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2017年5月17日 (水)

宗教と科學技術、傳統と革新の調和は日本において達成できる

 

近代科學技術文明が人間生活を便利にしたことは事實である。しかし、近代科學技術文明は自然を破壊し、人間生命をむしばみ、地球を危機に陥れてゐる面がある。さらに、人間による自然への冒瀆と傲慢な姿勢を生み出した。そしてその自然によって日本人は大変な脅威にさらされることもある。

 

現代文明とは「科學の論理によって技術革新を行ふやうになった文明」と定義され、産業革命以来機械技術の発達を促し、物質的繁栄至上の社會を作り出した。ところが、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊と自然災害・人心の荒廃・経済破綻を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかってゐると言はれてゐる。

 

今日の混迷を打開するためには<近代合理主義>を根底に置いた科學技術・物質文明に偏した考へ方を改めて、人間の精神性の復活する事が大切である。

 

壮大なる宇宙の神秘=無限の可能性は、人間の理性や知能によって全てが説明できるものではないといふ謙虚な姿勢を持つべきである。人間が作り出し進歩させてきた科學技術の力によって自然を支配できるなどといふ考へが根本的に間違ってゐたことは、今回の東日本大震災によって實感された。

 

生命尊重、自然保護、公害追放は、政治政策・経済政策によってそれを全面的に解決することはできない。今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多い。

 

現代日本の混迷は、天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同體を隠蔽し、日本傳統精神を否定し、神を否定する思想が蔓延して来たことがその根本原因である。日本民族が継承してきた傳統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が何よりも必要なのである。そのためには日本國民自身が『記紀』や『萬葉集』を學び、神社に参拝し、日本の自然風土に親しむことが大切である。

 

日本の傳統信仰は自然神秘思想であることは間違ひないが、全てを「神秘なるもの」の支配に任せ、科學的思考・合理的思考を拒絶するといふ考へ方ではない。むしろ日本民族は實際生活においては、きはめて合理的・科學的な生活を営んできた。宗教と科學技術の調和、傳統と革新の調和は、實に日本において真に達成できる。日本天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體國家日本は過去三千年にわたってそれを實践してきたからである。

 

近代科學技術文明による自然破壊・人間破壊の危機救済に、稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀國家・信仰共同體を今日まで保持しつつ、西洋文化・文明を受容し発展せしめ、もっとも発達した工業國なった日本の精神傳統が大きな役目を果たすと考へる。科學技術國家でありながら、太古からの信仰が今日においても生き続けてゐる日本が、現代の混迷を打開する役割を果たすべきである。

 

自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を、生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神即ち日本神道精神が、世界の真の平和を作り出すと信ずる。

 

神道(神ながらの道)といふ精神傳統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく。わが國は、古代信仰の「神やしろ」は、伊勢の皇大神宮をはじめ、全国に今日唯今国民に崇敬され、ほとんど全国各地の神社で毎日のやうに祭りが行はれてゐる。

 

アーノルド・トインビーは昭和四十二年、伊勢の皇大神宮に参拝した折、毛筆で次のやうな感想を書いた。「Here, in this holy place, I feel the underlying unity of all religions.」(私はこの聖域において、すべての宗教の根底をなすものを感ずる)

 

人も國土も神が生み給ふたと考へる日本民族の傳統信仰は、神と人間と自然の三つは対立し矛盾した関係ではなく、調和し、融和し、一體であると考へる。闘争と自然破壊に明け暮れる現代世界を救済するには、日本神道精神が大切になる。

 

フランスの哲學者詩人ポール・アントワーヌ・リシャルは『日本の児等に』といふ詩で、「新しき科學と旧き智慧と、ヨーロッパの思想とアジヤの精神とを自己のうちに統一せる唯一の民! 此等二つの世界、来たるべき世の此等両部を統合するは汝の任なり」「流血の跡なき宗教を有てる唯一の民! 一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは汝なるべし」「建國以来一系の天皇、永遠にわたる一人の天皇を奉戴せる唯一の民! 汝は地上の萬國に向って、人は皆な一天の子にして、天を永遠の君主とする一個の帝國を建設すべきことを教へんが為に生れたり」と歌ってゐる。 

 

日本傳統信仰の祭祀は、明るく平和的な行事である。動物や人間を生贄として神に捧げる事はしない。わが國民が祭りが好きであるといふことは、日本人が本来明るい平和的精神を持ってゐるといふことである。日本民族は本来的に残虐でもないし、厭世的でもなければ逃避的でもない。また排他的でもない。それがわが國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができると信じ続けてきてゐる。

 

日本傳統信仰の「祭祀」の精神が、戦争・闘争テロが繰り返され、自然は破壊され、人の命は軽視される現代を救済し打開する原理となると確信する。また「祭祀」の精神が、自然を破壊し人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると信ずる。今日の危機打開は、祭祀の精神の復興がその原基である。

 

「神への回帰」「自然への畏敬」といふ精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。天孫降臨の精神=稲穂による國家統治といふ絶対平和の精神が重大な意味を持つと確信する。日本神話の精神の再興が現代の救済である。

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