場から、「外国の神を拝むと日本の国土の神が怒る」と言っているのみである。格別の宗教的論議を組み立てて仏教の受容を拒否しているわけではない。

 

 ともかく、当時の日本は、欽明天皇が、「仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」と仰せられたことに象徴されるように、朝鮮(百済・新羅)から仏像の美しさ即ち仏教芸術において大きな影響を受けたのである。特に仏像は不思議な容貌をしているだけに、何か不思議な御利益がありそうに思われ、礼拝するようになったのであって、仏教の深遠にして煩瑣な教義を学びそれを信じたというわけではない。日本人の大多数は、大乗仏教の煩瑣な教義や哲学体系を論理的に修得するなどということは不得意であった。神道には、神への強靱にして純粋な信仰心はあっても、煩瑣な教義・教条はない。 

 

仏教の受容は、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰されたのである。仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去るということはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くになろうとする今日においても、仏教は外来思想と言われているのである。これは日本人の外来宗教への態度がルーズでいい加減ではない証拠である。

 

 日本人の実生活に根ざす固有信仰の精神が、日本民族の同一性の実に強靱な基盤となっているからこそ、かえって日本民族は融通無礙・包容力旺盛な態度を保持し、排他性が希薄だったのである。日本人の固有信仰の強靱さが、日本民族が仏教のみならず外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤である。そしてこれが日本文化の固有なる特質である。現代日本においても、この強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、諸事。

午後は、南青山の根津美術館にて開催中の『はじめての古美術鑑賞ー紙の装飾ー』展鑑賞。庭園を散策。

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庭園

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庭園

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庭園

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菩薩立像

夕刻、湯島にて、若き友人と懇談。とても親孝行・母親思いの青年である。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2017年6月 3日 (土)

國學の現代おける意義

日本人の農耕生活・弥生文化から生まれた信仰は、天地自然を神として拝む信仰である。天も地も山も海も川も樹木も、神の命としてこれを尊ぶ心が日本人の根幹にある。天地自然に神の声を聞くのである。殊更に宗教教義を作り出してこれを遵守しなければ神の怒りにふれるなどといふ観念は日本伝統信仰には無い。日本の伝統信仰には、西洋的意味での神学もイデオロギーも無い。

 

 だから日本人は、理論体系を作り出すことはしない。日本伝統信仰においては、一人の人物の説いた教義を絶対のものとしてこれを信奉し、これに反するものを排撃するといふことをしない。

 

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きは大切にするが、さうしたものから遊離した超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『真理』『論理』『原理』と称するものは、作り事であり、嘘や独善と隣合はせであると直感するからである。

 

 つまり日本の伝統精神すなはち日本民族固有の『道』は、事実の上に備はっており、一人の人物が書き表した教義書・経典に依拠しないといふのである。抽象的・概念的な考へ方に陥った教義万能・経典万能の思想から脱却し、日本人としての真心を以て祖先の歴史の真実を見てそれを戒めとしつつ自己の道徳意識を養成し、人間の真心をうたひあげた言の葉(即ち和歌)を学ぶことが、日本人一般の思想傾向であった。

 

 このやうな教義・教条を排するという日本民族の柔軟な態度が、日本文化の発展の基礎であり、日本が古代以来仏教や儒教などの外国思想を幅広く受け入れて自己のものとし、さらにそれをより高度なものにし、さらに近代においては西洋科学技術文明を取り入れた原点である。

 

 そもそも教義とか教条といふものは、具体的な歴史の事実の上に立って抽象的に論議として出て来たものである。だから、その教義・教条が記された書物のみを読み、知識として吸収し、それのみに頼らうとする姿勢は、道を体得することにはならない。 

 

 現代においても、ある特定の人物の説いた教義・教条を絶対のものとして尊崇し、それに反する思想を排斥する勢力はまだまだ多い。かつて田中忠雄氏は、かうした人々を「狐憑き」ならぬ「イデオロギー憑き」と定義づけた。

 

共産主義者は、マルクス・レーニン主義を絶対の思想としそれ以外を排斥した。かうした勢力がどれだけ多くの人々を苦しめ、不幸にしてきてゐるかは、それこそ歴史そして現代の諸事象を見れば明白である。もはやかくの如きイデオロギー至上主義では混迷せる現代を救ふことはできない。むしろ混乱と不幸を増大せしめるだけである。日本の神ながらなる理想を今日において実現することが大切である。

 

 「理論のあげつらひ」つまり人間の有限知を基盤とした哲学的思考によって得られた認識が、どれだけ宇宙や人生や歴史の真実を説き明かすことができるのか。まづこのことを疑ってかかる必要がある。宗教家の神学的・教義的考察、そして科学者の研究によって得られた知識が、どれだけ宇宙の真実に一致してゐるかを反省する必要がある。かういふ疑問や反省を忘却した人間の傲慢さが今日の文明的危機を招いてゐると言へよう。

 

 倉前盛通氏は、「日本人が『言挙げ』といい『さかしら』といい『あげつらい』という場合には、人間の言葉そのものの中に、すでに宇宙の奥底に潜む原理から遊離したものを本質的に含むという意味を表わしている。言葉が一つに概念規定をした場合、その概念規定という作業そのものの中に本質的に虚構の要素、誤差、ずれというような諸々の過ちが混じってくる避けることはできない、という意味である。」(『艶の発想』)と論じてをられる。

 

 人間の言葉(ここで言ふ「言葉」とは人間の思考や研究の成果としてつくりあげられた理論・教条のこと)は宇宙の真実とは虚構や誤差やずれがある。にもかかはらず、傲慢にも、自然や宇宙や人生を全て人間の作りあげた論理や科学研究によって説き明かこれを改造できるなどと考へたことが、美しい自然を破壊し、人類の生命をも脅かすに至った根本原因である。しかし、日本民族は、既に古代において、人間のかかる傲慢さを反省し、自覚してゐた。

 

 それが、古代日本人の「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」といふ歌なのである。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考へないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

 日本人は自然そのもののみならず、歴史からも「道」を学んだ。わが国に伝はる「道」は歴史に現はれてゐるのだから、体系としての世界観や人倫思想基礎を人為的に「さかしらなる知識」をもって言挙し作りあげなくとも、日本の国の歴史の事柄・事実に学べばよかったのである。

 

 歴史や自然を対立的にとらへて、論理や教条を振り回して自然や宇宙や人生や歴史の本質を説き明かそうなどといふ不遜な考えは持たなかった古代日本人の基本的な姿勢を、現代において甦らせることが必要なのである。

 

 近世国学者が、外圧の危機に中で行ったやうに、古代日本の歴史精神として今日まで伝へられてきてゐる「道」を、そのままありのままに学び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが大切である。

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、諸事。

午後二時半より、永田町のキャピトル東急ホテルにて、上杉隆氏にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載のためなり。

帰宅後は資料整理など。

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2017年6月 2日 (金)

今日思ったこと

ロシアのプーチン大統領は6月1日、北方四島について「日本の主権下に入れば、これらの島に米軍の基地が置かれる可能性がある」と述べ、日米安保条約が適用される現状では日本への返還は難しいとの認識を示した。

 

 

 

これは言いがかりである。日本に「日米安保解消」を求めるは現状では無理難題の押しつけに過ぎない。では日本が日米安保を解消し、自主防衛体制確立の為に、北方四島に核基地を建設してもそれを容認するのか。そんなことは絶対にない。

 

 

 

ロシアは北方領四島すら返す気は全くないのである。南樺太全千島奪還を目指しロシアと戦わねばならない。

 

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日本は「神ながら 言擧せぬ國」

 

 「日本の道」すなわち倫理精神・信仰精神は、教条的な形で理論として伝えられているのではなく、和歌によって伝えられている。『萬葉集』はその典型である。

 

 その『萬葉集』に収められている「柿本人麿歌集」の長歌に、「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」と歌われている。「わが国は神のみ心のままに生きる国であるから、言挙をしない国…」という意である。日本国の古代信仰においては、日本は全て神のみ心のままに生きていく国であると信じられていた。ゆえに、日本人はあえて自己主張をしないのである。この歌はそういうことを歌っているのである。

 

 しかし、日本民族は言葉を軽視したのではない。この長歌の反歌(長歌のエッセンスを歌った短歌)に「しき島の日本(やまと)の國は言靈のさきはふ國ぞまさきくありこそ」(大和の国は言葉の霊が助けて下さる国です。ご無事でいらっしゃい、というほどの意)と歌われているように、日本人は、言葉には霊が宿り人間を助けてくれると信じていた。古代日本人は、言葉には大きな力(霊力)があると考えた。そこから言霊思想が発生した。言葉は、それほどに大切なものであるからこそ、軽々しく言葉を発しないという信仰を持ったのである。みだりに理論や理屈をあげつらうことはしないという生活態度は、萬葉時代即ち古代以来の日本人の基本的姿勢だった。 

 

 近世国学者平田篤胤はその著『古道大意』において、「一體、眞(まこと)の道と云ふものは、事實の上に具(そなは)って有るものでござる。然(しか)るをとかく世の学者などは、盡(ことごと)く教訓と云ふ事を記したる書物でなくては、道は得られぬ如く思(おもう)て居るが多いで、こりゃ甚だの心得ちがひな事で、教(をし)へと申すものは、實事よりは甚下(ひく)い物でござる。其故は、實事が有れば教へはいらず、道の實事がなき故に、をしへと云ふことがおこる。」と論じている。

 

 意訳すれば、「一体、まことの道というものは、事実の上に備わっているものである。それなのに世の学者は、ことごとく教訓が書かれている書物を読まなくては、道を体得することはできないと思っているのが多い。これは非常に心得違いである。教義・教訓というものは事実よりも甚だ低いものである。その理由は、事実があれば教訓はいらない。道の事実が無いがゆえに教義・教訓が起こってくる」というほどの意である。

 

 「道」は、国の歴史の上に厳然として事実として示されているのであって、外来の儒教や仏教の経典を読まなくては「道」を求めることはできないという考え方は誤りである。むしろ、歴史の事実の上に「道」が現れていないからこそ、書物に書かれている「教義・教条」に頼らねばならないのである。それが支那における儒教である。日本における儒學は、「日本の道」を説明するために儒教文献を借用したのである。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、資料整理など。

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2017年6月 1日 (木)

国学は実行と変革を目指す学問

 

 日本民族の倫理精神と日本の国の歴史と文学を研究し、結合した学問を築こうとする学問が、国学である。そしてその学問は徳川時代中期に発生し幕末という国難の時期に大成した。外圧という有志以来未曾有の危機をどう打開するかという情熱・慷慨の志の上に立っている学問であって単なる知識を求める学問ではない。実行と変革を目指す学問である。もっとも日本らしい学問といっていい。

 

 日本民族の生活を対象とし、日本人の生活の奥底に流れている倫理観というか道義精神というものを探求する学問が国学である。つまり日本の文学・歴史・国語の中から理想を見出し、さらに理想を今日において実現しようとするのである。

 

 しかもその理想は日本一国に限定されるものではなく、世界に通用する理想として学問的に樹立しようとしたのである。国学が外国からの侵略をどう防ぐかという国家的状況の中で生まれた学問だからそれは当然のことであろう。つまり、日本の伝統的な精神によって世界に寄与しようという広大な精神によって打ち立てられた学問が国学なのである。そういう意味で、国学は日本の独自性を探求する学問であると共に、その普遍性をも目指したといっていい。

 

 理想を求めるということは、現状の変革を目指すということである。ゆえに、国学は変革の学問である。実際国学は水戸学と共に明治維新の変革の原理となった。

 

 国学が日本人の生活の奥底に流れている倫理観というか道義精神というものを探求するしようとしたということは、言い換えれば、日本の『道』を求めたということである。神話の世界から発する日本民族の『道』というものを探求した学問が国学なのである。その『道』とは、古代日本人の生活における「しきたり」といってもよいかもしれない。国学はそうしたことを対象とする学問である。

 

 神話の世界から発する日本民族の『道』は、今日、「神道」という言葉で表現されている。神道とは、日本本来の信仰精神・生活規範であり、国学はそのことを学ぶのである。日本民族のみならず世界各民族の文学も芸術も道徳もそして生活全般も、その民族の信仰生活がその起源となっている。

 

 近世国学者は、抽象的・概念的な考え方に陥った儒教や仏教の教条万能・議論偏重の思想傾向を否定した。そして素直なる心を持って我らの祖先の行いを見、自分もそれに身を以て実行しようという志を持つ生活観を持つべきだと主張した。 

 

 それでは、国学における「道」、「神道」の「道」とはいかなる道であろうか。それは「教条」や「掟」ではない。「神のみ心のままに行う」ということである。日本の神の「行い」をそのまま踏み行うことである。

 

 小林秀雄氏は次のように論じておられる。「『道といふこと』とは、論(あげつら)はうにも論ひやうもない、『神代の古事(ふるごと)』であった。『古事記』といふ『まそみの鏡』の面にうつし出された、『よく見よ』と言ふより他はない『上つ代の形』であった。…『上つ代の形』とは、たゞ『天つ神の御心』のまゝであらうとする、『上つ代』の心の『ありやう』、『すがた』た他ならず…。」(『本居宣長』)

 

 つまり、神のみ心のままであろうとする「かたち」の継承が「道」といっていい。日本語には古来、西洋で言う「知識」とか「認識」という名詞は存在しなかったという。日本人は、単に知識を求めたのではなく、「道」を求めたのである。それが日本の学問だったのである。「道を学び問う」事を大切にしたのである。 

 

 「道」とは人が歩む道である。人が歩むという具体的な行いが、学問という精神的な事柄を言い表す場合にも用いられたという事は、日本人はそれだけ「実践・行い」ということを重んじたということである。具体的に道を歩むという「行い」の姿を以て精神的な道を探求することを表現したのである。知行合一の『陽明学』が日本人に好まれたのはこういうことが原因になっているのかもしれない。

 

 日本民族は、思想や精神を理屈として言挙げしなかった。『日本思想とはこういう思想である』と説明しがたいから、理解に苦しむという人が多い。しかし、日本の思想とは「道」であるから、日本の歌道をはじめとする文芸や武道や茶道などあらゆる行為に自然に現れているのである。言葉で説明できる思想精神はそれだけ狭く限定されたものである。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、諸事。

午後からは、在宅して、たまった資料の整理など。

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