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2017年5月 7日 (日)

吉田茂氏の尊皇精神と憲法観

三日から五日まで高知県に行って来ました。

 

高知空港で吉田茂氏の銅像を仰いだ。また高知城に建立されている板垣退助像の背面には、吉田茂署の説明文が刻まれていた。

 

『憲法懇話會』で憲法学者の三潴信吾氏が「吉田茂首相には自主憲法制定の意志があった。昭和二十八年の主権回復と共に、吉田氏は自由党として自主憲法制定をするとはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘」と語っておられた。

 

奥野誠亮先生は、歴代総理大臣で一番記憶に残る人として、奥野先生が高知県警察部長時代に接点があった吉田茂を挙げて、吉田氏が、色紙に描かれたダルマの墨絵に「新憲法 棚のだるまも 赤面し 素淮(注・吉田氏の号)」と添え書きした思い出を語られ、「ここから吉田さんの心境が読み取れる」と語られていた。

 

また吉田氏が尊皇政治家であった事は、今上陛下の立太子の礼の時の壽詞で『臣茂』と奏上した事でも分明である。

 

「占領憲法」には「主権在民」と規定され、曲學阿世の憲法學者にの中には「日本の元首は内閣総理大臣だ」などと論ずる輩もいるのに、吉田氏は天皇の臣下としての自覚と矜持を持っていた政治家であり、まさに昭和の忠臣と言って良いであろう。

 

だからこそ、昭和天皇は昭和三十年に次のような御歌を詠ませられているのである。

 

「 小田原に往復の折、吉田茂元首相の家の前を通りて詠める

 

往きかへり 枝折戸を見て 思ひけり しばし相見ぬ あるじいかにと  」

 

 昭和天皇と吉田茂元総理との関係はまさに、「君臣水魚の交わり」に近い麗しい関係だったのではないかと、小生は考える。

 

 

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